聖女(笑)の化けの皮、剥がして差し上げますわ
ルナ帝国の秘宝庫は、もはや「倉庫」という概念を超越した、歴史の残骸が積み上がる静かなる墓標だった。
天井の見えないほどの高い壁には、数千年前の古代神話の時代から、歴代皇帝が収集してきた呪物、聖遺物、そして正体不明の「ガラクタ」が、魔力を遮断する特殊な銀の鎖で封印されている。
「……酷い有様ですわね。せっかくの宝物たちが、時間の重みに耐えかねて悲鳴を上げていますわ」
私は、埃一つないはずの床(私の足元から順に、魔力が自動的に清掃していくためだ)を歩きながら、眉をひそめた。
ハドリアヌス陛下は、私の隣で満足げに目を細めている。
「そうだろう? 我が帝国の魔導師たちも手を焼いている。修復しようと触れれば崩れ、魔力を注げば暴走する。だが、君ならどうだ?」
「試してみるまでもありませんわ」
私は、目の前にあった「錆び付いた巨大な黄金の天秤」に指先を触れた。
かつて、魂の重さを量ったと言われる伝説の秘宝。今では歯車が固着し、黄金の輝きも失われ、ただの歪な金属の塊に成り果てていた。
私の指先から、淡い翡翠色の光が染み込んでいく。
私の『最適保存』は、単なる修復ではない。その物質が「最も美しく、最も機能的であった瞬間」へと修復し、現在という時間に強制的に固定する。
――キィ、という硬質な音が響いた。
瞬時に錆が剥がれ落ち、霧散する。
くすんでいた黄金は、まるで内側から発光するかのような神々しい輝きを取り戻し、天秤の皿は完璧な水平を保って揺れ始めた。
周囲の空気が、秘宝が放つ本来の清浄な魔力によって浄化されていく。
「……完璧だ。一瞬で『神話の時代』が蘇った。アウレリア、やはり君をこの国に連れてきたのは、史上最高の投資だったよ」
陛下は私の背後から、当然のように腰に手を回した。
そのまま首筋に顔を埋め、深呼吸をする。
「陛下、くすぐったいですわ。……それに、あまり近づきすぎると、陛下のその『歪んだ性根』まで最適化されて、爽やかな熱血皇帝になってしまいますわよ? よろしいので?」
「ははは! それは困る。私はこの歪んだ愛着を持って、君を一生愛でるつもりだからね。……だが、君の魔力がこれほどまでに高まっているのは、もしや『あちら』の状況と連動しているのか?」
陛下の言葉に、私は薄く笑った。
そう。私の魔力は、私が「保存」していた対象が失われるほど、その反動で私の手元に収束する性質がある。
つまり、ソリス王国が腐れば腐るほど、私の力は増していく。
「ええ。ちょうど今、面白い光景が見られそうですわ。陛下、隣国の様子を映す鏡はありますか?」
「それなら、今しがた修復したその天秤の横にある『真実の姿を映す銀鏡』を使おう。君が触れれば、最高画質で絶望が見られるはずだ」
銀鏡に映し出されたのは、ソリス王国の王宮前広場だった。
そこでは今、ある「儀式」が行われようとしていた。
『――皆の衆、案ずるな! アウレリアという魔女が去り、我が国に災いが降りかかっているが、我らにはこの方がおられる! 新たなる聖女、ルキッラ様だ!』
カッシウス殿下の声が、鏡越しに響く。
彼の頭頂部は、急ごしらえのカツラで覆われていたが、私の目には、その下の不毛の地と化しているのが透けて見えた。
そして壇上に現れたルキッラ。
彼女は、かつて私が着ていた予備の聖装を身に纏い、必死に微笑んでいる。
だが、その肌は厚化粧で無理やり隠されているものの、端々に赤い湿疹が浮き、目は焦燥で血走っていた。
「……あら。私の『お下がり』を着ているのね。サイズが合っていないようですけれど」
『さあ、ルキッラ様! その清らかな祈りで、この腐敗した広場を、そして病に苦しむ民を救ってください!』
ルキッラが震える手で祈りを捧げる。
「聖女の癒やし――」
彼女が叫ぶと、確かに指先からキラキラとした光の粒子が放たれた。
一見すると、美しい奇跡のように見える。
集まった民衆からも歓声が上がった。
……けれど私は知っている。
彼女の魔法は、単なる「光の幻影」に過ぎない。
表面を光らせ、一時的に麻痺させるだけの安っぽい手品だ。
私がいた頃は、私が裏で王宮全体の「保存」を維持していたから、彼女の安っぽい魔法でも、あたかも奇跡が起きたかのように見えていただけなのだ。
「……陛下。少し、スパイスを加えてもよろしいかしら?」
「いいとも。君の望むままに」
私は鏡に向かって、指先を弾いた。
送ったのは、攻撃魔法ではない。
ただの『真実の最適化』だ。
鏡の向こうで、異変が起きた。
『あ……あああ!? なんだ、これは!』
ルキッラが放った光が、彼女自身の体に逆流した。
いや、逆流したのではない。
私の魔力が、彼女が魔法で「隠していたもの」を、強制的に「あるべき姿」へ最適化したのだ。
バリバリ、という不気味な音が広場に響き渡る。
ルキッラの背負っていた「天使の羽(魔法道具)」が、急速に劣化して鳥の抜けた羽のようにボロボロになり、中から黒い煙を噴き上げた。
さらに、彼女が着ていた「聖装」が、私の魔力に反応して『本来の持ち主(私)』ではない不純物を拒絶するように、みるみるうちに縮んでいく。
『ひっ、ひいいいいいっ! 服が、服が……!』
民衆の前で、ルキッラのドレスがビリビリと裂け、その下から現れたのは――。
「聖女」とは程遠い、欲望と不摂生にまみれた、ぶよぶよとした醜い肉体と、全身を覆う凄まじい蕁麻疹の嵐だった。
『ぎゃああああ! 臭い! ルキッラ様から、ドブのような臭いがするぞ!』
『見てくれ、あの顔! 化粧が剥げて、老婆みたいだ!』
民衆の歓声は、一瞬にして悲鳴と罵声に変わった。
ルキッラの魔法――「若返りと清浄の幻影」が完全に剥げ落ちたのだ。
『殿下! カッシウス殿下、助けて!』
ルキッラがカッシウスに縋り付く。
しかし、混乱したカッシウスが彼女を突き飛ばそうとした拍子に、彼のカツラがポロリと地面に落ちた。
白日の下に晒される、王子の無惨な頭頂部。
そして、彼が着ていた豪華なマントも、私の『最適化』の余波を受けて、瞬時にカビだらけのボロ布へと変貌した。
『……ハゲだ! 王子がハゲているぞ!』
『聖女様も王子も、腐っている! アウレリア様がいた時は、こんなことはなかった!』
『アウレリア様を返せ! あの御方こそが、我が国の宝だったんだ!』
暴徒と化した民衆が、壇上に押し寄せようとする。
衛兵たちも、自らの甲冑が錆びて崩れ落ちていく恐怖に、持ち場を捨てて逃げ出し始めていた。
「ふふふ……。あはははは! 傑作だ! アウレリア、君は最高だよ!」
ハドリアヌス陛下は、腹を抱えて笑っていた。
鏡に映る地獄絵図は、ブラックコメディとしては最高級の出来栄えだった。
「あら、私はただ、皆様に『真実』をご覧いただいた。それだけですわ。……さて、陛下。お楽しみはここまでです」
私は鏡を指先でなぞり、映像を消した。
心地よい達成感と共に、僅かな虚しさがある。
あんなに必死に守ってきた国が、私一人が抜けただけで、これほどまでに脆く、汚く崩れ去るものなのかと。
「……ソリス王国は、もう終わりね。あの腐敗は、もう誰にも止められない」
「そうだね。あそこはもう、国家という名の巨大な死体だ。……だが、アウレリア。死体から逃げ出した宝石は、新しい台座で輝く義務がある」
陛下は私の手を取り、跪いた。
秘宝庫に眠る何千もの宝物たちが、一斉に共鳴するように光を放つ。
その中心で、皇帝は私の瞳をじっと見つめた。
「私の帝国を、君の魔力で満たしてほしい。君が歩く道には花を、君が眠る部屋には永遠の静寂を。……そして、私の隣には、常に君という名の『国宝』を。……公式に、プロポーズをさせてもらえないか?」
「……陛下。私、追放されたばかりの傷心の身ですのよ? そんなに早く次を決めろとおっしゃるの?」
「傷心しているようには、微塵も見えないがね。……それに、君を狙っているのは私だけじゃない。君がその力を開放すればするほど、世界中の王たちが君を奪いに来るだろう。……だから、今のうちに私の印をつけておきたいんだ」
陛下は私の薬指に、先ほど修復したばかりの「神話の指輪」を嵌めた。
指輪は私の魔力と混じり合い、瞬時に指のサイズを最適化し、二度と外れないように肌に馴染んだ。
「……あら。これ、私の許可なく嵌めましたわね?」
「国宝は、厳重に施錠しなければならないからね」
皇帝の独占欲に満ちた微笑み。
私はため息をつきながらも、その温かな指の感触を拒まなかった。
腐敗し、崩れ落ちていく過去。
そして狂おしいほどの愛と、永遠の輝きが約束された未来。
私はもう振り向かない。
私の居場所は、カビ臭い玉座の隣ではなく、この狂気さえも美しい、銀の帝国の中心にあるのだから。
「いいですわ、陛下。……ただし、私の『保存』の対象に、陛下の『浮気心』は含まれておりませんから。もし万が一そんなことがあれば……陛下を、永遠に『瑞々しい死体』として保存して差し上げますわ」
「ははは! それは心強い。……最高の誓いの言葉だよ、アウレリア」
私たちの笑い声が歴史の詰まった秘宝庫に響き渡る。
その外では、帝国の魔導騎士たちが、ソリス王国からの「亡命希望者」という名のゴミ(貴族)を掃除するために、静かに剣を抜いていた。




