36.異変と恐怖と……ご懐妊?!
お披露目夜会から数日後。
いつもの平和な日常が戻ってきていた。
ミラは図書館のいつの間にか、『ミラ専用』になっている読書スペースで静かに本を読んでいた。その隣で同じく静かに本を読むノア。
そんな穏やかな日常にミラは夜会で感じたあの違和感のことはすっかり忘れてしまっていた。
元々、ただ病気のことを知りたいというのと、ノア殿下の魔力過多についてもしれたらいいという純粋な気持ちでで調べにほぼ毎日通っていたためか、この場所が今や『ミラローズ妃殿下専用』の場所として城内に定着し、居心地よく整えられている。
激しい運動もすることなく、いつも通りの居心地の良い良い時間。ノアが時折、ミラの様子を伺い声をかけてくる。その温かい心地良さに包まれるだけで、あの夜会のダンスの時に感じた違和感でさえも、ただののぼせから来る気のせいなのではと思えていた。
静寂の中、入口の方からバタバタと慌てた足音が近づいて来た。
「失礼いたします。⋯⋯ノア殿下、ミラローズ妃殿下。⋯⋯突然押しかけてしまい大変申し訳ありません!」
息を切らした様子で現れたのは、数日前にミラローズの『減少の病』のことを診断してくれた王城の専属医だった。特に約束もしていない、医師の血相を変えた様子にノアが不審そうに眉をひそめる。
「⋯⋯先生? ミラのことでなにか?」
「はい、どうしても、先日の診断後から気になることがございまして。いてもたってもいられずこうして参ってしまった次第です」
先生の表情が真剣で、どこか焦りを孕んだように感じた。その顔を見た瞬間、ミラの奥底に眠っていた記憶が呼び覚まされ、あの感覚が蘇る。
(⋯⋯あ、)
ドクン、と心臓が大きく高鳴る。
すっかり忘れていた、あの夜会のダンスの最中に感じていた、胸の奥がキュッと引っ張られるような、不思議な感覚。
(あの夜の感じていた違和感は⋯⋯気のせいじゃなかったんだ⋯?!)
あの、余命一年と言われていた時の、じわじわと命の灯火が削られていく、恐怖がフラッシュバックし、ミラの顔から一気に血の気が引いていく。
「……先生、私の『減少の病』に、何かおかしなところでもあったのでしょうか?」
震える声で尋ねるミラの手をギュッとノアが力強く握る。ノアの瞳にも焦りのような色が滲む。
「ミラローズ妃殿下、落ち着いて聞いてください。病気が悪化した訳ではありません」
ミラの顔が青ざめたのを見て、慌てて安心させるように首を振る。
「⋯⋯悪化したわけでは⋯⋯ない?」
聞き返したミラの声に、ノアも握る手を緩めることなく医師の言葉を待った。
医師は頷くと、真剣な眼差しをミラに向けた。
「はい。前回のデータを持ち帰り何度も見直したのですが、医学書にも載っていない不思議なブレがございまして。⋯⋯ミラローズ妃殿下、失礼ですが、お身体に何かいつもと違う変化は、ございませんでしたか?」
「⋯⋯いつもと違う、変化ですか⋯⋯?」
ミラは戸惑いながら、先程思い出したあの感覚を思い浮かべた。
「⋯⋯あの、えっと、婚姻の儀からしばらく経ってからの1ヶ月程前くらいから、身体がポカポカと熱いような感覚はありまして。⋯⋯ノア様の魔力で満たされたからなんだって思っていたんです。⋯⋯先日の夜会で、ダンスを踊ったときに胸の奥で、何かに魔力が引っ張られるような感じがしたんです。⋯⋯なにか不思議な感覚で」
ミラが記憶を辿りながら、打ち明けると、ハッとした表情で目を見開いた。
「⋯⋯身体の火照りに魔力が引っ張られるような感覚⋯⋯やはりそうでしたか」
「せ、先生? どういう⋯⋯こと?」
納得したような医師の様子に、ミラは首を傾げる。ノアも固唾を呑んで見守る。
医師は、大きく息を吸いこみ、2人の顔を見据え、確信した事実を告げた。
「ミラローズ妃殿下⋯⋯おめでとうございます。あなたのお腹に新しい命が宿っております。ご懐妊ですよ」
「「―――⋯⋯え?」」
静寂の図書館に、思考停止したノアとミラローズの2人の声が重なった。
医師の予想外の言葉に2人はただ目を見開いて、互いに見合わせることしか出来なかった。
「⋯⋯ご懐妊⋯⋯? 私と、ノア様の、赤⋯⋯ちゃん?」
信じられないといった様子で、ミラはそっとお腹に手を当てる。隣でノアも驚きと愛おしさの交ざったような表情でミラを見つめる。
だが、医師の表情は決して明るいものではなかった。
「⋯⋯お喜びの前に、お二人とも冷静に聞いてください。前例がないため、確実なことは言えませんが、これからの妊娠期間は命懸けになります」
医師の厳しい指摘に、ノアが握る手のに力を込める。
「⋯⋯どういうことだ? ミラに⋯⋯なにか危険があるのか」
「はい。お子が育つには、どうしても魔力を消費します。ですが、ミラローズ妃殿下の核が空な以上、母体を通じて殿下から受け継ぐ魔力を凄まじい勢いで消費するはずです」
深く息を吐き、医師として冷酷な危機感を告げる。
「このままお腹の子が育って大きくなっていけば、かなりの魔力を消費します。そうするとこれまでの『魔力提供』だけでは、供給量が足りなくなるかもしれません。もっと多くの、濃密な魔力を流し込まなければ、ミラローズ妃殿下の身体の方が持ちません」
医師の言葉に、ノアの瞳に焦りと恐怖が宿る。
ミラを絶対に失いたくない。だが、ノアにはどうすれば口付けだけで普段以上の膨大な魔力を注ぎ込めるのか検討もつかなかった。
「⋯⋯私も探らせていただきますが、お2人ともいつもここでお調べになっていると聞きました。諦めずに探っていってください。⋯⋯それでは今日はこれで失礼します」
医師はそう言うと一礼し退出して行った。
パタン、と静かにドアが閉まる。
お医者様が去った後の空間には重苦しい静寂だけが残されていた。
「ノア様⋯⋯」
ミラローズが不安げにノアの顔を見上げる。
ノアは、生気が失われそうなくらい青ざめたミラの体を壊れ物を扱うようにそっと抱き寄せ、その額に優しく唇を寄せた。
「怖がらせてすまない。⋯⋯大丈夫だ、ミラ。絶対に、お前も、お腹の子も死なせはしない。俺が絶対に守る」
ミラを安心させるように優しい声で囁きながらも、ノアの黄金の瞳の奥に焦りが揺らぐ。
口付けだけでは、これからは消費量が追いつかないかもしれない。ならば、どうすればいい?
(⋯⋯どうすれば⋯⋯。もしかして、あいつならば)
ノアの脳裏に、真っ先浮かんだのはルーカスだった。友であり、優秀な右腕であったあいつ。
元王太子である、優秀な頭脳を持ってしてでも、自らの濃度の上がった魔力生み出す方法など⋯⋯見当もつかない。
だが、あの男なら――あいつなら濃密な魔力を生み出す方法を知っているかもしれない。
(一刻の猶予もない。すぐにルーカスのところへ行く――!)
ノアは腕の中の愛しい妻をもう一度強く抱きしめ、心の中でそう固く決意するのだった。




