ようこそ、最下層の亡命生活へ。ええ、元王子も元聖女も平等です
翌日。ルナ帝国の国境付近。かつては静かな森だったその場所には、今や「異臭」を放つテントが立ち並んでいた。
ソリス王国から逃げ出してきた亡命者たちだ。
彼らは、かつて「洗濯板」と蔑んでいた私の加護が消えたことで、自分たちの肉体や生活がどれほど不潔で脆弱なものだったかを、身を以て知ることとなった。
私は今、国境を見下ろす豪華な見張り塔に座っている。
私の周りには、魔導冷却装置によって常に十五・五度に保たれた涼やかな風が吹き、手元には最高級のアレキサンドリア産ブドウを使ったシャーベットが用意されている。もちろん、私の『最適保存』によって、溶ける直前の「最も美味しい瞬間」が永遠に維持されている逸品だ。
「……陛下。あの汚らしい一団の中に、見覚えのある毛根の持ち主がいるようですわ」
望遠鏡を覗きながら私が指差した先。
泥にまみれた馬車から這い出してきたのは、かつての私の婚約者、カッシウスだった。
彼のカツラはもはや見る影もなく、頭頂部には申し訳程度の産毛が、酸性雨に打たれた芝生のように力なくへばりついている。
その後ろからは、ボロボロの毛布を纏ったルキッラが、震えながらついてきていた。彼女の自慢だった桃色の髪は、今や湿気った藁のような質感に変わり、顔中に広がる湿疹はもはや隠しようもない。
「ふむ。あれがソリス王国の第一王子と、偽聖女か」
私の隣で、冷えたシャンパンを傾けていたハドリアヌス陛下が、望遠鏡をさっと手に取り、心底ゴミを見るような目で言った。
「衛兵。あの汚染物質どもが国境線を踏み越えないよう、警戒網を最大にしろ。万が一、我が帝国の空気が一ミリでも穢れたら、許さんぞ」
「はっ! 直ちに!」
陛下の過保護……もとい、潔癖症は今日も絶好調だ。
私はシャーベットを一口含み、ひんやりとした甘みに目を細めた。
「あら、陛下。そんなに邪険になさらなくても。彼らはわざわざ、私に『謝罪』に来たのかもしれませんわよ?」
「謝罪? 宝石を泥の中に落とした者が、今さら泥だらけの手で拾おうとするのが謝罪か? それは傲慢というものだ、アウレリア」
陛下は私の手とって引き寄せ、当然のように私の指を絡め取った。
「だが、君が『余興』を楽しみたいというのなら、少しだけ近くで吠えさせてやろう。……おい、あの二人を魔法封じの檻に入れ、ここまで引きずり出せ」
シャーベットを堪能し終えた数十分後。
展望台の階下、重厚な鉄格子の向こう側に、カッシウスとルキッラが転がされた。
彼らの周囲には、私の魔力による「清浄な結界」が張られているが、それは慈悲ではない。彼らが放つ凄まじい腐敗臭が、こちら側に漏れ出さないための「防臭処置」だ。
「ア、アウレリア……! アウレリアなのか!」
カッシウスが格子にしがみつく。その指先は泥で黒ずみ、爪の間にはカビのようなものさえ見えた。
「ああ、見てくれ、この無惨な姿を! お前がいなくなってから、我が国は呪われた! 食べ物は腐り、民は病に倒れ、王宮の壁からは毒キノコがニョキニョキと生えてきたんだ! これは全部、お前のせいだろう! 今すぐ魔法で元に戻せ! そして、大人しく私と一緒に戻るんだ!」
私は優雅に立ち上がり、手すりの向こう側を見下ろした。
「……失礼ですが、どなた様かしら? 私の知っているカッシウス殿下は、もう少しこう……『毛量』に自信をお持ちで、選民意識だけは人一倍高い、清潔感だけが取り柄の(上辺だけの)殿下でしたが」
「貴様ぁ! そんな戯言を言っている場合ではない! これは緊急事態だ! そして私を馬鹿にするな!」
「馬鹿にはしていませんわ。ただ、事実を述べているだけ。殿下、貴方は仰いましたわね? 私の魔力は『防腐剤』のようで薄気味悪いと。……今、その薄気味悪い防腐剤がどれほど恋しいか、そのスカスカになった頭皮で噛み締めていらっしゃるのかしら?」
横からルキッラが泣き叫ぶような声を上げた。
「アウレリア様! お願い、助けて! 私の顔を見て! あんなに綺麗だった私の肌が、こんなにボロボロなの! 貴女なら治せるんでしょう!? 聖女の座なんて、貴女に返すから! だから、元の私に戻して!」
私はルキッラをじっと見つめ、そして深くため息をついた。
「ルキッラ。勘違いしないで。貴方の肌が荒れたのは、私のせいではありませんわ。……貴方が、美容に良いと言って毎日食べていた『若返りの果実』。あれ、私が毎日魔法で毒素を抜いて、鮮度を保っていたから食べられたのですよ? 本来あれは発酵毒を出す危険な果実。……貴方の今の姿は、自業自得というより、『蓄積された不摂生の現れ』に過ぎませんわ」
「そ、そんな……嘘よ! 貴女が私を妬んで、毒を仕込んだんでしょう!?」
「妬む? 私が貴方を? ……陛下、今のジョーク、これまでの人生で一番笑えましたわ」
ハドリアヌス陛下が、冷たい笑みを浮かべて私の肩を抱く。
「聞け、ソリス王国の残飯ども。アウレリアは、我が帝国の国宝だ。その国宝が、かつて君たちのためにどれほどの労力を割いていたか。……君たちは、ダイヤを文鎮代わりに使い、それがなくなった途端に紙が飛んでいくと騒いでいる愚か者だ」
陛下が指を鳴らすと、衛兵たちが檻の中に「黒いパン」と「濁った水入り瓶」を投げ入れた。
「ルナ帝国は慈悲深い。亡命者には食事を与える。……ただし、それは帝国における『最下層の配給品』だ。君たちのような高貴な方々には、さぞかし瑞々しくて美味しい食事に感じられるだろう?」
カッシウスが、泥まみれのパンを掴み、むさぼるように食べた。
だが、彼が一口飲み込んだ瞬間、彼の顔が緑色に変わった。
「……っ、ぐふぁ! なんだ、このパンは! 硬くて、カビ臭い……! アウレリア、魔法でこれを最高級の白パンに変えろ! 命じる、今すぐだ!」
「命令? ……ああ、懐かしい響きですわね〜。でも残念ながら、今の私の主人は、隣で私の腰を離してくださらない、この少々……いえ、かなり独占欲の強い皇帝陛下だけですの」
私は、陛下の手をそっと握り返し、檻の中の二人に向かって冷たく、けれど最高の笑顔を向けた。
「ところで、お二人とも。ルナ帝国への『亡命』を希望されるのでしたら、最低限の義務を果たしていただかなければなりませんわ」
「義務だと……?」
「ええ。帝国の国境付近には、広大な『魔導ゴミ処理場』がございますの。あそこのゴミは、放っておくと悪臭と毒素を撒き散らしますが……不思議なことに、ソリス王国の王族や貴族の『腐敗した体質』は、あそこのゴミと非常に相性が良いらしいのですわ」
私は扇を閉じ二人を指し示した。
「殿下は、その自慢の権勢欲を活かして、ゴミ山の監督官を。ルキッラは、その偽りの聖女の祈りで、ゴミがこれ以上発酵しないように一日中歌い続けてください。……ああ、大丈夫ですよ。私の魔法で、お二人が『過労死』しないように、最低限の生命活動だけは永遠に最適化(保存)して差し上げますから」
「なっ……死ぬまでゴミ拾いをしろと言うのか!? この私に!」
「死ぬまで、ではありませんわ。……死んでも、ですわよ? だって、私の魔法があれば、貴方たちは腐ることも許されず、永遠にその無様な姿で働き続けることができるんですもの」
カッシウスとルキッラの顔から、血の気が引いた。
死ぬことさえ許されず、醜い姿のまま、永遠にゴミを拾い続ける。
それは、誇り高い(と思い込んでいた)彼らにとって、死よりも凄惨な「ざまあ」だった。
「ひ、ひいいいっ! 嫌よ! そんなの嫌ああああ!」
ルキッラが叫びながら檻の中で暴れるが、彼女が動くたびに、私の魔力が彼女の「不潔さ」を最適化し、彼女の体から永遠に消えない強烈な「ドブの臭い」を固定していく。
「……アウレリア、君の慈悲は相変わらず美しいな」
陛下が満足げに囁き、私の耳朶に唇を寄せた。
「さて、ゴミの処理方針は決まった。……次は、私たちの『愛』の鮮度を維持するための時間だ。秘宝庫で見つけたあの『古代の婚礼衣装』、君の魔法で最適化してくれただろう? 今夜、それを着て私の寝室に来てほしい」
「……陛下、それは公務の範疇を超えておりますわ。それに、婚礼衣装を寝室で着るなんて、どんな趣味をお持ちなんですの?」
「国宝の『正しい展示方法』を模索しているだけだよ」
陛下は私を軽々と横抱きにし、展望台を後にした。
背後からは、檻の中から響くカッシウスとルキッラの絶叫が聞こえてきたが、それは私にとって、デザートにさえならなかった。
ソリス王国というカビ臭い過去を捨て、私は今、最も美しく、最も狂おしい「永遠」を手にしている。




