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第2章 美月、紗英と堀川とともに斎宮へ

翌朝、美月は、アラームが鳴るよりも早く目を覚ました。

薫子にすすめられた、早朝の参拝に向かうためだった。


夜の気配がまだわずかに残る静かな朝だった。

静まり返った参道を歩く。

夜明け前の伊勢の空気は涼やかで、そして清らかだった。


日除橋を渡り、薄明かりの外宮の境内に足を踏み入れると、しんと張りつめた静寂が全身を包む。


手水舎で手を浄める。今日一日で社長や皆の期待に応えられるような企画を作らなければいけないと、どこか緊張で、力が入っていたのだろう。ふっと肩が軽くなるのを感じた。玉砂利を踏みしめながら、御正宮へと向かう。


この場所へと導いてくれた、目に見えない何か大きな流れを感じる。

「いい企画を創らなければ」

昨日からずっと抱えていた気負いを手放して、その大きな流れに明け渡して委ねよう。そんな気持ちが、自然とわいてきて、美月は無心で手を合わせた。


火除橋まで戻ると橋の向こう側に人影がみえた。

「……堀川さん? こんなところで、お会いするなんて……」

思わず声が漏れる。

堀川暁が、まるで美月を待つように立っていた。

「君は、きっと早朝参拝にくると思ったから。

予定が早く終わったので、昨夜のうちに名古屋から車で移動していたんです。

駐車場に車を止めていますから、一緒に内宮へ行きましょう」

二人でそのまま内宮へ向かった。

 

早朝の道路は空いていて、10分ほどで内宮の駐車場へ到着した。

鳥居をくぐり、宇治橋を渡る。五十鈴川のせせらぎで手を浄める。参道を歩く。

数百年の歳月を重ねて立ち続ける木々の間を、今、自分が歩かせていただいている——

そう思うと、自然と感謝の念が湧いてくる。

神域とは何かという説明など何もいらなかった。

ただ「守られている」と感じる。

穏やかで揺ぎ無い安心感の中、一歩一歩、玉砂利を踏みしめながら、奥へと進む。


階段を上るときに、ちょうど朝日が昇り、御正宮の屋根が黄金色の光に照らされた。その神々しさに思わず息を呑む。

背筋を伸ばし、静かに参拝をする。

その瞬間、ツアーの企画のことも、仕事のことも、目的だと思っていたすべてが遠のいていく。

ただあふれてくる感謝の思いだけが胸に満ち、静かに手を合わせた。

目を開けると、風に白い布が揺れた。何かが通り抜けていくように。


2人そろって参拝を終え、階段を下りる。

「参拝の時に風が吹いたのが見えましたか?」

堀川が穏やかに微笑みながら美月に声をかける。

「はい。白い布がふわっと揺れましたよね」

「あの布は、御帳みとばりと言って、風に揺れるのは、天照大神様が声を聴いてくださったという合図だといわれているんですよ」

「……よかった」美月は小さくつぶやいた。


再び木々の間を抜けて宇治橋へと戻る。

すっかり朝日が昇り、目に映る景色が行きとはすっかり違って見える。

美月の心の内も、昨日までの迷いや不安が消え、澄み渡っていた。


参拝の余韻に浸りながらおかげ横丁を歩き、赤福本店に立ち寄った。

お茶をいただき、ほっとひと息つく。

「こんな朝にいただく赤福、格別ですね」

赤福をほおばった美月が顔を上げると、堀川がカメラを向けていた。

「何を撮ってるんですか!」美月が思わず抗議すると、

「これは資料映像です」と真顔で返す堀川に、美月は何も言えなくなった。

「冗談ですよ。あまりにも、おいしそうに食べているから。どこにも出しませんよ」

神宮の神聖な空気に少し圧倒されていた美月への、堀川なりの少し不器用な気遣いだった。それを感じた美月は、

「もうからかわないでください。まさか堀川さんに会うとは思っていなかったから、ノーメイクなんです。撮影は禁止です」と言いながら、一気にお茶を飲んだ。


ホテルに戻ると、フロントでスタッフに呼び止められる。

「伊藤様、ロビーでお客様がお待ちです——」

美月がロビーの方を振り返ると、落ち着いた雰囲気の同年代ぐらいの女性が立ち上がり、にこやかに会釈をしてきた。

美月は、すぐに察した。

昨日、タクシーを運転してくれた伊月森氏の娘に違いない。


美月が慌てて進み出る。

「昨日は、父が大変お世話になりました。タクシードライバーの伊月森の娘で、斎宮資料館のガイドをしております、伊月森紗英と申します。本日は、斎宮のご案内をさせていただきます」

「こちらこそ、お父様には本当に良くしていただきました。

本日もご多用の中、ご案内いただきありがとうございます。榊原旅行企画の加藤美月と申します」

そう言って名刺を差し出すと、紗英は丁寧に受け取ってくれた。

「そしてこちらは、弊社の歴史監修をお願いしている堀川暁さんです」

堀川も名刺を差し出し、静かに頭を下げる。

「よろしくお願いします」


「奈良時代の斎宮にご関心があると伺いました」

紗英が目を輝かせながら問いかける。

「はい。今回の企画では、その時代の斎宮の暮らしの中で育まれてきた神聖な思いを、旅として体験できるものにしたいと思っていて……」

「伊藤さん、時間も限られていますし、詳しいお話は、移動の車の中でゆっくりと」

立ち話のまま語り始めてしまった美月は、堀川に促され、急いで部屋に戻り、チェックアウトを済ませた。


そして、三人は堀川の運転する車で、最初の目的地へと出発した。

向かった先は、倭姫命やまとひめのみことをお祀りする倭姫宮。

倭姫は、天照大神の御神託に従い、都を離れて各地を巡り、最終的に伊勢の地を“神の御座所”と定めた初代の斎王ともいわれる存在だ。


社殿の前に立ち、遥か奈良の都から伊勢への長い旅路を思う。

ひとりの女性が、国の安寧を祈りながら辿った道——その静かな信念と覚悟が、この土地の清浄な空気に溶け込んでいるようだった。

 

続いて訪れたのは、斎宮跡。

都から遣わされた未婚の内親王が、天皇の代わりに天照大神に仕えるために暮らした場所。

広大な敷地の中に、斎王と、その日常を支えた女官たちの営みが息づいていた。


紗英は語る。

「あの時代、この地に来ることは、彼女たちにとって、都との決別でもあり、新しい使命の始まりでもありました。

家族と別れ、それまでの全てを捨ててここへやってきた。

祈りが“仕事”ではなく、“生き方”であった時代です。

神と人が今よりもずっと近い存在として共に在った。

斎宮での暮らしは、厳しい規律もあったでしょうが、どこか誇らしかったのではないかと私は思うんです」


その柔らかな語りに、耳を傾けながら、目を閉じる。

不思議と、そこに生きた人々の息遣いが聞こえてくるような感覚があった。

祈りとは何か。

そのかたちや意味が、目に見えなくても、確かに感じられる。


「訪れる人が、ただ“見学する”のではなく、“感じる”旅に。形式や歴史だけでなく、その奥にある“祈りの心”を共有できるように……

“祈りの心”は、もともと私たちのDNAの中に刻まれているものだと思うのです」

言葉にしてみると、伝えたい想いがこみあげてくる。


「祈りという言葉の語源は、“い”を宣べる。“い”とは意志であり、生きることです。つまり“祈り”の本質は、“自分の意志の表明し、行動する”ということです」

堀川の説明に、美月と紗英は静かに頷いた。


その後も、紗英の案内で、潔斎を行った河原など斎王ゆかり場所を巡り、ツアーでの昼食会場の候補先なども視察し、関係各所に挨拶をし、あっという間に帰京の時間となった。


斎宮を巡るこの旅は、単なる観光企画ではない。

美月は、そう確信していた。

静寂な祈りのエネルギーと、過去と現在が交錯する空気の中で感じた、目に見えない大きな力。


その大きな力に導かれている——

会社という枠を超えて、未来へと広がっていく何か大切なものが、確かにそこにある。それを形にして届けたいという強い想いと共に、視察の旅を終えた。


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