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「……は?」
村長は呆気にとられた顔で、ヒミコを見つめる。ヒミコは息を吸うと、
「あなた方の仲間を助けるために、我々は匠合への帰還予定を半日から一日、遅れさせざるを得なくなりました。更にオオアリとの戦闘において、貴重な薬品を二本も費やし、何より主要武器である長槍が一本、使い物にならなくなってしまいました。かろうじて短槍だけは一振り残っていますが。本当に我々の助力に感謝されているのであれば、この損失を幾許かでも補填していただきたく……」
「ちょ、ちょっと待ってくだされ」
一息に捲し立てるヒミコに付いていけず、村長は慌てた。
「ええ、確かに戸惑われるかもしれません。そちらから正式に御依頼をいただいたわけではありませんからね。ですが、通りすがりながら、我々は人道的見地から貴方がたのお仲間をお救いしたわけです。これに関しては冒頭にそちら様より謝意を頂戴しております故に、それ相応の代価を要求する事は決して不当ではないと考えますが」
「それは、まあ……」
「ご納得いただけたようですね。それでは具体的なお支払いについてお話しさせていただきます。まず……」
「ま、待って下され」
どんどん商談を進めようとするヒミコを静止しようと、村長は手の平を激しく振った。ヒミコは怪訝な顔で首を傾げる。
「ここまでで、何かお分りにならない事がありましたか?」
「ああ、いや。仰りたい事は分かりました」
「安心致しました。それでは……」
「いや、いやいや。仰りたいことは分かりました。ですが、この村は御覧の通り小さな畑があるだけの貧乏村。しかも、採れた作物のほとんどを他の村との交易で、燃料の薪や何やらに交換せねばなりません。切り詰めても切り詰めても、手元には精々、皆の衆がやっと食べていけるだけの食糧しか残りませんのじゃ」
「なるほど……」
ヒミコはしばし沈黙し、眉間に指先をあてて考えた。
「御理解いただけていないようですので、率直に申し上げましょう。我々は、こちらの村の畑で収穫された二人分の食糧、十年分を要求します。もちろん、納入は分割でも構いません。納入場所は近隣の匠合支部。地図がありますので、後ほどご案内致します。こちらの村の場所を指していただければ……」
「ですからっ!」
村長は思わず卓に拳を打ち付けた。
「そもそも、うちの村にはそんな余裕はないと申し上げておるのです!」
ヒミコは眉根を寄せ、指先で眉間をとんとんと叩きつつ、じろりと村長を見据える。
「困りましたね……では、あなたの仰る感謝とは、言葉だけのものなのですか?」
「そ、そういうつもりではありませんが、できる事とできない事があると言っているのです。二人分の食糧を十年分なんて、とても……」
「この村の人口は何名ですか? 十年間、全員で少しずつ分けていただければ、捻出するのは難しくないと思いますが?」
「いい加減にしろっ!」
遂に堪忍袋の緒が切れたリックが、卓を蹴り付けた。卓がひっくり返り、載っていた椀や匙が辺りに転がる。
「こっちが黙って聞いてりゃ、調子にのりやがって! こちとら、てめえらに助けてくれって頼んだ覚えはこれっぽっちもねえんだ! 勝手に助けといて恩にきせやがってよっ。何様のつもりだっ!」
「リック、よさんか!」
「オヤジもオヤジだ! だから、わざわざ挨拶なんかしなくてもいいって止めたじゃねえか!」
「リック!」
「けっ! 水と食い物をくれてやっただろうが。それでチャラなんだよ! これ以上、びた一文払うつもりはねえ! 虚仮にしやがって……くそっ! この、がめつい小娘め……っ!」
ヒミコを捕まえようと、リックは手を伸ばした。微動だにしないヒミコの、ほんの鼻先で、その手をカインが掴む。
「……いてててててっ!」
手首を捻り上げられたリックが悲鳴を上げた。
「手出しするな。二度は言わない」
無表情にそう言い、カインはリックの手首を放してやった。リックは青じんだ手首を摩りながら、カインとヒミコを交互に睨みつける。
「てめえらなんざ、さっさと蟲に喰われちまえ!」
リックは地面に唾を吐き、立ち上がった。集会場から出て行こうとしたところで、駆け込んで来た見張り番とぶつかりそうになる。リックは見張り番の胸ぐらを掴み、怒鳴りつけた。
「気をつけろ、じじい!」
普段ならリックの剣幕に怯えてしまう見張り番だが、今は興奮しているらしく、意に介さなかった。
「奇跡じゃ!」
見張り番は胸ぐらを掴まれたまま、うわずった声で言う。
「トマスが……トマスが村に帰ってきたぞい! まだ遠いが、こっちへ歩いてくるのが見えた! 間違いない!」
突然もたらされた吉報に、小さな村は祭りのごとく沸いた。生還を果たそうとしているトマスを出迎えようと、村じゅうの動ける者は皆、我先にケージの門扉へ向かい始める。その黄色い歓声が飛び交う中、
「……まずいわね」
ヒミコは顔をしかめた。
「何が?」
首を傾げるカイン。
「だってトマスって、ヒメバチに連れて行かれたあの人でしょ」
「ああ、そうだっけ。……だから?」
「だから……ああ、もういい。向こうで説明するから。とにかく立って。ほら、早く!」
「え? 僕らも行くのか? なんで?」
カインはいかにも面倒くさそうだったが、ヒミコが黙って先に駆け出すと、慌ててその後を追う。二人が駆けつけた時には、門扉の前はすでに村中の人間で埋め尽くされていた。
トマスはケージの外で、扉を背もたれにして座っていた。
着衣はボロボロで、体中に擦り傷や切り傷があるが、自力で歩いて帰って来たらしい。疲労困憊でうなだれ、ほとんど偶然にケージの内に差し込まれた手を、セレナが両手で握りしめている。
「はやく開けてっ」
セレナが叫ぶ。見張り番は随分酔いが回っているようで、カードキーを持つ手元が覚束ない。
「やめろっ! よこせっ!」
怒鳴って見張り番を殴りつけ、その手からカードキーをもぎ取ったリックに、皆の視線が集まる。
「……冗談でしょ、リック。鍵を渡して」
そのセレナの言葉は、村人みんなの思いを代弁していたが、リックは頭を振った。
「だ、ダメだ。開けるわけにはいかねえ」
「その通り。絶対に開けちゃダメよ」
そう言ったのは、遅れて到着したヒミコだった。人波をかき分けて扉の前に陣取ると、トマスを観察する。
「……何よ、あなた」
セレナは泣き腫らした顔で、ヒミコの横顔を睨みつける。
「よそもののくせに! トマスがせっかく帰ってきたのよ! 邪魔しないでっ」
ヒミコに掴み掛かりかけたセレナは、ジョナサンに背後から抱き止められた。
「セレナ、よせっ! 落ち着けっ!」
「いや、はなしてっ! トマス! トマスっ!」
子供のように暴れるセレナを、ジョナサンが引きずっていく。セレナの友人らしい村の若い女たちが数人、心配そうに後を追う。
リックは見張り番にカードキーを返しながら、脅すような口調で厳重に管理するよう言い含めると、セレナたちを追いかけて走り去った。
トマスを呼ぶセレナの金切り声がまだ小さく聞こえる中、
「……いい?」
ヒミコは観察を続けながら、残った村人たちに向かって言う。
「その人はね、ヒメバチという蟲に連れ去られたの。ヒメバチは捕まえた獲物に卵を産みつけて繁殖する寄生バチよ。やつらの獲物は他の蟲や……人間」
ヒミコがトマスを指差すと、集まった人々から声が漏れる。恐怖、落胆、嫌悪。それらがない交ぜになって現れる、忌避。それが全員の心に染み渡った頃合いで、ヒミコが再び口を開く。
「もし、この人が寄生されていたら、時間的に……そうね。今夜中に孵化するわ。安全に見積もっても、明朝まで待って孵化しなければ大丈夫、寄生されていないわ」
ざわつく村人たち。ヒミコは更にケージに近付き、柵越しにトマスの顔を覗き込もうとした。見上げたトマスと目が合う。と、突然、
「……ッ!」
眼を見開いたトマスが飛び上がり、ヒミコに掴み掛かろうとした。ヒミコは落ち着いて数歩下がり、距離を取る。トマスの腕はケージに阻まれ、その指が空中を掻きむしる。言葉を発さない喉からは呼吸だけが漏れ、唾液が飛び散る。その急変ぶりに、村人たちは息を呑んだ。
トマスに揺さぶられ、がしゃんがしゃんと打ち鳴らされるケージの内側で、村人の一人が溜め息を落とす。
「……みんな、聞いたろ? 今は何もしてやれない」
と、怯えきった少女が母親の袖を掴んだ。
「ママ、こわいよ」
恐怖が伝播していく。
「かわいそうだが、仕方がない。明日になったら、また迎えに来るとしよう」
誰かのその一言が、仲間をここに放置するという決断を、あくまでも一時的な措置であるとして正当化した。一人、また一人と集落へと引き返して行くなか、トマスはケージに張り付いたまま、ヒミコに向かって届かぬ手を伸ばし、暴れ続けている。
「……まだ、意識はあるんだろ?」
カインの言葉に、うなずくヒミコ。
「多分ね。かなり混濁してるみたいだけど」
トマスの充血した目の端からは、涙が流れていた。
「よっぽど大切に思っていたのね」
ヒミコは自身の髪に挿された木製の髪飾りを抜き取り、トマスに見せた。
「朝まで、これはあたしが預かっとく。報酬の一部にさせてもらうつもりだったけど、もし生きてたら、必ず返してあげる。約束よ」
ヒミコが髪飾りを懐に入れ、見えなくなると、トマスは暴れるのをやめ、元通り項垂れた。




