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解剖異 〜自らを解剖した男の転生記〜  作者: HIRO


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5/10

第5話: 理の外側

目を覚ました瞬間、私は違和感を覚えた。

何かがおかしい。

いつもなら最初に見えるはずの石造りの天井が見えない。

視界が塞がれている。

ぼんやりとした思考のまま瞬きをする。

そして――

黒い瞳と目が合った。


「起きた!」

弾けるような笑顔。

近い。

いや、近すぎる。

鼻先が触れそうな距離だった。

私は反射的に身体を引こうとした。

当然できない。

赤子だからだ。


「おはよ、マーリン!」

元気いっぱいな声が部屋に響く。


私は数秒ほど思考を停止させた。

何故そんな至近距離にいる。

何故朝一番で私の顔を覗き込んでいる。

理解不能だった。


「えへへ」

ゆかりは嬉しそうに頬を緩める。

「マーリン起きるの遅いから」

「六時間は見てたよ♡」

思ってたより長い時間凝視されていた様だ。

普通に怖い……というか凄く怖い。

「マーリン寝顔も可愛いねー??」

私は視線を逸らした。

するとゆかりはぱっと顔を輝かせる。

「照れたんだ!!」

違う。

「可愛い!」

違う………が通じていない。

いや、通じているのかもしれないが、都合よく解釈しているだけだろう。

 

しかし。

冷静になって考えると今の状況は中々悪くない。

目の前には精霊がいる。

昨日、私を殺しかけ。

そして無理やり魂の契約を結んだ存在。

極めて危険。

極めて異常。



そして――

極めて興味深い。

私は改めてゆかりを観察した。

昨日はそんな余裕などなかった。

全身を襲う激痛と死の恐怖でそれどころではなかったからだ。

だが今は違う。

研究者として対象を見る余裕がある。


まず呼吸。


していない。

少なくとも胸の上下運動は確認できなかった。


次に瞬き。

異常に少ない。

それどころか数分間まったく瞬きをしなくても平然としている。


心拍。

分からない。

というより存在しない可能性が高い。


そして魔力。

これだけは感じる。

だが人間とはまるで違っている。


父や母の魔力は体内を循環していた。

しかしゆかりは違う。

輪郭そのものが魔力で構成されているような感覚。

存在自体が魔力の塊。

そんな印象だった。

「じーっ」

観察していると。

向こうも此方を観察していた。

「マーリンがゆかりん見てる!」

当然だ。

研究対象だからな。


「やっぱり好きなんだ!」

何故そうなる。


「両想いだね!」

飛躍が酷い。

 

私が呆れていると。

ゆかりは不意に首を傾げた。

「ねえ、マーリン」

先程までの浮ついたものではない、どこか真剣な表情。

私は自然と彼女を見る。

「何でそんな魂なの?」


唐突だった。

だが、その瞳は本気だった。

黒い深淵のような瞳。

底の見えない闇が私を見つめている。


「ゆかりんね」

ぽつりと呟く。

「本当に分かんないの」


その顔は不思議だった。

昨日のような狂気ではない。

恍惚でもない。

純粋な疑問。

まるで難解な問題を前にした学者のような表情だった。


「人間の魂はいっぱい見てきた」

さらりと言う。

「王様も」

「英雄も」

「聖女も」

「魔王も」


私は内心で記録する、非常に重要な情報だ。

少なくとも彼女は長寿。

あるいは人類史を超える時間を生きている。


そしてーーー


魂を認識できる。


その時点で貴重な情報源だった。


「でもね、マーリンは違うの」

ゆかりの指が私の額をつついた。


「ぐちゃぐちゃなのに綺麗」

「汚れてるのに真っ直ぐ」

「欲だらけなのに澄んでる」

「意味分かんない」


コイツ失礼ではないだろうか。

私は研究者として当然の探究心を持っているだけである。

多少倫理観を犠牲にしたことは認めるが。


「だからね」

ゆかりが微笑む。

「見てて飽きない」

その言葉は妙に自然だった。


運命の人。

永遠の契約。

そんな大仰なものではない。

ただ純粋な興味。

未知に惹かれる感情。

それはどこか。

前世の私が研究対象へ抱いていた感情に似ていた。

だからだろうか。

私は少しだけ思う。


この精霊は間違いなく危険で常識も倫理も通じない。

気まぐれで人を殺せる存在だろう。


でも私に似ているなとそう思ってしまった。





彼女は誰よりも魂について知っている存在だろう。

それだけで私の研究は大いに進展している。

前世で、あれ程死力を尽くしても不可能だった魂の研究。

それが異世界に転生してから私は導かれる様に根源へと近づいていく。


この世界には謎が山程ある。


魂。

精霊。

魔法。

転生。


その全てが魂の研究に大きく役立つモノだ。

知りたい。

全て知りたい。

前世から変わらない衝動が静かに燃え上がる。


すると。

「きゃーっ!!」

甲高い歓声が部屋に響く。


「ゆかりん、今の顔好き!」


「昨日、魔法使う時もその顔してた!!」


――そういえば、あの日。



私は確かに魔法を使うことができた。

火事場の馬鹿力のようなものだったのかもしれない。偶然の産物だった可能性もある。


だが、理由が何であれ、魔法を発動できたという事実は大きい。

今はまだ、あの時の感覚を完全には掴めていない。


それでも、一度できたのだ。

時間をかけて練習すれば、いずれは自由自在に扱えるようになるはずだった。


そんな未来に思いを馳せていると、私を見つめていたゆかりの距離がさらに縮まった。

「ほんと可愛い……」

「ねえ、マーリン」

「好き」

「好き好き好き」

「だーいすき♡」

やめてほしい。

捕食者に好かれても心が休まらない。


それからほっぺをムニッとされたり、舐められていた。


暫く耐えているとガチャリ、と扉が開く。

「マーリン、ごはんの時間よー?」

(メシア)だった。


私は母に抱かれ、食事である母乳を飲む。

赤子の身体というのは実に不便だ。

研究もできない。

歩けない。

喋れない。

そして腹が減れば母乳を飲むしかない。

前世の私が見たら卒倒するだろう。


「ふふ、いっぱい飲むのね」

シャーレイは嬉しそうに笑った。


前世の記憶では、貴族に乳母がいるのは普通な事だった。

何故なら、王家や大貴族では後継ぎ確保が最重要。

母乳には排卵を抑える効果があるため、母親が授乳しないほうが早く次を妊娠できる。


他にも色々と理由があるが社会的ステータスとして裕福さを知らしめる為に雇っていたり、中世ヨーロッパでは母乳の質は母親の体質や気質に左右されると信じられて居たからである。


曲がりなりにも伯爵家だ。乳母を雇う金の余裕はある。なら、何故そうしないのか?


その理由は単純明快だった。

母が許さなかったからである。


「私以上に美しくて気高い女性なんていないでしょ?」

というのが母の主張だった。


父も、

「一理あるな!」

と賛同した。


結果として私は毎日こうして母の母乳を飲んでいる。

合理性はともかく、二人らしい判断ではある。


その横ではゆかりが頬を膨らませていた。

「ゆかりんのマーリンなのに」


私はお前のモノになったつもりはない。

が、昨日、私はこの精霊に無理矢理契約させられてしまった。


彼女の事は正直ほとんど何もしらない。

精霊とは何なのか?契約とは何なのか?説明して欲しい事は山程あるが私にはコミュニケーション手段の会話が出来ない。


赤子だから仕方がないと言えば仕方がないが、私には情報を得る手段が限られすぎている。

身を守る為にも知識が必要だ。

だが、知識を得る手段が限られている。

まさに八方塞がりという訳だ。


私は視線を逸らす。

すると何故か満足そうに笑った。

恐らく彼女の思考を理解するのは一生かかっても無理だろうなと悟る 。


コンコン――。

静かな部屋に、軽快なノックの音が響いた。

だが、その音の余韻が消えるよりも早く、扉の取っ手が回される。

ガチャリ。

返事を待つことなく開いた扉の向こうから現れた人物に、シャーレイは即座に声を上げた。

「ちょ、ちょっとエヴァンス!」

勢いよく立ち上がり、腰に手を当てる。


「返事を聞いてから入りなさいって、何回も言ってるでしょ!」


しかし、叱責を受けた本人はどこ吹く風だった。

むしろ胸を張り、堂々と言い放つ。

「俺も毎回言っているだろう? 一秒でも早く二人の顔が見たいんだ!」


悪びれる様子など欠片もない。

その自信満々な笑顔に、シャーレイのこめかみに青筋が浮かんだ。


「だからって返事を聞いてから入りなさい! マナー違反よ! マナー違反!」


「ははは! すまない!」

全く反省していない笑い声だった。


そしてエヴァンスは追い打ちをかけるように続ける。

「だが俺は、恥ずかしがっているシャーレイを見るのが好きなんだ」


「恥ずかしがってるんじゃなくて怒ってるのよ!」

即座に否定するシャーレイだったが、その頬はわずかに赤い。


それが余計に面白いのか、エヴァンスはますます楽しそうに笑う。


「……次、勝手に入ってきたら魔法で真っ二つにしてやるわ」

低い声で告げられた脅しに、普通の人間なら震え上がるだろう。


だが相手はエヴァンスである。

「残念だが、シャーレイの魔法では俺に傷一つ付けられない!」


親指を立てながら堂々と宣言した。


その瞬間。

シャーレイの額に浮かんでいた青筋がさらに増えた。


「ほぉぉぉ……?」

にっこりと微笑む。

しかし目は全く笑っていない。


「宣戦布告したのかしら? この私に」

空気がぴりりと震えた。


「いいわ。今ここで真っ二つにしてあげる」

シャーレイの掌に青白い魔力が集まり始める。

濃密な魔力の奔流が渦を巻き、部屋の温度すら変えていく。


さすがのエヴァンスも一歩だけ後退した。

「ははは! すまなかった! 本当にすまなかった!」

慌てて両手を上げて降参の姿勢を取る。


もっとも、その顔にはまだ笑みが残っていたが。

そんな夫婦漫才のようなやり取りを、私は苦笑しながら眺めていた。


いつもの光景だ。

顔を合わせれば騒がしく、互いに言い合いを始める。

だが、そのやり取りの端々から伝わってくる信頼と愛情は隠しようがない。

だからこそ、見ているこちらも自然と笑ってしまうのだ。


その時だった。

「…………ん?」

不意に、エヴァンスの表情が変わった。

先ほどまでの陽気な笑みが消える。

黄金の鋭い視線が部屋の一点を見据えた。

空気が変わる。

ほんの一瞬前まで漂っていた穏やかな雰囲気が、張り詰めた緊張へと塗り替えられた。

シャーレイも異変を察したのか、集めていた魔力を霧散させながら眉をひそめる。


「……エヴァンス?」

シャーレイが首を傾げる。

エヴァンスは数秒黙った後、ふっと笑った。


「なあシャーレイ」


「ん?」


「マーリンに魔法を教えてやってくれ」


私は思わず目を見開いた。

魔法。

それは今の私が最も欲している情報だった。


「急にどうしたの?幾らうちのマーリンが天才児でも、まだ1歳にもなってない子が魔法を理解する事なんて出来るわけないじゃない。」


「大丈夫だ」

エヴァンスは即答した。


「理解できるさ」


その言葉には妙な確信があった。

まるで。

私が理解できることを知っているような。

シャーレイは不思議そうな顔をしつつも


「まあ…いいけど」

と了承した。


「ありがとう!シャーレイ!」

とエヴァンスは嬉しそうな笑顔を浮かべる。


「じゃあ俺はこれから魔物の駆除に行ってくる!」

そう言って、エヴァンスは勢いよく部屋を出ようとした。

だが、扉に手を掛けたところで、ふと思い出したように足を止める。


そしてゆっくりと振り返り、揺りかごの傍にいるシャーレイへ視線を向けた。


「シャーレイ」


「なに?」


「マーリンは、きっと俺以上の大物になる」


「……?」


唐突な言葉に、シャーレイは小首を傾げる。

エヴァンスはどこか遠くを見るような目で続けた。


「これから先、マーリンには苦しいことがたくさんある」


「そんなの、生きていれば仕方ないことでしょ?」


「ははっ! 違いないな!」


豪快に笑ったあと、エヴァンスは真剣な顔になる。

黄金色の瞳には、父親としての決意が宿っていた。


「だけど俺は――」

一度言葉を切り、

「二人を絶対に幸せにする」

力強く言い切る。

「だから安心してくれ!」


その言葉に、シャーレイは呆れたように肩をすくめた。

「もう、エヴァンス、あんたねぇ」

そしてそっと歩み寄ると、彼の唇へ軽く口づける。



「私はね」

優しく微笑みながら続けた。

「あの日、私を連れ出してくれた時から、ずっと幸せなの」


エヴァンスの表情がわずかに揺れる。

そんな彼に、シャーレイは穏やかな声で語りかけた。


「貴方は英雄よ」


「……」


「でもね、そんな貴方でも全部は救えないわ」

エヴァンスは黙って耳を傾ける。


「何事にも優先順位があるの。それは人間もエルフも変わらない」


「……ああ」


「何十万もの人を救ってきた英雄が家族を作った」

シャーレイは彼の胸を指先で軽くつつく。

「そして、その英雄は家族を一番大切に思ってる」

くすりと笑った。

「それだけで、旦那様としては百点満点よ?」

今度は鼻先をちょこんと小突く。

「そんなに肩に力を入れないの」


エヴァンスは目を閉じ、小さく息を吐いた。

「……ああ。ありがとう、シャーレイ」


「ふふっ。私、貴方より二歳も年上なんだから。当然でしょ?」


「はははっ! そうだったな!」

張り詰めていた空気が少しだけ和らぐ。


「俺は君のそういうところに惹かれたんだ」


「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない」

だが、次の瞬間。

シャーレイはすっと顔を近づけた。


「でもね、エヴァンス」


「ん? どうした?」


「幸せにする、だなんて」

にっこりと微笑む。


「随分と傲慢じゃない?」

予想外の言葉にエヴァンスが目を丸くする。

シャーレイは構わず続けた。

「幸せっていうのはね、誰かにしてもらうものじゃないの」

自分の胸に手を当てる。


「自分で至るものよ」


「ははは……」


エヴァンスは苦笑しながら頭を掻いた。


「シャーレイの言葉は、まるで賢者のそれだな」


「まるで、じゃないわ」

即答だった。


胸を張り、さらりと言い放つ。

「私は世界一美しくて、世界一頭の良い賢者なんだから」


「……間違ってはいないが」

エヴァンスは思わず笑う。


「それを堂々と言える君は本当に凄いな」


「ふふふ」

シャーレイは楽しそうに目を細めた。


「謙遜なんて、毒にも薬にもならないでしょ?」


「ははははっ!」

今度こそエヴァンスは腹を抱えて笑った。


「その通りだ!」

ひとしきり二人で笑ったあと。


シャーレイは少しだけ表情を柔らかくする。

「エヴァンス」


「ん?」


「さっきはあんな事言ったけど」

彼の瞳を真っ直ぐ見つめた。


「私、貴方を幸せにしたいから、結婚したのよ?」


「……っ」

エヴァンスが言葉を失う。


シャーレイはそんな彼に向かって、びしりと指を突きつけた。


「だから勝手に一人で抱え込まないこと!」


そして揺りかごからマーリンを抱き上げる。

まだ赤子の私は、父と同じ高さまで持ち上げられた。


「私たちを頼りなさい!」

そう言って、私の顔をエヴァンスへ向ける。


「ほら、マーリンもそう言ってるわよ?」


「けぷぅ」


タイミングよく飛び出したのは、威厳も何もない赤ん坊のゲップだった。

一瞬の静寂。



そして――

「ははははははっ!!」


エヴァンスの豪快な笑い声が家中に響き渡る。

「そうだな!! その通りだ!!」


「ほら、仕事があるんでしょ?」

シャーレイは苦笑しながら手を振った。


「早く行きなさい」


「ああ!」

エヴァンスは力強く頷く。


「行ってくる!」

エヴァンスは扉を開き、仕事へ戻っていった。

残されたシャーレイは、その背中を優しく見送った。

そして小さく微笑む。

「まったく、本当に不器用なんだから」


「ふふっ。マーリンもそう思うでしょ?」


私は勿論

「けぷっ」


ゲップで返事をした。

それが今の私にできる、精一杯の家族へのエールだった。


母が私を抱っこして揺り籠に寝かしてくれる。

そして優しく頭を撫でてくれる。心地が良い。


すると私はゆかりが妙に静かなのが気になり視線を動かす。


彼女は部屋の隅で固まっていた。

黒い瞳が扉を見つめている。


何があったのかと私は聞こうと

「あぅあうあ?」

と声に出した。


「……ありえない」

小さな呟き。


私はゆかりを見る。

その顔を見て。

思わず目を疑った。

恐怖。

それは間違いなく恐怖だった。

昨日。

私を殺しかけた存在。

そのゆかりが怯えている。


「ゆかりん達はね」

掠れた声。


「波長が合うものしか見る事が出来ないの」


私は首を傾げる。


「それは精霊同士であっても変わらない」

ゆかりは続ける。

「それが世界の理」


そして。

震える声で言った。


「なのに」


「彼、気付いてた」


「ゆかりんと波長が合う訳でもないのに気づいてた…」


ゆかりが何を言っているのか、すぐには理解できなかった。

だが。

一つだけ分かる。

もし彼女の言葉が本当なら。

私の父。

エヴァンス・フォン・アークレインは。

この世界の理から外れた存在ということになる。


「……ねえ」

ゆかりがぽつりと呟く。

その視線は扉の向こうへ向けられていた。


「マーリン」

「アレは…………何?」

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