第二十七話 街中の異変
それからも、悠太は任務と修行を繰り返していた。
欠片との日常も、以前と変わらず続いていた。
妖怪の活動は、ますます活発になっていた。
山奥、廃工場、廃屋。
これまで人目につかない場所での討伐が多かったが、今回の任務先は少し違っていた。
* * *
「……事故物件?」
悠太は渡された資料に目を落とした。
街中にある、四階建ての賃貸マンション。
その一室で、奇妙な出来事が相次いでいるという。
かつて、その部屋では入居者が亡くなっていた。
以降、新たな借り手が入っても、長くは住み続けられない。
数週間で退去する者。
わずか三日で逃げ出した者。
中には、荷物を置いたまま二度と戻らなかった者もいた。
理由はさまざまだった。
夜中に聞こえる足音。
誰もいないはずの部屋から聞こえる話し声。
そして――
何者かに見られているような感覚。
管理会社は何度も調査を行ったが、原因は分からなかった。
「……へぇ、こんなとこにも妖怪っておるんやな」
『まだ妖怪が原因と決まったわけではありませんよ』
「……まあ、そうやけど」
悠太は資料を閉じた。
「ほな、行ってみよか」
* * *
昼過ぎ。
悠太たちは、目的のマンションに到着した。
今回の任務には、別の分家術師たちが同行していた。
「……ここですね」
分家の一人が資料を確認した。
目の前には、四階建ての賃貸マンション。
周囲には住宅や飲食店が立ち並び、人通りも多い。
「……ほんまに普通のマンションやな」
『……そうですね』
入口では、管理会社の担当者が待っていた。
「安倍家の方ですね。お待ちしておりました」
「どうも!」
「こちらです。問題の部屋は三階になります」
担当者の案内で階段を上がる。
「実は、前の入居者も突然出ていかれまして……」
「……突然?」
「はい。夜中に電話がありまして、もうあの部屋には戻れないと」
「……なんか見たん?」
「それが……詳しくは何も話していただけなくて」
三階に到着する。
三〇四号室。
担当者が鍵を開けた。
「こちらになります」
悠太は分家たちを振り返った。
「ほな、調べよか」
「はい」
悠太たちは三〇四号室へ足を踏み入れた。
「…………」
悠太が周囲を見渡す。
『……悠太』
『……おう。感じるな』
微かではあるが、妖怪の気配が残っていた。
「……ここで間違いなさそうやな」
「はい。ただ、反応が非常に弱いですね」
「……せやなぁ」
悠太はもう一度、室内を見渡した。
しかし、妖怪の姿は見当たらない。
「……とりあえず、待機しよか」
「承知しました」
* * *
その後、人数を減らしても、数時間待っても妖怪は姿を現さなかった。
悠太は、すでに別の場所へ移動した可能性を考え、その日の撤収を決めた。
そして、その後――
* * *
それからも、妖怪の討伐依頼は絶えなかった。
しかし、奇妙なことが続いていた。
依頼を受けた場所へ向かっても、妖怪が姿を現さない。
微かに気配だけが残っている場所。
妖怪がいた形跡はあるものの、すでに移動したと思われる場所。
そして、中には――
妖怪の気配すら、まったく感じ取れないこともあった。
そうした事例が、各地で相次ぐようになっていた。
かつての妖怪は、特定の場所に留まることが多かった。
しかし最近は、姿を隠し、居場所を変える個体が増えている。
術師たちが現場へ到着した時には、すでに何も残されていない。
そのような任務が、次第に増え始めていた。
だが
連日のように届いていた妖怪の討伐依頼。
それが、ある日を境にぱたりと減った。
「……なんか急に減ったなぁ」
『……そうですね』
「……なあ、欠片」
『はい?』
「前の四本腕のやつ、覚えてる?」
『……ええ』
「あん時さ、雑魚どもがやたら後ろ気にしてたやろ?」
『……そうでしたね』
「……俺、あれ逃げてるように見えてん」
『……逃げている、ですか?』
「……うん。なんかそんな感じしてん」
『…………』
「ほんで最近の妖怪も、あっちこっち移動してるやん?」
『……確かに、妙な行動が増えていますね』
「……なんでやろなぁ」
『……分かりません』
「…………」
悠太はしばらく考え込んだ。
「……わからん!」
『……もう諦めたんですか?』
「考えてもわからんもんはわからんやろ!」
『……それはそうですが……』
「……まあ、なんかおかしいよなぁ」
『……ええ。それは間違いありませんね』
* * *
そして――安倍家・上級術師集会
再び、上級術師たちが招集された。
集まったのは、以前と同じ六名。
室内には重苦しい空気が漂っていた。
「……では、報告を始める」
一人の上級術師が口を開いた。
「ここ数か月、各地で妖怪の活動が活発化していた。しかし、ここにきて討伐依頼が急激に減少
している」
「……いいことじゃねぇのか?」
豪快な男が口を挟んだ。
「討伐する妖怪が減ったんだろ?」
「問題はそこではない」
厳格な術師が答える。
「妖怪が減少した理由が、まったく分かっていない」
「……しかも最近、現場に行っても妖怪がいないって報告、多かったよね?」
最年少の術師が資料をめくった。
「……ああ」
「目撃情報はある。被害も出ている。だが、術師が到着した頃には姿を消している」
「……気配すら残っていない現場もありますね」
否定的な術師が眉をひそめた。
「……妖怪がそこまで巧妙に動くなど、普通では考えられません」
「…………」
「以前から報告されていた妖怪の知能の向上とも、何らかの関係があるかもしれない」
「……それにしても、数が減りすぎじゃない?」
「……そうだな」
六人の視線が、机に広げられた資料へ向けられる。
「……逃げている可能性は?」
それまで黙っていた一人が、静かに口を開いた。
悠太の任務を密かに監視していた、あの上級術師だった。
「……逃げている?」
「……ああ」
「……何からだ?」
「…………」
男は答えなかった。
「……何にせよ、原因が分かるまでは警戒を解くべきではない」
厳格な術師が告げた。
「各地の監視を継続する。妖怪の目撃情報だけでなく、移動の痕跡も集めろ」
「……了解」
六人の間に、再び沈黙が流れた。
妖怪の活動は、本当に収まったのか。
それとも――
何か別の異変が、起きようとしているのか。
その答えは、まだ誰にも分からなかった。
「それと、各術師への通達だ」
一同が顔を上げる。
「今後は、以前にも増して警戒を強めるように。」
「……そこまで警戒する必要があるのか?」
「ある」
厳格な術師は即答した。
「妖怪の活動が活発化したかと思えば、今度は突然の減少……」
「…………」
「明らかに何かがおかしい。」
室内が静まり返った。
「原因が判明するまでは、決して油断するな」
その言葉を最後に、集会は終了した。
* * *
妖怪の討伐依頼が激減してから、各地で調査が進められていた。
その中で、奇妙な共通点が発見された。
各地に残された妖気の痕跡。
それらは四方八方へと散らばっていたが、ある一点だけを不自然なほど避けていた。
その報告を受け、上級術師が現地へ派遣された。
しかし――
「……何もいない?」
「ああ。妖気の反応も確認できなかった」
再び開かれた集会で、調査結果が報告された。
「周辺も調べたが、特に異常は見つかっていない」
「……妙ですね」
「妖怪があれほど避けていた場所だ。何もないとは考えにくい」
「……こちらの動きを察知した可能性は?」
一人の上級術師が口を開いた。
「以前から、妖怪の知能が向上しているという報告があった」
「……上級術師が来ることまで理解していると?」
「可能性はある」
「…………」
「だとすれば、厄介だな」
厳格な術師が資料を閉じた。
「いずれにせよ、警戒をさらに強める必要がある」
「……具体的には?」
「今後の調査任務は、原則として二班を一組にして行動させる」
「各班は本家一名、分家四名の五人編成」
「合計十名か」
「ああ。二班は互いに連絡を取れる範囲で行動し、異常があれば直ちに合流する」
「……それでも対処できない場合は?」
「交戦を避け、上級術師へ報告させる」
「…………」
「今回の異変は、明らかに通常とは異なる」
厳格な術師は一同を見渡した。
「決して油断するな」
* * *
そして、悠太たちにも――
「……十人!?」
悠太は渡された任務書を見つめた。
『……以前より警戒が強まっているようですね』
『……せやなぁ』
今回の編成は、五人ずつの二班。
それぞれに本家術師が一名、分家術師が四名。
悠太も、そのうちの一班を任されることになった。
安倍家、集合場所。
悠太が到着すると、すでに数名の術師が集まっていた。
「……あっ!」
見覚えのある四人がいる。
「お前らやん!」
「……誠人様」
「また一緒やな!」
「……はい」
四人は軽く頭を下げた。
しかし、どこかぎこちない。
「…………」
悠太は少し首を傾げた。
「……ん?」
「……いえ。今回もよろしくお願いいたします」
「……おう!」
その時――
「……ふん」
背後から声がした。
悠太が振り返る。
そこにいたのは、かつて任務中に分家を置き去りにして逃げた、あの本家術師だった。
「……またお前か」
「……よろしく」
「…………」
男は不愉快そうに顔をしかめた。
その後ろには、別の分家術師が四人控えていた。
今回の任務は二班合同。
本家二名、分家八名。
計十名での調査だった。
* * *
『……なあ、欠片』
『……はい?』
『……あいつら、なんかよそよそしない?』
『……お付きの件ではありませんか?』
『……あー、まだ返事もろてへんもんな』
『……悠太』
『……ん?』
『お付きの規則について、どこまでご存じですか?』
『……規則?』
『……以前、お付きについて説明しましたが、詳しいことまではお話ししていませんでしたね』
『……なんかあるん?』
『……はい』
欠片は、お付きに課せられる規則について説明した。
生家との縁を断ち、家族との面会や連絡も許されないこと。
主人に解任されれば、術師としての資格も居場所も失うこと。
そして、上級術師への昇進さえ主人の推薦に委ねられていること。
『…………』
『……え?』
『……それが、お付きという立場です』
『…………』
『……俺、そんなこと知らんと誘ってもうたんか』
『…………』
悠太は少し離れた場所を歩く四人に目を向けた。
『……そら、簡単に決められへんわな』
『……そうですね』
悠太はしばらく黙っていた。
悠太は少し考えたあと、四人に歩み寄った。
「……なあ、ちょっとええ?」
「……はい、何でしょうか?」
「……あのさ、この前のお付きの話なんやけど」
「…………!」
四人の表情がわずかに強張った。
「……はい」
悠太は少し申し訳なさそうに笑った。
「……すまん。お付きの話、取り消すわ……」
「…………え?」
四人は思わず顔を見合わせた。
いつもならすぐに場をまとめる一人も、このときばかりは何も言わなかった。
「……誠人様?」
「……俺、お付きの規則、ちゃんと知らんかってん」
「…………」
「家族にも会われへんようになるんやろ?」
「……はい」
「……そんな大事なことも知らんと、誘ってもうてごめん」
四人は黙って悠太を見つめていた。
「……俺、お付きって、なんかチーム組んで一緒に戦う仲間みたいなもんやと思ってて……」
「……そんな大事なことも知らんと誘ってもうて、ごめん」
「……せやから、あの話は無かったことにする!」
悠太はいつものように笑った。
「……ほな、今回もよろしくな!」
「……あ、あの……!」
分家の一人が思わず声を上げた。
「……ん?」
「…………」
しかし、続く言葉が出てこなかった。
「……いえ」
「……そっか。ほな、行こか!」
悠太は先に歩き出した。
残された四人は、互いに顔を見合わせた。
「…………」
「……取り消す、か」
「……ああ」
「……仲間、だと……」
本家を嫌っていた一人が、何か言いかけて口を閉ざした。家族との縁を断つ規則を知って、先に
申し出を取り下げる本家の人間など、これまで見たことがなかった。
ほかの三人から少し距離を置いた一人も、黙ったままだった。誰かに従うのではなく、自分で決
めていい。そう告げられたことが、心に引っかかっていた。
四人はしばらく、悠太の背中を見つめていた。
お付きの話は取り消された。
もう、人生を懸けた決断を迫られることはない。
そのはずなのに――
「…………」
四人の胸には、複雑な思いが残っていた。
悠太を信頼している。
できることなら、これからも共に戦いたい。
しかし、お付きになることへの不安も消えたわけではなかった。
四人の気持ちは、まだ揺れていた。




