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29 現場に立ちはだかる障害は物理的に撤去するのが最も効率的なタスク処理だわ!

 ルサージュ公爵領の東端、ゼノヴァス帝国と国境を接する広大な平原。


 春の息吹に満ちていたはずの緑の絨毯は、数万にも及ぶ巨大な軍勢の軍靴によって無惨に踏み荒らされていた。

 黒と赤を基調としたゼノヴァス帝国の軍旗が風に翻り、重武装の兵士たちが地鳴りのような足音を立てて私たちの領地へと進軍してくる。


 対するルサージュ領の防衛軍は、アドリー様の完璧な戦術指揮によって平原の丘陵地帯に強固な陣形を展開していた。

 補給部隊の配置、遊撃部隊の待機位置、医療班の導線に至るまで、一切の無駄を排除した完璧な防衛プロジェクトの布陣である。


 そして、その防衛ラインの最前線となる中央の特等席には、ルサージュ公爵夫人であり現場監督たる私が、ただ一人で悠然と立ち塞がっていた。


「さあ、理不尽な敵対的買収工作の先陣を切るのはどこの部署の者かしら。我が領地のコンプライアンスの厳しさを、その身に刻んでさしあげますわ!」


 敵の先遣隊である数百の重装騎兵が、槍を構えて一斉に私へと突撃を開始する。

 私は深く息を吸い込み、大地を両足で強く踏み締めた。

 そして、足元の巨大な岩盤の亀裂に両手の指を深く突き立てると、全身の筋肉を爆発的に収縮させた。


 大地の底から凄まじい地割れが走り、数トンの質量を持つ巨大な岩の塊が、根こそぎ空中に引き剥がされる。

 私はその巨大な岩塊を頭上高く持ち上げると、突撃してくる敵の密集陣形の中央に向かって全筋力を込めて投擲した。


 巨大な岩塊が空気を切り裂き、猛烈な速度で敵陣へと突き刺さる。

 大地が激しく隆起し、爆発的な衝撃波が平原を吹き荒れた。

 強固な装甲に身を包んでいたはずの重装騎兵たちは、岩盤の直撃とその余波によって木の葉のように空へと舞い上がり、瞬く間に先遣隊の陣形が完全に崩壊する。


(よし、初動の物理的制圧は完璧ね。攻撃こそ最大の防御であり、現場に立ちはだかる障害は物理的に撤去するのが最も効率的なタスク処理だわ!)


 私が両手の埃を払うと、後方に控えていたルサージュ軍から割れんばかりの歓声が上がった。

 敵の先遣隊が壊滅状態に陥り、ゼノヴァス軍の進軍が一時的に完全に停止する。


 土煙が晴れた平原の中央で、敵軍の奥から一人の男がゆっくりと馬を進めて前に出てきた。

 豪奢な軍服に身を包み、鋭く冷酷な灰色の瞳を持つ初老の男。


 彼こそが、ゼノヴァス帝国の遠征軍を束ねる最高司令官――グリード・カネスキーである。


 彼は壊滅した自軍の先遣隊の惨状を前にしても、眉一つ動かさず、ひどく冷ややかな表情で私を見下ろした。


「なるほど。報告にあった通り、規格外の物理力を持つという化け物令嬢か。ルサージュ公爵も、ずいぶんと効率的な防衛兵器を所有しているものだ」


「兵器ではありませんわ、私はこの領地の現場監督です! グリード・カネスキー司令官、貴方たちのやっていることは不当な吸収合併も同然です。それに、末端の兵士たちに痛覚を麻痺させる薬品を飲ませ、不眠不休で進軍させるなど、為政者として……いえ、経営トップとして最低のコンプライアンス違反ですわ!」


 私が怒りを込めて糾弾すると、グリードは鼻で低く笑い、氷のように冷酷な声で反論した。


「コンプライアンスだと? 狂っているのは、貴様らのような恵まれた大国の甘えだ。我がゼノヴァス帝国は、資源も魔力も持たざる弱小国からのスタートだったのだぞ。弱者が巨大な市場で生き残るためには、個人の幸福や人権などという非効率なコストを完全に削ぎ落とし、絶対的な成果のみを追求するしかないのだ!」


 グリードは手にした鞭で、自身の背後に並ぶ兵士たちを無造作に指し示した。


「一部の犠牲は、国家という巨大なプロジェクトを成功に導くための必要経費に過ぎない。この兵士たちは、栄光あるゼノヴァス帝国を拡大するための尊いリソースだ。使い潰すことの何が悪い。すべては合理的な経営哲学に基づいているのだよ」


(なんて恐ろしい理屈なの。弱者だからこそ、効率の追求の名の下に現場の犠牲を正当化する。それは前世で私を過労死に追いやった、悪徳ブラック企業の論理そのものじゃない!)


 その歪んだ合理主義に私が戦慄していると、グリードは無慈悲に右手を高く掲げた。


「これより、第二フェーズへと移行する。全軍、規定量を超過して服用せよ。リソースの限界突破だ!」


 グリードの冷酷な命令が下された瞬間、ゼノヴァス軍の兵士たちが一斉に懐から小瓶を取り出し、中に満たされた赤黒い液体を煽るように飲み干した。


 ――直後、兵士たちの様子が劇的に変化した。

 彼らの瞳から光が消え、白目が血走り、全身の血管が異様に浮き上がる。

 理性を完全に失った彼らの口からは、獣のような低い唸り声が漏れ出し始めた。


 それは、痛覚と疲労を強制的に遮断し、肉体の限界を超えた出力を強制的に引き出す、まさに悪魔のオーバードーズである。


「行け。ルサージュの防衛線を食い破り、すべての資産を奪い尽くせ」


 痛みを忘れた狂戦士の群れが、死の恐怖など微塵も感じさせない猛烈な速度で再び突撃を開始した。

 私は迎撃のために拳を構え、先頭を走る兵士の胸当てに物理的な衝撃を叩き込んだ。

 装甲がひしゃげ、彼の肋骨が砕ける重い感触が手に伝わる。

 普通であればそのまま戦闘不能になるほどの致命的なダメージだ。


 しかし、その兵士は口から血を吐きながらも表情一つ変えず、折れた腕で私に向かって無造作に剣を振り下ろしてきたのである。


(なっ……!? これほどの損傷を受けておきながら、行動を停止しないというの!?)


 私は咄嗟に身を躱し、もう一度強烈な打撃を与えてようやくその兵士を沈黙させた。

 しかし、倒れた兵士を乗り越え、第二、第三の狂戦士が一切の躊躇いなく私へと群がってくる。

 腕が曲がろうと、脚が折れようと、彼らはただ命令を遂行するだけの機械と化していた。


(この者たちの動きを完全に止めるには、息の根を止めるほどの徹底的な破壊を行うしかない。でも……この人たちも、ただ上層部に搾取され、理不尽に命を使い潰されているだけの労働者じゃないの!)


 現場監督としての私の魂が、強烈な拒絶反応を示した。

 敵とはいえ、労働を強制されているだけの末端の従業員たちを、自らの手で情け容赦なく殺戮する。

 その行為への人道的な躊躇いが、私の拳の速度を僅かに鈍らせてしまった。


「甘いな、現場監督。その無駄な感情というバグこそが、貴様らの組織を崩壊へと導くのだ!」


 乱戦の彼方で、グリードが嘲笑する。

 私の僅かな攻撃の遅れを突くように、ゼノヴァス軍は自軍の損害を完全に度外視した非道な波状攻撃を仕掛けてきた。


 死体の山を乗り越え、十人が倒れれば百人がその穴を埋める。

 圧倒的な物量と、死を恐れない捨て身の特攻の前に、フィリップ率いる魔獣部隊も徐々に足止めされ、ルサージュ軍の完璧だった防衛ラインが少しずつ後退を余儀なくされていく。


(いけない、これ以上押し込まれれば、後方にいるアドリー様や領民たちに危険が及んでしまうわ!)


 私は群がる敵兵を強引に振り払い、陣形を立て直そうと大きく後方へ跳躍した。

 しかし、私が空中に身を躍らせ、回避行動を取れない一瞬の隙を、グリード・カネスキーは見逃さなかった。


「対象の固定を確認。これより、戦略的資産の強制償却を実行する」


 グリードの背後に控えていた数十人の高位魔術師たちが、一斉に巨大な多重魔法陣を展開する。

 大気が焦げるような異臭と共に空に浮かび上がったのは、城壁すらも一撃で消し飛ばす極大火力の広域殲滅魔法陣だった。


(しまっ――! 敵の詠唱が早すぎる! しかもあの魔法の照準、私を巻き込むために周囲の味方兵士ごと焼き払うつもりなの!?)


 自国のリソースを巻き添えにすることすら厭わない、冷血な戦術。

 私は物理的な破壊においては右に出る者がいない絶対的な攻撃力を持っているが、己の身を守るための防御魔法や広範囲の魔力攻撃を防ぐ手段は一切持ち合わせていない。

 空中にいる私には、逃げ場はどこにも存在しなかった。


「終業の時間だ、化け物令嬢!」


 グリードの無慈悲な宣告と共に、天空の魔法陣から太陽が墜落したかのような白熱の閃光が放たれた。

 視界のすべてを焼き尽くす圧倒的な破壊の光が、一直線に私へと迫り来る。


(駄目……! こんなところで、現場の命を平然と使い潰すブラック企業に、私たちのホワイトな理想が飲み込まれてしまうなんて……っ!)


 全身を焼くような死の予感が迫る中、私は目を大きく見開き、迫り来る光の奔流を見つめることしかできなかった。

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