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28 物理的な鉄槌を下して完全倒産させてやりますわ!

 長く厳しかった冬が終わり、ルサージュ公爵領に柔らかな陽光が降り注ぐ春が到来した。


 雪解けと共に、領地内の物流ネットワークはさらなる活気を呈していた。

 私が春先から指揮を執り、魔物使いのフィリップが使役する四ツ目猪の圧倒的な馬力によって整備された街道は、馬車の通行を極めて滑らかにし、輸送コストの大幅な削減を実現している。


 そして何より、この春のルサージュ領を牽引しているのは、冬の間に料理長と共同で研究開発を行った新規事業――ルサージュ蒸し饅頭の存在であった。


 蒸気で生地を膨らませ、領地で採れた良質な豆を煮詰めた餡を包み込むという異世界初の未踏製法は、瞬く間に市場の話題を独占した。

 安価でありながら栄養価が高く、しかも日持ちが良いこの蒸し饅頭は、街道を行き交う商人や旅人にとって究極の携帯食であり、領民たちにとっては手軽な嗜好品として受け入れられたのである。


(素晴らしいわ。お父様が確立してくれたラスデス王国への優先的な通商ルートもフル稼働しているし、何よりこの新たな特産品が圧倒的なキャッシュフローを日々生み出し続けている。まさに競争相手のいないブルーオーシャンの完全制覇ね)


 私は執務室の窓から活気に満ちた領都の市場を見下ろしながら、かつてないほどの達成感に浸っていた。

 莫大な利益を生み出すヤトゥルク鉱山の安定稼働に加え、特産品の爆発的な売上。

 現在のルサージュ領の財政は、公爵家の歴史上類を見ないほどの過去最高益を叩き出している。


 背後の執務机では私の最愛の夫であり、また前世における最高の上司でもあるアドリー様が、今期の決算報告書に優雅なサインをしたためていた。

 あの一夜の出来事以来、私たちは互いの前世の正体を言葉には出さずとも深く理解し合い、公私ともにこれ以上ないほど強固な信頼関係で結ばれていた。


「ラニ様。今年度第一四半期の利益率は、当初の事業計画を三百パーセントも上回っています。貴女の現場監督としての手腕と、新たな商材の開発力には脱帽するしかありません」


 アドリー様がサファイアの瞳を細め、私への惜しみない賛辞を送る。

 私は照れ隠しに作業用ドレスの裾を軽く払い、誇り高く胸を張った。


「すべてはアドリー様が適切な経営判断を下し、現場に十分な予算と人員を投下してくださったおかげですわ。トップの正しい導きがあってこそ、私たち現場の人間は最高のパフォーマンスを発揮できるのですから。現在のルサージュ領は、世界で最も労働環境に恵まれた超優良ホワイト企業と言っても過言ではありませんわ!」


 私たちが互いの業務成果を讃え合い、平和で穏やかな春の午後を満喫していた――まさにその時。

 執務室の重厚な扉が、乱暴な勢いで開かれた。


「申し上げます! 緊急事態でございます!」


 血相を変えて飛び込んできたのは、国境沿いの警備を任されている騎士団の伝令だった。

 彼は肩で激しく息をしながら、信じがたい報告を口にした。


「エアルダール王国のさらに東、ゼノヴァス帝国の巨大な軍勢が国境を越え、我がルサージュ領への侵攻を開始いたしました!」


 その報告を聞いた瞬間、執務室の温かな空気は一変し、氷のような緊張感が張り詰めた。


 ――ゼノヴァス帝国。

 それは、私たちが暮らすエアルダール王国や実家のあるラスデス王国とは国境を接する、新興の軍事国家である。

 建国から日が浅いにもかかわらず、周辺の小国を次々と武力で制圧し、その領土を不自然なほどの速度で拡大し続けているという不穏な噂は、かねてより私たちの耳にも届いていた。


(なるほど。他国を一つの企業と見なすならば、ゼノヴァス帝国の皇帝は、利益と領土の拡大のみを至上命題とする極悪非道なワンマン経営者というわけね。奴らの狙いは火を見るより明らかだわ。私たちが血と汗と筋肉で整備した優良なインフラ網、莫大な利益を生むヤトゥルク鉱山、そして豊かな農地。ルサージュ領という超優良資産を強奪するための、武力による不当な敵対的買収に他ならない!)


 私が脳内で敵の経営戦略を分析していると、伝令の騎士はさらに恐るべき事実を語り始めた。


「密偵の報告によりますと、敵軍の進軍速度が人間の限界を遥かに超えております。彼らは兵士たちに痛覚と疲労を強制的に麻痺させる特殊な魔法薬を継続的に支給し、睡眠も休息も一切与えず、昼夜を問わず二十四時間体制で強行軍を続けさせているとのことです……!」


 その言葉を聞いた瞬間、私の視界が怒りで真っ赤に染まった。

 痛みを麻痺させ、限界を超えて活動させる魔法薬。

 それは前世のブラック企業において、過労で倒れそうになる身体を無理やり動かすために流し込んでいた、あの粗悪な栄養ドリンクの極悪版ではないか。


(現場の従業員たる兵士に違法な薬品を飲ませて、二十四時間連続で強制労働させるなんて……! 怪我や疲労という人間の当然の限界を無視して、従業員を使い捨ての歯車としか見なさない。そんなものはもはや国家でも軍隊でもないわ。最悪の労働基準法違反を平然と犯す、究極のブラック企業そのものじゃないの!)


 前世で理不尽な労働環境に命を奪われた記憶が、私の魂の底で激しく煮え滾る。

 現場の苦労を顧みず、ただ上層部の利益のためだけに末端の人間を使い潰すやり方だけは、いかなる理由があろうとも絶対に許すことはできない。


 アドリー様は静かに椅子から立ち上がり、窓の外の青空を見つめた。

 その横顔には、普段の穏やかな笑みは微塵もなく、冷徹で威厳に満ちた最高経営責任者としての怒りが静かに燃え上がっていた。


「自らの民を道具として扱い、使い捨てる者に、為政者を名乗る資格はない。僕の庇護下にあるこの美しい領地を、そしてこの地で懸命に生きる誇り高き領民たちを、そのような理不尽な悪意に踏みにじらせるつもりは毛頭ありません」


 アドリー様が振り返り、私へと真っ直ぐに視線を向ける。

 前世において、理不尽な組織の力から私を守り切れなかったことを深く後悔していた彼の瞳には、今度こそすべての脅威から大切なものを守り抜くという、鋼のような決意が宿っていた。


「ラニ様。我が領地への不当な買収工作に対し、断固たる拒否の姿勢を示しましょう」


「ええ、当然ですわ、アドリー様。従業員を平然と使い潰すブラック企業の敵対的買収など、コンプライアンス的に言語道断です。私自らが現場の最前線に立ち、奴らの劣悪な経営体制に、物理的な鉄槌を下して完全倒産させてやりますわ!」


 私は両手で強く拳を握りしめ、全身の筋肉に極限の出力を許可する準備を整えた。


 ルサージュ領の豊かな利益と人々の笑顔を守るため、最強のホワイト企業トップと現場監督による、最悪のブラック帝国への物理的コンプライアンス指導が今ここに幕を開けようとしていた。

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