『ノスタルジック幸福論』
26.『ノスタルジック幸福論』
お早うございます、大藤です。
今日こそは、必ずや。
夢の完全休日、やったー(^.^)/~~~。
老母のお世話も、
日々のパートも、
私用もない日。
さあ、読書執筆三昧だ^^
・最近の読了本は、「外山滋比古」(敬称略)の「乱読のセレンディピティ」。
これは本当に学ぶべきことの多い内容で一杯です。
某古本チェーンとかフリマアプリで、数百円で購入できます。
オススメです。
・現在読書中の本は、
「池上彰」の「なんのために学ぶのか」
「鈴木裕介」の「心療内科医が教える本当の休み方」
・欲しい本は、中央公論社・「日本語の論理」:「外山滋比古」著。
・個人的な報告ですが、
「日本一短い手紙」(公募)1編の完成稿が仕上がりました。
「ノスタルジー」についてAIに訊いてみました。
要約して次に上げます。
→AIによる回答
ノスタルジー
これは**「懐かしい」という感情そのもの**に近い。
たとえば、昔聴いていた曲がラジオから流れてきて、
「うわ、この曲……20代の頃を思い出すなぁ」
となる。
これがノスタルジー。
しかも、必ずしも「良い思い出」だけとは限らない。
ちょっと切なかったり、ほろ苦かったりする。
**「懐かしさ+感傷」**という感じだね。
←AIによる回答
今話は「ノスタルジー」・「郷愁」・「懐古」と「幸福」の関連性について考証してみます。
さて、ボクは俗に言う「団塊Jr.世代」「就職氷河期世代」です。
「昭和」から「平成」への過渡期を過ごしました。
あの頃は、「Nintendo Switch」も「SONY PlayStation」もなかったけれど・・・・・・。
けれど、「ファミコン」・「PC‐engine」・「メガドライブ」
「ビックリマン」・「ひょうきん族」・「藤子不二雄アニメ」・・・・・・。
とても魅力的で幸せな時期でした。
おそらく記憶が時の経過を伴うとき、想い出は「美化」されるのでしょう。
或いは例外的ですが、想い出が時を経て「トラウマ化」される場合もあるでしょう。
つまり、現在の記憶は自分自身の「過去化??=フィルター」を通して「変換」されている分が多いと考えられます。
しかし、ボクにとって「昭和」・「平成」過渡期は何もかもが幸せでした。
「団塊世代」にも
「団塊Jr.世代」にも
「ゆとり世代」にも
「Z世代」にも
それぞれにそれぞれの「ココロの拠り所」があるのだろうと、ふと思いました。
そして、「幸せ」は多分に「主観的」で「曖昧」で「いつもそばに在る」と考えます。
「幸せ」と「記憶」は深く連動していると言おうか。
それは生きていく上での「辛さ」や「困難」を「時を経た記憶」が美化されることで帳尻が合うのだろうと実感します。
このような「解釈」というか「説?」「気づき」は先達の頃から文章化・理論化されているでしょうが、あえて一考してみました。
最後までお読みいただきありがとうございます。
また、気が向いたらふらっと「寄り道」してください。
「友」と「読者」の方へ日々感謝しながら、生きております。
ではまた、次話でお会いしましょう^^




