【安倍家】第十二話 四十九日
翌日。
悠太は屋敷の訓練場に立っていた。
「……でっか」
広い地面。
その向こうには、訓練用の標的が並んでいる。
すでに一人の術師が待っていた。
「今日から、私が陰陽術の指導を担当します」
「おう、よろしく」
男は一度頷くと、すぐに話し始めた。
「まずは霊力を扱うための仕組みを覚えてください」
「……仕組み?」
「人の身体には血液の通り道である血管があります。それと同じように、霊力にも通り道があ
る。それを霊管と呼びます」
「……霊管」
「霊管は術師に限らず、まれに一般の人間にも備わっています。世間で霊感があると言われるよ
うな人間です」
「へぇ……」
「術を使うには、まず自分の霊管を流れる霊力を感じることです」
男は片手を前に差し出した。
手のひらに、淡い光が集まる。
「……おお」
「触れてみてください」
「え、触ってええの?」
「触れることで感じれるかも知れません」
悠太はそっと指を伸ばし、その光に触れた。
――ドクンッ。
胸の奥で、心臓が強く脈打った。
一瞬、孤児院で感じた結界の感覚がよみがえる。
だが、シスターの結界にあった温かさは、目の前の霊力にはなかった。
「…………」
『……どうかしましたか?』
『いや、ちょっと……』
「……では、始めましょう」
悠太は顔を上げた。
「おう」
「目を閉じて、身体の内側へ意識を向けてください。無理に放出する必要はありません」
悠太は目を閉じた。
しばらくして、指先にかすかな違和感を覚える。
「……今、なんか動いた気ぃする」
「追いかけようとしないでください。まずは流れを感じるだけでいい」
「……分かった」
何度も集中してみたが、感覚はすぐに消えた。
まだ、自由に動かせるほどではない。
「あんまりわからんな」
「わかるように今しています」
「……愛想ないなぁ」
「……何か?」
「いや、なんもない」
『ふっ』
その日は、霊力の流れをかすかに感じ取るだけで終わった。
「今日はここまでです。身体を休めてください」
「……おう。明日もよろしく」
指導役は頷き、訓練場を後にした。
悠太はしばらく標的を見つめていた。
手の中に残っていた感覚を、もう一度確かめようとする。
「……難しいな」
『ですが、最初の一歩ですよ』
「……せやな」
そのとき、欠片が言った。
『……そうだ。話しておかなければならないことがあります』
「……ん?」
『僕の魂についてです』
悠太は顔を上げた。
『僕がこの身体に留まれるのは、廻生から四十九日間だけなんです』
「…………」
「……四十九日?」
『はい』
「……今日から?」
『いいえ。あなたが眠っていた九日間も含まれます』
悠太は指を折り始めた。
「……ほな、あと……」
『残り四十日ほどです』
「…………」
悠太は手を止めた。
「……それ過ぎたら?」
『……僕は消えます』
風が吹いた。
訓練場の砂が、わずかに舞い上がる。
悠太は黙っていた。
「……なんで?」
『それが、この魂の限界なんです』
「…………」
『ですから、それまでに、僕が知っていることも伝えたいんです』
悠太は俯いた。
『悠太さん?』
「…………」
しばらくして、顔を上げる。
「……ほな、急がなあかんな」
『……はい』
悠太は拳を握った。
「……ほな、明日もやるで」
『……はい。ですが、今夜は休んでください』
「……分かった」
悠太は訓練場の標的へ目を向けた。
「明日も頼むで、欠片」
『…………』
少しの沈黙のあと。
『……もちろんです』
翌日もまた、指導役との訓練が待っていた。
初めての任務
それから、日々が過ぎていった。
悠太は毎日、指導役のもとで訓練を続けた。
二日目。
右の前腕に、霊力が流れる感覚を時折捉えられるようになった。
三日目には、右腕へ繰り返し流せるようになった。
だが、左腕はまだ思うように動かない。
四日目。
ようやく左腕にも、かすかな流れが生まれた。
それからも失敗を繰り返しながら、少しずつ霊力を自分の意思で動かせるようになっていった。
ある日、悠太は手のひらに小さな光をとどめることに成功した。
「……おお、できた!」
「そのまま、流れを保ってください」
「おう!」
霊力を動かし、集め、とどめる。
その感覚を覚えてからは、符へ霊力を移すことも難しくなかった。
やがて一枚の符が、悠太の手のひらからふわりと浮き上がった。
「……浮いた!」
「次は、位置を変えてみましょう」
悠太は頷き、符をゆっくりと前へ動かした。
まだ不安定ではあったが、確かな進歩だった。
さらに防御、拘束、祓いに使う基礎的な符の扱いを学んでいった。
「祓いについて基本下級の妖怪は祓いの符で容易にはらえます。
しかし、妖怪のレベルが上がると祓いの符では、効果がありません。
これは、初級の術者が使う道具といったところですね。」
「ほな他はどうやって祓うん?」
「五芒陣といいます。しかしこちらは今のレベルではまだ必要ないかと」
「ええからそれも教えて」
「承知しました…」
実戦で使えるかどうかは、わからない
それでもやれることはやっておきたかった。
* * *
ある日、悠太に初めての討伐任務が与えられた。
同行するのは、修行を担当してきた指導役の術師だった。
「今日の相手は下級妖怪です。ですが、訓練とは違います。無理だと判断したら、すぐに下がっ
てください」
「……おう」
悠太は渡された符を確かめた。
行き先は、人が寄りつかなくなった山中の神社。
石段には枯れ葉が積もり、鳥居の先には薄暗い境内が続いていた。
『……悠太』
『ん?』
『緊張していますか?』
『……ちょっとな』
悠太は笑おうとしたが、口元がうまく動かなかった。
初めて妖怪を見たのは、孤児院の廊下だった。
握りしめていたバット。目の前の異形。自分の言葉が終わるより早く、途切れた意識。
その光景を思い出しかけたとき、境内の奥で何かが動いた。
「……来ます」
指導役が前を向く。
草木の陰から、小柄な妖怪が這い出してきた。
「…………っ」
悠太の足が止まった。
眼前の妖怪は、あの日のものとは違う。
分かっているのに、身体が動かない。
『……悠太』
妖怪が地面を蹴った。
「危ない!」
指導役の術が悠太の前に走り、迫っていた妖怪を弾き返した。
「下がってください!」
「……っ!」
悠太はよろめきながら距離を取る。
妖怪は地面に爪を立て、再びこちらを向いた。
(……怖い)
手が震える。
(……けど)
悠太は握っていた符を見た。
『焦らなくていいです。まずは相手の動きを見てください』
『……おう』
息を吸う。
妖怪が駆け出した。
今度は、身体が先に動いた。
「――っ!」
悠太は拘束の符を放った。
妖怪の足元に光が走る。
その動きが、わずかに止まった。
『今です』
「おうっ!」
祓いの符へ霊力を流し込む。
教わったとおり、強く押し出しすぎないように。
符が妖怪の身体へ届いた。
白い光が弾ける。
「ギィッ……!」
妖怪の輪郭が揺らぎ、黒い煙となって消えていった。
静けさが戻る。
「…………」
悠太はしばらく、その場所を見つめていた。
「……祓えた?」
『はい』
指導役も妖怪の気配が消えたことを確かめ、頷いた。
「討伐完了です」
「……おお」
悠太の顔が明るくなる。
「っしゃあ!!」
思わず声が出た。
しかし、少しして、自分の手がまだ震えていることに気づく。
悠太はその手を握りしめた。
「……次は、もっと」
「最初からできる者はいません。今日のことを忘れずにいてください」
「……おう」
帰り道、悠太は車の窓から外を眺めた。
『……悠太、よくやりましたね』
『……せやけど、最初、身体動かへんかった』
『それでも、最後は祓えていました』
『……うん』
流れていく町並みを見ながら、悠太は呟いた。
「……もっと強ならな」
孤児院に何があったのか。
シスターや子どもたちが、どうなったのか。
まだ何一つ確かめられていない。
* * *
その日の報告は、安倍家当主のもとへ届けられた。
「……下級妖怪一体を、祓いました」
「実力は?」
「まだ未熟です。ただ、基礎的な術の行使と、実戦での判断は確認できました」
当主は報告書から目を上げなかった。
「……引き続き、使えるかどうか見ておけ」
「承知しました」
指導役が下がると、室内は再び静かになった。




