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解剖異 〜自らを解剖した男の転生記〜  作者: HIRO


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第9話: 夕暮れの報告書

重たい扉が閉じると同時に、外の熱気がわずかに遮断される

はずだった。

「……暑いな!」


エヴァンスがぽつりと漏らした言葉、それがすべてを代弁した。


「暑いっすね」

「暑いですね」

「暑いねぇ」

「暑いわね」

「ぁぅあ……(あつい)」


マーリンはトートの腕の中で、完全に力尽きたようにぐったりと垂れ下がっている。


石造りの館は本来なら冷気を保つはずだったが、真夏の熱は容赦なく侵入し、空気は重く淀み、わずかな風すら存在を忘れていた。


「だから言ったじゃないか。魔導冷却具の一つくらい設置しなよ」


オベロンが呆れたように肩をすくめる。


「いやぁ!高いんだよなアレ!」


エヴァンスは悪びれもなく笑う。


「笑い事じゃないですよ……帳簿、見ますか……?」


トートの目が据わった。


「あはは!!」


「笑って誤魔化せると思うなよ、このクソエヴァンス」


暑さのせいか、あるいは日頃の過酷すぎる労働のせいか。トートの視線には、もはや純粋な殺意すら混じっていた。


「……はぁ」


場の空気を切るように、深いため息をついたのはシャーレイだった。


「暑いのは仕方ないでしょ。早くお父様を応接室に案内なさい」


「そうですね。シャーレイさんの言う通りです。ほら、案内しろカイロス」


「え、俺が!?」


カイロスは思わず声を上げる。


「俺、エルシェリア王国に“オベロン陛下が来訪して阿鼻叫喚”って報告しなきゃいけねぇんすけど!?」


「えー?ダメだよぉ?」


オベロンが軽く笑う。


「そんなことしたら僕、怒られちゃうじゃないか」


「いやいやいや!怒られるとかの問題じゃないっすよ!外交問題に…」


「大丈夫、誰にもバレなければ問題ないよ」

遮るようにオベロンは言う。


「その理屈が一番問題なんすけどぉ!」


「……………」

オベロンはにっこりと笑う。


「………はぁ。俺、知りませんからね。本当、マジで知らないっすからね?」

カイロスは頭を抱えた。


「ありがとう、カイロスくん!君は優秀で助かるねぇ」


「ぐ…こういう時だけ優しい言葉言ってよぉ……応接室はこっちっす、オベロン陛下」

褒められて嬉しいのか、にやけるカイロス。


それをかき消すかのように

「ほらバカイロス、さっさと冷たい飲み物も持ってこい」


「ついでに俺は肉料理、量は多めで頼む!」


「私はクッキーでお願いします」


「ばぶばぶぁ(ミルク)」


当然のように飛んでくる無茶振りの嵐に、カイロスは天を仰いだ。


「えっとよぉ……俺のこと、何でもできるスーパーカッコイイ執事か何かだと思ってます?」


「「……………」」


先程までの喧騒が嘘のように静かになる。


「無視かよぉ!?」


カイロスのツッコミが虚しく響く。


「ほらほら、案内案内」


オベロンに背を押され、カイロスは半ば強引に歩き出した。


◇ ◇ ◇


応接室とは、本来――外部の来訪者を迎え入れ、もてなし、商談を行うための空間。

すなわち、その家の顔である。

たとえ没落寸前の貧乏貴族であろうと、ここだけは取り繕わねばならない。そうでなければ、話にすらならないのだから。

――そのはずだった。

扉が開いた瞬間。

「……あっつ」

カイロスが、露骨に顔をしかめた。


一瞬で、すべての期待が崩れ落ちる。


「空気が死んでるわね……」

シャーレイはうんざりとした様子で手を扇ぐ。

見た目は完璧だった。調度品、内装、配置――どれも非の打ち所がない。

だが。

暑い、兎に角暑い。

「あはは!流石エヴァンスだね!」

見た目を整える為にお金を使い果たし冷却魔法具を買うお金が尽きたであろう応接室をみてオベロンは笑う。


「ははは!良いセンスだろー?俺が選んだんだ!」

当のエヴァンスは、まったく悪びれる様子もなく笑う。


「でも何でそんなにお金がないんだい?君、一応伯爵だよね?」

オベロンは不思議そうな顔をする。


「ん?ああ、それは…」

「エヴァンスは、税を全額還元しているんです」

シャーレイが代わりに答える。


「へぇ。それはまた極端だね」


「税収ってのは民の金だろう?ならそれは民の生活の為に使う金だ。貴族の見栄や自分の豊かさの為の金じゃないからな!」


「その結果がこの蒸し風呂ですけどね」

とトートが嫌味を言う。


「ははは!その通りだ!」

エヴァンスは嬉しそうに笑った。


「へぇ、よくそんな自己犠牲精神で運営できてるね?

割に合わなくないかい?」

オベロンが首を傾げる。


「自己犠牲なんかじゃないさ、しっかり対価として給料も貰ってるしな!」


「でもその給料も貴族としての体面維持で消えるんだよなぁ?」

とカイロスがバラす。


「ははは!だから俺は領地の事は全部トートに任せて小遣い稼ぎに奔走してるって訳だ!」


「ええ、本当丸投げですよ、丸投げ!」


「そして君は領地の事は何もしていないのに給料は貰うって?」


「ああ、悪い伯爵だろ?」

とエヴァンスは悪い顔をするが美形過ぎる彼の見た目のせいで悪くなど見えない。


「だけど、その給料もどっかの英雄様の小遣い稼ぎで賄われてるけどなぁ?」

悪ぶっているエヴァンスをカイロスが暴露する。


「おやおや、とんだ悪ぶった伯爵様だね?」


「あはははは!」


「そっか、君はとことん英雄なんだね。」

オベロンは、どこかつまらなそうに目を細めた。


「お、お父様、エヴァンスも分かっていますわ、だから怒らないであげて欲しいんです」


「シャーレイ、僕が怒る訳ないじゃないか?」


「そう…ですわよね(あんな冷たい目をしたお父様初めて見たわ)」


その横で

「……ぁぅ……(しぬ)」

マーリンが限界を迎えていた。

それに気づいたオベロンはやれやれと仕方がない顔をして

「これはさすがに見ていられないね」

と言った。


「今日はね、出産祝いを持ってきたんだ」

懐に手を入れる。


――ゴトン。


現れたのは、小ぶりの箱。

銀の外装、青い魔石、精密な魔法陣。

明らかに高級品だ。


「それってもしかしてっすけどぉ…」


「室温調整の魔導具だよ。君達の王都で普通に売ってるやつ」


「普通……?」


全員がオベロンの金銭感覚がズレていると感じたが言葉にはしない。


「ほら、設置するよ」


起動。


――空気が変わる。


ひんやりとした風が部屋を満たす。


「……っ!?」


「おお!涼しいな!」


「室温調整と気流制御、湿度管理しかできない魔導具だよ」


「“しか”じゃないです!!!」

トートがすぐさま突っ込む。


トートは恐れながらも

「あの、それ、いくらするんですか?」

絶対高いであろう魔導具の値段を聞いた。


「この屋敷の年間維持費、数年分くらい?」


「普通じゃないです!!!」

トートは即答する。


「やっぱそうだよなぁ!それ、あのイザベラ魔導具店アリスの奴だよなぁ!?」


「これくらい、貴族なら普通だよ?」


「我々の財政はエヴァンスの善意で常に瀕死なんですよ!?」


「ははは!その通りだ!」


「トート事実ですけど、お父様に無様なところを見せないの!あ、あとお父様!そんな高価なもの受け取れませんわ!」

シャーレイが慌てて静止する。


「ダメだよ」

オベロンはやさしく微笑んだ。


「君の出産祝いなんだから」

「ですが、そんな高価なもの…」


「この暑さ、君たちは耐えられても」

オベロンは、穏やかな声のまま言った。

そのまま、視線だけを――ゆっくりと下げる。

「赤ん坊はどうかな?」


空気が止まる。


「体温調節も未熟だ。発汗も安定しない。水分もすぐ失う」

淡々と。

まるで事実を並べるだけのように。


「この室温なら、数時間もあれば――まあ、最悪のケースもあり得るね」


「――っ」

シャーレイの指先が震えた。


「もちろん、絶対とは言わないよ?」

にこり、と笑う。


「でも、“あり得る”よね」

その言葉は、妙に重かった。

可能性の話なのに。

まるで――見たことがあるかのような響きだった。


「貰いましょう、今すぐに!!」

トートの判断は速かった。


「え、ちょっと待っ――」

「待つ理由がありますか?」

一切の迷いがない。


オベロンは、満足そうに頷いた。

「うん、いい判断だね」


「で、ですが、そんな簡単に!」


「あ、一個じゃ足りないでしょ?」


オベロンがさらりと言った


「え?」


「この広さの屋敷だと、応接室、執務室、食堂、あと寝室と……」


指を折りながら数える。


「六台くらいは必要かな」


「ええと、それくらいあれば快適になるとは思いますけど」

トートが思わず計算に乗る。


「持ってきてるよ」


にこり。


軽く指を鳴らす。


――ボンッ


ーーボンボンッ


ーーーボンボッッ


どこからともなく、同じ箱がいくつも現れた。


「ちょっと待てぇぇぇぇ!!」


カイロスが絶叫する。


「増えた!?今増えたよなぁ!?」


「物が増える訳ないじゃないか、持ってきたんだよ」


「で、でも、今、ボンっていきなり増え…」


「あはは、カイロスくんはほんと面白いね!」


高価なものがポンポンでてきてトートは脳の処理が追いつかずフリーズしている。


「設置場所は君達が決めなよ」


オベロンは楽しげに続ける。


「でも人がよく集まる部屋に置くのが一番効率いいよ」

にこり、と微笑む。


その言葉と同時に、

装置のひとつが、わずかに強く光った。


「ぁぅ……(すずしい……)」

マーリンだけが無邪気に笑った。





沈黙。


「……どうする?」


カイロスが小声で言う。


「……導入しない理由が、何一つありません」


トートが静かに返す。


「だよな……」


あまりにも快適すぎる空気。


全員の視線が、エヴァンスに集まる。

「ん?貰えばいいんじゃないか?」

軽かった。


「そんなに簡単に決めれる訳ないだろうがよぉ!」

「これとんでもないくらい高価なんですよ!?後で何を要求されるか分かったもんじゃないんです!もっとしっかり考えろバカエヴァンス!!」

「そうよ!いくら私の父とはいえ、私はもう婿入りしたから他国の人間なの!!分かる!?」

と一斉にツッコミが入る。


「でも、マーリンは凄く嬉しそうだぞ?」


「きゃっきゃっ!」

その一言で、全てが崩れた。


「坊ちゃんが喜んでるんならぁ!仕方ないっすよねぇ!!」

「そうだそうだ!坊ちゃんがこの暑さで倒れるなんて事許されないです!貰いましょう!」

「そうよ!マーリンの為だし、それにコレは出産祝いだもの!マーリンへの贈り物を受け取らない訳にはいかないわ!」


「決まったかな?」


結論は一瞬だった。

「「「下さい!!」」」


「いいよー!」

オベロンは満足そうに笑う。

「あ、これ暖房機能もあるから、冬も安心だよ」


歓声が上がる。


「流石王様!!ありがとう感謝しかないっすよお!」

「もう、冬に火の魔石が足りなくなることもないんですね!!」

「お父様、本当にありがとうございます!」


オベロンはイタズラっ子のような笑みを浮かべる。

「更にコレはね、魔石の魔力がなくなったら魔力をチャージすれば再利用可能!魔力の少ない人はイザベラ魔導具店アリスの各支店で魔力満タンの魔石と交換可能!手数料はかかるけどね?………どう?凄いでしょ?」


「さいっこぅだぁ!!!」

「こ、こんなのぉ、最初来た時巫山戯んなって思って本当に申し訳ございません!!」

「お父様凄いわ!プレゼントのセンスが良すぎるの!」


「あはは!喜んでくれてうれしいよ!」

オベロンは微笑んだ。


「……さて」

オベロンは立ち上がる。


「僕はそろそろ帰るね?」

「え、お父様、もう少しゆっくりされても…」

シャーレイの声が、わずかに揺れる。


「あんまり長居すると僕が居ない事がばれちゃうからね」

軽く笑って、視線を落とす

「それに目的も果たせたし帰るよ」


「そうですか…」

シャーレイは寂しそうな顔をして俯く。


「そんな顔しないで、シャーレイ。またいつでも会えるさ、次はティターニアと一緒に来るよ」


「は、はい、お母様とお父様に再開できる日を楽しみにしていますわ。」

シャーレイは、少しだけ寂しそうに微笑んだ。


「じゃ、またねエヴァンス。次会う時を楽しみにしているよ!」


ひらりと手を振り。


「ああ!俺もだ!」

エヴァンスもまた手を振り返す。


その後ボンッとした音が聞こえ

気がつけばエルシェリアの王様オベロンの姿は消えていた。

そして、怪しげに光る魔導具と快適すぎる空間が残ったのだった。





夕陽はすでに沈みかけ、執務室の窓から差し込む光は、血のように赤く床を染めていた。本来ならば熱がこもる時間帯だが、室内には心地よい涼しさが広がっていた。

窓から差し込む赤い光が、冷えた空気の中で静かに揺れている。


カイロスは椅子に深く腰掛け、満足そうに息を吐いた。

「いやぁ〜助かるぜぇ、これ。部屋が涼しいと仕事もやりやすいよなぁ」


壁際に置かれた冷房用の魔導具が、ほとんど音もなく空気を整えている。


「義父上には感謝だな!」

エヴァンスが何気なく応じる。


「そうそう。あの王様にしちゃ気が利くじゃねぇかぁ」

カイロスは軽く笑い、特に深く気にも留めない様子で肩をすくめた。


トートが腕を組み、ふと視線を向ける。

「で、エヴァンス。さっきはドタバタしてて聞きそびれたが――チャリオッツ大森林で何があった?」

「あ、そうだぜぇ。“調査の必要が無かった”ってのはどういう意味だぁ?」


問い詰めるような二人の視線を受け、エヴァンスはすぐには答えなかった。

机の上の報告書に目を落とし、指先で紙の端をなぞる。

「……報告書にまとめてるいるさ、正式にはそっちを――」


「私達にまで隠すなよ」

トートの声が低くなる。


「お前、あの時焦ってただろぉ?あんな顔、滅多に見ねぇ」

カイロスも続ける。


エヴァンスは顔を上げた。

「……わかるか?」


「わかるさ。友達だからな」

トートが照れくさそうに頬をかく。

「ははっ、トートの照れ顔とか誰得だぁ?」

「潰すぞ、バカイロス」

「お、おう……目が怖ぇってぇ……」

一瞬、空気が緩む。

エヴァンスも小さく笑った。

「……ふふ、ははは。確かにな、“誰得”だな!」

だがその笑みは長く続かない。

トートがすぐに表情を戻す。

「で、何があった」

短い言葉が、妙に重く響いた。


エヴァンスは数秒の沈黙のあと、ぽつりと呟く。

「……隠しても、すぐに話題になるか」

窓の外で、太陽がほとんど沈みきる。

室内の色がゆっくりと失われていく。


「チャリオッツ大森林が――」


一度、言葉を切る。

誰も口を挟まない。


「消えていた」



その一言で、空気が止まった。

「……は?」

カイロスが間の抜けた声を漏らす。


「消えた、だと……?」

トートの声は低く、信じられないものを見るようだった。


エヴァンスは報告書を静かに押し出す。

紙の端が、わずかに揺れた。


「焼け跡も、伐採の痕もない。地形ごと、だ」

沈黙。

窓の外は完全に夜に沈んでいた。


「まるで最初から、そこに“何もなかった”みたいに」

誰も動かない。

ただ、規則正しく保たれた室内の涼しさだけが、やけに現実的にそこにあった。

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