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【修行】第十四話 空中への一歩

そのころ。

人目につかない一室で、二人の男女が向かい合っていた。

机の上には、いくつもの資料が広げられている。

男はその一枚を手に取った。

「……何か分かったか?」

女は首を横に振った。

「いいえ。あの日、孤児院を襲った者については、まだ何も」

「……そうか」

男は資料を机に戻した。

しばらく、沈黙が続いた。

「……あの連絡が届いたとき」

女が口を開いた。

「もっと早く気づけていれば……」

「…………」

「あの子を、迎えに行くはずだったのに……」

女は俯いた。

男は何も言わなかった。

窓の外では、静かに雨が降り始めていた。

「……準備の方は?」

男が尋ねる。

「少しずつ進んでいるわ。協力してくれる人たちも増えてきた」

「……まだ足りないな」

「ええ」

女は机の上の資料へ目を落とした。

「でも、以前よりは確実に進んでいる」

「…………」

男は窓の外を見た。

「……あの日のことも、必ず突き止める」

女は小さく頷いた。

そのとき、廊下の奥からかすかな物音がした。

女が扉へ目を向ける。

男は静かに告げた。

「……もう遅い。あの子を起こさないようにな」

「……ええ」

女は扉の向こうを見つめた。

そして、もう一度だけ机に置かれた資料へ視線を落とした。

* * *

安倍家、当主の私室。

一人の上級術師が、当主の前に立っていた。

「……報告いたします」

「聞こう」

「資材置き場に現れた妖怪ですが、推定A級相当の力を有していました」

「……A級?」

「はい。腕が四本、複数の眼を持ち、高い再生能力を備えていました」

当主は目を細めた。

「それを誠人が祓ったのか」

「……はい」

「詳しく話せ」

男は静かに続けた。

「足の筋力を霊力で強化し、瞬間的な加速を行っていました。さらに、鉄パイプに霊力を流し、

妖怪の腕を切断しています」

「……ほう」

「また、拘束の符によって妖怪の全身を停止させました」

「……全身?」

「約五秒間です」

当主の指が止まった。

「……通常の拘束符でか?」

「はい」

「…………」

しばらく沈黙が流れた。

「それで、最後は?」

「五芒陣を使用し、妖怪を祓いました」

「……そうか」

当主は椅子に深く腰掛けた。

「器の状態は?」

「戦闘によってかなりの損傷を負い、討伐後に意識を失いました。現在は治療を受けています」

「…………」

当主の表情が険しくなった。

「以前にも言ったはずだ。器だけは必ず守れと」

「……承知しております」

「次はないぞ」

「……はい」

当主はしばらく考え込んだ。

「……それにしても」

男が顔を上げる。

「下級妖怪の討伐現場に、A級相当の妖怪か……」

「はい」

「……ほかの報告とも符合するな」

当主は机の上の書類へ目を向けた。

「上級の者たちを招集しろ」

「……承知しました」

男は深く頭を下げた。

そして、静かに部屋を出ていった。

「……何者だあいつは…」

当主は廻生によって入った魂に違和感を感じていた。

鍛え直し

* * *

安倍家に、これまでとは違う空気が流れ始めていた。

早朝から訓練場には術師たちが集まり、各所で霊力の光が瞬いている。

「結界、展開!」

掛け声とともに、地面に光の線が走った。

「遅い! その速度では仲間が襲われてからでは間に合わん!」

「はい!」

「もう一度!」

離れた場所では、複数の術師が符を構えていた。

「拘束後、すぐに祓いへ移れ! 相手が動けなくなったからといって油断するな!」

「はい!」

「次! 二体同時に来た場合を想定しろ!」

安倍家の上級術師たちによる指導のもと、本家、分家を問わず訓練が行われていた。

これまでは、各自の力量に応じた任務をこなせばよかった。

しかし、今は違う。

下級妖怪の討伐であっても、何が現れるか分からない。

一人ひとりの術の精度だけではなく、仲間との連携、負傷者の救出、撤退時の対応まで。

あらゆる場面を想定した訓練が始まっていた。

「ハハハ! よし、もう一回だ!」

訓練場に豪快な声が響く。

「今度は結界を維持したまま移動してみろ!」

「け、結界を張ったままですか!?」

「そうだ! 戦場で敵がじっと待ってくれると思うか?」

「……いえ!」

「なら、やってみろ!」

三人の分家術師が、それぞれの位置についた。

その中の一人が、ほかの二人の立ち位置を確かめた。多くを言わなくても、彼が合図を出せば二

人はすぐに動けた。

彼らは、あの資材置き場で悠太とともに戦った者たちだった。

一人が深く息を吸う。

「……いくぞ」

三人の足元に光が走り、防御結界が形成される。

「よし! そのまま右へ移動!」

三人が慎重に足を運ぶ。

しかし――

ピシッ。

結界の一角に亀裂が走った。

「……っ!」

「霊力の流れが乱れてる!」

「分かってる!」

直後、結界が砕け散った。

「……くそっ」

一人が悔しそうに拳を握った。

「悪くない!」

豪快な上級術師は笑った。

「だが、まだまだだな!」

「……はい」

「一人が動けば、残りの二人にも負担がかかる。互いの霊力の流れを感じろ!」

三人が顔を見合わせる。

あの資材置き場では、結界を維持するだけで精いっぱいだった。

目の前で仲間が倒れても、助けに動くことすらできなかった。

「……もう一回、お願いします」

一人が言った。

「おう!」

三人は再び位置についた。

今度は先ほどよりも慎重に、互いの動きを確かめながら。

同じ失敗を繰り返さないために。

* * *

一方、安倍家の医療棟。

「……うわぁ、めっちゃやってるやん」

悠太は窓の外を眺めていた。

遠くの訓練場から、術師たちの掛け声が聞こえてくる。

『……当主から、訓練を強化するよう指示が出たのでしょう』

『……俺もやりたいなぁ』

『まだ駄目です』

『……まだなんも言うてへんやん』

『言おうとしていたでしょう』

『……バレた?』

『当然です』

悠太は苦笑した。

腕の妖怪との戦闘から、すでに何日かが経っていた。

傷は少しずつ回復していたが、まだ身体のあちこちに痛みが残っている。

医師からも、激しい運動は止められていた。

「……でも、みんな頑張ってるんやな」

窓の外では、本家の術師たちも訓練を続けていた。

拘束術を複数同時に展開する者。

祓いの符を素早く切り替える者。

模擬戦で何度も打ち倒され、それでも立ち上がる者。

『……あの妖怪みたいなんが、また出てくるかもしれへんもんな』

『……そうですね』

『……ほな、俺ももっと強ならんとな』

『そのためにも、まずは傷を治してください』

『……はいはい』

悠太はベッドに腰を下ろした。

少し考えてから、右手を開く。

掌に、淡い光が灯った。

『……悠太?』

『身体動かすんがあかんだけやろ? 霊力の練習ぐらいええやん』

『……無理はしないでくださいよ』

『分かってるって』

悠太は光を見つめた。

いつもなら、ただ霊力を集めるだけだった。

だが、あの戦いで気づいたことがある。

力任せに霊力を流せば、大きな力を発揮できる。

その代わり、消耗も激しい。

『……なあ、欠片』

『はい』

『同じ術でも、霊力の使い方で消費する量って変わるん?』

『変わります。必要以上の霊力を流せば、その分だけ無駄になりますから』

『……ほな、ちょうどええ量だけ流せたら、もっと長く戦えるんちゃう?』

『……そのとおりです』

『よっしゃ』

悠太は掌の光を少しずつ弱めていった。

消えない程度に。

けれど、余計な力は使わずに。

『……そうです。そのまま維持してください』

『……おお、できた』

『今度は、その状態で光を安定させてみましょう』

『……なんか地味やな』

『大事なことですよ』

『分かってるって』

そう言いながらも、悠太は真剣な顔で掌を見つめ続けた。

* * *

それから、しばらくして。

医師から軽い訓練の許可が下りた悠太は、久しぶりに訓練場へと足を運んだ。

「……おお!」

以前よりも多くの術師が集まっている。

あちこちで術が展開され、空気が小さく震えていた。

「誠人様」

声をかけてきたのは、いつもの指導役だった。

「傷の具合はいかがですか?」

「だいぶマシになったで!」

「それは何よりです。ただし、今日は無理をなさらないように」

「分かってるって!」

指導役は悠太を見つめた。

「……今回の戦闘について、報告は聞いております」

「……ああ、あれな」

「脚に霊力を流し、筋力を瞬間的に強化したそうですね」

「せやねん! めっちゃ速う動けてん!」

「……なるほど」

指導役は少し考えた。

「確かに、理屈としては可能です」

「やろ?」

「ですが、急激な筋力強化は身体への負担が大きい。特に、速度を上げるだけでは危険です」

「……ん?」

「速く動けたとしても、その速度で正確に止まれなければ意味がありません」

「……あー」

悠太は、あの戦いを思い返した。

初めて脚へ霊力を流したとき。

想像以上の速度で身体が飛び出し、自分でも驚いた。

『……確かに、最初は制御できていませんでしたね』

『……せやな』

指導役は地面に二本の線を引いた。

「まずは、この線からあちらの線まで移動してください」

「……あんだけ?」

「はい。ただし、線を越えずに正確に止まってください」

「……おっけー!」

悠太は構えた。

脚へ霊力を流し込む。

筋肉が引き締まるような感覚。

そして――

ダンッ!

「おおっ!」

一瞬で身体が前へ飛び出した。

だが。

「……うわっ!?」

止まろうとした足が地面を滑る。

そのまま数歩進んで、ようやく停止した。

「……あかん、越えてもうた」

「今の速度で妖怪の攻撃が飛んできたら、避けられますか?」

「……無理やな」

「そういうことです」

指導役は頷いた。

「速さを上げるのではなく、速さを制御する練習をしましょう」

「……なるほどな」

『……まずは、脚に流す霊力を抑えてみてください』

『……弱めるん?』

『はい。今の悠太は、必要以上に筋力を強化しています』

『……ほな、ちょっとずつやな』

悠太は再び構えた。

今度は、先ほどよりも少ない霊力を脚へ流す。

地面を蹴った。

タッ!

「……おっ」

先ほどの速度は出なかった。

しかし、線の手前で身体を止めることができた。

「……できた!」

「はい。今の感覚を覚えてください」

悠太は嬉しそうに笑った。

「よっしゃ! もう一回!」

* * *

その日の夕方。

訓練場には、まだ多くの術師たちが残っていた。

悠太も、何度も同じ動きを繰り返していた。

「……っ!」

地面を蹴る。

止まる。

方向を変える。

また地面を蹴る。

最初は大きく膨らんでいた動きも、少しずつ小さくなっていった。

「……はぁ、はぁ……」

『……そろそろ休憩しましょう』

『……もうちょい』

『駄目です。まだ傷も完全には治っていません』

『……分かったって』

悠太はその場に腰を下ろした。

ふと、隣の訓練場へ目を向ける。

そこでは、三人の分家術師が結界を展開していた。

「……いくぞ!」

三人が同時に動く。

結界を維持したまま、ゆっくりと横へ移動していく。

今度は、光の壁が崩れない。

「……よし!」

「できた……!」

「まだ気を抜くな!」

三人は互いに声を掛け合いながら、最後まで結界を維持した。

「……おお!」

悠太が思わず声を上げた。

三人がこちらを振り向く。

「……誠人様?」

「すごいやん! 結界張ったまま動けるようなってる!」

「……いえ、まだ少ししか」

「いやいや、めっちゃすごいやん!」

三人は少し戸惑ったように顔を見合わせた。

そのうちの一人は、視線を落としたまま小さく頷いた。悠太が分家のことを自分と同じように喜

ぶのは、これが初めてではなかった。

そして、そのうちの一人が小さく頭を下げた。

「……ありがとうございます」

悠太は笑った。

「俺も負けてられへんな!」

三人は何も言わなかった。

けれど、以前のように冷たい視線を向ける者はいなかった。

* * *

夜。

訓練を終えた術師たちが、次々と屋敷へ戻っていく。

その日の記録には、各自の訓練成果が細かく記されていた。

結界を維持できる時間。

術の発動速度。

霊力の消費量。

複数の妖怪を相手にした場合の対応。

昨日できなかったことが、今日はできるようになる。

そして、明日はさらにその先へ。

安倍家の術師たちは、少しずつ力をつけ始めていた。

悠太もまた、その一人だった。

* * *

空中への一歩

* * *

それから数日が経った。

安倍家の訓練場では、今日も大勢の術師たちが修行に励んでいた。

「……よし!」

悠太が地面を蹴る。

ダンッ!

一瞬で数メートル先へ移動すると、地面を滑ることなく、ぴたりと足を止めた。

「おお! できた!」

「……いいですね。以前よりも無駄な霊力が減っています」

指導役が頷いた。

「次は方向転換です」

「おっけー!」

悠太は再び構える。

足に霊力を集中させ、地面を蹴った。

途中で身体をひねり、もう一度地面を蹴る。

タッ、ダンッ!

鋭く方向を変え、指定された位置で停止した。

「……よっしゃ!」

『……随分と安定してきましたね』

『せやろ? だいぶ慣れてきたわ』

『ですが、まだ力を入れすぎる癖があります』

『……そこはこれからやな』

空を駆ける術師

* * *

悠太は息を整えながら、ふと空を見上げた。

「…………」

指導役が声をかける。

「どうされました?」

「……なあ、先生」

「はい」

「地面蹴ったら、速う動けるやろ?」

「ええ」

「……ほな、空中ではどうなん?」

「……空中、ですか?」

悠太は自分の足を指さした。

「地面なくても、足から霊力を勢いよく放出したら、その反動で動けるんちゃう?」

指導役は少しだけ目を見開いた。

そして、静かに頷いた。

「……ええ。できますよ」

「……おお! やっぱり!」

「ただし、誠人様にはまだ早いです」

「……え?」

悠太が顔を上げた。

「なんで?」

「地上での加速と、空中での移動はまったく違います。地上では地面を蹴ることで身体を前へ進

められますが、空中では霊力そのものを推進力として利用しなければなりません」

「……なるほど」

「そのうえ、霊力の放出量、方向、身体の姿勢。すべてを同時に制御する必要があります」

「……めっちゃ難しいやん」

「ええ。ですが、上級術師であれば問題なく扱えます」

「……え!?」

悠太は思わず聞き返した。

「もうできる人おるん!?」

「もちろんです」

指導役は訓練場の向こう側を指さした。

「あちらをご覧ください」

そこでは、一人の上級術師が複数の術師を相手に模擬戦を行っていた。

「……っ!」

三人の術師が同時に符を放つ。

上級術師は軽く地面を蹴り、空中へ跳び上がった。

その瞬間。

シュッ!

足元から霊力が放出される。

身体が空中で鋭く横へ移動し、三枚の符が何もない空間を通り過ぎた。

「……おおっ!?」

さらに上級術師は身体の向きを変える。

足裏から霊力が噴き出した。

――ドンッ!

今度は斜め前方へ加速。

そのまま三人の背後へ回り込み、静かに地面へ着地した。

「……そこまで」

模擬戦が終了する。

「…………」

悠太は口を開けたまま、その様子を見つめていた。

「……すっげぇ……」

『……見事な制御ですね』

『……なあ欠片』

『はい』

『……あれ、めっちゃかっこええな』

『……そうですね』

指導役が説明を続ける。

「上級術師ともなれば、あの程度の空中移動は難しいことではありません」

「……余裕なんや」

「ええ。戦闘中に何度も使用する者もいます」

悠太はもう一度、空を見上げた。

そして、ニヤリと笑った。

「……俺もやりたい!」

「……ですから、まだ早いと」

「ちょっとだけ!」

「駄目です」

「……けち!」

「誠人様」

指導役は小さくため息をついた。

「まずは、霊力を体外へ正確に放出することから覚えましょう」

「……おっ?」

が先です」

「今は勢いよく飛ばす必要はありません。必要な量を、狙った方向へ放出できるようになること

「……なるほどな!」

悠太は笑った。

「ほな、それからやな!」

『……珍しく素直ですね』

『……珍しくは余計やろ!』

* * *

そのころ。

安倍家の門から、数組の術師たちが出発していた。

「北側の山林に妖怪の反応を確認!」

「討伐班を向かわせろ!」

「南の集落からも報告が入っています!」

「そちらには本家の術師を二名。必要であれば上級へ応援を要請しろ!」

屋敷の中は慌ただしかった。

上級術師たちの会議以降、各地への警戒が強化されていた。

下級妖怪の討伐であっても、以前のように少人数だけで向かわせることは少なくなっていた。

討伐任務。

周辺の調査。

警戒区域の巡回。

そして、屋敷に残った術師たちの訓練。

安倍家の術師たちは、それぞれの役割をこなしていた。

* * *

翌日。

「……こんな感じか?」

悠太は足を前へ伸ばし、足裏に霊力を集中させていた。

淡い光が足元に集まる。

「では、少しずつ外へ放出してください」

「……おう」

シュウッ……。

足裏から、細い光が漏れ出した。

しかし、すぐに途切れる。

「……あれ?」

「今は放出量が安定していませんね」

「……むずっ」

『……体内に流す霊力と、外へ放出する霊力では感覚が違いますからね』

『……ほんまやな』

悠太は再び集中した。

「……よし」

今度は少しずつ。

勢いよく出すのではなく、同じ量を流し続ける。

シュウウ……。

「……おっ!」

先ほどよりも長く、霊力が放出された。

「……いいですね。その感覚です」

「よっしゃ!」

そのとき。

訓練場の外から、一人の術師が駆け込んできた。

「失礼します!」

指導役が振り向く。

「どうしました?」

「西の用水路付近で妖怪が確認されました。討伐班への同行をお願いします」

「……分かりました」

指導役は悠太へ目を向けた。

「誠人様。訓練はいったん中断です」

「……任務?」

「ええ。傷もかなり回復しましたし、今回は私も同行します」

「……おお!」

悠太は立ち上がった。

「よっしゃ! 行こ!」

『……悠太』

『ん?』

『……訓練の続きがしたかったんじゃないんですか?』

『それは帰ってきてからや!』

『……まったく』

欠片の声に、わずかな笑いが混じっていた。

* * *

西の用水路。

悠太たちは、報告のあった場所へ到着していた。

同行しているのは指導役と、二人の分家術師。

「……気配は?」

指導役が尋ねる。

「この先です。水路の奥に一体」

「分かりました」

悠太は周囲を見渡した。

雑草の生い茂る水路の先。

暗い排水口の近くに、小さな妖怪がうずくまっていた。

「……おった」

『……下級妖怪ですね』

『……せやな』

指導役が声を落とす。

「誠人様。今回は周囲の警戒も忘れないでください」

「……おう」

「あの妖怪だけとは限りません」

悠太は頷いた。

あの資材置き場で起きたことを思い出していた。

下級妖怪だと思っていた場所から、突然現れた四本腕の妖怪。

もう、同じ油断はしたくなかった。

「……いくで」

悠太は符を構えた。

妖怪がこちらに気づき、甲高い声を上げる。

「ギィィッ!」

妖怪が飛びかかってきた。

悠太は足に霊力を流す。

――ダンッ!

瞬間的に横へ移動し、その攻撃をかわした。

「……ほい!」

拘束の符を放つ。

光の帯が妖怪の身体を縛りつけた。

「ギッ!?」

『……霊力を流しすぎないように』

『……分かってる!』

悠太は拘束を維持したまま、次の符を取り出した。

「……祓うで!」

祓いの符が光を放つ。

妖怪は短い悲鳴を上げ、その姿を消した。

「……よし!」

しかし、悠太はすぐには構えを解かなかった。

周囲を見渡す。

水路の奥。

排水口の中。

雑草の陰。

「……はぁ」

ほかに妖怪の気配がないことを確認してから、ようやく息を吐いた。

指導役が頷く。

「……いい判断でした」

「……へへっ」

「以前なら、祓った時点で安心していたかもしれませんね」

「……まあ、あんなことあったしな」

悠太は水路の奥を見つめた。

「……また急に出てきたら嫌やし」

「ええ。その警戒は忘れないでください」

* * *

それからも、修行と任務の日々は続いた。

朝は訓練場で霊力の制御。

昼には討伐任務へ同行し、夕方には再び修行へ戻る。

任務が入れば、予定していた訓練を中断することもあった。

ある日は、山道に現れた妖怪の討伐。

別の日には、廃屋に潜んだ妖怪の調査。

また別の日には、周辺の巡回だけで終わることもあった。

そして、悠太だけではない。

ほかの術師たちも、任務と修行を繰り返していた。

三人の分家術師は、防御結界を維持したまま移動する訓練を続けていた。

以前は少し動くだけで崩れていた結界も、今では短い距離なら維持できるようになっている。

「……右へ!」

「分かった!」

「霊力を合わせろ!」

三人が声を掛け合い、結界を移動させる。

「……よし!」

少しずつではあるが、その動きは確実に安定していた。

一方、上級術師たちも各地へ向かっていた。

妖怪が逃走したという報告。

下級妖怪のはずが、討伐班では対処できなかった現場。

不自然に妖怪の気配が消えた地域。

そうした場所には、上級術師が直接調査に赴くこともあった。

だが、妖怪たちの異変については、依然として詳しいことが分かっていなかった。

* * *

ある日の午後。

悠太は再び、訓練場に立っていた。

「……よし!」

足裏に霊力を集中させる。

以前のように、一度に大量の霊力を放出することはしない。

必要な量だけを、狙った方向へ。

シュウッ!

足裏から、一定の強さで霊力が放出された。

「……できた!」

指導役が頷く。

「以前よりも安定していますね」

「せやろ!」

「では、今日は少しだけ次へ進みましょう」

「……おっ!?」

悠太の目が輝いた。

「空中!?」

「……ほんの少しだけです」

「よっしゃ!」

「まだ空中移動の修行ではありません。跳躍した際に、霊力の放出によって身体の軌道をわずか

に変える練習です」

「……なるほど!」

「くれぐれも、勢いよく放出しないように」

「分かってるって!」

『……本当に分かっていますか?』

『……分かってるってば!』

悠太は低く跳び上がった。

足裏に霊力を集中させる。

身体が空中へ浮かぶ。

『……焦らずに』

『……おう』

悠太は、足裏から少量の霊力を放出した。

――シュッ。

「……っ!」

身体がほんの少しだけ前へ動いた。

そのまま地面へ着地する。

トンッ。

「…………」

悠太は自分の足元を見た。

「……今、動いた?」

指導役が頷いた。

「ええ。ほんのわずかですが」

「……おおお!!」

悠太は嬉しそうに笑った。

「できたぁ!!」

『……まだ、わずかに軌道を変えただけですよ』

『それでも空中で動いたやん!』

『……確かに、そうですね』

指導役は、興奮する悠太へ静かに告げた。

「ですが、これで空中を自由に移動できるわけではありません」

「……分かってる!」

「上級術師たちのように扱えるまでには、まだまだ修行が必要です」

「……おう!」

悠太は空を見上げた。

先日見た、あの上級術師の動き。

空中で自由に方向を変え、当たり前のように敵の背後へ回り込んでいた姿。

今の自分には、到底真似できない。

それでも。

「……いつか、あれぐらい動けるようになりたいな」

『……なれますよ』

悠太は少し驚いた。

『……おっ? 珍しく褒めてくれるやん』

『努力を続ければ、という話です』

『……なんやそれ!』

『事実でしょう?』

「……ははっ!」

悠太は笑った。

そして、もう一度構えた。

「……ほな、もう一回や!」

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