18
外の喧噪が止んだのを見計らって、ヒミコは回転錠を回し、扉を開けた。
何の音も聞こえない。扉を開け放ち、表に出る。鼻を突く異臭。潰れたヒメバチの残骸と、逃げ惑った挙げ句殺され、食い荒らされた人々の遺体が廊下一面に続いている、それらを避けながら、ヒミコは先へ進む。
「カイン!」
呼んでみた。応えはない。用心深く廊下を進み、円卓の部屋に入る。中の様子をうかがい、蟲の気配がないのを確かめて踏み込んだ。
がさっ、という何かの物音に驚き、ヒミコは思わず身構える。
「う……」
誰かの呻き声。見回すまでもなく、緊急避難経路と記された扉の前に、ジョナサンがもたれかかって座っているのを発見した。両足を負傷し、動けないようだ。
「……君が言った通りだったよ」
気付かないふりをしていたヒミコに、ジョナサンは苦しげに声を掛けた。
「抜け道はあった。途中で崩れて通れなくなってたがね。無理に進もうとして、このざまだ」
無言で通り過ぎようとするヒミコに、ジョナサンが食い下がる。
「しかし、驚いたよ。ここまで戻って来てみれば、連れのあの男、本気を出せば、化け物みたいに強いじゃないか。蟲なんか目じゃない。ムシバミには、あんな力があったんだな」
ヒミコは応じず、玄関へと足を進める。
「……腹いせか?」
「は?」
振り返り、しかめっ面を向けたヒミコに、
「しらを切るな! 自分らが受けた仕打ちへの腹いせかと聞いているんだ!」
ジョナサンは怒りをぶちまける。
「あんな力があるなら、なぜ使わなかった? 出し惜しみか? 隠していたのか? 早くあの力を使っていれば、こんなに大勢死なずに済んだ! 貴様らが村を滅ぼしたも同然だ!」
何も答えないヒミコに、ジョナサンは更にまくしたてる。
「食糧か? 物か? 現物さえあれば、助けたのか?」
「量次第かしらね」
「はっ、お見事! その歳で、たいしたもんだ! さぞかし立派な親に育てられたんだろうな」
「……母さんを、悪く言うな」
「いくらでも言ってやるさ! この業突く張りの、守銭奴ども!」
突然、ヒミコはジョナサンに飛び掛かった。ヒミコの拳がジョナサンの顔面を真正面から殴りつける。ジョナサンは苦痛の声を上げた。
「き、貴様っ……!」
折れた鼻から垂れてきた血を拭い、ジョナサンはヒミコを睨んだ。が、その視線が左右に揺らぐ。拳を固く握ったまま、わなわなと震えるヒミコの姿を目にしたからだ。
「……いい? よく聞きなさい」
ヒミコは声を震わせて、言う。
「殺蟲師は、蟲の力を使って蟲を殺す。体内に取り込んだ蟲の生体組織に、直に強化薬を注入して活性化する『直射ち』をやれば、さっきのように蟲を凌駕する力さえ発揮できる」
「だから、さっさとそれをやればいいと……」
ヒミコが潤んだ瞳でジョナサンを睨む。
「……だけどね。あの力を使うと、カインの身体は急速に蟲の組織に蝕まれてしまう。それは甲冑を強化する時の比じゃない。蟲と戦えば戦うほど、薬を多く使えば使うほど、人間の組織はどんどん食い尽くされ、いずれは……いずれは死んでしまう。……そう。あんたらが蟲化病と呼ぶ病によって、ね」
蟲化病。
それは、肉体が徐々に蟲の外殻のように堅くなって動けなくなっていき、苦しみ抜いた挙げ句に狂い死にするという奇病、最も悲惨な死に様をする不治の病として知られている。病因は蟲にあると言われているが、それさえも未だ解明されていない。
「がめついだの、強欲だの、あんたみたいに何も知らない、覚悟もないバカな奴らは、危険も冒さず、安全な場所から何とでも好きに野次ればいい。思う存分、嫌えばいいわ。だけど、一つだけ言っておくよ。あたしらはね、命だけじゃない。死に様まで賭けてるんだ。その値段を自分たちで決めて、何が悪い」
ヒミコの視線に耐えきれず、ジョナサンは絶句したまま頭を抱え、うなだれた。そんなジョナサンから離れ、ヒミコは踵を返す。
「……助けてくれ……置いて行かないでくれ……」
蚊の鳴くような声で、背後のジョナサンが呟いた。
「あんたらにした仕打ちは謝る。ひどいことをして、すまなかった。私たちだって、生きていくのに必死だったんだ。子供の頃、私とセレナは誘拐され、人買いに売られた。奴隷市場へ連れて行かれる途中に隊商が蟲に襲われて、私たちだけが逃げ延びた。偶然たどりついたこの村で、何の身寄りもない私たちが安心して生きていくためには、どうしても力が……頼れる力が必要だったんだ。だから仕方なく、あんな事を……」
部屋を後にしようとしていたヒミコは足を止めた。懐から、千切れた縄を取り出す。
「ひとつだけ訊いていい?」
ヒミコは手にした縄の切れ端をジョナサンの目前に投げ落とした。
「……なんだ、これは……?」
縄を拾い上げたジョナサンの顔色が変わる。
「こ、これは……」
「やっぱり、あんたがやったの」
ヒミコは溜め息を吐き、再び歩き始めた。
「妹の婚約者を蟲に殺させたのは、あなたね。事故をわざと引き起こして」
「ち、ちがう! 私じゃない!」
ジョナサンは焦って立ち上がろうとし、足の傷に呻いた。ヒミコは部屋を出る直前に振り返り、苦痛に呻くジョナサンを冷ややかに見下ろす。
「信じてくれ! 私がやったんじゃない! そう、リックだ! リックがやったんだ! トマスを殺そうと、担ぎ縄に切り込みを入れたんだ!」
肩をすくめるヒミコ。
「それ、カインを吊ってた縄の切れ端よ。どうしてトマスの担ぎ縄だって思ったの?」
「そ、それは……つまり、その……」
言葉につまるジョナサン。
「だいたい、自分を殺そうとした奴を助けるほど、あたし、人間ができてないのよね」
「そんな事言わないで、助けてくれよ! こんな場所に置き去りにしないでくれ! 君の事を愛してるんだ! これは本当に本当だ!」
「嘘つきは嫌いよ」
喚き散らすジョナサンを置いて、ヒミコは部屋をあとにした。廊下を進み、玄関に出る。
「カイン!」
呼んだ声は隔壁に当たって反響する。ヒミコは扉の横を探り、開閉ボタンを押した。駆動音が響き、ゆっくりと隔壁が上がって行く。通れるほどの隙間が空いたところで、ヒミコは外へ走り出た。荒れ果てた大地を、朝日が薄桃色に染めている。
静かだ。
破壊された家屋。死の匂いだけが漂い、命の気配がない。そこらじゅうにヒメバチの死骸と、もはや原形をとどめず肉塊と化した村人たちの骸が散乱している。
「カイン!」
ヒミコは呼び続けながら、瓦礫の少ない場所を縫って歩いていく。
村の中心から離れるにつれ、ヒメバチだけではなく、蟲の死骸の種類が増えていく。多いのは、アリ、ガ、イナゴ。損壊が酷く何だか分からない蟲も少なくない。ケージの扉が開け放たれてしまった事を察したヒミコは無闇に歩き回るのをやめ、しゃがみ、辺りに視線を凝らした。
問題のケージの扉を見つめる。扉の把手には、へし折られた蟲の脚や何やらが突っ込まれ、閂が施されている。カインの仕業だろう。当面、新たに蟲が侵入する心配はないと安堵した時、轟音とともに檻が激しく揺れた。ヒミコは頭を巡らせ、音のした方へ駆けていく。




