表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/10

1

 しかし。

 イマーゴはまだ生きていた。

 鋭い鉤形になった指先をオオアリの外殻の隙間に引っ掛け、下腹にぶら下がる事によって。触覚と眼で感知できず、また脚も届かない下腹部は、多くの蟲にとっての死角である。

 衝突の瞬間、オオアリが獲物を抱えたまま前脚を頭上に掲げていたため、奇跡的に踏み潰される事なく潜り込む事ができたのだ。そうでなければ、今頃挽き肉になっていただろう。

 イマーゴは音を立てないよう、そっと地面に足を下ろし、腰の短槍を慎重に抜き取った。オオアリが動き出す前に、仕事を終えなければならない。気付かれたら、せっかく得た幸運が台無しだ。

 オオアリの腹甲の隙間からのぞく体組織に慎重に狙いを定め、短槍の刃を突き立てる。が、浅い。

 死角に潜んでいた敵に気付いたオオアリは、背を反らし後ろ脚で竿立ちになると、自由な中脚の爪先で地面を乱打した。爪先の一撃で、地面の岩が、いとも容易くえぐられる。イマーゴはいち早くオオアリの下から転がり出たが、降り注ぐ中脚の攻撃の内の一つが、立ち上がろうとしたイマーゴの背中を僅かにかすめた。耳障りな擦過音と共に、イマーゴの背甲の一部がひび割れ、捲れ上がる。外殻の下に覗いた生白い肌からは赤い血液がにじみ出し、口元からは、くぐもった呻き声が漏れた。

 歯を食いしばって苦痛に耐えたイマーゴは、足を踏ん張らせ、駆け出した。本気になったオオアリは捕まえていた獲物を脇に投げ捨てると、左右三対、六本の脚を地に下ろし、逃げるイマーゴを全力で追い始めた。

 追い縋るオオアリの気配を背中で感じつつ、イマーゴは後ろ手に腰を探る。三本目、最後の短槍。あとは全て使い果たした。

 両者の距離はあっという間に詰まっていく。

 駆け続けるイマーゴの目前に、岩壁が迫る。屹立するその岩壁はオオアリより一回り以上大きい。このままでは岩壁とオオアリに挟まれて圧死してしまう。

 イマーゴは瞬時に身を撓め、岩壁に向かって跳躍した。めいっぱい腕を、手を、指を伸ばし、そこに刺さっていた長槍の柄をつかむ。イマーゴが全体重をかけてぶら下がった柄は大きくしなり、その反動でイマーゴの体は空中に高く投げ出され、岩壁を軽やかに飛び越えさせた。

 加速がついたオオアリは急に停まれず突き進み、頭から岩壁に突っ込んだ。衝突によって砕けた岩壁は、大小無数の岩石の雨となって崩れ落ち、オオアリの頭上から次々と降り注ぐ。

 崩落はしばらく続いた。

 もうもうと巻き上がった砂煙の中、よろよろと立ち上がるイマーゴ。高い所から落ちたものの、打ち身程度の軽傷で済んだのは弾力性のある高価な内部装甲のおかげだ。息を整え、壁が崩れた時に岩から抜け落ちた長槍を拾うと、オオアリが埋もれた瓦礫の山へ忍び足で近づいて行く。

 赤茶けた岩と岩の隙間に、黒鉄色の体が垣間見える。

 瓦礫の山の手前で立ち止まったイマーゴは、地面に垂れ下がった長い触覚を踏まないよう注意しながら、両手で長槍の端を握り、距離を保ったまま、刃先でオオアリの体を突っついた。

 オオアリは動かない。

 気絶しているようだが、刃を差し込めるような外殻の隙間が見当たらない。イマーゴは長槍を半回転させ、刃の反対側、槍で言うところの石突の部分に設けられた、平らで薄い鈎が先端にくるよう持ち替えた。その平鈎をオオアリの頭部と胸部を繋ぐ部分に斜め四五度にそろりと差し込む。そうしておいてから、今度は刃先側にぶら下がるようにして全身の体重をかけ、梃子の要領で外殻の間隔をこじ開ける。

 剥き出しになる、オオアリの体組織。

 一瞬、オオアリが目覚めるかと身を強張らせたイマーゴだったが、打ち所が悪かったのだろう、オオアリは失神したままだ。イマーゴはほっと息を吐き、長槍の柄はそのままに、穂先だけを捻って外して短槍形態にした。それを手の平でくるりと回して逆手に持ち替え、剥き出しになった体組織に突き刺す。

 途端、オオアリが意識を取り戻した。即座に六本の脚を踏ん張って頭をもたげ、大きく身体を揺さぶって、覆い被さっている大小の岩石を振り払う。逃げ遅れたイマーゴも岩石と共に吹き飛ばされた。

 宙を舞い、地面に叩き付けられたイマーゴに、駆け寄って来たオオアリの顎が襲いかかる。イマーゴが反射的に突き出した左腕を、オオアリの鋭い牙が両側からはさみ込んだ。

 オオアリは小刻みに首を振ってイマーゴを振り回し、その腕を強引にねじ切ろうとした。しかし予想以上にイマーゴの左腕は固く、噛み切れない。オオアリはイマーゴの左腕を噛んだまま地面に叩き付けると、腹部を前脚で押さえつけ、さらに引っ張った。が、やはり捥ぎ取れない。

 頑丈な左腕を諦めたオオアリは、顎をいったん開いた。無機質な眼が、もがくイマーゴを見下ろす。と、オオアリは再び顎を大きく開き、今度は押さえつけていたイマーゴの胴体を顎で挟み込んだ。オオアリの牙がイマーゴの胴甲に食い込んでいく。


「ぐあっ!」


 甲冑が肉に食い込み、イマーゴは悶絶した。オオアリの脚で腹を押さえつけられているため、全く逃げ場がない。もし甲冑が砕かれれば、鋭い牙は容赦なくその身を両断するだろう。

 その様子を、崩れた岩壁の陰から見つめる者がいる。


「……ドジ」


 冷たく呟いた。イマーゴを一回り小さくした蛹のような姿だが、よく見れば、分厚い外套の隙間から手足がはみ出ており、巨大な頭部は肩口までを覆う傘形の大兜だと気付く。

 補従士(ピューパ)。一人前の殺蟲師(イマーゴ)になるべく、修行中の人間の出で立ちだ。


「せっかく丁度良いとこ噛まれてたのに。なにやってんだか、あのバカは」


 毒づく補充士。


「あの体勢からなら、肘をたたむ、相手の顔を引き寄せる、槍を眼にぶっ刺す、で終わりじゃない。こうして、こう。ここで、ぐさっと」


 自らその攻撃パターンを練習しつつ、拳大の石を拾う。


「眼は全ての生物の急所、蟲も例外じゃない。母さんが教えてくれた事、なんにも覚えてないのね、あいつ」


溜め息を吐いた補従士は、石を大きく振りかぶった。


「これでも喰らって、いっぺん……」


 気合い十分、狙いすまして、


「しねっ!」


 甲高い声を張り上げ、投げつけた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ