会津藩主
文久三年(1863年)九月十三日。それは、新撰組局長近藤勇の部屋でいま一人の局長芹澤の暗殺について話し合われた数日前のことであった。
長州系攘夷論者で、それゆえに禁門の変以降蟄居、謹慎を申し渡されていた有栖川宮熾仁親王を訪れた集団があった。
新撰組局長芹澤鴨と、十五人ほどの新撰組隊士だった。
芹澤はなんのツテや約束がないまま、有栖川宮家を訪れた。そして、「仕えたい」と申しでたのである。
その動きは、すぐに京都守護職たる会津藩にしれた。
それをもたらしたのは、新撰組の優秀な監察方からの報告であった。さらに、それとはべつに会津藩主から直接依頼を受け、朝廷内の攘夷論者を密かに見張っていた佐藤龍からでもあった。
黒谷にある京都守護職会津本陣。この本陣の最奥部に、会津藩主たる松平容保の寝所がある。
決して贅を好まず、それどころか倹約を旨とするこの若き藩主は、なによりも藩祖の遺訓をつねに重んじていた。
それは、藩祖保科正之公のものである。
保科正之は、三代将軍家光の異母弟である。その保科が「大君の義、一心大切に、忠勤を存すべし。列国の例をもって自らを処るべからず。もしニ心を懐かば、即ちわが子孫にあらず。面々決して従うべからず」と遺した。
すなわち、どんな事情があろうと将軍家に忠義を尽くせ、というものだ。
この家訓第一条が会津松平家の、否、会津藩じたいの根源となり代々受け継がれてきた。
無論、松平容保も例外ではない。
この京都守護職の任は、容保自身病身をおし、家臣の再三たる反対を押し切って就いたものだ。
この動乱の時期にあり、いくら第十四代征夷大将軍徳川家茂からの懇願であっても、京都守護職の任に就くなど文字通り「火中の栗を拾う」ことであるのは歴然としている。
会津藩の家老西郷頼母や田中土佐は、「このころの情勢、幕府の形勢が非であり、いまこの至難の局に当たるのはまるで薪を背負って火を救おうとするようなもの。おそらく労多くして功少なし」と、誠心誠意言葉を尽くし身をすり減らすほどの勢いで説得を試みた。
しかし、幼少より藩祖の遺訓を叩き込まれている会津候は、悩みに悩んだ挙句、任に就くことを選んだ。
結果的には、遺訓がそうさせたのだ。
会津候は、容姿端麗ではかなそうな外見である。だが、ある意味では自らの信念を貫く強さをもっている。
そういう気性だからであろうか。会津候は、将軍の信任が厚い上に時の天皇の寵愛をも受けていた。
床の間に水墨画が掛けられ、そのまえに刀掛けに置かれた大小がある。それら以外は装飾品が一切ない、じつに質素ともいえる寝所で、その部屋の主たる会津候が上座に、その前方右側には、家老の田中土佐が座していた。
田中土佐は、四十をすこし過ぎたばかりだ。会津武士特有の頑固さと忠誠心で、つねに若き藩主を支えている。
がっしりとした体躯、それ以上にごつい相貌をもっている。
苦労の耐えない家老職におおくあるように、田中もまた、年齢のわりには髪に白いものがおおく混じっていた。
「朝廷は争いを好みません。それは、さしもの有栖川宮様も同じでしょう。蟄居中の身で、なにゆえ芹澤ごときを側に置くことができましょうや?」
眉目秀麗な相貌に、憂いを浮かべた会津候が囁いた。
人払いをしているとはいえ、この場にいる三人目については、たとえ信頼出来る家臣であってもしられてはならない。
すくなくともいまはまだしられていい時期ではない。
「ご心配には及びますまい、会津中将」
三人目が応じた。
だれの瞳に触れることなく、警備の厳しいこの本陣にあって易々と最奥部まで侵入できる手練の持ち主である。
いつもとおなじ擦り切れた黒色の着物と同色の袴姿。本来の主である新撰組副長土方歳三が与えた名である「佐藤龍」を名のる少年・・・。
新撰組では、土方の実姉夫婦の子、つまりは土方にとっては甥にあたり、新撰組内での立場は小姓ということになっている。
佐藤というのは、土方の義兄夫婦の姓である。
義兄の佐藤彦五郎は、近藤勇と義兄弟の契りを交わしている。無論、近藤のほうが義弟だ。そして、佐藤は新撰組の前身である「浪士組」の時分からの大切な支援者の一人でもあった。
「事実、賢明な有栖川宮様も尊顔を拝させることなくその申しでを退けられました。もっとも、芹澤もただの思いつきでの行動。意にそわぬ結果をうけても、暴れることなく宮家を辞しております」
年端もいかぬ少年の口からでる言の葉は、たとえ上流貴族や武家の子弟でもそうやすやすとつかいこなせるものではない。
じっと黙って報告をきいていた会津候は、居心地悪そうに身じろぎした。本来、自身が上座にいるべきではないからだ。
「近衛大将軍・・・」
思わず口からその官職が漏れてしまった。
それを、少年が辞儀とともに制する。
「会津中将、わたくしは卑しい人殺しでございます。それをお忘れなき様。おそれながら、それは御方がお戯れに下賜されたものにすぎませぬ」
会津候は、自身の家老に瞳をやってから短く嘆息した。
もうどれだけおなじやり取りを繰り返してきたことだろう。
その嘆息に、家老の田中は控えめに口の端を歪めて笑みを浮かべた。
主君が少年と繰り返すこのやり取りを、おなじ数だけみてきている。
「そろそろ頃合でしょうか?」
そして、田中は自身の主君と少年に打診した。
「そのようでございます。芹澤の病は、遠からずかれ自身の心身を喰いつぶします。それを当人もわかっております」
会津候とその家老に対し、丁寧に辞儀をしながら少年が応じた。
「蝕まれた精神であっても、培われた武士の魂は刃で死することを欲しております。その願いを叶えてやるは、せめてもの慈悲かと・・・」
少年が面を上げたとき、その端麗な相貌にはぞっとするほど怜悧な笑みが浮かんでいた。




