第14話 倅を預けに来た商人
# 第14話 倅を預けに来た商人
「坂本屋が、三十貫出したそうですな」
小西隆佐は、挨拶より先にそう言った。
天正十一年六月下旬。
兵庫城の広間には、婚礼の祝いとして運ばれてきた薬箱が一つ、油の壺が二つ、それから小西弥九郎が並んでいた。
「弥九郎殿。ずいぶん早く話しましたね」
「作り方は話しておりませぬ」
「三十貫のところだけか」
「もちろんです。商人は信頼が一番の財産ですので」
父親の隆佐が満足そうにうなずいた。
祝いの品より、坂本屋の出した銭の方が気になるらしい。
堺の薬種商、小西隆佐。
弥九郎の父親で、羽柴との商いもすでに深い。
「婚礼のお祝いも、ありがたく頂きます」
「池田様の御息女を迎えられたと聞き、薬を選んでまいりました」
「なぜ薬なのです」
「祝言の後は、何かと疲れますれば」
隣にいた祥が、笑わずに薬箱を受け取った。
「お気遣い、痛み入ります」
「若御前様には、こちらを。若殿には、こちらを朝晩」
隆佐が分けた二つの包みを見て、祥が俺の分だけ懐へ入れた。
「私の分は」
「必要になれば頂きます」
「俺だけ、もう必要なのですか」
「昨夜も、仕事部屋の灯が遅くまでついておりました」
隆佐が、何も聞かなかったふりをした。
商人は、こういう時だけ耳が遠い。
「それで、どちらにございます」
「何がです」
「坂本屋が三十貫出した品です」
「祝いの話は、もう終わりですか」
「品を見たあとで、いくらでも」
本当に早かった。
兵庫城の一室へ、例の三つを並べた。
油汚れなら落とせる、柔らかい石鹸もどき。
宗兵衛が火の加減を変えて作った、前よりは喉を焼かない強い酒。
何も生えていない原木。
隆佐は最初に原木を見た。
「木ですな」
「新右衛門と同じことを言うのですね」
「商人なら、誰でも申します」
「椎茸が出れば?」
「その時に、また呼んでくだされ」
原木は、それで値踏みから外された。
隆佐は石鹸もどきを指へ取ろうとした。
「木べらを使ってください」
「肌に悪いので?」
「越中の指が赤くなりました」
「それを先に言ってくだされ」
油を塗った皿を洗わせると、隆佐は落ちた汚れより、残った石鹸の量を見た。
「この一杯を作るのに、油はいかほど」
「越中」
「古い油が二升、灰が――」
高野越中が帳面を開いた。
油、灰、薪、鍋を借りた銭、失敗させた布の代。四度目までに使った物を、余さず読み上げる。
隆佐は途中で一度も止めなかった。
「油が高い」
「古い物でもですか」
「古くとも油は油にございます。ですが、灯明へ戻せぬ物や、魚を扱った後の油まで使えるなら話は変わる」
「集められますか」
「堺だけでも、捨てている店はございましょう。ただし、ひどく臭いますぞ」
「今でも臭います」
「ならば同じですな」
同じではないと思う。
「灰は、堺から運びますか」
「その必要はございませぬ。兵庫の風呂屋、鍛冶、飯屋へ声をかければ集まりましょう。安い物を船で運んでは、荷代の方が高くつきます」
「では、油は堺から。灰は兵庫で」
「三田から薪も入る。材料を一つの町だけで揃える必要はございませぬ」
油は堺、灰は兵庫、薪は三田。それぞれ安く手に入る場所から集められるなら、一度は試す価値がある。
隆佐は強い酒を舐めた。
「これはまずいですな」
「新右衛門は売れると言いました」
「売れます」
「どこへ売ります」
「酒好きの武家。珍しい物を集める商人。薬として欲しがる者もいるやもしれませぬ」
「薬に?」
「薬草を漬ける。傷を洗う。使えるかは、医師に確かめねばなりませぬが」
なるほど、アルコール消毒か。この時代に、感覚だけでその可能性へ近づけるのか。
隆佐が持ってきた薬箱を見た。
薬種商を呼んだ価値が、もう一つ増えた。
「医師を紹介してください」
「手間賃は」
「弥九郎殿と同じことを言うのですね」
「倅を躾けたのはこの私にございます」
「父上が私に似たのかもしれませぬよ」
弥九郎が真顔で返した。
隆佐も真顔で息子を見た。
「その口を、店で使ってくれればよかったのだが」
「店で使うと、父上が怒りますので」
親子仲は、悪くないらしい。
少なくとも、遠慮はなかった。
「品は見ました」
隆佐が言った。
「次は、町を見せていただきたい」
「町を?」
「倅は、兵庫へ来た船の帰り荷を作ると申しました。品だけ見ても、その話は分かりませぬ」
俺たちは城を出て、港へ下りた。
三十貫のうち、道へ回した銭は多くない。
港から城までの道すべてを直すには、とても足りなかった。
だから、雨が降るたび車輪が沈む場所を一つだけ選び、土を掘り、石を入れ、上へ砂利を敷かせた。
その短い場所を、荷車が一台通っていく。
少し前までは人足二人がかりで押していた車だった。
「ずいぶん短い道ですな」
「今はこれが精一杯で」
「次はどこを」
「港に近い方からです。荷車が止まる場所を一つずつ」
「城へ近い方からではなく?」
「城へ運ぶ荷より、港から町へ運ぶ荷の方が多い」
隆佐が返事をしなかった。
弥九郎だけが、少し笑った。
岸には、備前から来た船が着いていた。
塩の俵と壺を下ろし、人足が空になった場所を掃いている。
「あの船は、何を積んで帰る」
俺が聞くと、弥九郎が船印を見た。
「今のままなら、空に近いまま牛窓へ戻ります」
「それが惜しい」
「船頭も同じことを思っております。ただ、帰る日に合う荷がございませぬ」
「米でも材木でも積めばよいのでは」
隆佐が試すように言った。
「備前へ運んで、値が出る物でなければ、積むほど損にございます」
「では、何なら値が出る」
「京や堺から来た品。兵庫で作る品。それから、西へ運ぶ途中で下ろせる物」
「それを誰が揃える」
「まだ、おりませぬ」
弥九郎が俺を見た。
「だから、作りたいのです」
船が空になる日を先に知る。
その日までに、帰る先で売れる荷を集める。
兵庫に荷がなければ、京や堺から運ぶ。兵庫で作れるなら、ここで作る。
帰り荷が毎回見つかる港になれば、次も兵庫へ寄る。
寄る船が増えれば、入ってくる品も増える。
そして、市場が発達する。
「西から来た船へ、西へ帰る荷を用意する」
隆佐が、海を見ながら言った。
「はい」
「東へ行く船には」
「京、堺、尼崎で売る物を積ませます」
「その船が、帰りにまた兵庫へ寄る理由は」
「西へ運ぶ荷を、ここへ集めておきます」
隆佐の質問に、弥九郎が一つずつ答える。
父が息子を試しているというより、商人同士が商いの穴を探していた。
「船だけでは足りませぬな」
「蔵が要ります」
「荷を集める者も」
「はい」
「荷が傷んだ時、誰が損を負う」
「それは、まだ」
「一番大事なところではないか」
「ですから父上に聞いております」
「倅に教える話まで、手間賃へ入れてよろしいので?」
「親でしょう」
「商人でもございます」
弥九郎が、心底嫌そうな顔をした。
隆佐は満足そうだった。
城へ戻るころには、昼を過ぎていた。
祥が用意させた膳を前にしても、隆佐は箸より先に算木を取った。
「坂本屋は、京と近江で三年」
「相違ございません」
廊下から声がした。
坂本屋新右衛門が、証文を入れた箱を抱えて入ってくる。
「なぜいる」
「小西屋殿が兵庫へお越しと聞きまして」
「今朝着いたばかりだぞ」
「港で荷を下ろせば、昼までには皆が知りまする」
新右衛門の情報が早いのか、兵庫が狭いのか。
おそらく両方だ。
祥は驚きもせず、女房へ膳をもう一つ用意するよう言った。
「若御前様。飯代はこの坂本屋で持ちますゆえ」
「では、少し良い魚を足させます」
「そこまでとは申しておりませぬ」
「もう頼みました」
新右衛門が、俺を見る。
「私へ助けを求めても無駄です」
「良き夫婦でございますなあ」
諦めた新右衛門が、隆佐の向かいへ座った。
「坂本屋殿。ずいぶん早いお着きで」
「小西屋殿こそ。堺から祝いを届けるだけにしては、ずいぶん大きな銭箱をお持ちですな」
「祝いは大きい方がよろしかろう」
「その祝いへ、何年の先買いが付くので?」
「まだ決めておりませぬ」
「それを聞くために参りました」
二人とも笑っていた。
目だけは、まったく笑っていなかった。
「同じ値なら、先に売る約束です」
「小西には、堺と西国を」
「西国は広すぎます」
「では、堺と備前」
「商品を見てからです」
「坂本屋には、まだ売れぬうちから渡したのでしょう」
「新右衛門は、先に三十貫を出しました」
隆佐が、後ろへ手を出した。
供の男が、小さな銭箱と書付を置く。
「倍の六十貫。それから、試作へ使える油と薬種を堺の値で回します」
「六十貫」
「足りませぬか」
「新右衛門は三十貫でした」
「坂本屋が買ったのは、まだ臭いしゃぼんと、まずい酒の先買いにございます」
「小西屋も同じでしょうに」
「小西が持ってくるのは、銭だけではございませぬ」
隆佐は書付を開いた。
堺で油を扱う者。
薬種を仕入れる者。
博多と行き来する者。
備前、讃岐、阿波へ船を出す者。
人の名と店の名が、紙の下まで続いていた。
「この者たちへ、兵庫の品を見せます。買うかどうかは約束できませぬ。しかし、見るところまでは小西の名で連れてくる」
「銭にすると」
「そういうことを尋ねるようになられましたか」
「銭がないので」
「結構なことです」
褒められた気がしなかった。
「堺へ売る分は、小西屋へ先に値を示す。期間は三年。坂本屋と同じく、同じ値なら小西屋を先にする」
「備前は」
「最初の荷を一度任せます。その先は、売った数を見て決める」
「西国は」
「弥九郎殿が売る先を見つけるごとに話しましょう」
「製法は」
「渡しません」
「聞いただけにございます」
聞くだけなら、いくらでも聞ける。
隆佐は六十貫と販路を出し、堺での先買いを得た。
新右衛門は悔しそうにしていたが、兵庫の外へ売る道は一気に増えた。
「これで、商いの話はまとまりました」
隆佐が算木を置いた。
「もう一つ、お願いがございます」
「今度は何です」
「倅を、お側へ置いていただきたい」
弥九郎を見た。
本人は驚かなかった。
「小西屋の店を、兵庫へ出すという意味ですか」
「店ではございませぬ。弥九郎を、孫七郎様の指図で使ってくだされ」
「なぜです」
「この町が、若殿のお考えどおりになるなら、兵庫は西と東の荷が出会う場所になります」
「はい」
「ならば小西も、その内側へ入っておきたい」
正直だった。
「倅を入れれば、小西屋へ話が早く伝わる。商いも取りやすい。こちらに損はございませぬ」
「俺にはあります」
「何が」
「弥九郎殿の給金です」
隆佐が初めて言葉に詰まった。
祥が俯いて、笑いを隠している。
「小西から出しても構いませぬが」
「それが嫌だと言ってあるのです。俺と小西屋のどちらの言うことを聞くのか分からない」
隆佐の目が、少し変わった。
「小西の倅であることは変わりませぬ」
「それは構いません。ただ、俺が給金を払って働いてもらう間は、俺の役目を先にしてもらいます」
「父へ不利なことでも?」
弥九郎が初めて口を挟んだ。
「小西屋の商いを邪魔させるつもりはありません」
「答えになっておりませぬ」
「必要なら、頼みます」
「分かりました」
隆佐ではなく、弥九郎が返事をした。
「待ってください。まだ我が家中で引き受けるとは申していません」
「何が足りませぬ」
「弥九郎殿の返事です」
隆佐が、息子を見る。
「父上が申したから仕える、では若殿もお困りでしょう」
「そうですね」
「まずは私を使ってくだされ。役に立たなければ、小西へ返していただけばよい」
「戻る気はあるのか」
隆佐が聞いた。
「役に立たなければ」
「店でも役に立たぬ。どこへ戻す」
「父上」
祥が、今度は声を立てて笑った。
隆佐も口元だけで笑っている。
「この倅は、店の中より外を気にする男です」
「外を?」
「品を一つ売るより、その船が次にどこへ行くかを気にする。目の前の客より、その客が誰から買ったかを聞きたがる」
「商人に向いているのでは」
「店番には向きませぬ」
それは、何となく分かった。
「正式に家臣となるかは、働きを見てから決めます」
「結構にございます」
「それまでは、小西家から預かった商いと船の役です。俺の指図で動いてもらう。給金も俺が出す」
「頂きます」
「そこは早いですね」
「働きますので」
先日手間賃を求めた時と、まったく同じ顔だった。
「では、最初の役目です」
俺は、京、近江、伊勢、尾張と書いた紙を弥九郎の前へ置いた。
「土地ごとに、米と塩を扱う相手を探してください。最初は一俵でも一樽でもいい。買った日に払う。次に頼んだ時、話を聞いてもらえる相手を増やしたい」
「油、鉄、木綿もでございますな」
「はい。蔵、宿、馬、道と橋も」
「ずいぶん多い」
「給金を払いますから」
「では、給金の額を先に」
隆佐が満足そうに息子を見た。
「そこだけは、店に置いても一人前だったのですがな」
給金の話は、常陸を呼んでからになった。
隆佐が堺へ戻る時、弥九郎は城門まで見送りに出た。
「父上。では、堺の店はどうするのです」
「お前が見ていた分は、もう番頭へ回した」
「いつ」
「兵庫へ来る前に」
「最初から置いて帰るつもりだったのですか」
「商いの話がつまらなければ、連れて帰った」
隆佐は歩き出し、二歩で止まった。
「弥九郎」
「はい」
「小西のために働くな。世話になる主人の為に何でもしろ、それができぬ者なら、ここへ置く価値はない」
弥九郎が、初めて黙った。
やがて、深く頭を下げる。
「承知しました」
隆佐は、それ以上何も言わずに帰っていった。
見送りを終えた弥九郎が、こちらを向く。
「孫七郎様」
「何です」
「先ほどの紙を、もう一度見せていただけますか」
「もう仕事を始めるのですか」
「今日から給金が出るのでございましょう」
「常陸と相談してからです」
「では、それまでは手間賃で」
「お前もか」
小西家から六十貫入った日、俺の家には、六十貫と一緒に新しい給金の支払先まで増えた。




