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武士大神(もののふおおかみ)   作者: ぽんた


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沖田総司

 九月十八日、この日は朝から曇天で蒸し暑かった。


 市中見回りは一番隊が務め、組長兼副長助勤の沖田総司おきたそうじ自らが「壬生狼みぶろ」の綱を握った。


 一番隊は他の隊とは違い、基本的には局長を護るいわば親衛隊の役目をうけもっている。

 そこに属する隊士は、剣術、槍術、柔術とより武芸に秀でた者で構成されている。

 そして、それを束ねる沖田こそが、新撰組随一の剣士として暗黙裡に認められているのもおなじなのだ。

 

 見回りから戻ると、隊士たちには今夜の呑み会がおこなわれる島原の「角屋すみや」に早々に向かわせ、沖田は「壬生狼」の綱を握ったままぶらりと八木家の裏庭にきていた。


 酒も女もたいして興味のもてない沖田にとって、宴会は苦痛でしかない。試衛館の仲間たちと内輪で呑むのはいいが、人がおおくなると気がひけてしまう。人見知りするわけではなく、ましてや堅物でもない。それでもやはり、人のおおい集まりや島原や祇園といった色町での遊興は、自身望んでいこうという気には到底なれない。


 沖田もまた、眉目秀麗な若者である。

 見回りをしていると、京の女子おなごたちがかれをみて囁きあっていたりする。勇気と行動力のある女子おなごなどは、恋文をよこすこともあった。

 だが、当人はそういう色恋沙汰などに興味はない。ただ剣術があればこと足りた。

 すくなくともいまのところは・・・。


 かれは、剣術の師でありかれの人生の光明でもある近藤勇のやいば、一振りの刀としてありつづけ、死にたいとつねに切望している。


 白い巨獣「壬生狼」のたくましい頸から綱をはずしつつ、沖田はしれず溜息をついていた。

 おとなしくお座り・・・している白狼が、足許より自身を見上げている。


 沖田は、だんだら模様の羽織が土に汚れることもかまわず、膝を折った。その姿勢だと、お座りしている白狼の頭部のほうが沖田のそれより高くなる。自然と白狼のほうが沖田を見下ろすようになった。


 その黒い双眸に、沖田自身がはっきりと映っている。その姿は、控えめにいっても愚劣な卑怯者のようにみえた。

 壬生狼は、沖田自身がなにを考えているのかわかっているんだ、となにゆえか確信できた。


 これだけ蒸し暑く、市中を練りあるいてきたのにもかかわらず、白狼は口を開け、舌をだして体温調整することもなく、涼しげな表情かおをしている。


「壬生狼、ちょっと付き合ってくれないか?」

 沖田は、すばやく立ち上がると白狼から一歩退いた。それから、腰の「加州清光かしゅうきよみつ」をゆっくりと抜く。

 この時期ころ、沖田はまだかれの愛刀として有名な「菊一文字則宗きくいちもんじのりむね」を所持していなかった。


 沖田は、得物を正眼に構えた。その切っ先は、やや左に寄っている。理心流独特のその構えにあわせるようにして、白狼もゆっくりとたち上がった。


 四つ脚の獣は、白刃を眼前にしてもまったく怯えることもなく、身構えることもなく、しっかりと地に脚をつけたまま、ただ悠然と相対する沖田をみつめている。

 そこからはなにも発せられない。なんの気組みも感じられない。


 沖田は天然理心流免許皆伝で、その実践的な剣術をじつによく遣った。それは、この京で十二分に通用し、長州系をはじめとした過激攘夷志士たちから「新撰組の沖田」として、おおいに怖れられている。

 得意技の「三段突き」のすべてをかわすことができる者は、およそそういう不逞浪士たちのなかにはいないだろう。いまのところは・・・。

 これほどになるまでに至る過程は、決して順調だったわけではない。

 たしかに沖田は天才だ。もともと剣の素質が備わっている。天性、というものだ。だが、それだけでやっていけるほど、この道は平坦でも安易でもない。


 幼くして両親を亡くし、姉夫婦に面倒をみてもらっていた宗次郎そうじろうは、口減らしも兼ねて剣術道場に内弟子に入った。それが試衛館であり、生涯、自身のすべてを賭けようと誓わせた近藤勇というおとことの出会いでもあった。

 

 なんの気組みも発することなく、五感を研ぎ澄ましてもなにも感じられない相手。これほどやりにくいものはない。


 以前、試衛館でまだ剣を振るっていた時分ころにはじめて敗北を与え、衝撃と畏怖とを同時に味あわせてくれた。

 それがぼう、と呼んでいる少年だ。


 ある日、試衛館にあらわれたその少年は、かれが内弟子に入った時分ころとおなじ年頃だった。すくなくとも、みた目はそうだった。


「試してやろう」

 食客の一人である永倉新八ながくらしんぱちが、暇つぶしといたずら心で提案した。

 その結果が、当時そこで修行に励んでいた全員の度肝を抜いた。


 悔しさを通り越し、ただただ驚異だった。その衝撃を与えられたなかには、天然理心流三代目宗家近藤周斎こんどうしゅうさいと、その養子であり四代目宗家である近藤勇も含まれていた。


 慢心していた、とはいわない。なぜなら、試衛館道場のすべての弟子、食客たちのなかで、自身が一番強いと思い込んでいたのだから。

 否、ときには食客の一人である斎藤一さいとうはじめや永倉がひやりとさせてくれることがあったかもしれないが・・・。


 その少年と向かい合ったとき、そこからなにも感じられないことにまず驚いた。わずかな気組み、それどころか存在感すらなかった。

 それはまるで、沖田がたったひとりで木刀を構えているかのような錯覚を抱かせた。否、正確に表現すると、自分自身と向き合っているかのような、そんな感覚に襲われた。

 心の奥底にいる自分自身と対峙しているかのような・・・。


 試合開始直後、沖田は自身にわだかまるすべての負の感情を、全身全霊をもって打ち払うべく、得意の三段突きを繰りだしていた。

 いまにして思えば、少年がそうするように仕向けたのだろう。


 だが、必殺技の三段付きは、いとも簡単にすべてかわされた。しかも、少年はそれらをかわすのにわずかにたいを開いただけだった。そして、はっとする間もなく、少年の左手刀が自身の首筋に軽く当てられていた。


 そう、少年は無掌で試合に臨んでいたのだ。


 その日以来、沖田はよりいっそう稽古に励んだ。文字通り、血の滲む様な努力も厭わなかった。

 近藤勇の刃となるために・・・。師の役に立つために・・・。 


 現在いま、自身は新撰組最強の剣士として、さらには「近藤四天王」の一人として、心酔する近藤と、その近藤が局長を務める新撰組のために敵を斬っている。

 一方、沖田のを覚まさせた少年もまた、少年自身が敬愛する新撰組副長土方のために、暗殺や間者をしている。こちらは、斎藤とともに「土方二刀ひじかたにとう」と密かに呼ばれ、敵味方ともに怖れられている。


 沖田、永倉、斎藤、藤堂の「近藤四天王」が表看板なら、「土方二刀」はどちらかといえば穢れ仕事を専門にうけもっている。

 ともに斎藤が入っているが、本来、なんの躊躇もなくどんな相手を斬る腕をもち、さらには部下を統率することにも長けている斎藤は、ある意味では器用で要領がいいのだろう。


 もっとも、少年も外見がその姿形なりでさえなかったら、一隊を任されていたのかもしれないが。


 この不思議な少年は、あらゆる武術を遣いこなす上に、時勢や兵法にも明るく、それ以外でもなんでもそつなくこなすことができるのだ。


 これは、試衛館の仲間しかしらないことだが、少年は普通の少年ではない。心身の成長が十歳(とお

)のままで止まってしまっているらしい。


 そして、少年は人間ひとでさえない。

 すくなくとも、かれは自身でそういっている。


「はっ!」

 沖田はなんの迷いもなく、みじかい気合とともにいきなり得意の三段突きを白狼にむけて繰りだした。巨獣は、その体躯に似合わず器用な体さばきでかわしていく。

 三段ともになんの躊躇いのない強烈なものだった。


 三段目が空を突いた。その「加州清光」の刀身の上に白き狼の姿がある。

 だが、まったくその重量を感じさせない。まるで宙に浮いているかのようだ。白狼は、白刃の上からひらりと地に舞い降りた。刹那、沖田自身の首筋に刃先が当てられていた。

 白狼は、沖田が気づかぬまま、かれの脇差を咥えて抜き放ち、それでかれの首筋を襲ったのだ。


 その技は、いつも無腰、無掌の少年が得意とするものであった。

 

 白き巨狼「壬生狼」の本来の姿たる少年の技・・・。

 白き巨狼は、少年のなかにいるもうひとつの存在・・・。

 

 八木家の裏庭にある桜の木の枝を止まり木にしている「朱雀」が、一声甲高く鳴いた。それはまるで、勝負あったと宣言しているかのようだ。


 沖田は緊張を解いた。まだまだ彼ら・・に勝てそうにはない。

 彼はしっている。少年もまた、かれとおなじように天性や才能だけに恵まれているだけではない。つねに努力と修練とを欠かさぬことを。

 

 少年は仲間とすら食事をとらず、必要以上に関わることもない。

 おなじ年代の子どもと比較して体躯が小さいのは、俊敏に動けるためにつねに節制しているのだ。そして、人と交わろうとしないのは、いつなんどき仲間だった者を掌にかけてもいいように、いらぬ情がわかぬようにしているに違いない。


 それは、「暗殺者」として生きている者の本能なのか・・・。


「まいったな・・・」

 沖田は、苦笑しつつ「加州清光」を軽く振るうと質素な拵えの鞘におさめた。一方の白狼は、さきほどとおなじ涼しげな表情かおでかれを見上げている。


「気が重いよ、壬生狼」

 不意に、かれは白き巨獣の頸に両腕をまわし、その頭部を抱いた。

「壬生狼」の毛は柔らかい。陽と草と、それからかすかに甘い匂いがした。

そういえば、市中見回りにゆくまえ、八木家の奥方からいただいた金平糖を、少年と食したのを思いだした。


「お前はどうだい?」

 ピンと立った耳朶に囁きかける。

「副長は、おれの腕を信じてくれてないんだね、きっと。だから坊も今宵のこと・・に加えた。坊は、怪我してるのにね」

 かれの腕のなかで、白き狼はわずかに首を傾げた。


「でも、正直芹澤あのひとは強いよ。あんなになってても勝てる気がまったくしないし・・・」

 本当のところは、暗殺などという姑息な手段は使いたくなかった。正々堂々と闘い、そして斬りたかった。そうでなくては、自身の剣が、ひいては師である近藤すら穢れるような気がする。

 だが、様々なことを考慮すれば、暗殺こそが迅速に確実なのだろう。たとえそれが、三文芝居のようにみえたとしても。


 そう、頭ではわかっている。わかってはいるがいまだに折り合いをつけられない。やりきれなかった。

 武士として、いや、おとことして、どうかと思うような嫌な務めを、斎藤や少年は日々こなしている。かれらは、そういうことに関してどうも思わないのか?それとも、自身がまだまだ様々な意味で覚悟や心意気が足りていないのか?


 そのとき、白狼の大きな耳朶がピクリと動いた。それがかれを現実へと引き戻す。


 裏庭に現れたのは、浴衣姿のおうめだった。

 

 呉服商菱屋太兵衛ひしやたへいの妾だっただけあり、金糸をあしらった伊予絣いよがすりの浴衣をまとっている。あの芹澤を虜にするほどの美女。女子おなごにはほとんど興味のない沖田は、その妖艶さにあてられたのか、こちらに近寄ってくる女子おなごをただじっとみつめることしかできぬようだ。


 風呂上りのようで、白い肌がわずかに上気している。右手に持った団扇で、時折自身に風を送っていた。

 お梅は、沖田とがあうと微笑んだ。

「沖田はん、夕方やいうのに暑うおますなぁ」

「え、ええ・・・」

 自身でも情けないほど声がかすれていると思った。意識せぬよう、なるべくお梅をみないようにしながら「壬生狼」の頸から腕をはずし、立ち上がる。


 かような努力の甲斐なく、心の臓の高鳴りが抑えられなかった。いまやかのじょは、自身と半間(90センチ)の隔たりもない。香でも焚いたのだろう、かのじょからいい匂いが漂ってくる。


 きっとこれがおとこというものをよく知っている女性にょしょうの匂いなのだろう。


「あの子は大丈夫どすか?」

 くらくらきている沖田の耳朶に、意外な問いが飛び込んできた。

「あのお人も、口にはだしはりまへんが気にしてはるみたいやわ」

 かのじょのいうあのお人、とは情夫の芹澤にほかならない。思わず、彼は自身の足許でおとなしくお座りしている白狼に視線を向けた。

 白き狼は、その黒い双眸で芹澤の愛妾をみつめている。


「坊は、大丈夫です・・・」

 やっとのことで言の葉をしぼりだす沖田。

 すべてをぶちまけたい、という強い衝動に駆られてしまう。


「あ、あの・・・。お梅さん、いつまでここにいらっしゃるおつもりですか?」

 ついそんな、お梅にとってはいらぬ世話であろう問いが口をついてでてしまった。


 桜の木の枝で、「朱雀」が羽を広げた。大鷹にとっては、そろそろ動くのに得意でない時刻ときになろうとしている。

 大鷹は、桜の木の枝から力強く羽ばたいた。天空まで一気に飛翔し、それから旋回した。ゆっくりと羽ばたきながら降下していく。

 夜は、うまやで休むのだ。大鷹のそれら一連の動きは、豪快さのなかにも空の王者たる威厳が備わっている。


 大鷹がみえなくなったとき、お梅がきれいな口許を綻ばせ、それを開いた。

「沖田はんは優しいお人どすなぁ」

 団扇で沖田を扇ぎながら微笑んだ。


「ここを追いだされてしもうたら、ゆくとこおへんのや。うちにはもうあの人しかおへん。せやから、なにがあってもあの人の傍におりたい思うてます」

 お梅は、沖田、それから白狼にも微笑んでみせた。

 白狼の大きな頭部が傾げられる。


「せやけどおおきに、沖田はん」

 お梅はさっと沖田の口唇に口づけした。そして、自身の部屋のある方へと去っていった。


 白狼がだんだら羽織の裾をひっぱるまで、沖田はずいぶんとながく立た尽くしていたに違いない。


 右の掌で自身の口唇をぬぐった。指に紅がついた。


 芹澤は気づいているのか?そして、その芹澤の異変を、女性特有の勘というものでお梅も感じているのか?


 ますます気が重かった。


 今宵、おそらくおれは、あの女性ひとも斬らねばならぬだろう・・・。


「大丈夫だよ、壬生狼。大丈夫じゃなきゃいけない。そうだろう?そうでなきゃ、おれは近藤さんを護れない。近藤さんのために、おれはどんなことでもしなきゃならないんだ・・・」

 その決意は、白き狼にではなく、自身にいいきかせるためのものだった。



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