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22 これほど燃費効率の良い夢の開墾用重機は他に存在しないわ!

 開拓地を恐怖に陥れた巨大魔獣の襲撃から、さらに数週間の月日が流れた。


 ルサージュ公爵領の森に隣接する新たな農地開発エリアでは、かつて作業員たちを逃げ惑わせたあの四ツ目猪が、見違えるような素晴らしい働きぶりを見せていた。


「よし、進め。次は右の区画から土を裏返すぞ」


 魔物使いであるフィリップの的確な声と手綱の操作に従い、四ツ目猪は特注で製造された巨大な鋼鉄製の鋤を力強く引いていく。

 フィリップは普段から気性の荒い凶暴な魔物を使役し、時には気高く気難しいとされる馬の魔獣(ケルピー)すらも易々と乗りこなすという、領地が誇る類稀なる才能の持ち主である。

 しかし、そんな彼の手腕をもってしても、野生の巨大魔獣を農耕用に調教するという今回の試みは極めて難易度の高いミッションのはずだった。


 だが現在、猪の強靭な背中には農作業用に作られた頑丈な革のハーネスが装着されており、その巨体が真っ直ぐに前へと進むたびに、人間の手では何日もかかるような固い岩盤の混じった荒れ地が、まるで柔らかい真綿のように深く、そして均等に耕されていくのだ。


(素晴らしいわ! なんて圧倒的なトルクと馬力なのかしら。十人の作業員が一日がかりで行う抜根と耕起作業を、たった一時間で終わらせてしまうなんて。しかも燃料は領地で採れた農作物の規格外品を与えるだけで済むのだから、これほど燃費効率の良い夢の開墾用重機は他に存在しないわ!)


 私は特注の分厚い作業用ドレスの裾を風に揺らしながら、四ツ目猪の完璧な作業軌道と圧倒的な生産性の高さに深い感動の溜息を漏らしていた。


「奥方様。本日はご視察いただき光栄です。この個体は元々高い知能を持っていたようですが、何より無傷で、かつ生存本能に基づく絶対的な恐怖と服従を完璧に植え付けた状態で私に引き渡してくださったことが最大の勝因でございます。私が調教に入った段階で、この四ツ目猪はすでに奥方様の圧倒的な物理力を魂の底まで理解し、完全に野生の牙を折られておりましたから」


 休憩に入ったフィリップが私の元へと歩み寄り、誇らしげに――そして、どこか私に対する畏怖を込めた熱い視線で報告してくる。


「ありがとう、フィリップ。貴方の見事な技術のおかげよ。これで来年の作付け面積は、当初の予定の三倍規模にまで拡大できるわ。労働環境の大幅な改善と、工期の驚異的な前倒し。これ以上の成果はないわね」


 私は現場の進捗にこの上ない満足感を覚えながら、足早にルサージュ公爵邸へと帰還した。


 ◇


 夕暮れ時。


 私は身支度を整えるのもそこそこに、アドリー様が仕事をしている執務室の扉を叩いた。


「アドリー様! 本日の現場視察のご報告をいたします。新型重機……いえ、四ツ目猪の稼働状況ですが、私たちの予想を遥かに上回る投資対効果を叩き出しております。このままのペースで開墾事業が進めば、人件費と工期をこれまでの半分以下に圧縮することが確実です。さらに、余剰となった人的リソースを別のインフラ整備へと回すことで、領地全体の開発速度が爆発的に向上し……」


 私は手元の詳細な視察資料をめくりながら、前世の役員会議でのプレゼンテーションさながらの熱量で業務報告を行った。

 しかし、重厚な執務机に座るアドリー様は、私の提出した完璧な費用対効果の報告書には目もくれず、頬杖をつきながら私自身を甘く熱っぽい眼差しで静かに行き来して見つめていた。


「ラニ様。貴女が領地のために全身全霊で尽力してくれていること、そしてその成果が誰の目にも明らかなほど素晴らしいものであることは、その報告書を見ずとも十分に理解しています」


 アドリー様は優雅な動作で立ち上がると、私の手から資料をそっと抜き取り、机の端へと追いやった。


「仕事の話はもう十分に分かりました。ですが今は、有能な現場監督としてではなく、僕の愛するただ一人の妻としての顔を見せてはくれませんか?」


 低く、艶を帯びた声が私の鼓膜を甘く震わせる。

 私は現場の熱気から一気に引き戻され、自身の頬に急激に熱が集まっていくのを感じた。


 そのまま彼に手を取られ、私がエスコートされたのは、屋敷の最上階にある月明かりが美しく差し込む広大なバルコニーだった。

 夜風が心地よく吹き抜けるその場所には、すでに大理石のテーブルが設えられている。

 そしてその上には、繊細な意匠が施された銀の皿に乗せられた、美しい季節の果実を使った芸術品のようなデザートが用意されていたのだ。


(これは……王都のみならず、近隣諸国にまでその名を轟かせているという超人気店、カフェ・ヴァレンタインの特製ケーキじゃないの! たしか予約は常に数ヶ月待ちの状態で、並の貴族や王族でさえ簡単には手に入らないというあの幻のスイーツを、一体どうやって手に入れたというの……!?)


 私が驚きのあまり目を丸くしていると、アドリー様は私の椅子を引き、極上の微笑みを浮かべて着席を促した。


「ラニ様が毎日現場で泥に塗れて、領地のために誰よりも頑張ってくれているのですから、これくらいの慰労は当然のことです。貴女がこの店の甘いものを好むと聞いたので、早馬を飛ばして特別に用意させました。さあ、召し上がれ」


 アドリー様が自ら銀のフォークを取り、一口大に切り分けた美しいケーキを私の口元へと運んでくる。

 私は緊張で微かに震える口を開き、それを受け取った。

 極上の滑らかさを持つ濃厚なクリームと、みずみずしく爽やかな果実の酸味、そして香ばしく焼き上げられた生地が口の中で完璧に溶け合う。

 前世の過酷な残業中に流し込んでいた疲労回復用の人工的な栄養ゼリーとは次元の違う、本物の――そして、圧倒的な幸福の味が口内を満たしていく。


「とても……信じられないくらい美味しいですわ、アドリー様。私にはもったいないくらいに、贅沢な味です……」


「もったいないなどと、二度と言わないでください。世界中のどんな高価な宝石も、どんなに甘い菓子も、貴女のその笑顔を引き出すための飾りに過ぎないのですから」


 アドリー様は自身の席には座らず、私の背後に立ち、そのまま私の肩を背後から優しく抱き寄せた。


(アドリー様からの突然の密着……! 極上のスイーツの甘い余韻と相まって、私の心拍数が生命の危機を感じるほどの異常な数値を叩き出しているわ!)


 彼の高い体温が薄手の衣服越しに伝わり、上質な石鹸の香りが私をすっぽりと包み込む。


「ラニ様。僕は、貴女の過去や、貴女が抱えているであろう心の傷のすべてを知ることはできないかもしれない。それでも僕は今、目の前で力強く生きる貴女という女性を魂の底から愛しているのです」


 アドリー様の長い指が私の白銀の髪を優しく梳き、そのまま私の頬へと滑り落ちてくる。

 その真っ直ぐで情熱的な愛の言葉に、私の理性が激しく揺さぶられた。


(いけないわ、嬉しさと恥ずかしさで感情が昂りすぎている。ここで気を抜けば、全身の筋肉の出力制限が完全に崩壊して、とんでもない物理的破壊を引き起こしてしまう!)


 私は逃げ場を求めるように、バルコニーの石造りの手摺りへと手を伸ばし、それを強く握り締めそうになった。

 しかし、私の指先が大理石の冷たい表面に触れる直前――前世の現場監督としての冷徹な安全管理システムが強引に起動した。


(駄目よ、ラニ! ここで照れ隠しに手摺りを握り締めれば、数百年もの歴史を持つこの屋敷のバルコニーの石柱が小麦粉のように粉々に砕け散り、修繕費用という莫大な負債が発生するわ! 何より、この極上にロマンチックなムードを自らの破壊活動で台無しにするわけにはいかない!)


 私は空中でピタリと指の動きを止め、手摺りから正確に三ミリメートル浮かせた位置で、空気を掴むようにして全身の力を外へと逃がした。


 名付けて――エア手摺り掴みの敢行である。


 力みによって微かに震える私の指先に気づいたのか、アドリー様は私の手を優しく取り、自身の温かい両手で包み込んでくれた。


「手が震えていますね……夜風が少し冷たかったでしょうか?」


「い、いえ……これはその、アドリー様の言葉が嬉しくて、胸がいっぱいになってしまって……!」


 出力制限の限界を誤魔化すように私が精一杯の言い訳をすると、アドリー様は愛おしそうに目を細め、私の額に熱を帯びた唇を長く落とした。


「貴女が誰であろうと、どこから来ようと関係ありません。僕が見つけ、永遠の愛を誓ったのは、貴女というかけがえのない魂そのものです。これからもずっと、僕の隣でその眩しい笑顔を見せてくださいね」


 美しい月明かりの下、アドリー様の深いサファイアの瞳と私のアメジストの瞳が静かに重なり合う。

 過去の記憶が重なり合う不思議な既視感も、今はただの心地よいスパイスでしかない。


 今この瞬間――私が生きているのは過酷な労働を強いられた前世ではなく、この愛に満ちたルサージュ公爵領なのだ。


「はい、アドリー様。私でよろしければ、永遠に貴方の隣で、この領地の安全と発展を……いえ、貴方と共に歩ませてくださいませ」


 甘やかな夜の空気の中で、私の筋肉は破壊衝動を必死に抑え込み、代わりに心臓だけが限界を超えるほどの幸福な鼓動を刻み続けていた。

 二人の間に流れる穏やかな時間は、前世のどんな過酷な記憶をも優しく塗り替えていくのだった。

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