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皇帝陛下の独占欲、暴走中。……隣国の王都を、私の箱庭にするのはおやめください

 ルナ帝国の皇帝ハドリアヌス・アウグストゥスという男は、極めて有能である。

 若くして大陸の半分を版図に収め、魔導科学を飛躍的に発展させ、冷徹な法治によって帝国の秩序を完璧に保っている。……けれど、その「完璧な理性」は、私という要素が加わると、いとも容易く、かつ華麗に霧散してしまうらしい。


「アウレリア。今朝のティータイムの場所だが、少し趣向を変えてみた。気に入ってくれると嬉しいのだが」


 そう言って、ハドリアヌス陛下は私を「お姫様抱っこ」したまま、宮殿の最上階にあるテラスへと運んでいく。

 ……もう突っ込むのも疲れたのだが、この男、私の足に一歩も地面を踏ませたくないらしい。私の靴底が汚れるのが許せないのか、あるいは私が自分の足でどこかへ歩き去るのが怖いのか。十中八九、後者だろう。


「陛下、私は歩けますわ。私の足は、ただの飾りではありませんのよ?」


「分かっている。君の足は、白磁よりも滑らかで、世界で最も美しい曲線を描く芸術品だ。だからこそ、摩耗させるわけにはいかない。……それに、私の腕の中が、君にとって最も『最適化』された場所だとは思わないか?」


「思いませんわ。……あら、あそこに見えるのは何かしら?」


 私が指差したのは、帝国の最北端、かつてのソリス王国との国境付近だった。

 そこには、昨夜まではなかったはずの、巨大で透明な「光のドーム」が、地平線を覆い尽くすように展開されていた。その内部では、銀色の粒子が雪のように舞い、何やら巨大な重機や魔導騎士たちが慌ただしく動いているのが見える。


「ああ、あれか。君への『婚約一ヶ月記念』のプレゼントだよ」


「……プレゼント? 国境付近に巨大な半球体を作るのが、プレゼントですの?」


 ハドリアヌス陛下は、私をテラスの特等席(またしても人間をダメにする仕様のクッション山盛り)に降ろすと、満足げに目を細めた。


「君は、ソリス王国を『ゴミ捨て場』だと言ったね。だが、ゴミの中にも、君が幼少期に愛でた庭園や、君が修復した思い出の書庫、あるいは君が個人的に品種改良した植物たちが残っているはずだ。……それらが腐敗し、失われていくのは、保存の専門家である君にとって耐え難い苦痛ではないかと考えたのだ」


 陛下は私の隣に座り、当然のように私の指を絡めてくる。


「だから、私は軍を動かした。ソリス王国の王都とその周辺地域を、物理的に『切り離した』のだ。……現在、あのドームの中は我が帝国の魔導技術によって時間が静止し、君の魔力と共鳴する特殊な触媒が散布されている。……名付けて、『アウレリア専用・巨大観賞用ジオラマ』だ」


「……はい?」


 私は手に持っていた扇を、思わず床に落としそうになった。

 ジオラマ? 隣国の王都を、丸ごと一つ?


「陛下……今、さらりと仰いましたけれど。ソリス王国の王都を切り離したということは、あそこに住んでいた人々はどうなったのですか?」


「安心したまえ。君を虐げた連中や、君の価値を理解しなかった無能どもは、すでに一箇所に集めて『管理』している。……今は、あの都を君の好みに合わせて再編しているところだ。不要な建物は取り壊し、君の魔法が最も美しく反映されるような銀の街へと造り替える。……完成すれば、君はあのテラスから、自分の『作品』が永遠に輝き続ける様を眺めることができるというわけだ」


「…………」


 この男の独占欲は、もはや一つの個体に対する執着を超えて、地図を書き換えるレベルにまで達していた。

 私が「懐かしいわね」と一言でも言えば、彼はその場所を永遠に保存するために、世界そのものをガラス瓶に詰め込みかねない。


「どうした、アウレリア。喜びのあまり言葉を失ったか? ああ、心配しなくても、あの『ハゲ王子』と『偽聖女』は、ちゃんと別の場所で、君の余興のために保存してあるよ」


 ハドリアヌス陛下がパチンと指を鳴らすと、鏡の映像が浮かび上がった。


 そこは、ドームの外側に設置された「魔導ゴミ処理施設」の一角だった。

 かつてのソリス王国第一王子カッシウスは、今や見る影もない姿で、巨大なゴミの山と格闘していた。


「ひい、ひい……! なんだ、このゴミは! いくら片付けても、空から降ってくるじゃないか!」


 カッシウスが叫ぶと、上空から「ドサッ」と、ソリス王宮から運び出された大量の「腐った家具」や「カビたドレス」が降り注ぐ。

 それは、彼らが私を追い出したことで維持できなくなった、彼ら自身の強欲の残骸だ。


「おい、ルキッラ! お前も歌え! アウレリアが言っただろう、お前の歌がゴミの発酵を抑えるんだと!」


「……もう無理よぉ……。声が出ないわ……喉が痛くて」


 隣でルキッラが、老いたカラスの鳴き声のような掠れた声で、聖歌を口ずさもうとしていた。

 彼女の周囲には、私の魔力によって『不快な臭い』が最適化されて固定されているため、彼女自身が動くたびに、自分自身の放つドブ臭に咽せて涙を流している。


 さらに皮肉なことに、彼らの足元には、私がかつて品種改良した『喋る食肉植物』たちが、野生化して元気に繁殖していた。


『アケロ、アケロ!(口を開けろ)』

『コンコン、ホネ、ウマイ!(骨、美味い)』


「ぎゃああああ! 私の足を噛むな! あっちへ行け、この醜い化け物!」


 カッシウスが逃げ惑うが、私の『最適保存』によって彼の体力は常に「ギリギリ死なない程度」に維持されているため、倒れることさえ許されない。

 彼は一生、自分の吐き散らしたゴミを片付け、自分が育てた(放置した)怪物に追いかけ回されるという、最高に皮律な「永久機関」の一部と化していた。


「……あ、アウレリア様……。助けて……。私、もう一度、あの綺麗なドレスを着たいの……」


 ルキッラが鏡に向かって手を伸ばすが、その指先は泥と垢で真っ黒だ。

 かつての彼女が、私のドレスを汚して笑った、あの時と同じように。


 映像が消える。

 私は冷めた紅茶を一口飲み、小さく息を吐いた。


「……陛下。あの二人、少しだけ楽しそうに見えなくもありませんわね」


「そうか? ならば、もう少し『刺激』を追加してもいい。ゴミの山に、定期的に小爆発を起こして、常に安眠すらできぬサプライズをやろう」


「それは素晴らしいアイデアですわ。……ですが、陛下。お話が逸れましたわよ。……あのドーム(ジオラマ)のことですけれど。……私の思い出を保存してくださるのは嬉しいですが、あそこに住んでいた一般市民たちはどうなるのですか?」


「彼らは今、帝国の『市民権獲得試験』を受けている最中だ。……合格した者は、君の箱庭の『住人』として、清潔で健やかな生活を約束される。……ただし、彼らが一瞬でも君に不敬な態度を取ったり、君の魔力を当然のものだと考えたりした瞬間、彼らの家は瞬時に砂へと還る契約になっている」


 ……徹底している。

 ハドリアヌス陛下にとって、世界は「アウレリアを喜ばせるための舞台」か、「アウレリアを不快にさせるゴミ」かの二種類しかないらしい。


「陛下。……あまりやりすぎると、私が『独裁者の愛妾』として歴史に名を残してしまいますわ」


「愛妾? 違うな。君は我が帝国の『絶対神』だ。私はその神殿を守る、一番執念深い神官に過ぎない。……アウレリア。君が望むなら、私はあの大陸の反対側にある海さえも、君の瞳の色と同じ翡翠色に染め変えてみせよう」


 陛下は私の頬に手を添え、至近距離で見つめてくる。

 その瞳は情熱というよりは、もはや信仰に近い熱を帯びていた。

 この男に愛されるということは、世界そのものを自分の色に塗り替えられるということだ。


「……海の色を変えるのは、生態系が壊れますのでおやめください。……その代わりに、陛下。あそこのドームの中にある、私の実家……フェリキタス公爵邸の図書室だけは、当時のままに再現してくださる?」


「お安い御用。……ついでに、君が読みたがっていた禁断の魔導書も、隣接する国の国立図書館から『永久借用(略奪)』して、並べておこう」


「あら。それは楽しみですわね」


 私は陛下の胸元にそっと頭を預けた。

 独善的で、強引で、どこか狂っている皇帝。

 けれど彼が差し出す「世界」は、どこまでも清潔で、瑞々しく、私という存在を全肯定してくれる。


 ソリス王国で「都合の良い防腐剤」として扱われていた頃の私が、もし今の姿を見たら、何と言うだろう。

 ……きっと、扇で口元を隠して、こう笑うに違いない。

 『あら。ゴミ掃除を卒業したら、今度は世界の中心を飾る宝石になってしまったようですわ』と。


「……アウレリア。今夜は、その『ジオラマ』の完成を祝して、二人だけで前祝いをしよう。……君が触れるものすべてが、永遠に輝き続けるように……私の心も、君の魔法で永遠にこの狂熱のまま固定してほしい」


「陛下……私の魔法を使わなくても、貴方のその執着心は、すでに金剛石ダイヤモンドよりも硬く保存されている気がいたしますわ」


「くく……。最高の褒め言葉だ」


 陛下の唇が、私の唇を塞ぐ。

 その甘い口づけは、これからの「永遠」という名の監禁生活を予感させる、芳醇で少しだけ毒のある味がした。


 ソリス王国が完全に歴史の闇へと腐り落ちる中。

 ルナ帝国の北には、一人の令嬢の「思い出」を閉じ込めた、美しくも残酷な銀の箱庭が輝き続けることになる。

 ……そこには、もう、誰も私を傷つける不潔な指先は届かない。


 さて。

 明日は、あのハゲた元王子に、どの種類の「喋る植物」をプレゼントしてあげましょうか?


 私の復讐と溺愛の日々は、まだ、始まったばかりなのだから。

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