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13 世界最強のキャリアプランナーだわ!

 極限のエア膝枕と、リラックスしすぎた結果による天蓋付きベッドの柱粉砕事件から一夜が明けた。

 エアルダール王国の南部に位置する高級リゾート地の朝は、澄み切った空気と光り輝く湖面が織りなす、絵画のように美しい光景から始まった。


 有給休暇という名の新婚旅行であるにもかかわらず、私の全身の筋肉は昨夜の過酷な出力制限ミッションの反動により、かつてないほどの疲労と痛みを訴えていた。

 しかし、隣を歩くアドリー様は少しも疲れた様子を見せず、朝陽を浴びて神々しいほどの美しさを放っている。


「ラニ様、朝の空気は身体にとても良いですよ。湖のほとりを少し歩きましょうか」


 彼は私の手を優しく引き、湖畔に続く遊歩道をエスコートしてくれた。

 彼と手が触れ合うたびに、私は再び無意識の力みで彼の美しい手指の骨を粉砕してしまわないよう、全神経を集中させて筋肉の出力を制限する。


(朝から視覚報酬が過多だわ。この素敵な笑顔と優しさが前世の特別ボーナスとして支給されていたなら、私はあのブラック企業で今すぐ過労死しても少しも悔いはなかったわね)


 内心で社畜としての謎の感動を噛み締めながら歩いていると、少し先の通りが騒がしいことに気がついた。


 湖畔沿いに建つ、地元でも一際人気を集めているらしいお洒落なレストランの前に、大勢の人が集まっている。

 店の看板にはレイク・ドロップスという優雅な文字が刻まれていた。


「少し様子がおかしいですね」


 アドリー様が眉をひそめて視線を向ける。

 レストランの入り口は階段を数段上がった高い位置のテラスにあるのだが、その階段に木の板を敷いた即席のスロープの上で、数人の屈強な作業員たちが巨大な鉄と石でできた箱のようなものを引き上げようと悪戦苦闘していた。


「あれは……特注の大型魔導オーブンですね。おそらく、このレストランの新しい調理設備でしょう」


 アドリー様が推測した通り、それは数トンはあろうかという巨大な業務用オーブンだった。

 作業員たちが太い麻縄を巻きつけ、上から引っ張り上げようとしている。

 そしてそのスロープのすぐ下では、恰幅の良いレストランの店主らしき男性が、大声で指示を出していた。


 ――その時。

 巨大な重量に耐えきれなくなったのか、作業員たちが引いていた一番太い麻縄が嫌な音を立てて千切れた。


「あっ! 危ない!」


「逃げろ! 落ちるぞ!」


 作業員たちの悲鳴が響き渡る。

 支えを失った数トンの魔導オーブンは、傾斜のあるスロープを滑り落ち、下で指示を出していた店主の頭上へと猛スピードで迫っていった。

 店主は恐怖で足が竦んでしまい、その場から一歩も動くことができない。


 周囲の人間が息を呑んだ瞬間、私の身体は前世のクレーム対応よりも遥かに速い速度で反応し、地面を蹴っていた。

 私は店主の前に滑り込むと、ドレスの裾が汚れることも気にせず足幅を広く取り、両腕を前方に突き出した。


 ――次の瞬間、数トンの重さを誇る巨大な魔導オーブンが私の両手と激突する。

 激しい衝撃が腕から全身へと伝わるが、私の逞しい筋肉にとっては、この程度の質量を受け止めることなど少し重い書類の束を受け取るのと何ら変わりはなかった。

 私は魔導オーブンの勢いを完全に殺して受け止めると、そのままの姿勢でゆっくりと持ち上げた。


「お、お嬢さん……? 今、この数トンの塊を、素手で……?」


 腰を抜かして座り込んでいる店主が、信じられないものを見るような目で私を見上げている。

 周囲の作業員たちも、幽霊でも見たかのように口を大きく開けて硬直していた。


「皆様、ご無事で何よりです。このオーブンは、テラスの奥の厨房へ運べばよろしいのでしょうか?」


 私が涼しい顔で尋ねると、店主は何度も何度も頷いた。

 私は巨大なオーブンを軽々と持ち上げたまま階段を登り、店主が指し示した厨房の定位置へと寸分の狂いもなく静かに設置した。


「奇跡だ……! 女神様がいらっしゃった! お嬢さん、貴女は私の命の恩人だ! どうかお礼に、うちの最高の朝食を奢らせてくれ!」


 感極まった店主が涙を流しながら、私とアドリー様を店内の特等席へと案内してくれた。


 ――しかし、トラブルの余波はそこで終わりではなかった。


 魔導オーブンの搬入トラブルによって朝の仕込み作業が大幅に遅延していたため、開店時間と同時に押し寄せた宿泊客たちによって厨房は完全なパニック状態に陥っていたのだ。

 怒号が飛び交い、給仕のスタッフが右往左往し、料理人は焦りからミスを連発している。


(ああ、なんてこと。この光景、前世の年末進行のピーク時にシステム障害が起きて、部署全体が炎上した時の状態と完全に一致しているわ!)


 私の社畜としての現場監督魂が、激しく燃え上がり始めた。

 席に座って優雅に待っているなど、今の私には不可能だ。

 私はアドリー様に少しだけ席を外す許可をもらうと、すぐさま厨房へと足を踏み入れた。


(観察すれば一目瞭然だわ。この厨房、動線が非効率すぎるのよ! 巨大な食材用の冷蔵庫と火口の位置が遠すぎるせいで、料理人の移動距離が無駄に長くなっている。さらに、盛り付け台が洗い場のすぐ横にあるから、給仕のスタッフと洗い方がぶつかって渋滞が起きているのね)


 問題の根本原因を瞬時に見抜いた私は、厨房の真ん中で大声を張り上げた。


「皆様! 少しだけ私の指示に従ってくださいませ! 今から厨房の最適化を物理的に行います!」


 料理人たちが驚いて振り返る中、私はまず厨房の奥にあった数百キロはあろうかという巨大な調理台の下に手を差し込み、そのまま持ち上げて火口のすぐ横へと移動させた。

 続いて、水が満杯に入った巨大な洗い場のシンクごと持ち上げ、給仕の動線を塞がない壁際へと配置を転換する。

 純粋な怪力だけで重い厨房設備が次々と最適な位置へと移動していく光景に、厨房のスタッフたちは唖然としていた。


「さあ、冷蔵庫から食材を出す係と、火を通す係を完全に分業してください! 給仕の方は新しい動線を通って、絶対に立ち止まらないこと! 遅延しているオーダーの処理を最優先で回しますわよ!」


 私の前世で培われたプロジェクト進行管理能力と、圧倒的な物理力による配置換えが見事に噛み合い、崩壊寸前だった厨房は瞬く間に正常な機能を取り戻した。


 滞留していた料理が次々と完成し、客席へと運ばれていく。

 炎上案件を見事に鎮火させた達成感に包まれながら、私はようやくアドリー様の待つテラス席へと戻った。


「申し訳ありません、アドリー様。新婚旅行の朝から、淑女らしくない真似をしてしまって……つい、現場が混乱しているのを見ると放っておけなくて」


 私が恥ずかしそうに俯くと、アドリー様は少しも不快な顔をせず、むしろ誇らしげな微笑みを浮かべて私の手を取った。


「謝る必要などどこにもありませんよ。ラニ様のその素晴らしい決断力と行動力が、この店を救ったのですから。僕は、誰かのために迷わず動ける貴女を心から誇りに思います」


 そこへ、騒動が落ち着いた店主が最高級の朝食のプレートを両手に抱えてやってきた。

 店主は深々と頭を下げ、涙声で感謝を告げた。


「お二人とも、本当にありがとうございました! 奥様のあの力と的確な指示がなければ、今日の営業は完全に破綻していました。なんて優秀な現場監督なんだ! この恩は一生忘れません!」


 店主の言葉に対し、アドリー様は穏やかな――しかし、公爵としての威厳に満ちた声で応じた。


「貴方の店が救われたのは幸いでした。ですが店主、あのような急勾配の階段で、重量のある魔導設備を人力のみで搬入するのは安全管理上、非常に大きな問題があります。今後は、ルサージュ領が提携している専門の運搬ギルドを利用することをお勧めします。僕から推薦状を書きましょう」


 アドリー様の的確な指摘に、店主は驚いて目を丸くした。

 しかし、アドリー様の言葉はそれだけでは終わらなかった。


「また、導入された新型の魔導オーブンは、高純度の魔石を大量に消費するはずです。現在の流通ルートでは維持費が高騰し、いずれ経営を圧迫するでしょう。もしよろしければ、我がルサージュ公爵家が管理する鉱山から、直接魔石を卸す契約を結びませんか? 中間業者を通さない分、大幅なコスト削減になるはずです」


 それは単なる思いつきの助言ではなく、このレストランの経営を根本から安定させるための完璧な事業提携の提案だった。

 店主はアドリー様の言葉に完全に心を撃ち抜かれ、その場に平伏しそうな勢いで感動を露わにした。


(すごい……ただ私を甘やかすだけじゃなくて、私が物理的に救ったこの現場の価値を、経営者としての視点で完璧にフォローして、さらに何倍にも高めてくれるなんて……この人、福利厚生の塊というだけじゃない。私の仕事を最高の形に導いてくれる、世界最強のキャリアプランナーだわ!)


 私は目の前で優雅に紅茶を飲む愛する夫の姿に、底知れない魅力と頼もしさを感じていた。

 ただ優しいだけでなく、領民や働く人々を心から尊重し、彼らがより良く働ける環境を論理的に構築することができる。

 彼こそが、真に有能な為政者なのだ。


「お二人には、いくら感謝しても足りません! どうか、このレイク・ドロップスでの食事は、今後一生涯、すべてタダにさせてください!」


 店主の口から飛び出した一生涯無料という、前世の社畜時代には決して耳にすることのなかった甘美な響きに、私の心は大きく躍った。


(一生タダ! なんて素晴らしい響きなのかしら! これがフリーランスとして現場に介入した特別報酬というわけね!)


 私が目を輝かせていると、アドリー様は静かに立ち上がり、テーブルの上に十分すぎるほどの金貨を置いた。


「お気持ちはありがたく受け取ります。ですが、私の愛する妻の素晴らしい働きに対する報酬は、夫である私がたっぷりと支払う予定ですので、お気になさらず」


 アドリー様はそう言って、甘い独占欲を隠そうともせずに私の腰を抱き寄せた。


 店主に見送られながらレストランを後にした私たちは、再び穏やかな湖畔の散歩へと戻っていく。

 有給休暇という名の新婚旅行は、筋肉の痛みを忘れるほどの充実感と休む暇もないほどの甘い包囲網に包まれながら、さらに熱を帯びて続いていくのだった。

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