表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/6

国宝溺愛マニュアル

 ルナ帝国の朝は、私の「美学」が試される時間から始まる。

 私が目覚めるよりも早く、寝室には帝国の至宝とも呼ばれる最高級の絹織物が運び込まれ、専属の侍女たちが十数人も控えている。彼女たちは私に触れる際、まるで「国宝の修復」でも行うかのように恭しく、震える手で身支度を整えてくれるのだ。


「……あの、皆様。私はただの人間ですので、そんなにピンセットで睫毛の角度を調整しなくてもよろしくてよ?」


「滅相もございません、アウレリア様! 陛下より『アウレリア様の服の産毛一本に至るまで、世界の秩序に基づいた配置を維持せよ』との厳命を賜っております!」


 世界の秩序。もはや何を言っているのか分からない。

 ハドリアヌス陛下の溺愛は、日が経つにつれて「過保護」という枠組みを軽々と飛び越え、一種の「狂気的なキュレーション」へと進化していた。


 身支度を終えた私が向かったのは、宮殿の中央に位置する「空中庭園」だった。

 そこには朝の執務を終えたハドリアヌス陛下が待っていた。彼は私の姿を認めると、彫刻のような端正な顔をこれ以上ないほどに綻ばせ、私の手を取って自分の椅子……ではなく、その隣に設置された「特等席」へと導いた。


「おはよう、アウレリア。今朝の君は、夜明けの光を閉じ込めたオパールのようだ。……ふむ、左足のアンクレットの角度が三度ほどずれているな。侍女たちには後で罰則が必要だ」


「陛下、朝から物騒な冗談はおやめください。……それで、この椅子は何かしら? 以前よりさらに、座り心地が『人間をダメにする』方向に特化している気がしますけれど」


「気づいたか。それは古代の魔導文明で使われていた『浮遊する安息の玉座』をベースに、君の魔力に合わせて最適化させたものだ。君が座るだけで、君の体温、心拍数、さらには魔力の放射効率を完璧な状態に保つよう設計されている。……いわば、君専用の『彫刻ケース』だね」


「彫刻ケース……。陛下、私はいつから美品になったのかしら?」


「彫刻などという静止した美ではない。君は『呼吸する芸術』だ」


 陛下は私の横に跪き、当然のように私の指先に唇を寄せた。

 その瞳には、私という存在を一時も逃したくないという、どろりとした執着が渦巻いている。この男、帝国の統治に関しては天才的な冷徹さを見せるくせに、私に関しては「理性」をどこかの異次元に置き忘れてきているらしい。


 そんな私たちの甘ったるい(あるいは狂った)時間を遮るように、一人の初老の男性が足音を荒立てて近づいてきた。

 帝国宰相、セプティムス卿だ。

 彼はルナ帝国の理性を司る男として知られ、ハドリアヌス陛下の暴走を唯一止められる人物……と言われているらしい。


「陛下! またそのような……! アウレリア様を『国宝』として扱うのは重々承知しておりますが、予算の三割を『アウレリア様専用のなにか』に充てるのは、いくら何でも国家の私物化が過ぎます!」


「セプティムスか。分からんか。これは哲学のような深遠への探求なのだ。アウレリアが歩く床が硬ければ、彼女の美しい踵に微細な傷がつく。それを防ぐための魔法銀コーティングは、国防予算と同じくらい重要だ」


「なにを仰っているのかまったく分りません。……アウレリア様からも、何か仰ってあげてください!」


 セプティムス卿が私に助けを求めてきた。

 私はシャーベットを一口飲み込み、優雅に微笑んだ。


「セプティムス卿。陛下の仰ることも一理ありますわよ。……現に、私がこの庭園を歩いたことで、そこの枯れかけていた『千年樹』が、今朝から新芽を吹き出し、伝説の果実を実らせ始めたようですわ。……あの果実一つで、帝国の魔導師百人分の魔力回復薬が作れるはず。予算の三割程度、すぐに元が取れるのではなくて?」


「な……っ!? あれは、五百年前に絶滅したはずの『ルナ・リア』の果実……!?」


 セプティムス卿が目を見開いて庭園の奥を見る。

 そこには、私の「無意識の加護」を浴びて、狂ったように瑞々しく輝く黄金の果実が鈴なりになっていた。


「……アウレリア様。貴女様は、もしや歩く資源埋蔵地なのですか?」


「失礼ね。私はただの、ちょっとだけ『鮮度』にうるさい女ですわ」


 私がクスクスと笑うと、ハドリアヌス陛下が私の腰を強く引き寄せ、セプティムス卿を鋭く睨みつけた。


「分かったか、セプティムス。彼女がそこにいるだけで、この国は、文字通り繁栄し、最適化される。彼女を甘やかすことは、帝国への投資なのだ。……さて、早朝会議は終わりだ。私は今からアウレリアに、新しく開発させた『思考を最適化するティアラ』を試着させねばならん」


「陛下……それは流石に、ただの洗脳道具では……」


「愛の囁きがより鮮明に聞こえるようになるだけだ。問題ない」


 セプティムス卿は深いため息をつき、頭を押さえながら去っていった。

 苦労人ですわね、あの宰相も。


 昼下がり。

 平和(?)なルナ帝国に、招かれざる客が再び訪れた。

 ……といっても、今回は国境の檻から引きずり出されたわけではない。


 ソリス王国から亡命してきた「元貴族」の一団が、正装(とはいえ、加護を失ってボロボロになった服を必死に繕ったもの)をして、謁見を求めてきたのだ。

 彼らの中には、かつて私を「魔力の無駄遣い」と罵っていた侯爵夫人、リヴィアの姿もあった。


「……アウレリア様! ああ、お会いできて光栄ですわ!」


 リヴィア夫人は、わざとらしいほどに深く頭を下げた。

 だが、その顔には私の最適化魔法が解けたことによる「加齢」の波が容赦なく押し寄せており、首元には贅沢のしすぎで溜まった老廃物が、醜い皺となって刻まれている。


「リヴィア夫人。……随分と、お顔の『鮮度』が落ちましたわね。市場に並んでいたら、二束三文でも買い手がつきそうにありませんわ」


 私の言葉にリヴィア夫人の顔が引きつる。


「お、おほほ……相変わらずお厳しい。……実は、私たちは貴女様にお願いに参ったのです。……見てください、ソリス王国はもう地獄ですわ。食べ物はすべて苦くなり、絹は肌を刺すトゲに変わり、あろうことか王子殿下は……あの輝かしい髪をすべて失われました。……どうか、一度だけでいいのです。我が国の領土にそのお手をかざしてはいただけませんか?」


「お断りしますわ。……私はもう、あの国の『防腐剤』ではありませんもの」


「そんなことを仰らずに! ……実は、私たちは貴女様の力を研究し、ある結論に達したのです。貴女様の魔法は、周囲の人間を『若返らせる』効果もあるのでしょう? ……ならば、私たちにその魔法をかけてくだされば、私たちはルナ帝国で貴女様の『忠実な僕』として働くと誓いますわ!」


 リヴィア夫人の瞳の奥に、卑しい欲望が見えた。

 彼女たちは、私の力を自分たちの「美容」と「延命」のために利用しようとしているだけだ。

 かつて私を蔑んでいたくせに、自分たちが腐り始めると、恥も外聞もなく縋り付いてくる。


 私はハドリアヌス陛下の顔を見た。

 陛下は信じられないほど冷ややかな笑みを浮かべていた。


「アウレリア。この醜い肉の塊どもに、君の清浄な魔力を一滴でも分けてやる必要はない。……だが、彼らが『若返り』を望んでいるというのなら、叶えてやってもいいのではないか?」


「あら、陛下。貴方がそんな慈悲深いことを仰るなんて」


「フフ……。君の魔法で、彼らの『細胞の活性』を、最もエネルギーに満ちていた時代まで――具体的には『赤ん坊』の頃まで巻き戻してやるのはどうだ?」


 陛下の提案に、元貴族たちが色めき立った。

「赤ん坊の頃のような肌に!? まあ、素晴らしい!」


 ……彼らは気づいていない。

 大人の知識と記憶を持ったまま、肉体だけが赤ん坊になれば、それは単なる「無力な肉塊」への退化であることを。

 そして私の『最適保存』は……一度固定すれば、そこから「成長」することさえ許さないということを。


「よろしいでしょう。皆様の熱意に免じて、私の魔力を『最適化』して差し上げますわ」


 私は立ち上がり、優雅に指を鳴らした。

 翡翠色の光が、リヴィア夫人たちを包み込む。


「さあ、戻りなさい。貴方たちが最も『純粋』で、まだ誰の役にも立っていなかった、あの無垢な時代へ――」


 ――次の瞬間。

 謁見の間には、山のように積まれた「豪華なドレスの残骸」と、その中から聞こえてくる「オギャア、オギャア」という、数十人分の凄まじい泣き声が響き渡った。


 そこには、シワシワの元貴族たちの姿はなく。

 ただ、プライドだけは大人並みに高い、扱いづらいことこの上ない「赤ん坊の集団」が転がっていた。


「……陛下。これ、どうしましょう?」


「セプティムスに命じて、帝国の養育施設に送れ。……ただし、彼らが大人になるまで成長することはない。死ぬまでその『若々しい姿』で、一生を保育園で過ごすことになる。……かつて君を蔑んだ罰としては、妥当なところだろう?」


 陛下は、泣き叫ぶ赤ん坊たちをゴミのように見やり、私を抱き上げた。


「さあ、不快なゴミの処理は終わった。……アウレリア、君が消費した魔力を補充しなくては。今夜は、君の全身に『魔力を活性化させる秘薬』を塗り込む儀式をしよう。……もちろん、私の手でね」


「……陛下。その儀式、裸になる必要はありませんわよね?」


「国宝のメンテナンスに、衣服という遮蔽物は不要だ」


 皇帝の腕の中で、私は確信した。

 ソリス王国を腐らせ、元貴族を赤ん坊に変えた私の復讐は、順調そのものだ。

 けれど、この「溺愛」という名の底なし沼から抜け出す方法は……どうやら、私の最適化魔法を以てしても、一生見つかりそうにない。


 まあ、それも悪くないかしら。

 だって、この男の隣にいる限り、私は一生「鮮度」を失うことなく、愛され続けることができるのだから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ