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 日が傾き、辺りが暗くなり始めている。


 低い草むらが点在する傾斜した荒れ地部分を上ると、数十軒の民家が身を寄せ合うようにして建ち並んでいた。農村によく見られる、藁を練り込んだ赤茶色の土壁と、荒縄で固定した藁葺き屋根でできている。細い窓からは、煮炊きの煙が天に向かってゆるゆると上がっている。

 家々の窓や戸の隙間から覗く好奇の視線に晒されながら、建物の間を縫い、更に歩みを進めると、やや開けた場所に出た。集会場だろうか。積んだ砂を踏み固めた壇もあるし……とヒミコは辺りを見渡していて、一軒の家に視線が釘付けになった。

 村の他の家に比べて飛び抜けて大きい。他の家の五軒分ぐらいの広さがあり、二階建てだ。何よりこの四角い建物だけは、藁や土壁ではなく、滑らかに切り出された石のような素材でできており、長年の風雨に曝されて元の色が分からない程に薄汚れているものの、亀裂一つない。開閉式の覗き窓から漏れた炉の明かりが、壁面に揺れている。


「すごい……旧時代の基地施設……たぶん、砦ね」


 ヒミコは建物の天井や壁を見回し、目を輝かせた。ただの子供のような顔をするヒミコに、ジョナサンの表情も自然に綻ぶ。


「ええ。どんな大地震があっても、この建物だけは倒壊せずに残って来たそうです」


「非常時には防蟲壕として使えそうね。詰めれば、全員が入れるんじゃない?」


「さすが殺蟲師さん。常に蟲の襲撃を想定されているわけですね。ですが、有史以来、ここのケージが破られた事はないそうです。ちっぽけな村ですが、安全だけは保証できますよ」


「誰かが蟲を呼び込んだりしなけりゃな」


 リックの皮肉も、興奮して気持ちの昂ったヒミコの耳には入らない。


「すごいわ、これ。すごく興味深い建造物よ。大きさだけなら、もっと大きいのはごろごろあるけど、この壁の材質、とっても珍しいわ。金属でもないし……合金? 焼成物かしら。遺跡のなかには、こんな物もあるって母さんも言ってたけど……。ちょっと中を見せてもらってもいい?」


 無邪気に問うヒミコに、


「あ、ええ……ただ……その……」


 返答に窮したジョナサンが、リックの顔色をうかがう。


「うちにムシバミなんか入れられるか」


 首を振るリック。ヒミコの表情が一瞬で曇る。


「……なんだ。あんたの家なの? 蟲に金物とはこの事ね」


「なんだと?」


「おい、リック……」


 さすがに疲れた様子でジョナサンが言うが、リックも退こうとしない。


「じゃあ、お二人にはどこに泊まってもらうつもりなんだ? 普通なら、この村長の屋敷がお客様の宿泊場所だ。私たち兄妹がここに流れて来た時だって……」


「こいつらは普通の客じゃねえ! ムシバミだぞ! 俺は、こんな薄気味悪いやつらと同じ屋根の下で寝るなんて、真っ平ごめんだ」


「リック、お前、助けて下さった方たちに、そんな言い草……」


「うるせえ! いくらお前の頼みでもダメだ! 蟲どもの方がまだマシだぜ。百歩譲って、ケージの内には入れてやったじゃねえか。それだけでも感謝しやがれってんだ! どっかそこら辺で、勝手に寝りゃあいいだろ」


「リック!」


 憚らず悪態を重ねるリックを見かね、詰め寄ったジョナサンがリックの腕をつかんだ。


「村にお招きすると約束したろう? 約束は約束だ。守らない訳にはいかないぞ」


「俺が約束したんじゃねえ! 知ったことかっ!」


 リックは怒鳴ってジョナサンの手を振り払ったが、ジョナサンは素早くリックの耳元に唇を寄せ、他の誰にも聞こえないほどに声を潜め、囁いた。


「妹が欲しいんだろ?」


「……なんだ? 今、セレナは関係ないだろ」


「説明は後だ。とにかく、今は揉めないでくれ。頼む」


「うちには泊めねえぞ、絶対な!」


「なら、うちに泊まってもらおう。それなら構わないだろう?」


「こいつらをセレナと一緒に寝かせるってか? 冗談言うな!」


「セレナは納屋で寝させる」


「そいつらを納屋に放り込めよ! 夜中に村を蟲みてえに這い回らねえように、外から閂でも下ろしとくんだな!」


 リックが吠えた時だった。


「兄さん……?」


 水桶を抱えた若い女が歩み寄って来た。衣服は薄汚れているが、後ろで結わえた白っぽい金髪に、ぱっちりとした濃いブルーの瞳がとても好対照で美しい。急いで駆けて来たらしく、息は切れ、桶の中の水はほとんど零れてしまっている。


「セレナ……やあ」


 さっきまでの怒りは何処へやら、リックが優しく声をかけた。


「俺のために水を汲んできてくれたのか?」


「トマスは……トマスはどこなの?」


 セレナの問いに、誰も答えない。焦れたセレナがジョナサンに詰め寄る。


「兄さん、トマスはどうしたの? どこにいるの?」


「落ち着け、セレナ。お客様の前だぞ」


「トマスはどこなのっ?」


 セレナは桶を投げ捨てた。残っていた水がまき散らされ、桶がからからと転がる。


「セレナ!」


 ジョナサンは取り乱すセレナの肩を掴み、落ち着かせようとした。セレナは大きく息を吐き、ジョナサンの目を真っ直ぐに見つめる。


「ねえ、兄さん、答えて。トマスはどうしたの? どこにいるの?」


「トマスは……」


 答えないジョナサンの手を、セレナが振り払った。


「まさか、兄さん……まさか……?」


「バカなことを言うな!」


 珍しく声を荒げたジョナサンを恐れるように、セレナは胸の前で両手を合わせ、後ずさった。


「……じゃあ、トマスはどうしたの?」


「それは……」


 言い淀み、視線を逸らしたジョナサンに代わり、


「トマスは帰って来ねえ」


 リックが言った。セレナは目を見開き、身を強張らせる。


「……どういうこと? リック、どういうことなの? あなた、なにか知ってるの?」


 声を震わせて問いつめるセレナに、リックはしどろもどろになって、ふと気付き、ヒミコたちを指差した。


「こ、こいつらが悪いんだ。こいつらムシバミどもがモタモタしてねえで俺たちを助けてりゃ、トマスは蟲に殺されずに済んだんだ。トマスが死んだのは、こいつらのせいだ」


「トマス……」


 涙目になったセレナに見つめられ、ヒミコは鼻白んだ。


「なんですって? 言いがかりもいいとこだわ!」


「トマスは……死んだのね……」


 セレナの眼から、どっと涙が溢れた。顔を覆おうともせず、子供のように声を上げて泣きじゃくるセレナに、リックは静かに歩み寄った。その肩に手を伸ばす。


「なあ、セレナ……」


 抱き寄せようとしたリックの手を、セレナが引っ叩いた。


「なにすんだよっ!」


 リックは声を荒げた。


「トマスは死んだんだ。受け入れろよ!」


「いやっ!」


「……セレナ。落ち着くんだ」


 ジョナサンが静かに声を掛けた。


「お前の気持ちは兄さんにも分かる。トマスが死んでしまって、兄さんも悲しい。リックだってそうだ。でもな、お前はまだ生きているんだ。これからも生きていかなきゃならない。これから先の自分の人生を考えてみるんだ。どうしたら幸せになれるのか」


 優しく諭すジョナサンを睨んで、セレナはますます顔を歪める。


「誰と結ばれれば幸せになれるのか、考えるんだ」


「それが兄さんの本音なんでしょ?」


 セレナは声を震わせて言う。


「だから、私、あの人に行かないでってお願いしたのに……」


「トマスは自分の意志で行くと決めたんだ」


「そうよ。いくら私との婚礼が近いからって、幼馴染みだけを危険な目に遭わせるわけにはいかないって言ってね!」


 怒りに任せ、セレナは叫んだ。


「……トマスは、そういう奴だった。後悔はしていないはずだぜ」


 リックが言うや、セレナがその頬を叩いた。


「あんたなんか大嫌い! 兄さんも大嫌い!」


 セレナは金切り声で叫び、走り去っていく。リックは後を追おうとして、やめた。


「なに見てんだ、この、蟲人間!」


 怒りと羞恥に顔を紅潮させたリックは、荒々しい足取りで屋敷の中へ入っていった。スライド式の重いドアを開け、叩き付けるように閉める。屋敷の中から、リックの罵声や、壁を殴る音、床を蹴る音、物を壊す音がかすかに聞こえて来る。


「その、なんて言ったらいいか……」


 残されたカインとヒミコに、ジョナサンは深々と頭を下げた。


「お見苦しい所ばかりお見せして、重ね重ね申し訳ありません」


 弱り切った顔のジョナサンに、ヒミコは「いいの」と頭を振った。


「いわれのない侮辱には慣れっこよ。気にしないで。それより……」


「ありがとうございます!」


 ジョナサンは嬉しげに言うと、やおらヒミコの手を取り、優しく、しかし力強く握りしめた。余りに突然の事に、ヒミコは、ほとんど反射的に握られた手を振り払った。


「き、気安く触らないで」


 そっぽを向いたヒミコに、ジョナサンは嫌な顔一つせず、「すみません。つい……」と笑みを浮かべた。


「べ、別に、あたしは、あなたに怒ってる訳じゃないから」


 ヒミコが言うと、ジョナサンは少し困った顔でうつむいた。


「……リックの事を怒ってらっしゃるんですね。でも、どうか勘弁してやって下さい。子供の頃この村にやって来て以来、あいつとは幼馴染みでしてね。代々、村長となる家に生まれついたせいでしょう、ちょっと堪え性のない所がありますが、あれで結構男気のある、良い奴なんですよ」


「そうなの。村の未来は安泰ね」


 ヒミコの皮肉を、ジョナサンは少し悲しげに笑い、聞き流す。


「と、とにかく!」


 声を張り上げ、ヒミコは居心地の悪さを吹き飛ばした。


「こっちは、そっちの内輪もめには興味ないし、歓迎されないのには慣れてるわ。ほら、もう夜になりそうじゃない! あたし、とにかく休みたいのよ!」


 ヒミコは荷物を背負い直し、顎をしゃくる。


「さっさと案内して。納屋でも何でもいいから」


「その前に水をくれ。もうちょっとで死にそうだ」


 確かに、カインの声は掠れきり、流れる砂のようだった。

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