第三十六話 誠人の過去
安倍家、医療棟。
白峰蒼に修行をつけてもらう約束をしてから、数日が経っていた。
しかし、悠太の怪我はまだ完治していなかった。
医師からも安静にするよう言われ、修行を始めることはできずにいた。
「……あーー、暇やぁ!」
悠太はベッドの上で大きく伸びをした。
『……仕方ありませんよ。まだ怪我が治っていないんですから』
「……分かってるって!」
『本当ですか?』
「……ほんまや!」
『……ふふっ』
悠太は再びベッドに寝転がった。
しばらく天井を眺めていたが、ふと口を開いた。
「……なあ、欠片」
『はい?』
「……そういや俺さ、欠片のこと全然知らんねんけどさー」
『……僕のことですか?』
「そうそう!」
『…………』
『僕は……何もできなかった、ただの……』
「……ん?」
『…………』
誠人の言葉が途切れた。
悠太は少し首を傾げたが、そのまま話し始めた。
「……俺はな、物心ついた時からシスターとみんなで暮らしててん」
『……そうなんですね』
「おう! 親のことは知らんけどなー」
『…………』
「でも、毎日おもろかったで!」
悠太は懐かしそうに笑った。
「みんなで遊んだり、シスターに怒られたり!」
『……ふふっ』
「シスターな、怒ったらめっちゃ怖いねん!」
『……そうなんですか?』
「せやで! でも、めっちゃ優しかってん」
「…………」
悠太は少しだけ天井を見つめた。
そして、いつもの調子で口を開いた。
「……で、欠片は?」
『……僕ですか?』
「おう! どんな子どもやったん?」
『…………』
『知っていると思いますが、僕は莫大な力を持って生まれました。そして、その力を扱えません
でした』
「うん、それは知ってるよ」
『……はい』
「俺が聞きたいのは、お前の子どもの頃な!」
『……子どもの頃、ですか』
「そうそう!」
『……んー、そうですね……』
誠人は少し考え込んだ。
『……僕が生まれた時は、それはもう盛大なものでした』
「……へぇー! すごいやん!」
『周囲の人たちからも、たくさん祝福されましたね』
『……まあ、僕ではなく、この力にですが……』
「……ん? それって?」
『……はい。僕ではなく、器です』
「…………」
『……それが安倍家というものです』
『物心ついた頃から、この力を扱えるようになるための修行が始まりました』
「……へぇー、そんな小さい頃から?」
『はい』
「……大変やなぁ」
『……ですが、安倍家にとっては、それが当たり前のことでしたから』
「……そうなんか」
『…………』
『……しかし、僕はこの力を扱えませんでした』
『何度試しても、何をしようとも……』
少しの沈黙。
『……周囲の態度が変わり始めるのは、早かったですね』
「……変わった?」
『はい』
『先ほども言いましたが、安倍家は力こそ正義』
『……それは、当主の息子であっても変わりません』
「…………」
『……父の対応も変わりましたよ』
「……あのおっさん?」
『……はい』
『ただ一人……母だけは、変わらず……』
「……おかん?」
『……はい』
誠人の声が、少しだけ柔らかくなった。
『優しくて、温かくて……』
少し、懐かしむような間があった。
『……僕の大好きな人です』
「……へぇー!」
悠太は少し笑った。
「……おかんは今?」
『…………』
『……元気にしているといいのですが……』
「……え?」
『……母は、安倍家を追放されたんです』
「……は!? なんで!?」
『…………』
『……父が、ある計画を進めていたからです』
「……計画?」
『はい。僕に万が一のことがあった時のために……』
『……いえ、違いますね』
「……ん?」
『……父は、最初から僕を殺すつもりだったんですから』
「…………」
『僕の肉体に別の魂を宿すため、替え玉となる者を用意していたんです』
「……替え玉?」
『……はい』
「……ん? ちょっと待って」
『……どうしました?』
「……替え玉おったんやろ?」
『……はい』
「……ほな、なんで廻生したん?」
『…………』
『……僕の推測ですが、用意されていた替え玉たちが、全員亡くなってしまったのではないか
と……』
「……え?」
『……そうでなければ、父がわざわざ禁術である廻生を使う理由がありません』
「…………」
「……ほな、替え玉がおらんようになったから、俺が呼ばれたんか……」
『……おそらくは』
「…………」
悠太はしばらく黙っていた。
「……なあ、誠人」
『……はい?』
「……お前、あのおっさんに殺されたんか?」
『…………』
誠人はすぐには答えなかった。
『……父が直接手を下したのかは、分かりません』
「…………」
『……ですが、僕を殺すことも、父の計画だったのでしょう』
「…………」
「……自分の息子やろ……?」
『…………』
「……なんでそんなことできるねん……」
『…………』
しばらく沈黙が続いた。
やがて、誠人が静かに口を開いた。
『……母は、その計画を知って、強く反対しました』
「……そらそうやろ……」
『…………』
『……そして、安倍家を追放されました』
「……はぁ!? 追放!?」
『……はい』
「……自分の子ども守ろうとしただけやん……」
『…………』
悠太は眉をひそめた。
「……ほんま、あのおっさん何考えとんねん」
『…………』
『……それ以来、母とは会っていません』
『今、どこで何をしているのかも分かりません』
「…………」
『……元気でいてくれると、いいのですが……』
悠太はしばらく黙っていた。
「……会えたらええな」
『…………』
『……そうですね』
しばらく、静かな時間が流れた。
そして。
『……悠太』
「……ん?」
『……一つ、お話ししておかなければならないことがあります』
「……なんや?」
『……先ほど、替え玉の話をしましたよね』
「……おう」
『安倍家は、力だけでなく、血縁も重んじる一族です』
『……父が求めているのは、この肉体に宿る莫大な霊力と、安倍家の血を引く魂なんです』
「……ふーん」
『…………』
『……今は、あなたがこの身体に宿っています』
『ですが、父が新たな魂を用意すれば……』
「……ん?」
『……あなたも、この身体から追い出されることになるでしょう』
「…………」
「……え?」
『…………』
「……ちょい待ち」
「……それ、俺どうなんの?」
『…………』
『……命を失うことになります』
「…………」
「……は?」
悠太はゆっくりと身体を起こした。
「……俺、言うこと聞いとっても殺されるん?」
『…………』
『……はい』
「…………」
「……お前、それ知っとったん?」
『…………』
『……はい』
「……なんで先に言わへんかったん?」
『…………』
誠人はすぐには答えなかった。
『……すみません』
「……いや、すみませんちゃうやろ」
『…………』
「……最初、逆らったら殺されるって言うてたやん」
『……はい』
「……ほな、俺ずっと言うこと聞いとったらええと思うやん!」
『…………』
「……なんで黙っとったん?」
『…………』
『……あなたに、力をつけてほしかったんです』
「……力?」
『……はい』
『父は、あなたがこの身体の霊力をどこまで扱えるのか、見極めようとしていました』
『もし、まともに扱えなければ、すぐにでも別の魂を探していたでしょう』
「…………」
『……ですが、たとえ扱えるようになったとしても、父が計画を諦めるとは思えません』
「……ほな、一緒やん」
『……そうですね』
『……ですが、力を身につければ、あなたにも選択肢が生まれます』
「……選択肢?」
『……逃げることも、抗うことも』
『……自分の命を、自分で守ることも』
「…………」
『……そのためには、力が必要なんです』
悠太は自分の手を見つめた。
しばらく考えてから、口を開いた。
「……なあ」
『はい?』
「……俺が力使えるって、分かってたん?」
『……はい』
「……え?」
『廻生によって集められた魂の中から、あなたがこの身体に宿りました』
「……おう」
『ただ……』
『この身体に適合し、宿ることができた時点で、霊力を使うことはできると分かっていました』
「……ん?」
『この身体に宿る霊力は、あまりにも膨大です』
『それをどこまで扱えるのか。自在に制御できるのか……』
『……そこまでは分かりませんでした』
「……ふーん」
『…………』
『……それに、不思議なんですが』
「……なんや?」
『僕たちは、同じ身体にいますよね』
「……おう」
『……だからでしょうか』
『あなたがこの身体に宿った時から、どこか温かいものを感じていたんです』
「……温かい?」
『……はい』
『……なぜか、懐かしいような……』
『母から感じた、あの温もりに似ていたんです』
「…………」
悠太は何も言わず、静かに耳を傾けていた。
『……だからでしょうか』
『僕にはできなかったことを、あなたならできるのではないかと……』
『……あなたに、賭けてみたかったのかもしれません』
「…………」
「……そっか」
『…………』
『……もちろん、それは僕の勝手な願いです』
『あなたにすべてを話してしまえば、父に逆らってしまうかもしれない』
『……そうなれば、力を身につける前に殺されてしまう可能性もありました』
「…………」
『……だから、まずは力をつけてほしかったんです』
『……いずれ父に逆らわなければならなくなった時、自分の命を守れるように』
「…………」
『……ですが』
『……それは、僕が勝手に決めたことです』
『あなたに何も話さず、黙っていたことは……』
『……本当に、すみませんでした』
「…………」
悠太はしばらく黙っていた。
やがて、ぽつりと口を開いた。
「……なあ、欠片」
『……はい』
「……49日目の時さ、なんか言おうとしてたやろ?」
『…………』
『……覚えていたんですか?』
「……おう」
『…………』
『……あの時、すべてお話しするつもりでした』
「……そっか」
『……はい』
『……ですが、最後までお話しすることができませんでした』
「…………」
『……それ以前にも、お伝えする機会はあったはずです』
『……本当に、申し訳ありません』
「…………」
悠太は俯いた。
「……正直、怖いわ」
『…………』
「……俺、知らんとこで殺されること決まっとったんやな……」
『…………』
『……はい』
「…………」
「……なんで先に言うてくれへんかったんやろって、思うで」
『……はい』
「…………」
悠太は自分の手を見つめた。
「……でも、お前は俺のこと考えてくれとったんやろ?」
『…………』
『……はい』
「……そっか」
『…………』
しばらく、沈黙が続いた。
「……なあ、欠片」
『……はい』
「……もう、隠し事せんといてな」
『…………』
『……約束します』
「…………」
悠太は小さく頷いた。
やがて、ゆっくりとベッドに横になった。
しばらく天井を見つめていたが、小さく口を開いた。
「……俺、そんなクソみたいな制度で殺されそうになってんの?」
『…………』
悠太は拳を強く握りしめた。
「……舐め腐りやがって……」
『…………』
しばらく沈黙が続いた。
「……なあ、欠片」
『……はい』
「……そんな制度、潰したろうぜ」
『…………』
「……俺らで」
『……悠太……』
誠人は少しの間、言葉を失っていた。
やがて、静かに答えた。
『……はい。一緒に』
「…………」
悠太は小さく頷いた。
いつもと同じ部屋。
いつもと同じ、誠人の声。
けれど、今までとは何かが違っていた。
自分の命が、再び奪われるかもしれない。
その恐怖は、消えたわけではなかった。
それでも――
悠太は、もう一人で戦っているわけではなかった。




