第17話 大坂へ売り込め
帰ってきた船から、油の壺が下りてきた。
次に薬箱。反物。それから、口をしっかり縛った小さな袋。
「こちらは、若御前様へ」
弥九郎が最後の袋を差し出した。
天正十一年九月初め。
堺へ出した船が、最初の往復を終えた。
「父から、しゃぼんの礼にございます。菓子にでもお使いくだされと」
袋の中には、茶色がかった砂糖が入っていた。
俺が鼻を寄せると、弥九郎は袋の口を閉じた。
「若御前様へ、と申し上げました」
「分かっている。俺が食ってはいけないとは言ってないだろう」
弥九郎は笑って、袋を俺の後ろへ渡した。
いつの間にか祥が来ていた。
「では、何を作らせましょうか」
「甘い物を」
「それは、そうでしょうね」
しゃぼんが売れたことより、今の方が物欲しそうな顔をしていたかもしれない。
米と味噌には慣れた。魚もうまい。ただ、時々どうしようもなく甘い物が欲しくなるのだ。
祥は袋を女房へ預け、船へ目を向けた。
人足が荷を下ろし、空いた場所へ船頭が水主を入れている。小西屋からは、しゃぼんの品代とは別に、約束した運び賃も届いた。ほかの商人の分と合わせれば、今回の往復に使った銭を払っても残る。
材木の代金も戻った。こちらも仕入れと製材に払った分を引いて、残りを確かめる。三月分の借り賃を取り戻すにはまだ何度も運ばなければならないが、桶屋からは次に積む木の注文まで届いていた。
「堺の桶屋からは、同じ材を続けて欲しいと頼まれました。それとは別に、大坂へ木を出せぬかと尋ねてきた者がおります」
弥九郎が、懐から折った紙を出した。
「普請に使う足場や小屋の材です。堺で買ってから大坂へ運ぶより、兵庫から直接入れた方が早い、と」
大坂。
ちょうど叔父上から、そこへ来いと文が届いていた。
秋の米について話を聞く。兄者にも兵庫の様子を知らせよ。
そう書いてあった。
「弥九郎。その者へ会う手筈を頼む。俺も大坂へ行く」
「売れる木を先に見せますか」
「見せよう。ただし、今の注文を後へ回すな。新しく受ける分は、三田で出せる量を確かめてからだ」
まだ見ぬ大坂城を思い浮かべた。
あそこへ、これからどれだけの物が集まるのだろう。
その一部を、俺の兵庫から出したい。
◇
数日後、俺は大坂の普請場にいた。
大坂城、と言われて頭に浮かぶ姿は、どこにもない。
石を曳く綱が地面を這い、掘り返した土が山になっている。裸の肩へ汗を浮かべた男たちが、掛け声に合わせて綱へ体重をかけていた。
少し離れた場所では、木を削る音が重なる。刃が走るたび、薄い木屑が足元へ落ちた。鍋を抱えた女が人足の間を抜け、飯を知らせる声に何人かが顔を上げる。
見渡せば、その向こうにも人がいた。
兵庫で釜を二つ並べて喜んでいた間に、秀吉はこれを始めていたのか。
面白い。
圧倒されるより先に、そう思ってしまった。
この人数が、今日も明日も飯を食う。木を使い、縄を切り、道具を傷める。城が大きくなる間、欲しがる物は次から次へと出てくるはずだ。
弥九郎は早々に、木の引取人を探しに行った。
俺は常陸を連れ、叔父上のいる建物へ向かった。案内の者も急いでいる。こちらが足を止めるたび、少し先で振り返った。
秀吉は、俺たちより先に来ていた。
広げた図へ身を乗り出し、指で何かをなぞっている。脇に座る叔父上は、俺を見ると顎で座を示した。
「来たか、孫七郎。どうじゃ」
「大きな商いになりそうにございます」
秀吉の指が止まった。
「城を見てこいと言ったのだが」
「見てまいりました。そのうえで申し上げております」
叔父上が、口元を手で隠した。
秀吉は俺をしばらく見てから、図をこちらへ押した。
「では、これを見よ。今あるところだけで終わると思うな」
俺は膝を進めた。
堀。石垣。建物の並ぶ場所。目の前の土山が、図のどこへ当たるのかを秀吉が指し示す。
兵庫の道を一か所直すのに、俺たちは銭を数えた。その何倍もの仕事を、この人は一度に始めている。
「ここへ来た者が、羽柴は小さい家だと思うようではならぬ。西から船で来る者にも、京から下って来る者にも、よう見せてやる」
秀吉は楽しそうだった。
先に大きな物を見せ、そこへ人を引き寄せる。来た者に商いをさせ、役目を与え、また別の者を連れてこさせる。
城は守るために建てるものだと思っていたが、それだけではない。この図を見せられている俺自身が、もう仕事を取りたくなっている。
「殿。兵庫と三田から、普請の材を入れさせてください」
「お前も材を出すか。結構じゃ」
「売りに参りました」
秀吉が顔を上げた。
聞こえなかったはずはないが、俺はもう一度言った。
「兵庫の商人と三田で木を扱う者を使います。私が御奉公で出す物とは、分けていただきたい」
「甥まで、わしへ物を売りに来るとはな」
「殿がこれだけ買ってくださるのです。よその者にばかり儲けさせるのは惜しゅうございます」
秀吉が声を立てて笑った。
叔父上は笑わず、俺の後ろに控える常陸へ目を向けた。
「どこまで揃えられる」
「大きな柱を今から何百本も、と申されれば無理にございます。まずは普請小屋と足場に使う材から。三田で売りに出せる物を調べさせております」
「船は一艘と聞いたが」
「堺への荷で使っています。そちらは止めません。大坂へ入れる分は、荷ごとに別の船を押さえます」
今の俺に、大坂築城のすべてを引き受ける力などない。
だが、港には商人がいる。船頭がいる。山には木を売る者がいる。その間へ入って、どこへ何を運べば銭になるかを決めることなら、やれる。
何より、買い手が目の前にいる。
「ただ運ぶだけでなく、必要な長さと形にして出したいのです。こちらの大工へ見本を選ばせてください。兵庫で切って揃え、まとまった数で入れます」
秀吉は図へ目を戻した。
「使えぬ木を積んできても買わぬぞ」
「先に見せます。買うと決まった分を作るので、山で切った物を何でも持ち込むつもりはありません」
「値は」
「運び入れて使えるところまでの値で、他の商人と比べてください。私の方が高ければ、買わずとも結構です」
言い切ると、秀吉がもう一度俺を見た。
「ずいぶん大きく出るな」
「勝てるところだけ、お引き受けしますので」
俺の隣で、常陸が小さく頷いた。
全部を安くする必要はない。兵庫へ集めやすく、同じように何度も使う材を選べばいい。天守の柱を任せろと大言を吐くより、その方が長く儲かる。
秀吉は近習を呼び、材を扱う役の者へ取り次ぐよう命じた。
「孫七郎の持ってくる物を見てやれ。ただし、わしの甥だから高く買うな。こやつが困ると、どうせ小一郎のところへ来る」
「先に、逃げ道を塞がないでください」
「勝てるところを選ぶのであろう」
言ったばかりだった。
秀吉は満足したように腰を上げ、図を持たせて外へ出た。まだ見せたい場所があるらしく、近習へ何か話しながら歩いていく。
俺も立とうとすると、叔父上に袖を押さえられた。
「お前は、もう少し座っておれ」
◇
人払いをしたわけではなかった。
叔父上は文を二つ脇へ寄せ、運ばれてきた膳を引き寄せる。常陸にも飯を、と近習へ命じた。
「船を借り、商人を使い、今度は木を売るか。兵庫へ置いておくと、お前は勝手に仕事を増やすな」
「気に入っております。兵庫も三田も」
「それはよかった」
叔父上は汁を飲んだ。
温かいうちに箸を取ってくれたことに、少し安心する。
「それで、秋の米の相談とは」
俺も膳へ手を伸ばしながら答えた。
「新米が出るうちに、いつもより多く買っておいていただきたいのです。大坂へこれだけ人が集まれば、どのみち米は要ります。すぐに食う分とは別に、残せる分を」
「兵庫へ積むか」
「一か所へは集めません。まず、買える量と置ける蔵をお持ちします。商人には、小口の取引を続けさせていますので」
叔父上は箸を止めなかった。
「先の文には、尾張の値まであったな」
「はい」
「分かった。数字を揃えて持ってこい。羽柴の米を動かす分は、わしから兄者へ通す」
それ以上は尋ねなかった。
代わりに、俺の膳を顎で示す。
「冷めるぞ」
いつも俺が言うことを、先に言われた。
飯を口へ運ぶと、叔父上はまた文を一通手に取った。
「叔父上」
「これを読んだら、もう一口食う」
「では、私が読みます」
差し出された文を受け取った。
内容は、どこへ何人の大工を回すかという話だった。返事を急ぐ理由も分かる。食事をしている間だけ、天下が待ってくれるわけではない。
俺が読み、叔父上が飯を食いながら返す言葉を決めた。
常陸は自分の膳を空にしてから、その返事を書いた。
◇
材の買入れを扱う役人のところへ、弥九郎が見本の木を持ってきた。一緒に呼ばれた大工は、俺の顔よりも、その切り口をよく見た。
節の位置を確かめ、持ち上げ、弥九郎へ寸法を伝える。大きな柱の話には一度もならなかった。
板。小屋の柱。足場に渡す木。
それぞれ数を出し、最初に入れる分を決めた。
「こちらで一本ずつ切り直すのでは、揃えて持ってくる値がありませぬ。この見本で作ってくだされ」
大工は端材へ印をつけ、弥九郎へ渡した。
「全部を一度に入れなくともよい。使う順に届けば、その方が助かる」
俺たちにも都合のよい話だった。
最初の受取が済めば、その分を払ってもらう。材を一山すべて買い込むより、先に届いた荷の銭で次を用意できる。
値が決まると、俺は兵庫へ使者を出した。
山から木を出すだけではない。兵庫で挽く者を増やし、切った物を揃えて積む場所も要る。越中が工房用に見つけた建物のうち、火を使うには向かないが庭の広い一軒を、材の置場に借りることにした。
弥九郎は川尻へ通い、荷を引き継ぐ相手と、下ろした木を置く場所を決めていった。海を来た船から先は、土地の船方と荷を扱う者へ任せる。そこまで小西の名だけで通そうとはしなかった。
常陸は一度兵庫へ戻り、俺が引き受けた数を、実際に出せる数へ直してくれた。
一部の板は後へ回した。その代わり、先に揃う小屋材を増やす。
買い手へ伝えると、それでよいと返ってきた。
仕事はもう動いていた。
兵庫で木を挽く者が増えたと聞き、俺は大坂にいながら、その音を聞きたくなった。
引渡しまでの話を弥九郎へ任せ、いったん兵庫へ戻った。材の置場へ寄ると、庭には木屑が積もり、見本を手にした越中が大工と話していた。油の鍋の前へ戻らなければならないと言いながら、その場を離れようとしない。
俺も袖をまくり、通り道へはみ出した板を端から一緒に運んだ。
◇
九月下旬、最初の材が普請場へ入った。
俺は引渡しの日に合わせ、もう一度大坂へ来ていた。
大工が、運び込んだ材へ近づいてきた。
見本と比べ、二本を並べて見てから、人足へ声をかける。小屋を建てている方へ持っていけという。
材の束が解かれた。受け取った男たちは一本ずつ担ぎ、土の上へ並べていく。もう別の大工が墨を打ち始めていた。
兵庫の庭で俺も抱えた板が、ここで使われる。刻まれる場所に合わせて、俺は弥九郎と立ち位置を変えた。少し目を離しただけで、さっきまで空いていた場所まで仕事場になっていた。
合わない物を押しつけることもなく、最初の荷は受け取られた。材の代金が戻れば、兵庫で待つ次の分へ回せる。
その日のうちに伝えるよう、先に使者を出す。
俺も帰り支度をしようと歩き出したところで、普請場から声が飛んだ。
「そっちの長いのではない! 三好から来た束を持ってこい!」
足が止まった。
木を担いでいた男が方向を変え、俺たちの荷の方へ戻ってくる。
弥九郎が何か言いかけたが、俺は手で制した。
別に、褒められたわけではない。
ただ、三好から来た物だと分けられ、欲しいところへ持っていかれた。それだけだ。
それだけなのに、すぐ帰るのが惜しくなった。
俺は少し歩みを緩め、もう一度呼ばれないかと耳を澄ました。




