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唐突に訪れた静寂。
殺蟲師はオオアリの背中から飛び降りると、
「ふうう………」
長い息を吐き出し、その場に座り込んだ。こめかみの後ろにある留め具を外し、頭部全体を覆う兜を脱ぐ。
現れたのは、まだ少年の顔だった。青白い肌に、灰色のざんばら髪。左目に怪我でもしているのか、顔の左上半分に包帯が斜めに巻かれている。厳めしい装備に不釣り合いな、いかにも呑気そうな、垂れた三白眼。瞳は髪と同じ、ぱっとしない灰色だ。
「あちちちっ!」
若き殺蟲師は慌てて立ち上がった。黒鉄のようだった甲冑も、今は空気の抜けた風船のように張りと光沢を失って萎み、身体にへばり付いている。強化薬の効果が切れたのだ。萎んだ甲冑には耐熱効果がない。危うく尻を火傷するところだった。
「ふう。あぶない、あぶない」
尻に付いた砂を払い落とす殺蟲師の元へ、
「ちょっと、あんたねえ!」
補充士が怒りも露に歩み寄って来る。
「ヒミコ……」
「カイン。あんたって、本当にバカなのね」
腕組みした補従士は、自らの師であるはずの殺蟲師の名を呼び捨てにし、あろうことか馬鹿呼ばわりした。しかし、言われた当の本人は怒るどころか、バツが悪そうに尻をさすりながら、自らの弟子であるはずの補従士から顔を背ける。
補従士は舌打ちすると、歪んだ大兜を肩の留め具から外し、地面に下ろした。
肩にかかる柔らかな黒髪が、砂風を受けてふわりとそよぐ。
補従士ヒミコは、まだ幼さの残る少女だった。黒目がちの大きな眼を吊り上げ、カインの横顔を冷たく睨んでいる。
「どうして、もっとうまくやれないわけ?」
「うまくやった方だよ」
カインは言ったが、ヒミコは無言で仁王立ちしたままだ。その姿を横目で盗み見ながら、カインは消え入りそうな声を出す。
「二人、逃がせたし……」
ヒミコは大きく溜め息を吐いた。
「二人? 尊い命を二つも救う事ができた。だから成功だ。ほめてくれって言いたいわけ?」
「そういうわけじゃないけど……。言われた通りオオアリも殺せたし」
「違うでしょ!」
ヒミコは声を張り上げた。
「たった一人、死なさず、逃がさず、確保するのが今の目的だったの。挙げ句の果てに、依頼でもない蟲退治なんかしちゃって」
「ヒミコが蟲を殺せって言ったんじゃないか」
「そんな事言ってないわ。ちょっとオオアリの気を逸らせられれば良かったの。それで誰か一人だけでも助かったら、その後を追いかけてケージにたどり着ける。でしょ?」
「……なるほど」
「手遅れよ。今ごろ納得しても」
「最初からそう説明してくれたら良かったのに」
「分かるでしょ、普通。ちょっと考えたら」
「考えるのは苦手なんだ。知ってるだろ」
「ええ。知ってるわよ、あんたがバカなのは。だいたい今だって、盛大に道具を使ってくれちゃって……。殺蟲液だって強化薬だって槍だって、タダじゃないのよ。その甲冑だって、無限に硬化できるわけじゃないの。いつかは大枚はたいて買い替えないといけないんだからね!」
「だって、蟲を殺すのには、道具が要るから……」
「要るから……じゃない! 百歩譲って蟲を殺すにしても、もっと効率的にやれないわけ?」
ぴしゃりと言われ、カインは押し黙る。
「だいたい、蟲を殺すなら、正式の依頼中にしろっての。一昨日もせっかく久しぶりの大仕事だったのに肝心なとこで他の奴に手柄を横取りされて。終わってみれば一匹も仕留められなくって、あたし達にはボーナスなし。ホント、サポートし甲斐のない……。参加報酬なんて雀の涙だし、こんな余計な人助けはするしで、これで今回の遠征も確実に赤字よ? そもそも、今の自分たちが置かれた状況、あんた分かってんの? 他人を助けてる余裕なんてどこにあんの? 水も食糧もない、道に迷って自分たちの位置さえ分からない……」
「……近道しようって言い出したのはヒミコじゃないか」
「ま、まだ、あたしが喋ってるでしょ! 途中で口を挟まないでっ」
ヒミコは赤面して、地団駄を踏んだ。カインは大人しく口を閉ざす。ヒミコは強めに鼻を鳴らし、カインに背を向けた。再び腕を組む。
「もういいわ。あんたは使った武器でも回収してなさい。残らず、全部よ」
ヒミコは肩越しにそう言うと、外套のフードを引き出し、目深に被った。歪んだ大兜を背負い、歩き始める。
「全部って……」
どこを見ても砂だらけの景色を前に呆然とするカインを無視して、ヒミコは岩壁の瓦礫に向かって歩いていく。
「ホント、バカなんだから」




