35.お披露目夜会
婚姻後、初めてとなる公式の夜会。それは二人の正式な『お披露目夜会』だった。控え室で、ミラローズはいつも以上に豪華で気品あふれるドレスに身を包み、緊張で胸がいっぱいになっていた。
「本当にお美しゅうございます、ミラローズ妃殿下」
「ひ、妃殿下……っ!?」
お仕上げの髪飾りを留めながら、侍女のクロエが恭しく頭を下げてそう微笑む。
突然の響きにミラローズが大きく肩を跳ね上がらせると、クロエはクスリと楽しそうに悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「だってもう、ミラ様は正式に婚姻されて、妃殿下になられたのですよ?(笑)」
「も、もう、クロエ⋯⋯っ! からかわないでよ⋯⋯! それに、いつも『ミラ様』でしょ?!」
「ふふ、お披露目の夜会ですので、ついからかいたくなってしまいました。⋯⋯本当に綺麗ですよ。自信を持って行ってらっしゃいませ、ミラ様」
幼い頃からずっと一緒に過ごし、病の苦しみも一緒に戦ってきたクロエだからこその、愛のあるからかい。そのいつもの笑顔のおかげもあり緊張が少しだけ解れた。
そんなクロエに見送られ、会場へと向かった。
入口の扉の前でルーカスとノアが喋っていた。
「――ノア殿下。もう一度申し上げますが、本日はお二人の『お披露目』の夜会です。いいですか、絶対に公衆の面前でのイチャイチャとしたりすることと、のろけを撒き散らしたりしないでくださいね?」
「ルーカス⋯⋯。お前はなぜ、私の隣にそんな張り付いているんだ。邪魔だ、少し離れろ」
「離れられるわけがないでしょう。陛下から直々に『あいつは絶対に夜会でイチャイチャして騒ぎを起こしそうだから、お前が唯一のブレーキ役としてそばで見張っていてくれ』と直々のご命令なのですから」
ルーカスは完璧な騎士の礼を執りながらも、からかうように口元を緩めた。
国王陛下は、ノアの『重度な妻溺愛』は重々把握済みで、夜会の格式を守るためにはノアの暴走(のろけ、イチャイチャの暴走の方も含め)を唯一止められるルーカスへ直々に呼ばれてお願いをされていた。
「私は妻を愛しているだけであって――」
「あー、はいはい、それ以上は結構です。その冷徹な顔のまま今からのろけようとするのはおやめください。⋯⋯あ。ミラローズ⋯⋯妃殿下、お美しいですね」
振り返ったノアの瞳が、ドレス姿のミラローズを捉えた瞬間、とろけるような甘い熱を帯びる。
「可愛いよ、ミラ。世界で一番美しい⋯⋯」
「ノア様⋯⋯っ。あ、あの、リュカも?」
ノアが早くもミラローズの手を取って指先に口付けを落とそうとするのを、ルーカスが「ほら言った傍からこれだ。手を握るまでにしてください、殿下」と、にこやかに笑みを浮かべ握る手をスルッと離させた。
「はぁ⋯⋯。ミラも、こいつのこと止めてくれよ? 」
「ふふ、わかりましたわ、お兄様」
公の場としての礼儀は保ちつつも、どこか楽しそうな兄とノアの掛け合いに、ミラローズの心からはすっかり緊張が消え去っていた。
「さあ、行こうか、ミラローズ」
「はい、ノア様⋯⋯!」
ノアが優しく差し出した腕にそっと手を絡め、ミラローズは新しい立場、新鮮な日々へと、力強く一歩を踏み出すのだった。
「ノア・エヴァンズ殿下、ならびにミラローズ妃殿下、ご入場です!」という大声が響き渡り、会場の扉が開く――。
貴族たちの歓声と拍手に包まれながら、ノアにエスコートされて一緒に入場したミラローズは、王家専用に用意された一段高い壇上の席へと着席した。隣には、愛おしそうな視線を隠そうとしない夫のノア。そして二人の真後ろには、微動だにせず冷徹な騎士の顔のルーカスが控えている。
「ミラ、ドレスは苦しくない? 喉は渇いていないか? もし何かあれば、すぐ私に言ってくれよ?」
「ふふ、大丈夫です、ノア様。ありがとうございます」
席に着くや否や、周囲の目を気にすることなく、優しい低音美声でミラローズを気遣うノア。
すると、真後ろから、表情一つ変えない『完璧な臣下』の姿勢のまま、ルーカスが小さな声で囁いた。
「――ノア殿下。まだ夜会が始まったばかりです。それ以上ミラローズに近づくのはやめてください」
「見せつけておけばいいじゃないか」
「その甘すぎる視線は目に毒です。私の目を潰す気ですか? 」
「⋯⋯義兄さんは、相変わらず冷たいね」
「今、その呼び方はやめてください。現在はあなたの護衛です、ノア殿下?」
ルーカスはサラりと小言を言いい、ミラローズがクスッと小さく笑みを漏らす。
そんな彼らから少し離れた王家側の並びには、現王太子のアルトと、その婚約者であるシャルロット・ソレントが並んで座っていた。
アルトとシャルロットがこちらに気づき、上品に微笑みを浮かべそっとこちらの席へと近寄ってきた。
「ミラお姉様、改めてご婚姻おめでとうございます! 今日のドレス、本当に綺麗で見惚れてしまいました!」
「ありがとうございます、シャルロット様。シャルロット様のその鮮やかなドレスも、とてもよくお似合いで素敵です」
「ふふ、嬉しいです。アルト殿下と一緒に、ミラお姉様の……あ、これからはミラローズ妃殿下ですね。お美しいお姿を一番近くで見られて、私も幸せですわ」
シャルロットが嬉しそうに目を輝かせると、アルトも楽しそうに、けれど少しだけ隣の兄の様子を窺うようにして相槌を打つ。
「本当に、兄上がミラローズ義姉さんを独り占めしたくなる気持ちがよく分かるよ。ねえシャルロット、僕たちも兄上たちに負けないくらい、仲良くお披露目されたいね」
「まぁ、アルト殿下ったら……っ(ポッと頬を染める)」
ノアが一瞬だけ、冷徹王子の目で「ミラ」という響きに反応してピキッと魔力を放ちそうになり、後ろのルーカスが「おい」という、ノアにしか聞こえてないだろう程の小さめな声音でそれを制する。
アルトは兄のその「怖〜い顔」と気配を敏感に察知して、内心で(危ない危ない、やっぱり絶対に『ミラ』なんて略して呼べない⋯⋯っ)と冷や汗を流していた。
そんな弟たちのやり取りを横で見ながら、ノアがふっと誇らしげに胸を張った。
「アルト、仲良くするのは大賛成だが、私とミラの愛の深さには到底及ばないぞ。我が妻の愛らしさは、世界中のどんな宝石を集めても――」
「――ノア殿下。それ以上ののろけは、今は控えてくださいと何度も言ってますよね?」
後ろのルーカスから、これ以上ないほど冷静で、少し怒りを含む笑みを浮かべ、その怖い笑顔を向けた。
その笑顔には、ノアはビクッと震えつつも小さくチッと舌打ちをした。ミラローズは「ふふっ」と楽しそうに声を立てて笑ってしまう。
夜会の歓談の時間が始まると、王家側の壇上の席へ、次々と貴族たちが挨拶へと訪れ始める。
その中には――以前、恥ずかしさいっぱいのあのお茶会で、ミラローズと親しく言葉を交わした令嬢たちの姿もあった。
「ミラローズ妃殿下。この度はご婚姻、心よりお祝い申し上げます」
令嬢たちはドレスの裾を美しく広げ、新しく王族となったミラローズへ、完璧な所作で最敬礼を捧げた。
令嬢たちの瞳には、ミラローズへの心からの祝福と憧れが満ちている。
「ありがとうございます、皆様。⋯⋯今日は、皆様のお顔を見られて、とても安心いたしましたわ」
ミラローズがふわりといつもの優しい微笑みを返すと、令嬢たちはパッと表情を明るくした。
周囲に聞こえないほどの小さな声で、「ノア殿下と本当にお似合いです」と、悪戯っぽく、けれど温かい囁きがミラローズに届けられる。
そんな中、会場では華やかな音楽が鳴り響き、ダンスの時間が始まった。
お披露目夜会の主役である二人がファーストダンスを踊るのを、今か今かと周囲の貴族たちが期待の眼差しで壇上を見つめている。
「ミラ、ダンスの時間だが、本当に踊るのかい? 万が一、体調に障るようなことがあれば一大事だ。大人しくここに座って――」
「ノア様、大丈夫ですよ。せっかくのお披露目夜会ですし、皆様も楽しみにしてくださっていますから、1曲だけ⋯⋯ね?」
ミラローズがそっとノアの手を握り、上目遣いで優しくおねだりする。その可愛らしさにノアの理性がグラリと揺らいだ。
すかさず、その揺らぎを見逃さず、後ろに控えていたルーカスが表情一つ変えないまま囁く。
「――ノア殿下。1曲目は一番テンポの緩やかな曲を演奏するよう、楽団には手配済みですよ。1曲だけ、ミラの願いを叶えて差し上げてください」
「⋯⋯はぁ、1曲だけだからな」
渋々といった様子で立ち上がったノアは、ミラローズの手を取り、フロアの中央へとエスコートした。
二人が位置につくと、美しく穏やかな旋律が流れ始める。
ノアの、無駄のない洗練されたステップ。そして王族の妃としての気品を纏ったミラローズ。二人の息の合った美しいダンスに、会場中の貴族たちから感嘆の息が漏れる。
「ミラ、本当に無理はしていないかい?」
「ふふ、はい。ノア様のリードがとてもお上手なので、全然苦しくない――」
(⋯⋯あれ?)
一瞬、胸の奥がキュッと締め付けられるような、奇妙な違和感が走った。
痛いわけではない。けれど、ノアの『薬(魔力供給)』のおかげで、ここ半年は一度も感じたことのなかった、体が奥底から急激に熱くなるような、不思議な火照り。
(⋯⋯この感覚⋯⋯最近、時々感じる違和感と同じ⋯⋯?)
新婚初夜の朝の満たされた魔力の感覚とは違った、ここ最近の違和感は満たされているようで何か不思議な感覚⋯⋯でも、それはノア様の止まらぬ愛のせいだと思っていた。
けれど、ステップを踏んで体が動いたことで、その違和感がハッキリと胸の奥で疼き出す。
まるで、自分の体の中にある魔力が、何かに向かって「きゅっ」と強引に引っ張られているかのような――。
(まさか⋯⋯『減少の病』に、何か異変が⋯⋯!?)
脳裏にそんな予感が過ぎった瞬間ビクッと震え、あの、余命一年と言われていた時の、恐怖で、ミラローズの背中に冷たい汗が伝う。
「ミラ? どうしたんだ、⋯⋯やはりどこか体調が悪いのか?」
ノアがすぐにステップを緩め、本気で心配する声で顔を覗き込んでくる。
「い、いえ! なんでもありませんわ。ノア様が、格好良くて⋯⋯少し見惚れて、のぼせてしまったみたいです」
「そうか⋯⋯? ならいいのだが、終わったらすぐに席に戻って休もう」
ミラローズは大切な夜会を台無しにしないよう、必死に誤魔化して愛らしく微笑んだ。だが、胸に手を当て、ドレスの奥の自分の心音を静かに確かめずにはいられない。
(気のせい、ならいいのだけれど⋯⋯。ここ最近感じていた違和感は、一体⋯⋯?)
胸の奥に拭いきれない大きな不安を宿しながらも、ミラローズはノアに優しくエスコートされ、大きな拍手に包まれながら壇上の席へと戻っていった。
その後も夜会はつつがなく進行する。
美しい音楽が鳴り響く中、多くの貴族たちが新しく誕生した『ミラローズ妃殿下』の元へと挨拶に訪れる。ノアは少し心配そうな目で見つめ、一瞬たりともその手を離そうとはしなかった。後ろに控えるルーカスが、ノアの発言に対し、時折からかいを含んだ小言を囁きつつも、完璧な護衛として二人を影から支え続けた。
やがて、会場の時計が深夜の訪れを告げる。
家令の手によって、夜会の終わりを告げる厳かな鐘の音が会場中に響き渡った。
光に満ちた華やかな宴は、惜しまれつつも静かに幕を閉じていくのだった。




