第10話 水桶二つの縁談
「そろそろ嫁をもらえ」
秀吉は、味噌汁を啜りながら言った。
天正十一年五月上旬。
賤ヶ岳から戻って以来、俺は秀長から渡された兵糧と商人の書状に追われていた。
その日も朝から、河内で買う米の値と、近江へ戻す馬の数を見比べていた。そんな折、殿から話があると呼ばれたので、何か新しい役目だと思って来たのだ。
「聞いておるのか、孫七郎」
「聞いております」
「返事は」
「どなたを、でございますか」
「勝三郎の娘じゃ」
勝三郎。
池田恒興。
清洲で、俺が馬へ水を飲ませた相手だった。
「池田殿の御息女を」
「そうじゃ。どうだ、よい話であろう」
「水桶二つにしては、大きな返礼にございますな」
向かいで飯を食べていた秀長が、汁を噴きそうになった。
「馬へ水をやった褒美で、娘まで貰えると思うな」
「思っておりませぬ」
「では、その顔はなんだ」
「驚いているだけです」
秀吉は笑い、膳の上から焼いた魚を一切れ取った。
秀長の膳には、まだ湯気が立っている。
最近は近習だけでなく、秀吉まで秀長の健康を監視するようになった。気まぐれなのか、秀吉なりに気になることでもあるのか。
「池田殿は、何と」
「受けると申しておる」
「御息女は」
秀吉の箸が止まった。
「勝三郎が受けると申したのじゃ。関係なかろう」
「御息女は、何と申しておられるのです」
「知らぬ」
「では、まだ返事はできませぬ」
「なぜじゃ」
「妻になる方の返事を聞いておりません」
秀吉が露骨に面倒そうな顔をした。
「武家の婚姻じゃぞ」
「承知しております」
「お前も勝三郎も、断れぬことくらい分かっておろう」
「それと、本人へ聞かなくてよいことは別です」
「また面倒なことを言い出しおって」
「兄者」
秀長が椀を置いた。
「勝三郎殿からも、同じことを言われたのでございましょう」
秀吉が黙った。
「本当でございますか」
「娘へ会わせてから決めよと申しおった」
「なら、ちょうどよいではありませんか」
「婿も嫁も、親の言うことを聞かぬ」
「勝三郎殿とお二人で決めた話なのですから、それくらいは我慢なされませ」
秀長はそう言って、冷める前に汁を飲んだ。
この一年で、叔父上の顔色はすこぶるよくなったように見える。身体にもほんのりだが、肉がついたようだった。
医者でもないので確証はないが、近頃は食事だけでなく、睡眠や柔軟に至るまで口うるさく言ってきた。手前味噌ながら、自分の大手柄だとひそかに喜んでいる。
「なぜ、池田家なのです」
俺が聞くと、秀吉は魚の骨を皿へ置いた。
「わしは大坂へ入る」
賤ヶ岳で柴田勝家を破った今、秀吉の目は近江の先へ向いている。
石山本願寺のあった大坂は、海と川と街道が集まる。京へ近く、西国へも出られる。城を築くにしても、商人を集めるにしても、あれほど都合のよい場所はない。
「今、大坂を押さえているのは池田殿です」
「うむ。勝三郎には美濃で働いてもらう」
「そのための縁談ですか」
「そのためだけではない。じゃが、それもある」
池田恒興に大坂を退いてもらい、代わりに美濃を任せる。
領地が増えたと言われても、秀吉が欲しがる土地を明け渡すことに変わりはない。
そこへ娘と甥の婚姻を重ねれば、池田家を追い出したのではなく、羽柴と池田が縁を結んだ形になる。
娘一人の輿入れで、二つの家の面目をつなぐ。
説明されれば、政略としてはよく分かった。
「よい話であろう」
「殿にとっては」
「お前にもじゃ!」
「まだ会ってすらおりませぬ」
俺には、別の未来が見えていた。
豊臣秀次が高野山で切腹したあと、妻妾や子供たちの多くは捕らえられた。
三条河原で、幼い子まで殺された。
池田恒興の娘が、その列にいたとは聞いていない。だが、史実の秀次に連なる女たちがどんな目に遭ったかを知っている以上、知らぬ顔で妻を迎えることが怖いのだ。
この縁談を受ければ、俺が死ぬだけでは済まない。
「会わせてください」
「勝三郎の屋敷へ行け。向こうも、お前を見て断るかもしれぬぞ」
「それは困ります」
「先ほどまでの話は何だったのじゃ!」
「断られるのは、なんだか傷つくではないですか」
秀長が、今度こそ声を上げて笑った。
◇
「久しいな、羽柴の馬番」
池田恒興は、俺の顔を見るなりそう言った。
摂津にある池田家の屋敷だった。
俺の後ろには爺と常陸が控え、恒興の隣には嫡男の元助が座っている。奥には簾が下ろされ、その向こうに人の気配があった。
「あれからは、兵の飯番もしております」
「聞いておる。賤ヶ岳で、槍も持たずにずいぶん稼いだそうではないか」
「槍は持っておりましたよ。ほとんど使いませんでしたが」
「それでよいのだ。お前はお前のやり方で家を盛り立てればよい」
恒興は、清洲の時より上機嫌に見える。
しかし、ただ娘の縁談を喜ぶ父親の顔ではない。
「筑前は、娘を欲しいと申した」
「はい」
「わしは、ならば娘に婿を見せよと申した」
「秀吉様は、池田殿が受けると申されたと」
「あの猿め。都合のよいところだけ先に話しおる」
「否とは申されなかったので」
「否と言えば、ワシが小事にこだわる男に見えよう」
「では、池田殿は困っておられる」
「お前ほどではない」
「私は、まだ困ると申しておりませぬ」
「顔に書いてある」
戦国の親父どもは、人の顔を読むのが好きらしい。
簾の向こうから、小さな笑い声がした。
恒興がそちらを見る。
「聞こえておるなら出てこい、祥」
「父上が、聞こえるように話しておられるのでしょう」
女の声が返った。
簾が上げられる。
出てきたのは、俺より少し背の低い女だった。
派手な小袖ではない。薄い青の地に、小さな白い花が散っている。俺より四つ年上と聞いていた。黙って座る姿は、その差以上に落ち着いて見えた。
「池田祥にございます」
「三好孫七郎信吉です」
「存じております。父が、清洲から戻るなり話しておりました」
「私のことを」
「池田の馬へ水をやった、妙に勘定高い小僧がおったと」
恒興が咳払いをした。
「名を覚えろと、自分から売り込んできたことも聞いております」
「間違ってはおりません」
「否定なさらないのですね」
「その通りでしたので」
祥は少しだけ笑った。
物腰は柔らかい。
ただ、こちらが何を答えるかを待つ目は、父親によく似ていた。
「孫七郎殿は、この婚姻を望んでおられますか」
恒興と元助が、同時に俺を見た。
「まだ、分かりません」
恒興の眉が動いた。
「娘の前で、よく申せるな」
「今初めてお会いした方へ、以前から望んでいたと申す方が嘘になります」
「では、嫌なのですか」
祥が聞いた。
「嫌ではありません。むしろ」
「ずいぶん狭いところへ逃げ込まれますね」
「祥」
恒興が低く呼んだ。
「よいのです。続けてください」
俺が言うと、祥は父へ小さく頭を下げた。
「父は美濃へ移り、秀吉様は大坂へ入られる。この婚姻は、その間を結ぶ鎹なのでしょう」
「そう聞いております」
「ならば、私がよいか悪いかは、あまり関係がございませんね」
「家同士にとっては」
「孫七郎殿にも?」
「私には、あります」
「どのように」
「私はこれから先、名も住む場所も、また変わるかもしれません」
「三好を離れると」
「それも分かりません。ただ、今までがそうでした」
宮部吉継から三好信吉になって、まだ一年も経たない。
秀吉がさらに上れば、また俺の名を変えるだろう。
「夫の名や立場が変われば、妻の生活もその後の人生も変わります。何も聞かされず、それについて来いとは申しません」
「先に話してくださると」
「私に話せることであれば、存分に」
「話せないこともあるのですか」
「あります」
「そこで、何でも話すと仰らないのですね」
「できぬ約束をして、あとで約束を破ったと言われる方が困ります」
「やはり、勘定高い方です」
「そうですかね」
後ろで常陸が、わずかに俯いた。
笑いを隠したらしい。
「私からも、一つよろしいですか」
「申してみよ」
恒興が答えた。
「父上ではなく、孫七郎殿へお尋ねしています」
恒興は不満そうだったが、黙った。
「私は、どこへ嫁ぐのでしょう」
「三好の家へ」
「その三好の家は、どこにございますか」
答えられなかった。
康長の屋敷は河内にある。
だが、俺は秀長のそばで山城と近江を往復し、賤ヶ岳のあとは木之本にいた。三好の旧臣から来た大場殿たちも、俺に付き従ってはいるが、家中と呼べるほど形が整っていない。
俺の居所はある。
家があるかと問われれば、怪しかった。
「今は、河内に置かれた屋敷を使っております」
「見せていただけますか」
「今からですか」
「嫁ぐ先なのでしょう」
「祥、お前は」
「父上は、馬を買う時に実物を見ずに決めますか」
「婿と馬を同じにするな」
「清洲で馬番をしていた方だそうですから」
恒興が俺を睨んだ。
なぜか俺が悪いらしい。
「構いません」
「若殿」
爺が初めて口を挟んだ。
「何だ」
「先に準備万端整えてからの方がよろしいかと」
「なぜだ」
「そのまま御覧いただくおつもりですか」
今度は、俺が答えられなかった。
◇
人を走らせても、どうにもならないものはある。
「これは、何をしているのです」
河内の屋敷へ着いて早々、祥が聞いた。
庭には米俵が積まれていた。
縁側には近江から来た馬借が三人座り、帳場では常陸の下役が銭を数えている。大場殿は人足の名を書いた紙を持ち、廊下をこちらへ歩いてくるところだった。
「兵糧の残りを改めております」
「なぜ、庭で」
「蔵へ入れる前に、濡れた俵を分けるためです」
「あちらの方々は」
「支払いを待っております」
「私たちは、どこから入ればよいのでしょう」
門から玄関までの道は、俵と人と馬で半分塞がっていた。
「こちらから」
俺は庭石の間を通った。
祥は裾を持ち上げ、その後ろからついてくる。
「毎日、このようなのですか」
「今日は、少し多いです」
「昨日は」
「馬が多くおりました」
「明日は」
「堺から商人が来ます」
「毎日ではありませんか」
「そうですね。しかし、これが日常なもので」
祥と一緒に来た侍女たちの顔が曇っていく。
爺は俺と目を合わせようとしなかった。
屋敷の中は、庭よりましだった。
いや、本当にほんの少しはましなのだ。
客間には書状の束が置かれ、廊下の隅には草鞋が積まれている。奥へ通じる部屋の一つは、賤ヶ岳で使った旗と筵が占領していた。
「女房衆は、どこにおります」
「女房衆」
「この屋敷で働く女たちです」
「台所と、奥の部屋に」
「何人ですか」
「爺」
「ワシに振られましても」
爺も知らなかった。
祥が台所へ向かう。
止める間もなかった。
昼を過ぎているのに、竈には火が残っていた。大鍋の横で、若い女が米を研いでいる。腕には赤い跡があり、濡れた布を巻いていた。
「その腕は」
祥が聞くと、女は慌てて布を隠した。
「今朝、湯をこぼしまして」
「誰かに見せましたか」
「この程度で休めませぬ」
「飯は」
「皆様の分を出してから、いただきます」
「いつから食べてないのです」
女が黙った。
祥が俺を見た。
「孫七郎殿は、賤ヶ岳で大活躍と聞きましたが、何人分の飯を御用意なさったのでしょう」
「正確な数は、常陸の帳面を見なければ」
「こちらの女一人が朝から食べていないことは、帳面にございませんでしたか」
「...」
「そうですか」
声は柔らかい。
そして、どうやら祥殿は怒ると、より口調が固くなる質のようだ。
だから余計に、逃げる場所がなかった。
「名は」
祥が女に聞いた。
「きぬにございます」
「きぬ。まず何か食べなさい。そのあと腕の布を替えます」
「されど」
「私が食べさせたと申してください」
きぬは、俺を見た。
「そうしてください」
俺が言うと、ようやく頭を下げた。
祥は台所を出た。
俺も後を追う。
「恥ずかしいところを見せました」
「見せていただいて、よろしゅうございました」
「断りますか」
「まだ決めておりません」
今度は俺が困る番だった。
「何が足りないと思われます」
「分かりません」
「今、ずいぶん見つけたように見えましたが」
「足りないものが多すぎて、どこから申せばよいか分かりません」
「そこまでですか」
「孫七郎殿は、ここで眠っておられますか」
「はい」
「どちらで」
俺は寝所へ案内した。
戸を開けた。
畳の上には、秀長から渡された書状が二束、開いたまま置いてあった。
その横に、畳まれた夜具がある。
「仕事場ではなく?」
「寝所です」
「この紙は」
「寝る前に読んでいたものです」
「夜具は、どこへ敷くのです」
「紙を寄せて」
祥が、初めて大きく息を吐いた。
「私が嫁いだら、どこで寝るのでしょう」
考えていなかった。
輿入れの儀式や贈り物の話は、秀吉や恒興の家臣が進めている。
だが、その後に二人がどこで暮らすかを、俺は一度も考えていなかった。
「ここを空けます」
「紙は」
「別の部屋へ」
「別の部屋は、旗と筵で埋まっておりました」
「あれを蔵へ入れます」
「蔵は、濡れた米で埋まるのでしょう」
「……新しく一部屋、作らせます」
「婚礼までに間に合いますか」
「婚礼の日が決まっておりません」
「それは幸いでした」
祥が笑った。
今度は、俺も笑うしかなかった。
◇
屋敷を一通り見終えたあと、祥は縁側へ座った。
庭では、濡れた俵を分ける作業が続いている。
「池田家の屋敷より、だいぶ騒がしいでしょう」
「父の屋敷も、戦の前は似たようなものです」
「毎日、戦の前のような屋敷です」
「それは困ります」
「幻滅しましたか。やはり、こんな家には嫁ぎたくありませんか」
「ずいぶん断らせたがりますね」
「選んでいただくと言った手前、聞かないわけにはいきません」
「では、孫七郎殿は」
祥が庭から俺へ目を戻した。
「私を妻にしたいと思われましたか」
「思いました」
「いつ」
「台所で、きぬに飯を食べさせた時です」
「女房を働かせるために、私を迎えるのですか」
「違います」
「では、何がよかったのでしょう」
「私が見落としたものを見て、私に遠慮せず怒ってくださったからです」
「怒ってはおりません」
「……」
「少し腹を立てただけです」
本当に怒らせたらどうなるのだろうか。それを今考えるのはよそう。
「この屋敷を、任せるつもりですか」
「できれば……」
「よろしゅうございます」
「えっ」
「しかし、何か家のことを決める時は一緒に。家中を私へ任せるなら、任せたところへ後から口を挟まないでください」
常陸にも、似たことを言われた覚えがある。
「理由は聞きます」
「聞くだけですか」
「納得できなければ、話し合います」
「それで、理由を話せば納得してくださるのですか」
「……それは、もちろん」
「今の間は、少し長うございました」
祥はまた笑った。
「私、意外かも知れませんが、実はこの家を気に入っているのですよ」
「どこがでしょうか」
自分で言うのも悲しいが、今日の中で思い当たる節があまりにもなさすぎる。
「殿の寝所にある山積みの書類も、部屋を埋め尽くすほどの旗と筵も、すべて兵やそこで暮らす民たちのためのものなのでしょう」
胸に刺さる言葉だった。
「私、戦が嫌いです」
「……」
「武家の娘のくせにと、失望しましたか」
「いえ、ただ少し意外で。私も、人の命が簡単に散ってしまう戦が大嫌いです」
「昨日まで笑い合っていた同僚や、日々懸命に生きている民たちが、たった一日のことで何人もいなくなる。そんなのは間違っておりまする」
「誰かの都合で命を散らす、そんなことのない世を私は創りたいのです」
「それで、あの部屋なのですよね。しかし、それと女中が怪我をしても休めなかったり、飯も食えないのは別の話です。よく反省してくだされ」
「返す言葉もありません」
「もう一度お聞きします。孫七郎殿は、私にどうしてほしいのです」
「俺のもとに来てもらえないだろうか。祥殿に、そばにいてほしい」
「条件があります。 一つ、女中の管理はすべて私が見ます。口出しは無用にお願いします。一つ、食事をする時は必ず一緒に食べること。仕事をしながらなど、もってのほかです。それに寝所にも仕事道具を持ち込まないでくださいませ」
「そして最後に、何でも話せとは申しません。女の私には入り込めない事があることは百も承知です。ただ、孫七郎殿独りで全てを抱え込むことだけは、決してしないとお誓いくださいませ」
「この約束必ず守っていただけると誓っていただけますか」
「…ああ、必ず果たすと約束しよう」
「破れば父にすぐ言いつけますので」
「それは恐ろしい」
祥はしばらく俺を見た。
「父へ、嫁ぐと申して参ります」
俺は思わず息を吐いた。
「安心なさいましたか」
「かなり」
「父上の申した通り、顔に書いてございますね」
「親子そろって、人の顔を読むのが好きですね」
「分かりやすい御顔をなさる方が悪いのです」
「もう一つ、お願いしてもよいですか」
「今度は何でしょう」
「二人の時は、殿ではなく、お前様とお呼びしてもよろしゅうございますか」
「ええ、もちろん構いません」
「では、私は何とお呼びすれば」
「祥と」
「呼び捨てにするのですか」
「妻を池田殿と呼び続けるおつもりですか」
「祥殿では」
「嫌です」
祥ははっきりそう言った。
「分かりました。祥」
「はい、お前様」
四つ年上の女に様付けで呼ばれると、妙に背筋が伸びた。
◇
婚礼の日、池田恒興は娘より先に俺の屋敷へ入ってきた。
まだ庭の端に米俵が積まれているのを見て、露骨に顔をしかめた。
「片づけると申したであろう」
「半分は片づけました」
「半分残っておるではないか」
「片づけるたびに運ばれてくるもので」
「娘を返せ」
「まだ来ておりませぬ」
「ならば今のうちじゃ」
「父上!」
門の方から祥の声がした。
輿を降りた祥が、侍女を連れて立っている。
「ここで帰れば、池田が羽柴との縁談から逃げたと笑われます」
「娘を心配しておるのじゃ」
「でしたら、あとで見に来てください」
「毎日来るぞ」
「そのうち追い返します」
恒興の後ろで、元助が笑いを堪えていた。
秀吉と秀長も、少し遅れて屋敷へ来た。
秀吉は新しく空けた一室を見るなり、大声で笑った。
「あの時の馬への水が、ずいぶん立派な部屋になったのう!」
「何を言いますか。これは私が用意した部屋です」
「銭はどうした」
「兵糧のお役目でいただいた分から」
「なら元はわしの銭ではないか」
「でしたら、祝儀ということで」
「勝手に祝儀へ変えるな!」
恒興が、秀吉の肩を叩いた。
「筑前。娘の部屋代くらい出してやれ」
「お前まで勝手なことを申すな」
家と家を結ぶ政略の席で、二人は部屋一つの代金を押しつけ合っている。
祥が俺の隣で、小さく息を吐いた。
「いつも、このようなのでございますか」
「飽きぬでしょう」
「先に聞いておけばよかったです」
「今からでも断りますか」
「また、それをお尋ねになるのですか」
「いえ、もう二度と聞きません」
婚礼の儀が終わり、日が落ちたあとも、屋敷の騒ぎはなかなか収まらなかった。
池田家から来た女房衆が荷を運び込み、爺と大場殿が男たちを庭へ追い出す。常陸は祝いの品を受け取るたびに名と数を控えていた。
「常陸。今夜くらい帳面を閉じろ」
「明日になれば、誰から何をいただいたか忘れまする」
「忘れた者から返礼を減らせばよい」
「若殿があとで困ります」
「なら、続けてくれ」
「最初からそう仰せくだされ」
俺と祥がようやく寝所へ入れたのは、夜も深くなってからだった。
畳の上に書状はない。
旗も筵もない。
あるのは、新しい夜具と、祥が持ってきた小さな文箱だけだった。
「間に合いましたね」
「かなり銭がかかりました」
「最初の夜に、妻へ話すことでございますか」
「嬉しかったと申そうとしておったのです」
「銭がかかって?」
「もちろん、祥と一緒になれてだ」
「そういうことにしておきます」
祥が文箱を部屋の隅へ置いた。
その時、廊下から足音が近づいた。
「若殿」
常陸の声だった。
「何だ」
「堺の小西隆佐殿から、急ぎの書状にございます」
返事をしようとして、祥を見た。
「急ぎなのでしょう」
「おそらく」
「お読みください」
「よいのですか」
「ただし、この部屋へは持ち込まないでください」
「どこで読めば」
「お仕事の部屋をお作りになったのでしょう」
寝所を空けるため、その隣に小さな一室を用意していた。
「行ってきます」
「お前様」
「はい」
「今夜中に戻られますか」
「必ず」
「では、お待ちしております」
廊下へ出ると、常陸が書状を持って立っていた。
「ずいぶん早く追い出されましたな」
「追い出されたのではない。それに、お前が邪魔したんだろうが」
「御容赦くだされ」
「まったく」
常陸は、寝所の閉じた戸と俺を見比べた。
「若殿」
「何だ」
「よい御方でございますな」
「褒めても、何も出んぞ」
「若殿を褒めたわけではありませぬ」
「常陸」
部屋の向こうから、祥の笑う声が聞こえた。
妻を迎えたその夜から、俺の屋敷には仕事を終えて戻る場所ができた。
シゴデキ秀次も自分ごととなるとかなりルーズになってしまうようで、家中はぐだぐだ、、、




