2026年 誕生日スペシャル 月本響編「普通の日でいい」
誕生日という日は、人によって特別だったり、何気ない一日だったりする。
盛大に祝われる人もいれば、気づけばいつも通り過ぎていく人もいる。
夏のある日、一人の高校生が過ごした、少しだけ特別で、いつも通りの一日。
カーテンの隙間から差し込む朝日が、静かに部屋を照らしていた。
枕元に置かれたスマートフォンのアラームが鳴り、月本響はゆっくりと目を開ける。
「……ん」
寝ぼけ眼のままアラームを止め、大きく一つ伸びをする。
窓を開けると、夏の朝の空気が部屋へ流れ込んできた。
「今日も暑くなりそうだな……」
そう呟きながら制服へ着替え、洗面所へ向かう。
顔を洗い、鏡に映る自分をぼんやり眺める。
「……よし」
短く呟き、部屋へ戻ると机の上に置いてあった腕時計を手に取った。
何気なくスマートフォンの画面を見る。
七月十七日(金)
「あ……」
一瞬だけ視線が止まる。
「……自分、今日なんだ」
それだけ呟くと、小さく笑ってスマートフォンの画面を消した。
特別な予定があるわけでもない。
だからといって、寂しいとも思わない。
誕生日なんて、毎年気づけば過ぎていくもの。
今年もきっと、そんな一日になるのだろう。
そう思いながら、響はリビングへ向かった。
リビングへ入ると、キッチンから味噌汁の香りが漂ってきた。
「おはよう」
響が声をかける。
「おはよう、響」
母はフライパンで目玉焼きを焼きながら振り返った。
「ちゃんと起きられたね」
「うん」
短いやり取りを交わし、響は椅子に腰掛ける。しばらくすると、焼き魚と味噌汁、ご飯が食卓に並んだ。
「いただきます」
「いただきます」
いつもと変わらない朝食。
テレビでは朝のニュースが流れ、天気予報では
「今日も厳しい暑さになります」
そう繰り返している。
響は黙々と箸を進めた。その様子を見ていた母が、ふと思い出したように笑う。
「あ、そうだった。」
「なに?」
母はにこりと笑って言った。
「お誕生日、おめでとう。」
その一言に、響は箸を止める。
「あ……」
数秒の沈黙。
「……ありがとう。」
少し照れくさそうに笑う。
「やっぱり忘れてたでしょ?」
「いや、さっきスマホ見て思い出した」
「思い出したって……自分の誕生日なのに」
母は思わず笑ってしまう。
「昔からそうなんだから」
「そんなに気にしてないし」
「そういうところよ」
響は苦笑いを浮かべながら味噌汁を一口飲む。
「何か欲しいものある?」
響は少しだけ考える。
欲しいものがないわけではない。でも、それを誕生日にもらいたいかと聞かれると、少し違う気がした。
「特には……」
「毎年それ言うわよね」
「本当に思いつかないんだよ」
少し考えてから、響は静かに口を開く。
「……でも、今日も普通の日でいいかな」
母は少し驚いたような顔をしたあと、優しく微笑んだ。
「響らしいわね」
響もつられて笑う。
誕生日だからといって、何か特別なことを望むわけではない。ただ、いつも通りの一日を過ごせれば、それで十分。
そう思いながら、響は朝食を食べ進めた。
制服の襟元を軽く整え、鞄を肩に掛ける。
「じゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃい。暑いから気をつけてね」
「うん」
玄関の扉を開けると、朝とは思えないほど強い日差しが降り注いでいた。
「もう夏だな……」
小さく呟き、自転車にまたがる。
ペダルを漕ぎ始めると、風が制服の裾を揺らした。通学路には、同じ制服を着た生徒たちの姿が少しずつ増えていく。
蝉の鳴き声が響き、空には雲ひとつない青空が広がっていた。
今日は金曜日。
そして、朝だけ部活動がある日。
響は少しだけペダルを速め、東縁高校へ向かった。
「おはよう」
吹奏楽部の部室へ入ると、すでに何人かの部員が楽器の準備を始めていた。
「おはよう」
「おはよう、響」
響もいつも通り挨拶を返し、自分のロッカーへ向かう。
ケースを取り出し、肩に掛ける。
その時だった。
「あれ?」
誰かの声が聞こえた。
「今日って七月十七日だよね?」
「そうだけど?」
「ってことはさ……」
一人の部員がカレンダーを見て、何かに気付いたように目を丸くする。
「あっ!」
その声に、周りの部員たちも視線を向けた。
「響!」
「え?」
「誕生日じゃん!」
部室が一瞬だけ静まり返る。
次の瞬間——
「おめでとう!」
「誕生日おめでとう!」
「響、おめでとー!」
あちこちから祝いの言葉が飛んできた。突然のことに、響は少し驚いたように目を瞬かせる。
「……ありがとう」
照れくさそうに笑いながら、小さく頭を下げた。
「本人、絶対忘れてたでしょ」
「まぁ、朝スマホ見て思い出した」
「そこは忘れるなよ!」
部室に笑い声が広がった。
朝練を終え、一時間目。
グラウンドでは体育の授業が行われていた。
「今日は体育祭のリレー練習をやる!」
先生の声がグラウンドに響く。
事前に決められていたチームごとに並び、それぞれバトンを受け取る。
「まずは一本走ってみよう!順位は気にしなくていいぞ!」
笛が鳴る。
第一走者が勢いよく飛び出した。
「頑張れー!」
クラスメイトたちの声援が飛び交う。
しかし、響のチームはなかなか前との差を縮められない。
「ちょっと差ついてるな……」
「今ビリか」
前半を終えた時点で、最後尾。
先頭との差は、十メートル以上。
そして——。
「月本!」
「はい!」
バトンが響の手に渡る。
次の瞬間だった。
「えっ!?」
スタートと同時に、一気に加速する。
無駄のないフォーム。
大きく伸びるストライド。
あっという間に前の走者との距離を詰めていく。
「速っ……!」
「え、月本ってあんな速かったのか!?」
「うそだろ!」
次々と一人、また一人と追い抜いていく。
歓声が上がる。
「めっちゃ速えやん!」
「あいつ、あんな速いんだな……」
「さっきまでビリだったよな?」
気づけば、響は二人を抜き去り、さらに前との差も一気に縮めていた。
最後にバトンを渡す頃には、チームはすでに上位争いができる位置まで浮上していた。
「ナイス!」
アンカーが勢いよく飛び出していく。
一方の響は、息を整えながら何事もなかったかのように歩いていた。
「月本!」
クラスメイトが駆け寄ってくる。
「お前、そんなに足速かったのか!」
「五十メートルとか何秒?」
響は少し考え、口を開ける。
「うーん、前体力テスト測った時は、5.87だったかな?」
「本当に吹部かよ」
午前中の授業を終え、昼休み。
昼食を取り出そうとしたその時だった。
「響」
後ろから声を掛けられる。
振り返ると、柊木が弁当箱を片手に立っていた。
「今日、一緒に食べない?」
「あ、うん。いいよ」
響は笑って頷く。
「じゃあ、音楽室で待ってる」
「音楽室なんだ」
そう言うと、柊木は先に教室を出て行った。
響も弁当を持ち、音楽室へ向かう。昼休みの校舎は、生徒たちの話し声で賑わっていた。
音楽室の扉を開けると——。
「お、来た」
柊木はすでに椅子に座り、弁当を机の上に置いて待っていた。
「待った?」
「いや、今来たところ」
響も向かいの席に腰を下ろし、弁当箱を机へ置く。
「いただきます」
「いただきます」
二人は手を合わせ、静かな昼食が始まった。
二人はしばらく黙々と弁当を食べ進める。
静かな時間が流れる。
不意に、柊木が口を開いた。
「そういえばさ」
「ん?」
「今年のコンクール」
響は箸を止める。
「『黎明〜到来の夜明け〜』、いい曲だよね」
「うん」
響は小さく頷いた。
「あの最後、好きなんだよ」
「まぁ、たしかに」
柊木は笑う。
「でもさ……」
そう言ってスマートフォンを取り出した。
「来年、もし吹けるならさ」
画面を数回操作する。
「この曲やってみたいんだよね。」
スピーカーから静かに音楽が流れ始める。
『ラッキードラゴン〜第五福竜丸の記憶〜』
重厚な和音が、静かな音楽室に響き渡る。
響は耳を澄ませた。
「難しい曲だけど、いつか吹いてみたい。」
響は流れる旋律を静かに聴き続けた。
昼休みの音楽室には、二人の会話よりも、音楽の方が大きく響いていた。
その日の授業を終え、響はいつもより少し早い時間に家へ帰ってきた。
「ただいま」
「おかえり」
リビングへ入ると、テーブルの上に一通の封筒が置かれているのが目に入る。
「これ…」
手に取って差出人を見る。
「暑中見舞いか?」
親戚から届いたものだった。
夏の挨拶と近況が丁寧な文字で綴られている。
読み終えた響が封筒を机へ戻すと、母がふと口を開いた。
「せっかくだし、響も書いてみたら?」
「僕が?」
「うん」
そう言って母が指差した先には、机の上に大切そうに置かれた一本の万年筆があった。
「昔、あんなに『欲しい』って言ってたものなんだから」
響は視線を万年筆へ向ける。
深い黒の軸に、光を受けて輝く金色のペン先。
万年筆は、ボールペンとは違い、インクをペン先から紙へとゆっくり送り出しながら書く筆記具だ。
筆圧をあまり必要とせず、使い込むほど持ち主の書き癖になじんでいく。
同じ文字を書いても、書く人によって表情が少しずつ変わる。だからこそ、一生ものとして大切にする人も少なくない。
響もまた、その魅力に惹かれた一人だった。
しばらく万年筆を眺めたあと、小さく笑う。
「……久しぶりに使ってみようかな」
響は自室へ戻ると、机の上に暑中見舞いの葉書を静かに置いた。
引き出しから、小さなガラス瓶を取り出す。瓶の中で静かに揺れるインクは、まるで深海を閉じ込めたような深い青。
光を受けるたび、群青にも藍にも表情を変えるその色は、響が特に気に入っている一本だった。
続いて、木製のペンケースを開く。
中に収められていた一本の万年筆を、両手でそっと持ち上げる。
漆黒の軸に、艶やかに輝く金のペン先。
高校入学祝いとして両親から贈られたその万年筆は、十万円を超える一本。
決して「高価だから」という理由だけではない。
何年も前、本や雑誌で見つけては憧れ続け、何度も店頭で眺めていた。
「いつか、これで字を書いてみたい。」
そう願い続けて、ようやく手にした万年筆だった。
だから響は、この一本を何よりも大切にしている。
キャップを静かに外し、ボトルインクの蓋をゆっくりと回す。
ペン先を深い青へと沈める。吸入機構をゆっくり回すたび、透明だった軸の中へインクが静かに満ちていく。
深海の色が、一本の万年筆に宿る。余分なインクを柔らかなクロスで丁寧に拭き取り、姿勢を正す。
葉書を机の中央へ置き、ゆっくりとペン先を紙へ触れさせた。
さらり――。
万年筆ならではの滑らかな書き心地が、静かな部屋に心地よく響き始めた。
一通り書き終えた響は、ゆっくりと万年筆を紙から離した。深海のような青いインクが、葉書の上で静かに光を反射している。
書き上げた文章を最初から最後まで読み返し、響は小さく息をついた。
「……少し長くなったな」
暑中見舞いを書くのは、ほとんど初めてだった。
何を書けばいいのか分からず、近況を書き、部活動のことを書き、相手の体調を気遣う言葉を書き加えているうちに、気づけば思っていたよりもずっと長い文章になっていた。
それでも、不思議と嫌な気分ではない。
万年筆でゆっくり文字を綴っている間、相手のことを思い浮かべながら書く時間が、どこか心地よかった。
「……まぁ、いっか」
響は小さく笑い、葉書を机の上へそっと置く。
窓から吹き込んだ夏の風が、まだ乾ききっていない青い文字の上を静かに通り抜けていった。
特別なことは、何もなかった。
それでも、朝から何度も「おめでとう」と言われて、久しぶりに万年筆を使って、こうして一枚の葉書を書き終えた。
そんな一日も、悪くない。
机の上の暑中見舞いを見つめながら、響は静かに目を細めた。
七月十七日。
月本響の誕生日は、ゆっくりと暮れていこうとしていた。
暑中お見舞い申し上げます。
毎日暑い日が続いておりますが、お元気でお過ごしでしょうか。
こちらは毎日とても暑いですが、元気に過ごしています。
高校に入学してから少しずつ新しい生活にも慣れ、吹奏楽部では毎日楽しく練習しています。もうすぐコンクールも近づいてきたので、部員みんなでより良い演奏ができるよう頑張っています。
暑さで大変な日もありますが、こうして季節のご挨拶を書く機会をいただき、改めて元気に過ごせていることを実感しました。
まだまだ厳しい暑さが続きますので、水分補給などを忘れず、お身体には十分お気をつけてお過ごしください。
またお会いできる日を楽しみにしています。
平成二五年 盛夏
月本 響
月本響キャラクター解説完全版
基本情報
♫ 名前:月本 響
♫ 性別:男
♫ 所属:長野県東縁高等学校 吹奏楽部(一年生)
♫ 担当楽器:ユーフォ
♫ 誕生日:7月17日(蟹座)
♫ 身長:176cm
♫ 血液型:B型
パーソナル
♫ 性格:落ち着いていて自然体。物事を深く考えすぎず、自分のペースで行動。
♫ 好きなもの:万年筆
♫ 嫌いなもの:特になし
♫ 趣味:万年筆で文字を書く
♫ 特技:走ること(50m5秒台)
♫ 無意識の癖:演奏中でなくても、指で運指をしていることがある。
内面・関係
♫ 音楽へのスタンス:自分でもわからない 。ただ、気づけば音楽に惹かれ、気づけば誰かのために吹いている。
♫ 誕生日に対する感覚:自分、今日なんだな
誕生日だからといって、必ず何か大きな出来事が起こるわけではない。
それでも、誰かの「おめでとう」という一言や、いつもと変わらない時間の中に、小さな幸せはきっと隠れている。
改めて、月本響君、誕生日おめでとう!!
感想、評価是非お願いします。
次回、誕生日スペシャル 東堂成昭編 8月13日公開。お楽しみに!!




