第三話 一回きりの札
翌朝。
シスターはいつもより早く目を覚ました。
窓の外は、まだ薄暗かった。
彼女は身支度を整えると、孤児院の外へ出た。
門のそばで足を止める。
「…………」
何かがおかしかった。
孤児院を包む結界。
これまで、毎日欠かさず維持してきた守り。
妖怪が近づかないよう、彼女が張り続けているものだった。
その結界に、わずかな乱れが生じていた。
シスターは目を細めた。
「……どうして……」
結界そのものは、まだ残っている。
だが、何者かが外側から触れたような痕跡があった。
シスターは周囲を見渡した。
誰もいない。
それでも、胸の奥に嫌な予感が残った。
彼女は結界に手を添え、霊力を流し込んだ。
弱まっていた守りが、少しずつ元に戻る。
「…………っ」
シスターは小さく息を吐いた。
毎日、結界を維持するだけでも相当な霊力を使っていた。
それでも、止めるわけにはいかなかった。
ここには、子どもたちがいる。
* * *
朝食の時間。
「シスター、今日ちょっと元気なくない?」
悠太が尋ねた。
「そうかしら?」
「うん。眠いん?」
シスターは微笑んだ。
「少しだけね」
「ほな、俺が今日、片付けやるで!」
「ありがとう。でも、悠太には廊下の掃除があるでしょ?」
「そやった…」
悠太は苦笑いした。
シスターはそれをみて笑った。
けれど、彼女の胸から不安は消えていなかった。
* * *
その日の昼。
シスターは、子どもたちが遊んでいることを確かめると、自室に戻った。
古い箱を開ける。
中には、一枚の札が納められていた。
彼女はそれを手に取った。
悠太を預かったときに託されたもの。
本当に危険が迫ったときだけ使うようにと言われていた、一回きりの救援札だった。
「…………」
シスターは目を閉じた。
まだ何も起きていない。
だが、結界の乱れは偶然とは思えなかった。
このままでは、子どもたちが危険にさらされる。
彼女は決心した。
札を両手で包み込む。
静かに霊力を流し込んだ。
淡い光が広がる。
やがて、札は光の粒となって消えていった。
それは、言葉を交わせるものではなかった。
詳しい事情を伝えることもできない。
ただ、危険を知らせるための、一方通行の信号。
その知らせは、遠く離れた場所へ向かっていった。
シスターは、消えた札を見つめていた。
「……お願い……」
* * *
同じ日の夕方。
シスターは子どもたちを食堂へ集めた。
「みんなに渡したいものがあるの」
一人ひとりに、小さなお守りを手渡していく。
「これ、何?」
「お守りよ」
「どんなお守り?」
「あなたたちを守ってくれるものよ」
「すごい!」
子どもたちは嬉しそうに受け取った。
悠太も手のひらのお守りを見つめる。
「……これ、シスターが作ったん?」
「ええ」
「へえー!」
悠太は紐を指に引っ掛けた。
「なくさないでね」
「分かっとるって!」
その返事を聞いて、シスターは微笑んだ。
お守りには、一つずつ守りの術が施されていた。
けれど、それはどんな攻撃も防げるものではなかった。
シスターは、そのことを誰よりも理解していた。
それでも、少しでも子どもたちを守れるように。
彼女は残された霊力を使って、一つひとつに術を込めていた。
* * *
夜。
遠く離れた場所で、一通の知らせが届いた。
一枚の札が、淡い光を放って消える。
それを受け取った人影が、顔を上げた。
「…………っ」
すぐに、もう一人が振り返った。
「どうした?」
短い言葉が交わされる。
二人は急いで支度を始めた。
行き先は、遠く離れた孤児院。
そこへ到着するまでには、さらに半日ほどかかる。
二人は夜の中へと出発した。




