第11話 城より先に港を開け
小西隆佐の書状には、祝いの言葉が一つと、苦情が三つ書いてあった。
婚礼の夜だった。
俺は祥に約束した通り、寝所の隣に作った仕事部屋で書状を開いた。
池田家が摂津を離れるという噂が広まり、尼崎と兵庫では早くも荷が止まり始めている。
昨日まで池田家へ払っていた港の銭を、明日から誰へ払えばよいのか分からない。
古い受取は使えるのか。新しい主が来れば、もう一度払わされるのか。町の者へ聞いても、城の者へ聞いても、返事が違う。
このままでは、堺から出した小西の船も兵庫で荷を下ろせない。
最後に、隆佐の倅を先に向かわせたとあった。
名は、小西弥九郎。
小西行長。
のちに秀吉の下で、海の外との交渉まで担う男だ。
「常陸」
「はい」
「今から隆佐殿へ返事を出す。明日の朝一番で、人を堺へ走らせてくれ」
「若殿は今夜中に戻ると、若御前へ約束なさったのでは」
「書いたら戻る」
「短う願いまする」
「誰の家臣だ、お前は」
「もちろん、若御前の味方にございます」
硯へ水を落とす。
隆佐への返事は、すぐに書けた。
古い受取も、新しく出された紙も捨てないこと。荷も受取も、そのままにしておくこと。明日、秀吉様へ確かめる。
それだけだ。
「若殿」
「何だ」
「池田家が摂津を離れるなら、この問題はそのうち若殿の下へ参るのでございますか」
「なぜ、そう思う」
「婚礼の夜に、池田家の土地について小西屋から急ぎの書状が来たからです」
「嫌な読みをするな」
「あくまで可能性のお話をしただけです」
当たった。
◇
翌朝、秀吉様から届いた書状は、小西隆佐のものより短かった。
兵庫城と三田城を受け取れ。
孫七郎は兵庫へ残り、政道を止めるな。
三田へは人を遣わせよ。
尼崎の仕置も見よとの口上まで、使者が持ってきた。
天正十一年五月二十五日。
池田家が美濃へ移り、そのあとを俺が受け取る。
「兵は」
使者へ聞いた。
「必要な分は、追って御沙汰があるものと」
「蔵の中身は」
「受け取ったのち、改めよとのことにございます」
「港の銭と、町の定めは」
「それも、若殿がお決めになるものと」
使者は頭を下げた。
書状は、それ以上何も答えなかった。
「ずいぶんと多い褒美ですな」
横から常陸が言った。
「私も、今そう思っていたところだ」
「臆しておいでか」
「いや、むしろやっとここまできたかと胸が鳴っておる」
「ならば、支度をいたしましょう」
兵庫へ残り、三田へ人を出し、そのうえ尼崎まで見ろという。
圧倒的に人が足りない。
それでも、この仕事を誰かに譲るつもりはなかった。
賤ヶ岳のあと、「次の役目が決まるまで」と言っていた大場土佐は、次の役目が決まっても若江へ戻らなかった。
康長殿の許しを得て、改めて俺付きとなったのだ。
そして、大場殿とともに来ていた大山伯耆、高野越中、森九兵衛の三人もまた若江へ帰らなかった。
大山伯耆。普段の口数は少ないが、寺や町の古い決まりを聞くと、納得のいかないところを相手が怯えるほど問い詰める。こいつだけは絶対怒らせてはいけないと、その日に誓った。
高野越中。蔵へ入れると、俵も壺も勝手に数え始める様な男だ。常陸ほど帳面に細かくはないが、紙より先に現物を見る男だ。
森九兵衛。四人の中では一番若く、足も速い。橋が落ちた時、近江から泥まみれで報せを持ち帰ったのも九兵衛だった。
三人は大場殿の家来ではない。康長殿の下で働いてきた、同じ若江衆の仲間だった。
「土佐殿が残るから、皆も残ったのですか」
前にそう聞くと、九兵衛が答えた。
「土佐殿一人では、若殿に何をさせられるか分かりませぬので」
「土佐殿はよほど慕われているのだな」
「見張りにございます」
横で大場殿が渋い顔をしていた。
それでも三人は、康長殿へ戻るとは言わなかった。大場殿が俺付きとなった日から、三人も俺の指図を受けるようになった。まだ忠義を誓うようなことは言わないが、それでよかった。
大場土佐、大山伯耆、高野越中、森九兵衛。
三好の名とともに預かった若江衆が、ようやく俺の家中で四人そろって働き始めた。
「爺と大場殿には、三田へ行ってもらう。大山殿と九兵衛は尼崎へ。常陸と高野殿は、私と兵庫だ」
「若殿」
「何だ」
「婚礼の翌朝に、もう若御前をお忘れではありませぬな」
「忘れていない。今から戻ろうと思っておったのだ」
「お役目の事となると、周りが見えなくおなりになる」
「うるさい。お前は屋敷に戻って急ぎ支度をしろ」
◇
「父上の城を、お前様が受け取るのですか」
事情を話すと、祥はそう聞いた。
「兵庫も三田も更には尼崎も見るよう命じられたのだ」
「それは、元は池田の地です」
「はい」
「私の輿入れと引き換えに、父上が差し出したのですか」
考えていなかった。
池田の娘が三好孫七郎へ嫁ぎ、その翌日に、孫七郎が池田の旧領を受け取る。
娘を添えて、婿へ土地を渡したようにも見える。
祥の口調が少し固くなった。
「池田家から残る者を、どうなさるお積りですか」
「もとより人不足の家中だ。爺や常陸の様に大切にするよ」
「まあ、それでは、父上へ先に書状を」
「もう出してある」
「いつ」
「秀吉様の書状を受け取って、すぐに」
「何と」
「今日、兵庫へ入ること。三田と尼崎へも人を送ること。池田家の者から引き継ぐよう命じられたこと」
「父上が、どうなさるのか、私にも分かりませぬよ」
「それから昨夜の小西隆佐殿の書状も、写しを添えてある」
「なぜです」
「池田家が去るとの噂だけで、港の荷が止まり始めているのだ。池田殿にも、今起きていることを知っていただいた方がよい」
祥が黙った。
「どうした、何か問題があったか」
「いいえ。ただ、お前様は、家の外のことになると本当に早いのだと思いまして」
「それは褒めておるのか」
「どうでしょう」
そう言うと祥は安心したのかコロコロと笑い出した。
「では、行ってくる」
「私は」
「まず、ここにおってくれ」
祥の目が細くなった。
「お前様がお困りの時は共に抱えさせてくださいと約束したばかりではないですか」
「今回はそうもいかんだろう。下手すれば荒事にもなりかねん」
「私は池田の出身です。今回、私より役に立つ方がおられますか」
正直迷った。だが元の為政者の親族がいる事で、いらぬ諍いを減らせる事も確かに事実なのだ。
「では兵庫までついてきてくれるか」
「初めから、そのつもりです」
「すまんな」
「黙って行ってしまわれたら、実家に帰らせてもらおうかと思うておりました」
「婚礼の翌日から恐ろしいことを言うな」
「昨日のお約束ですから」
四つ年上の妻にもう尻に敷かれる事が決まったのであった。
◇
兵庫城では、入城より先に苦情を渡された。
「堺の船が三艘、沖で待っております」
池田家の城代は、挨拶もそこそこに言った。
「淡路から二艘。播磨から四艘。小舟まで入れれば、もっとおります」
「なぜ、入れないのです」
「誰の印で銭を取るか、何もかも決まっておりませぬ」
「昨日までは」
「池田家の印にございます」
「なら、今日もそれを使えばよい」
城代の顔が固くなった。
「本日より、ここは三好様の御領地にございましょう」
「あくまで引継ぎ期間の一時の事だろうが」
「されど、我らが勝手に池田の印を使えば、それこそ財の持ち出しを疑われます」
城代にも理がある。
新しい主へ渡す銭を、古い主の名で集めると揉め事の種を作るだけ。
かといって俺の印を出せば、すでに池田家へ払った船へ、三好の名でもう一度銭を求めることになる。
「荷は」
「薬種、米、塩、油。魚を積んだ小舟も」
「魚は待てませんね」
祥が言った。
「はい。すでに浜で揉めております」
俺は一度兵庫城へ入り、直近数日の帳面にざっと目を通した。
「常陸。城内の引継ぎは一旦そなたに任せる」
「若殿は」
「港へ行く」
「先に城内を御覧になられては」
城代が慌てた。
「城は逃げませんが、魚は腐ります」
城へ入ったその足で、すぐさま港へと向かった。
◇
兵庫津の浜は、魚の匂いと怒鳴り声で満ちていた。
沖には帆を畳んだ船が並び、浜へ着けた小舟も荷を下ろせずにいる。
船頭が岸から叫び、町の荷運びが怒鳴り返していた。
「待っておりました、三好孫七郎様」
騒ぎの中から、一人の若い男が出てきた。
俺より頭一つほど背が高い。上等な小袖を着ているが、裾には泥と潮の跡がついている。
「小西弥九郎にございます」
「隆佐殿の御子息ですね」
「父の書状は」
「昨夜、読みました」
「婚礼の夜分に届いた様で、その節は失礼いたしました」
「いえいきなり、城を二つと町を一つ渡されたのです。読んでおいてよかった」
「それは、まことに大変なことでございましたなあ」
「まあ本来はめでたい事だ」
「港がこの有様でなければ」
弥九郎は、沖の船を指した。
「小西の船は」
「あの二艘にございます。一艘は薬種、もう一艘は塩と油を積んでおります」
「何日待っているのだ」
「沖で二日。尼崎で一度止められ、そちらでも一日」
「三日分の損は」
「薬種は濡らさねば持ちます。塩も腐りませぬ。ですが、船頭と水夫へ飯を食わせ、次の荷を断り、船を遊ばせております」
「銭にすると」
弥九郎が答えた。
一日の船賃。水夫の飯。断った次の荷。潮を逃して余計に待つ日数。
数字に迷いがない。
「三日で、その額ですか」
「今日の潮を逃せば、もう一日増えます」
「あと、どれだけです」
「一刻もありませぬ」
俺は浜を見た。
古い受取を持つ者。
受取はないが、昨日までの決まりならいくら払うか知っている者。
主が変わる隙に、銭を払わず通ろうとしている者もいるだろう。
「弥九郎殿。昨日までの銭は、分かりますか」
「品と船の大きさごとに」
「池田家の受取を見分けられる者は」
「城から来た役人が二人おります。ですが、印を使えぬと」
「印は押させません。まずは見分けてもらうだけです」
城内の引継ぎを高野越中へ任せた常陸が追いついてきた。
「若殿。着くや否や、また銭の話でございますか」
「港で銭以外の話があるか」
池田家の受取を持つ船からは、今日は銭を取らない。
受取のない船は、昨日までと同じ額を払う。
池田家の役人に紙と印を見てもらい、常陸の下役が船の名、船頭、荷、払った日を写す。
俺の名で新しい受取を出すのは、明日からだ。
「古い受取を偽る者が出まするぞ」
「今日は通す。怪しい紙を出したもの達はしっかりひかえておけ」
「銭を取り損ねるかも知れませぬぞ」
「物の流れを一日止める損より、はるかに安い」
「誰にとっての損です」
「町と、船と、この街に住む民たちの損だ」
常陸が俺を見た。
「若殿の御領地にございますな」
「まだろくに腰を下ろしてもないがな」
「殿の下におると息つく暇がありませぬ」
「退屈せんだろ。感謝してほしいものだ」
「早く息子に後を継がせて、妻とゆっくり畑でもしたいですなあ」
「安心しろ。隠居しようが相談役として一生俺の傍に置いてやる。楽しみにしておけ」
「なんだか寒気がしてまいりました」
そんな話をしながら用意をしていると、最初に浜へ着けたのは、魚を積んだ小舟だった。
「先に堺の船ではないので」
弥九郎が聞いた。
「魚を先に降ろさせてくださいませ。商品が全て駄目になってしまいます」
「小西の荷も三日待っております」
「魚は今日中に腐ります」
「薬種を待つ者もおりますぞ」
「では、魚の次です」
「塩と油は」
「その次」
「父へ、順を後へ回されたと申します」
「理由も一緒に伝えてください」
小舟から籠が下ろされた。
浜で待っていた女たちが魚を受け取り、町へ走る。空になった籠が戻り、次の籠が下りる。
止まっていた荷運びが、一斉に動き始めた。
池田家の役人が古い受取を見る。
常陸の下役が写す。
さらに別の役人が、紙に書かれた荷と目の前の荷を見比べる。
確認を終えた紙を受け取ると、三好の若い者が次の船へ走った。
「孫七郎様」
浜の端から呼ばれた。
年嵩の女が、魚の入った桶を抱えている。
「この紙は、本当に明日も使えるのでしょうか」
池田家の受取だった。
「何の銭です」
「この浜で魚を売る場所銭を、十日分先に払っております」
「いつ払いました」
「昨日にございます」
明日から俺の名で受取を出すと言ったばかりだった。
古い主へ十日分を先払いした者に、新しい主だからともう一度払わせれば、同じ浜で二重に銭を取ることになる。
「残りの日まで使えます」
「三好様の受取へ替えねばならぬと、あちらでは」
「替えます。ただし、追加で銭は取りません」
「いつ替えれば」
「明日から。魚を売ったあとで構いません」
女は、まだ俺を疑っていた。
「御領主が替われば、決まりも変わってしまうのでしょうか」
「替える時は、先に申します」
「どれくらい先になりましょうや」
答えに詰まった。
決まりの中身による。
だが、それではこの女が聞きたいことへ答えていない。
「少なくとも、払った銭が無駄になる前に」
「どうか何卒宜しくお願いいたします」
女は、ようやく頷いた。
「魚を一尾、持っていかれますか」
「ああ代を払います」
「新しい御領主様への祝いにございます」
「まあ嬉しいわ。では、初めて港を開いた祝いとしていただきます」
後ろにいた祥が、魚を受け取った。
「ただし、次からは買わせていただきますよ」
「ありがとうございます。姫様」
「今夜の膳へ出しましょう」
「私の分もありますか」
「お前様には、骨の多いところを」
「なぜです」
「先ほど、お婆様のご厚意を断ろうとなさっていたでしょう。顔を見ればわかります」
「ああいう時はありがとうと受け取るのが民と仲良くやるコツでございます。」
どうも俺は顔に出やすい質らしい。気をつけよう。
◇
潮が変わる前に、小西の船も浜へ着いた。
薬種の包みが次々と運び出される。
弥九郎は自分でも船へ上がり、荷の数を確かめていた。商人の息子らしいが、岸で指図するだけの男ではないらしい。
「弥九郎殿」
呼ぶと、船縁からこちらを見た。
「はい」
「明日も来られますか」
「荷は今日中に下りますが」
「別の仕事を頼みたいのだ」
「別の仕事にございますか」
「まず、話を聞いてください」
「手間賃は出ますかな」
こいつ、新右衛門みたいなことを言うな。商人ってのは、どいつもこうなのか。
「そうだな、考えよう」
未来の大名は、なかなか船から下りてこなかった。
◇
日が落ちるころ、兵庫城へ戻った。
三田城は、爺と大場殿が無事に受け取った。
尼崎へ入った大山殿と九兵衛からも、町と寺の古い定めがいくつも残っていると報せが来た。
どちらも、続きは明日だ。
「常陸。今日はもう休むぞ」
「そうですな」
「おい、若殿と若御前を寝所まで案内しろ」
小者が、俺たちを城内へ案内した。
蔵。番所。台所。役人が詰める部屋。
どこにも人と荷があった。
池田家とともに美濃へ移る者は支度の途中で、兵庫へ残る者も、まだ自分がどこで働くのか決まっていない。
「それで、私たちの部屋は」
祥が聞いた。
小者が足を止めた。
「こちらにございます。ただ、畳と夜具は、池田家の荷としてすでに運び出されておりますれば」
「今夜は」
「近くの寺へ、お願いをしております」
領地をもらった初日、俺と祥は、受け取った城から揃って追い出された。




