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第三十七話 新たな修行


* * *

それから、数日が経った。

悠太の怪我は順調に回復し、ようやく医師から修行の許可が下りた。

「……よっしゃ!」

悠太は勢いよく立ち上がった。

「ほな、欠片! 行くか!」

『……はい』

『ですが、くれぐれも無理はしないでくださいね』

「分かってるって!」

『……本当でしょうか』

「ほんまやって!」

悠太は笑いながら部屋を出た。

* * *

安倍家、訓練場。

悠太は分家の四人を引き連れ、白峰蒼のもとへ向かった。

「……ここやな!」

四人が悠太の後ろに続く。

「おはようございます〜!」

悠太は大きな声で挨拶した。

「蒼くん! 来ました!」

声に気づいた蒼が振り返った。

「あー! 誠人君!」

「おはよー!」

蒼はいつものように軽い調子で手を上げた。

そして、悠太の後ろにいる四人に目を向ける。

「あれ? 君たちも来たんだ」

四人は揃って頭を下げた。

「よろしくお願いいたします」

「うん、よろしくねー!」

蒼はにこにこと笑った。

「そっかそっかー。五人で来たんだね」

「はい!」

「じゃあ、とりあえず……」

蒼は悠太に視線を戻した。

「誠人君は、僕と」

続いて、分家の四人を見る。

「あとの四人は、僕のお付きに見てもらおうか」

「……承知いたしました」

四人が頭を下げた。

悠太は少し首を傾げた。

「……別々なん?」

「うん。それぞれに合った修行をしようと思ってね」

「……なるほど!」

蒼は悠太に向き直った。

「それじゃ、悠太君」

「……はい!」

「始めよっか」

* * *

蒼は悠太と向かい合った。

「じゃあ、まず悠太君」

「はい!」

「僕を敵だと思って、かかってきて」

「……え?」

悠太は思わず聞き返した。

「いいからいいから!」

蒼は笑いながら、軽く手招きをした。

「……ほんまにええんですか?」

「うん! 遠慮はいらないよ!」

「……分かりました!」

悠太は蒼を見据えた。

「はい! じゃあ遠慮なく!」

その瞬間――

悠太は地面を蹴り、一気に間合いを詰めた。

蒼は構える様子もなく、ただ悠太を見つめていた。

「……っ!」

悠太が拳を繰り出す。

しかし――

ひょい。

蒼はわずかに身体を傾け、あっさりとかわした。

「……え?」

「うんうん! いいね!」

「……まだまだ!」

悠太はすぐさま体勢を立て直した。

「どんどん来てー!」

「はい!」

悠太は再び地面を蹴った。

一気に距離を詰め、蒼に向かって拳を振り抜く。

しかし――

「そんな大振りしたら、丸わかりだよー」

蒼は軽く身体を傾け、攻撃をかわした。

「……んっ!」

悠太は間髪入れず、もう一撃を繰り出す。

だが、それも当たらない。

「ほらほら〜!」

「……くそっ!」

悠太はさらに踏み込み、勢いに任せて拳を振るった。

その瞬間、蒼はすっと横へ移動した。

「今、感情的になったでしょ?」

「……っ!」

「攻撃がさっきより雑になってるよー」

悠太は呼吸を整え、再び構えを取った。

「……はい! いきます!」

勢いよく地面を蹴り、蒼との距離を詰める。

「ほらほらー!」

蒼は悠太の拳を軽々とかわした。

「……っ!」

続けて蹴りを放つ。

しかし、蒼は一歩下がるだけで、その攻撃も避けてしまう。

「どうしたのー?」

「……くっ!」

悠太はさらに攻撃を繰り出した。

右、左、そして再び右。

だが、そのすべてが空を切る。

「やる気あるー?」

「……ありますよ!」

「ほんとにー?」

蒼は楽しそうに笑いながら、軽く手招きをする。

「じゃあ、もっと本気で来てよー!」

「……くそっ!」

悠太は再び地面を蹴った。

何度も拳を繰り出す。

右から、左から。

蹴りを交え、角度を変えて攻め込む。

しかし――

蒼は最小限の動きで、そのすべてをかわしていた。

悠太の攻撃は、一度も当たらなかった。

「……くそっ!」

悠太は肩で息をしながら、蒼を見据えた。

「悠太君〜、力任せじゃダメだよー」

「……っ!」

「いくら力が強くても、当たらなかったら意味ないでしょ?」

「……はい……!」

「それに、さっきから動きが単調になってるよー」

蒼は軽く手招きをした。

「ほら、もう一回!」

「……はい!」

悠太は再び構えた。

右の拳を繰り出し、その勢いのまま身体をひねる。

そして――

蒼に向かって蹴りを放った。

蒼がそれをかわそうとした、その瞬間。

悠太は蹴りを入れる寸前、足裏に霊力を集中させた。

そして――

一気に解き放つ。

ドンッ!!

足裏から放たれた霊力。

その反動を利用し、悠太はそのまま身体をくるりと回転させた。

地面に片手をつく。

その腕を軸に、身体を一気に回転させる。

そして――

もう一方の足に、霊力を集中させた。

「……おっ?」

蒼がわずかに目を見開く。

ブンッ!!

回転の勢いを乗せ、霊力を込めた蹴りが蒼へと迫る。

先ほどまでの力任せの攻撃とは違う。

足裏から霊力を放った反動を利用し、間髪入れずに繰り出した一撃。

蒼はその動きを見つめた。

「……へぇ」

そして――

ひょいっ。

わずかに身体を反らし、その一撃をかわした。

「……っ!」

悠太は回転の勢いを利用して着地し、すぐさま蒼へ向き直った。

「……はぁ……はぁ……!」

蒼は楽しそうに笑った。

「今のはいいねー!」

「……!」

「足裏から霊力を放って、その勢いを次の攻撃につなげたんだね」

「……はい!」

「うんうん! 今までみたいな力任せじゃなくて、ちゃんと工夫してた!」

悠太は荒い呼吸を整えながら、蒼を見つめた。

「……でも、当たらへんかった……」

「まあねー!」

蒼は軽く笑った。

「でも、今のはちょっと面白かったよ」

そう言って、再び悠太に向き直った。

「さあ、次はどうする?」

「……はぁ……はぁ……はぁ……!」

悠太は膝に手をつき、荒く息を吐いた。

何度攻撃を仕掛けても、蒼には一撃も当たらない。

一方、蒼は息一つ乱していなかった。

「悠太君〜、もう疲れちゃった?」

「……はぁ……まだ……いけます……!」

「そっかそっか!」

蒼は軽く頷いた。

「でもね、悠太君」

「……はい……」

「さっきから同じことの繰り返しになってるよー」

「…………っ」

「力も速さも悪くないんだけどね」

蒼は悠太を見つめた。

「それだけじゃ、僕には当たらないよ?」

「……っ!」

悠太はゆっくりと身体を起こした。

(……今までの俺では、絶対に当てられへん……)

(……なら、どうする……?)

悠太は必死に考えた。

力任せに攻撃しても当たらない。

速さを上げても、工夫を凝らしても、蒼には簡単にかわされてしまう。

(……どうしたらええ……?)

(…………)

(……くそっ……)

(……考えても、なんも出てこやん……!)

悠太は荒い呼吸を繰り返しながら、拳を握りしめた。

その時――

ふと、人型妖怪との戦いが頭をよぎった。

「……欠片!」

『……はい?』

「……天武闘衣! あれどないやるんや?」

『……天武闘衣ですか?』

「おう! あん時、分家が俺に使ってくれたやつ!」

『……ご自身に使うつもりですか?』

「……せや!」

『……分かりました』

『まず、霊力を全身に巡らせてください』

「……おう」

悠太は意識を集中させた。

身体の隅々へと霊力を流していく。

『……そうです。そして、服を着るように、その霊力を全身にまとわせるんです』

「……服を着るように……」

悠太はゆっくりと霊力を身体の外側へ広げた。

やがて、薄い霊力の膜が全身を包み込んだ。

『……できました。それが天武闘衣です』

「……おお!」

悠太は自分の手を握りしめた。

先ほどまでとは、明らかに違う。

身体が軽い。

力が湧き上がってくるようだった。

「……よし!」

悠太は再び蒼へ向かって駆け出した。

ドンッ!!

地面を強く蹴る。

15

その瞬間、足元の地面が大きくえぐれた。

「……っ!」

速度は上がっている。

だが、蒼はその攻撃すら軽々とかわした。

「おおー! 天武闘衣だね!」

「……くっ!」

悠太は着地し、再び距離を取った。

(……速なってる)

(……でも、まだ足りへん……)

悠太は足元に目を落とした。

先ほど踏み込んだ場所の地面が、大きく砕けている。

(……めっちゃ地面割れとるやん……)

(…………)

(……ん?)

(……地面があかんのやったら……)

(……地面なかったらええんちゃう?)

(…………)

(……あ!)

(……空中や!)

悠太は以前の修行を思い出した。

(……空中で動く練習、しとったやん!)

(……まだ全然うまいことできへんけど……)

(……地面ないんやったら、もっと速く動けるんちゃうか?)

(…………)

(……まあ、やってみるか!)

悠太は蒼を見据えた。

全身に霊力を巡らせながら、ゆっくりと地面から足を離した。

ふわり――

悠太の身体が宙に浮き上がる。

「……お?」

蒼が少し首を傾げた。

「へぇー、空中移動?」

悠太は空中で体勢を整えようとした。

まだ修行中のため、身体がわずかにふらつく。

悠太は蒼へ視線を向けた。

そして、足裏へと霊力を集中させる。

ゆっくりと息を整えた。

そして――

ドンッ!!

足裏から霊力が一気に放たれた。

その反動で、悠太の身体が凄まじい勢いで加速する。

一直線に、蒼へ向かって飛んでいく。

「……おっ!?」

先ほどまでとは明らかに違う速度。

一瞬にして、二人の距離が縮まった。

蒼の目が、わずかに見開かれた。

地上では、地面を蹴ることで速度を生み出す。

しかし、強大な力を込めれば込めるほど、地面はその衝撃に耐えきれず、えぐれ、砕けてしま

う。

その際、力の一部は地面へと逃げ、すべてを加速に変えることはできない。

だが――

空中では、その制約がない。

もちろん、空気抵抗は存在する。

しかし、地面のように踏み込む力を吸収し、砕けるものは存在しない。

足裏から霊力を後方へ爆発的に放てば、その反動を直接、推進力へと変えることができる。

地面を蹴り直す必要も、次の一歩を踏み出す必要もない。

霊力を放出するたびに、さらに加速できる。

そして今、悠太は天武闘衣によって身体能力を強化している。

その身体が、空中での凄まじい加速を可能にしていた。

地上での移動とは、まるで次元が違う。

だが、悠太自身はまだ、その力を完全に制御できているわけではなかった。

一気に距離を縮める。

その速度に、蒼は初めてわずかに身構えた。

先ほどまでとは、明らかに違う。

一直線に迫る悠太。

その凄まじい速度を利用し、拳を引いた。

加速によって生まれた勢い。

そこに天武闘衣で強化された身体能力が加わる。

そして――

ブォンッ!!

悠太はその勢いのまま、蒼めがけて渾身の一撃を繰り出した。

その瞬間――

悠太は蒼の背後に結界を展開した。

蒼の退路を塞ぐように、結界が立ちはだかる。

(……後ろには逃がさへん!)

「……へぇ」

蒼の視線が、一瞬だけ背後へ向いた。

正面からは、凄まじい速度で迫る悠太の拳。

背後には、逃げ道を塞ぐ結界。

しかし――

悠太はまだ、空中での霊力制御を完全には習得していなかった。

凄まじい速度のまま拳を繰り出そうとした、その瞬間。

グラッ――!

身体の軸が大きくぶれた。

「……やっべ!」

振り抜こうとした拳が、狙いから外れる。

勢いを殺そうにも、すでに加速しすぎていた。

その瞬間――

蒼はわずかに膝を曲げ、半歩だけ横へ身体を滑らせた。

「……おっと」

迫りくる拳を、紙一重でかわす。

悠太は慌てて軌道を修正しようとした。

しかし、間に合わない。

蒼のすぐ横を、悠太の身体が通り過ぎる。

そして、その先には――

自分で張った結界。

ドガァァンッ!!

「ぐはっ!!」

悠太は凄まじい勢いで結界に激突した。

「……いったぁぁ……!」

悠太は地面に座り込み、ぶつけた頭を押さえた。

蒼がゆっくりと近づいてくる。

「大丈夫〜?」

「……めっちゃ痛いです……」

「あはは、すごい勢いだったもんね〜」

「……はい……」

蒼は悠太の前で足を止めた。

「でも、今のは面白かったよ!」

「……え?」

「僕の後ろに結界を張って、逃げ道を塞いだでしょ?」

「……はい」

「ただ、あの速度を制御できなかったら意味ないよね〜」

「……うっ……」

悠太は頭を押さえたまま、蒼を見上げた。

「まずは、制御からだね〜」

「……そうなんですよね……」

悠太は苦笑しながら頭をかいた。

「前の修行でも、そこがうまいことできへんくて……」

「うんうん。でも、今の発想はよかったよ〜」

「……ありがとうございます」

「ただ、速く動けても、思い通りに止まれなかったら危ないからね〜」

悠太は先ほど激突した結界を見た。

「……はい……」

「じゃあ、まずはそこから練習しよっか!」

「はい!」

* * *

「じゃあ、まずは宙に浮いて」

「はい!」

「そのまま維持してね〜」

悠太は全身に霊力を巡らせた。

ふわり――

ゆっくりと身体が宙に浮き上がる。

「……よし」

「うんうん、そのまま〜」

悠太は空中で姿勢を保とうとする。

しかし――

「……おっと」

身体がわずかに右へ傾いた。

慌てて霊力を調整すると、今度は左へ。

「……くっ」

「ほらほら〜、動かないでね〜」

「……はいっ!」

悠太は必死に体勢を整える。

だが、身体は少しずつ上下に揺れ続けていた。

蒼はその様子をじっと観察していた。

それからも、悠太は空中で姿勢を維持する練習を繰り返した。

最初は左右に揺れていた身体も、少しずつ安定し始めていた。

「……っ……!」

悠太は呼吸を整えながら、霊力の流れに意識を集中させる。

蒼はその様子をじっと見つめていた。

「んー、いい感じ〜!」

「……はぁ……はぁ……!」

「今日はこのくらいにしよっかー」

「……はぁ……はい!」

悠太はゆっくりと地面に降り立った。

その瞬間、膝に手をつく。

「……はぁ……はぁ……疲れたぁ……」

「お疲れさま〜!」

「……ありがとうございました!」

まだ完全に制御できたわけではない。

それでも、修行を始めた時と比べれば、空中での姿勢は確実に安定し始めていた。

* * *

それからの日々、悠太は蒼のもとで空中移動の修行を続けた。

最初は、宙に浮いたまま姿勢を維持すること。

「そうそう、そのまま〜」

身体が安定するようになると、次の段階へ。

「じゃあ、今度はゆっくり進んでみよっか〜」

空中を歩くように、少しずつ前へ進む。

しかし、思うように進めず、何度も体勢を崩した。

「……うわっ!」

「焦らない焦らない〜」

そして、歩くことに慣れてくると――

「次は走ってみよっか!」

「……はい!」

足裏から霊力を放ち、空中を駆ける。

だが、速度を上げると、途端に制御が難しくなる。

「……うおっ!?」

「ほらほら〜、速すぎるよ〜」

何度も失敗しながら、少しずつ速度を調整できるようになっていった。

そして、次は上下への移動。

「じゃあ、今度は上に行ってみよっか〜」

悠太は霊力を調整し、ゆっくりと高度を上げていく。

「……おお!」

「うんうん! じゃあ、そのまま下がってみて〜」

「……はい!」

しかし、今度は勢いよく下降してしまう。

「……うわわっ!」

「ゆっくりゆっくり〜!」

歩いて、走って。

上昇して、下降する。

時には地面に転がり、時には空中で体勢を崩しながら。

何度も、何度も繰り返した。

そして――

日を重ねるごとに、悠太の空中での動きは少しずつ滑らかになっていった。

* * *

「うんうん! 基本はできてきたね〜!」

蒼は満足そうに頷いた。

「……ありがとうございます!」

「でも、まだまだだからね〜」

「……はい!」

それからも、悠太の修行は続いた。

歩いて、走って。

上昇して、下降する。

何度も失敗を繰り返しながら、少しずつ霊力の制御を身につけていった。

そして、修行開始から三日目。

悠太は空中移動の基本動作を、一通りこなせるようになっていた。

かつては宙に浮くだけでも不安定だった身体が、今では思い通りに動き始めている。

しかし、基本ができることと、実戦で使いこなせることは別だった。

その後も修行は続き――

五日目。

* * *

悠太は空中を勢いよく駆け抜けていた。

足裏から霊力を放ち、一気に加速する。

そして――

急停止。

以前なら勢いを殺しきれず、身体が大きくぶれていた。

しかし、今は違う。

わずかに姿勢を崩しながらも、空中で踏みとどまった。

「……よし!」

そこから再び加速。

右へ、左へ。

上昇し、急降下する。

動きにはまだ粗さが残っているものの、以前とは比べものにならないほど安定していた。

「おお〜! いいねいいね〜!」

蒼は悠太の動きを見ながら頷いた。

「制御もだいぶできてきたね〜!」

「……ありがとうございます!」

「うんうん! いい調子だよ〜!」

悠太はゆっくりと地面に降り立った。

五日間の修行で、空中移動の基本だけでなく、加速や停止、方向転換の制御も着実に身につき始

めていた。

* * *

修行開始から六日目。

いつものように訓練場へやってきた悠太。

「おはようございます〜!」

「おはよー! 悠太君!」

蒼は悠太の姿を見ると、いつもの調子で声をかけた。

「そうそう、悠太君」

「……はい?」

「今日は僕の任務についておいで〜」

「……え?」

悠太は一瞬、きょとんとした。

「……俺、行っていいレベルですか?」

「大丈夫〜!」

蒼はあっさりと答えた。

「…………」

「……ほんまですか?」

「うんうん! 大丈夫だよ〜!」

悠太は少し不安そうな表情を浮かべた。

『……悠太』

「……ん?」

『……白峰様が大丈夫とおっしゃっているのですから』

「……まあ、せやな」

悠太は蒼に向き直った。

「……分かりました! よろしくお願いします!」

「うん! じゃあ行こっか〜!」

* * *

蒼に連れられ、悠太がたどり着いたのは、閑静な住宅街だった。

整えられた庭。

手入れの行き届いた植木。

そこには、まだ新しさの残る綺麗な一軒家が建っていた。

一見すると、どこにでもある普通の家。

しかし――

そこは、一家惨殺事件の現場だった。

「ここだね〜」

蒼は家の前で足を止めた。

「……え?」

悠太は目の前の家を見上げた。

「……めっちゃ綺麗な家ですね」

「うん、そうだね〜」

蒼はいつもの調子で答えた。

「でもね、ここで一家全員が殺されてるんだ」

「…………」

悠太はもう一度、家を見つめた。

先ほどまで何の変哲もなく見えていたその家が、急に不気味に感じられた。

「……一家全員……」

「うん」

蒼は玄関へと視線を向けた。

「じゃあ、入ろっか〜」

蒼が玄関の扉に手をかけた。

ガチャ――

扉が開いた、その瞬間。

空気が一変した。

「…………っ!」

悠太は思わず足を止めた。

先ほどまで感じなかった、異様な気配。

家の中から、重く淀んだ妖気が流れ出してくる。

まるで、家の中だけが別の世界になっているかのようだった。

「……なんや、これ……」

『……悠太、気をつけてください』

「……おう」

悠太はゆっくりと玄関の奥へ視線を向けた。

薄暗い廊下。

その先は、不気味なほど静まり返っていた。

一方、蒼は表情を変えることなく、家の中を覗き込んだ。

「……ん〜」

そして、いつもの軽い口調で言った。

「なかなかだね〜」

蒼は玄関に立ったまま、片手をかざした。

「……ん〜」

何かを探るように、ゆっくりと手を動かす。

悠太はその様子を黙って見つめていた。

しばらくして――

「……そこだね〜」

「……見つかったんですか?」

「うん!」

蒼は奥にある階段へ視線を向けた。

「じゃあ、行くよー! 悠太君!」

「……はい!」

二人は家の中へと足を踏み入れた。

ギシッ……ギシッ……

階段を一段ずつ上がっていく。

二階へ到着すると、少し開けた空間が広がっていた。

「…………」

悠太は周囲を見渡した。

「……なんか、さっきより気持ち悪いな……」

『……妖気が濃くなっています。気をつけてください』

「……おう」

蒼はそのまま、ゆっくりと奥へ歩いていく。

悠太も後に続いた。

その時――

ゾワッ!!

「……っ!?」

頭上から、凄まじい妖気。

悠太が顔を上げた瞬間――

バッ!!

上空から妖怪が飛び出した。

鋭い爪を振りかざし、二人めがけて一気に襲いかかる。

「……っ!!」

「悠太君〜、力抜いてね〜」

「……え!?」

「落ち着いて」

蒼はいつもの調子で言った。

「相手の攻撃をよく見て、避けてごらん」

「……ええー!?」

その瞬間、妖怪の爪が悠太に迫る。

「……っ!」

スッ――

悠太は咄嗟に身体をひねり、攻撃をかわした。

続けて、もう一撃。

スッ――

さらに、横から振り抜かれる爪。

スッ――

「……あれ?」

悠太は思わず目を見開いた。

空中での修行。

足場のない空中では、常に自分の姿勢を制御しながら、上下左右、あらゆる方向に意識を向けな

ければならない。

ほんの一瞬の判断の遅れが、体勢の崩れにつながる。

移動する方向、速度、霊力の加減。

それらを瞬時に判断し、身体を動かす。

何度も繰り返してきたその修行は、知らず知らずのうちに悠太の集中力と判断力を底上げしてい

た。

だが、地上では違う。

足元には、身体を支える地面がある。

空中のように、常に浮遊するための霊力や姿勢を気にする必要がない。

その分、意識を目の前の相手に集中させることができる。

そして何より――

空中であらゆる方向への動きを意識してきた悠太にとって、地上で繰り出される攻撃は、以前よ

りもずっと捉えやすくなっていた。

「……っ!」

再び、妖怪が爪を振り下ろす。

スッ――

悠太は最小限の動きでそれをかわした。

「……見える……!」

少し離れた場所で、その様子を見ていた蒼が微笑んだ。

「うんうん、いい感じ〜」

* * *

妖怪は休む間もなく、悠太へ攻撃を繰り出した。

右から、左から。

鋭い爪が次々と襲いかかる。

しかし――

スッ、スッ、スッ。

悠太はそのすべてをかわしていた。

「悠太君、どう〜? 今の感じ〜」

「……なんか、楽しい!」

「……おお〜!」

蒼は嬉しそうに頷いた。

妖怪はなおも攻撃を続ける。

だが、その爪は一度も悠太を捉えられなかった。

次第に妖怪の動きが鈍り始める。

それでも悠太は、落ち着いて攻撃を見極めていた。

その光景は、どこか見覚えのあるものだった。

かつて、悠太が蒼に何度も攻撃を仕掛けた時。

悠太は息を切らし、必死に拳を振るい続けた。

しかし蒼は、息一つ乱すことなく、そのすべてをかわしていた。

そして今――

あの時の立場が、まるで逆転したかのようだった。

妖怪は必死に攻撃を繰り返し、悠太は最小限の動きでそれをかわしていく。

蒼はそんな悠太を静かに見つめていた。

そして――

妖怪の動きが、さらに鈍り始めた。

悠太は、その一瞬を見逃さなかった。

妖怪が大きく爪を振り下ろす。

スッ――

悠太はわずかに身体をずらし、最小限の動きで攻撃をかわした。

そして、そのまま懐へ踏み込む。

拳に霊力を集中させる。

無駄な動きはない。

大きく振りかぶることもなく、ただ拳を引き絞る。

そして――

ドゴォンッ!!

凝縮された霊力を、一気に解き放った。

強烈な一撃が、妖怪の胴体を捉える。

「――ッ!!」

妖怪の身体が大きくくの字に折れ、後方へ吹き飛ぶ。

しかし、その瞬間――

26

悠太は素早く片手をかざした。

妖怪の背後に、結界が展開される。

ドンッ!!

吹き飛ばされた妖怪が、結界に激突した。

後方への勢いが止まり、妖怪の身体が崩れ落ちかける。

だが――

悠太は攻撃の手を緩めなかった。

一気に距離を詰める。

「……っ!」

妖怪が体勢を立て直そうとする。

しかし、それよりも早く、悠太の拳が迫った。

ドゴッ!!

一撃。

続けざまに、もう一撃。

ドッ! ドゴッ!!

妖怪が反撃しようと爪を振るう。

だが――

スッ。

悠太は最小限の動きでかわし、その懐へ踏み込んだ。

ドンッ!!

再び拳が炸裂する。

妖怪の身体が結界に叩きつけられた。

後ろには逃げられない。

体勢を立て直す暇も与えない。

悠太は攻撃の手を緩めず、次々と拳を繰り出していく。

その動きには、先ほどの修行で見せたような大振りも、無駄な力みもなかった。

離れた場所で、蒼がその様子を見つめていた。

「…………」

そして――

ドゴッ!!

最後の一撃が妖怪の身体を捉えた。

「――ッ!!」

妖怪はそのまま結界に叩きつけられ、力なく崩れ落ちた。

「……ふぅ」

悠太は拳を下ろした。

その様子を見ていた蒼が、声をかける。

「悠太君〜!」

「……はい!」

「そのまま祓ってくれる〜?」

「……分かりました!」

悠太は倒れた妖怪へと向き直った。

妖怪はまだ、わずかに動いていた。

悠太は片手をかざし、霊力を集中させる。

そして――

祓いの術式を展開した。

淡い光が妖怪を包み込んでいく。

やがて、その身体は光の中で崩れ、跡形もなく消えていった。

「……終わりました!」

蒼はゆっくりと歩み寄ってきた。

「うん! お疲れさま〜!」

そして、悠太に向かって笑った。

「よかったよ〜!」

「……ありがとうございます!」

「相手の動きをよく見てたし、無駄な動きも少なかったね〜」

「……はい!」

「それに、攻撃した後の結界もよかったよ〜」

蒼は満足そうに頷いた。

「最初に僕と戦った時とは、全然違うね!」

「……ほんまですか?」

「うんうん!」

「力任せに攻撃するんじゃなくて、ちゃんと相手を見て動けてた」

「…………」

悠太は自分の拳を見つめた。

「……なんか、前より身体が動くようになった気がします」

「そうそう! それが修行の成果だよ〜」

「……ありがとうございます!」

蒼はにこりと笑った。

「でもね、悠太君」

「……はい?」

「まだまだ、これからだよ〜」

「……はい!」

蒼は家の出口へ視線を向けた。

「じゃあ、帰ろっか〜!」

「はい! ありがとうございました!」

二人は屋敷を後にした。

* * *

それからも、修行は続いた。

空中での加速、急停止、方向転換。

上昇からの急降下。

何度も失敗を繰り返しながら、悠太は少しずつ霊力の制御を身につけていった。

そして――

修行開始から十日目。

かつては宙に浮くだけでも不安定だった悠太。

しかし今では、空中を自在に駆け回っていた。

一気に加速し、急停止。

そのまま身体をひねり、別の方向へ飛び出す。

上昇、下降、方向転換。

以前のように身体が大きくぶれることもない。

悠太はついに、空中での霊力操作をものにしていた。

「うんうん! いいね〜!」

蒼は満足そうに頷いた。

「よし! じゃあ、修行は今日で終わりにしよっか〜」

「……え?」

「僕ね、ちょっと長めの任務が入ってるんだ〜」

「……そうなんですか」

「うん! だから、僕との修行はここで終わり〜!」

悠太はゆっくりと地面に降り立った。

そして、蒼へ向き直る。

「……ありがとうございました!」

深く頭を下げた。

「うんうん! よく頑張ったね〜!」

蒼はにっこりと笑った。

「……あ、そうだ!」

「……はい?」

「最後にさ〜」

蒼は悠太から少し距離を取った。

そして、くるりと振り返る。

「僕にかかっておいで〜!」

「…………!」

悠太は顔を上げた。

十日前。

何度攻撃しても、一撃すら当てられなかった相手。

その蒼が、再び目の前に立っていた。

* * *

悠太はゆっくりと息を整えた。

「……いきます!」

「うん! おいで〜!」

その瞬間――

ドンッ!!

足裏から霊力が放たれ、悠太の身体が一気に加速する。

一瞬にして、蒼との間合いを詰めた。

「……っ!」

悠太はその勢いのまま拳を繰り出す。

その拳が蒼を捉えようとした時には、すでに――

蒼の背後に、結界が展開されていた。

退路を塞ぐように張られた結界。

正面からは悠太の拳が迫る。

「……いいねぇ〜!」

蒼は迫る拳と、背後の結界を捉えていた。

十日前と同じ攻め方。

しかし、あの時とは速度も、霊力の制御もまるで違っていた。

悠太の拳が、蒼へと迫る。

「でも、まだまだ〜!」

蒼は迫りくる悠太の拳に、片手を添えた。

そして――

スッ。

わずかに腕を動かし、その一撃を受け流した。

「……っ!?」

悠太の拳が、蒼の身体をかすめるように通り過ぎる。

蒼は一歩も後ろへ下がっていなかった。

一方、悠太は拳の勢いを流され、上体がわずかに前へ傾いていた。

「悠太君〜、今の分かった?」

「……え?」

「僕、避けてないでしょ? 拳の勢いを横へ流したんだよ〜」

「……あっ……」

「ほら、悠太君の体勢、少し崩れてるでしょ?」

「……ほんまや……!」

蒼はにこりと笑った。

「隙がないなら、崩せばいいんだよ〜」

「……崩す……?」

「そうそう! 相手の力を利用して、自分で隙を作るの」

「……隙を、作る……」

「うん! じゃあ、こっちからいくね〜」

「……え?」

その瞬間――

蒼の表情は変わらない。

しかし、先ほどまでとは違う鋭い動きで、悠太の懐へ踏み込んだ。

ヒュッ――!

蒼の拳が、悠太へと迫る。

だが――

悠太は冷静だった。

蒼の拳をしっかりと見据え、その軌道を追う。

(……見える!)

拳の動きを読み、身体をわずかにずらす。

かわした――

そう思った瞬間。

「……っ!?」

蒼の拳が、突然視界から消えた。

「……え?」

次の瞬間には、すでに別の角度から拳が迫っていた。

(……うそやろ……!)

読み切ったはずだった。

だが、蒼の動きは悠太の予測を、はるかに上回っていた。

ヒュッ――!

蒼の拳が、悠太の眼前へ迫る。

(……っ!!)

悠太は咄嗟に身体を動かそうとした。

しかし――

ポンッ。

「…………え?」

蒼の手が、悠太の頭に軽く添えられていた。

「まだまだだけど、よくなってるよ〜! 悠太君!」

「…………」

悠太は目を見開いたまま、動けなかった。

蒼はいつものように、にこりと笑った。


「じゃあね〜!」

そう言って軽く手を振ると、そのまま歩き去っていった。

「…………」

悠太は、その場に立ち尽くしていた。

冷静に見極めたはずだった。

拳の軌道も、動きも、確かに見えていた。

だが、気づいた時には、すでに頭に手を添えられていた。

もし、あの一撃が本気だったなら――

「…………」

悠太は、ただ呆気に取られていた。

十日間の修行で、確かに強くなった。

それでもなお、蒼との間には、埋めようのないほど大きな差があった。

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