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一直線に飛んだ石は、見事、オオアリの左眼に命中した。
「ちっ、外した」
補充士はなぜか舌打ちしたが、神経の塊である眼球を潰されたオオアリは堪らず仰け反った。顎に捕らえていた殺蟲師は背丈の五倍ほどの高さまで放り投げられ……落下。堅い砂地に背中から強かに叩き付けられた。
肺の中の空気を全て吐き出し、呻く殺蟲師。内臓への衝撃には、柔らかな内部装甲のクッションもほとんど効果がない。
隻眼となったオオアリは後ずさりした。触覚を動かし、倒れた殺蟲師の位置を確かめる。全身を強打した殺蟲師は、まだ体を起こせずにいる。
ここに至り、オオアリは目前の殺蟲師をただの餌ではなく、脅威となり得る敵だと認識し直した。未だ確認できていない援護者までいる事も考慮に入れれば、やるべき事は一つだ。
オオアリは用心深く、しかし素早く反転した。このオオアリにとって、今、正体不明の敵と命をかけて戦うメリットは何もない。撤退するのが上策だ。
倒れたままの殺蟲師に尻を向け、視界を半分失ったオオアリは触覚を頼りに移動し始めた。ひどい目にあったと言わんばかりに、その歩みは重い。
しばらく進んで、立ち止まる。
頭を高く持ち上げ、触覚を動かしている。さきほど捨てた獲物を探しているのだ。このオオアリは働き蟻であり、少なくとも何らかの獲物を巣に持って帰る義務がある。さっき、空腹に任せてもう一匹を食べてしまったのが悔やまれた。
頭を巡らせ続けながら、オオアリは崩れた岩壁の真横を通り過ぎていく。
「……絶対、動いちゃだめよ」
瓦礫の陰に隠れた補充士は、隣の男に囁いた。オオアリに捕まっていた男だ。口からおびただしい量の血を流し、呼吸は浅い。重体だ。
「やめときゃよかった。どうせ死ぬのに」
補充士は声を潜めて呟く。偶然倒れていたのを見つけ、肩を貸し、ここまで連れては来たものの、無駄骨だったと言わざるを得ない。オオアリに捕まった時に臓器のどれかが圧迫され、破裂したのだろう。すぐに死ぬ事はないが、致命傷だ。助からない。
男は震える手を補充士に差し出す。
「こ、こ、これを……」
「こらっ、しゃべるな」
片手で男の口をぴしゃりと塞いだ補充士は、もう一方の手で男が握っていた物を受け取った。
木製の髪飾り。湧き出る泉を背景に、四本足で毛むくじゃらの奇妙な小生物を膝に乗せた乙女が細かく彫り込まれている。磨き上げてから赤、白、青の塗料で彩色されており、手触りは滑らかで、上質の陶器のよう。とても凝った造りだ。
「トマスからセレナへ。愛を込めて、か」
裏書きも確認し、
「無駄遣いもいいとこだわ」
と、肩をすくめる。石と砂しかないこの地で、数少ない木材はたいへん貴重だ。補充士は髪飾りを懐におさめた。青の塗料は珍しいし、赤色は好きな色だが、それ以上の興味は沸かない。とは言え、こうした細工物を高く買ってくれる物好きもいないではないので、売り払う事は出来るだろう。
「が、がふっ!」
男が激しく咳き込む。補充士は慌てて両手で男の口を塞いだが、男の咳は止まらず、むしろ酷くなり、挙げ句に果てに大量の血を吐いた。去りつつあったオオアリが立ち止まり、振り返ると、触覚を振りながら戻ってきた。
「ああ、もうっ。くそっ!」
補充士は背負っていた荷物を男の横に下ろすと、一人、瓦礫の陰から飛び出した。
「おーい、こっちだぞっ! つかまえてみろっ!」
大声でわめき、大きく手を振り回し、駆け出す。それに気付いたオオアリが、猛然と追いかけてくる。視界を半分失っているため真っ直ぐに追う事ができず、速度は落ちるが、それでも小柄な補充士とは歩幅が違う。
全力で駆ける補充士に、追い縋るオオアリ。新たな獲物を確実に仕留めるつもりのオオアリの速度は更に上がり、両者の距離はぐんぐん縮まっていく。
いい加減、補充士の息が切れ始めた時、前方に仰向けに倒れたままの殺蟲師の姿が見えた。
「ちっ、いつまで寝てんのよ、あの役立たずっ」
悪態を吐いた補充士は足を踏ん張って急転換しようとしたが、運悪く窪地に足を取られ、転んでしまった。すぐ追いついたオオアリは補充士に覆い被さるように停止し、大きく顎を開くと、補従士の頭にかぶりつく。
ひしゃげた大兜の下で身を縮め、補従士は思わず悲鳴を上げた。
「ヒミコっ!?」
補充士の悲鳴を耳にするや、殺蟲師は跳び起きた。打撲した部分が悲鳴を上げるが、全力で無視し、辺りを見回す。
補充士はでこぼこになった大兜を盾にして、さかんに開閉するオオアリの顎をなんとか防いでいるものの、長く保たない事は明白、今にも丸齧りにされそうだ。頭上でガチン、ガチンと何度も噛み合わされる大顎。補充士は生きた心地がしない。
「こいつっ! ヒミコから離れろっ!」
殺蟲師は叫びながら後ろ手に最後の短槍を抜き、補充士に噛み付こうとするオオアリに駆け寄った。オオアリの、踏ん張っている後ろ脚はほとんど動いていない。その爪先の関節を目掛け、刃を振り下ろす。
確かな手応え。
刃は関節の隙間にのぞく肉を貫き、地面に突き刺さった。地に足を縫い付けられた格好のオオアリは怒り狂い、縛から逃れようと脚を踏ん張り、爪先を引きちぎらんばかりの勢いで体を振って暴れる。
殺蟲師は暴れるオオアリの尻の方へ回り込み、その後背に飛び乗った。
一層狂ったように暴れ出すオオアリ。
殺蟲師は振り落とされまいと、手甲の爪をオオアリの外殻に突き立ててしがみつき、その体をじりじりとよじ登って行く。
頭部と胸部のつなぎ目。外殻が捲れたそこに、二本目の短槍が刺さったままになっている。蟲を殺すには、もっと深く突き刺さなければならない。刃先が完全に蟲の体内に埋まれば、柄に充填された殺蟲液が刃先から染み出て、蟲の体組織に注入される仕組みなのだ。
オオアリが自身の爪先を引きちぎり、自由を得た。
それとほぼ同時に、殺蟲師は両手を組み合わせて振りかぶり、刺さったままの短槍の尻を殴りつけた。
短槍が深く、オオアリの体内に刺し込まれる。
オオアリの巨躯がびくんと仰け反り、硬直した。必殺の殺蟲液が、オオアリの体内に浸透した証だ。
時を止められたかのように、オオアリはそのままの状態で動かなくなった。




