22.アルトの確信
最近の兄たちを取り巻く環境に対して、アルトは激しい違和感を訴え続けていたのだ。
(⋯⋯いや、やっぱりおかしい、あの兄上が執着する理由が。あのルーカスが妹への愛を隠さなくなったのも)
兄上の、あのミラローズ嬢に対する異常なまでの過保護と溺愛。
突っかかるたびに、これ見よがしに見せつけてくる、突然ののろけのような不可解な行動。
そして数日前の深夜、筆頭秘書官であるルーカスが漏らした、意味深な言葉。
『ノア様がミラをあそこまで守り、片時も離そうとしないのは、自分の未来や王座なんてどうでもよくなるくらいの、絶対に譲れない切実な理由があるのです』
(⋯⋯完璧な兄上が、王座すらどうでもよくなると言うほどの切実な理由とは何だ? ルーカスもそれとなく『お前が背負え』と僕に期待するような本音を漏らしていた。兄上たちには、僕には明かせない何か決定的な秘密があるのか⋯⋯?)
アルトは腕を組み、脳をフル回転させる。しかし、彼がこれまでに直接見て、聞いてきた情報だけでは、どうしても最後の確証が得られなかった。
何かが決定的に足りない。あのノアとルーカスの過保護の警戒レベルが跳ね上がる原因となったようである、あの大事件の日の『真実』が。
そう思い至ったアルトは、あの日偶然にも一時帰国し、現場のすぐ近くの劇場帰りに事件を見たという婚約者シャルロットを自室に呼び、直接話を聞くことにしたのだ。
「シャルロット。⋯⋯君に一つ、どうしても確認したいことがあるんだ」
「まあ、アル様、一体何かしら?」
無邪気に小首をかしげるシャルロットに、アルトは真剣な瞳を向けた。
「君はあの大事件とやらのことを教えて欲しいんだ。君は劇場から帰る途中に、兄上とミラローズ嬢の様子をずっと見ていたと言っていたね。⋯⋯あの日の二人は、本当に、どんな様子だったんだ? 見たままを詳しく教えてほしい」
「え? ⋯⋯えぇ、避難する大混乱の中で、ミラお姉様は多くの人を助けようとして、完全に魔力を使い切って倒れかけていらっしゃいましたわ。そこへノア様が、駆けつけて、倒れそうになったミラお姉様をガシッと受け止められたのです」
シャルロットはあの日を思い出すように、少し眉をひそめて言葉を続けた。
「少し離れた劇場近くからでしたので、お二人が何を話していらっしゃるかまでは聞こえませんでしたけれど⋯⋯。ノア様は、それはもうもの凄く怒ったお顔をされていて。ミラお姉様は本当に顔色が悪くて、今にも消えてしまいそうでしたわ。ノア様は何かを一言だけ告げると、すぐにミラお姉様を抱きかかえて、その場から一度立ち去ってしまわれたのです」
「⋯⋯話の内容は聞こえないほど離れていたのに、兄上が激怒しているのが分かるほどだったのか」
「ええ。でも、そこでは終わりませんでしたの。お二人が立ち去られた後、しばらくしてからルーカス様がなにか騎士の方に頼み、ノア様達が去った方に行ったとか思っていましたら、すぐにふたりは戻ってきましたので呼び戻したのだと思います。ミラ姉様の顔色が良くなっていたので回復されたのかと。戻ってきたお2人にルーカス様が何かを言われた後⋯⋯ノア様が少し不機嫌そうな顔をされて、ミラお姉様にボソッと何かを耳打ちなさったのですわ。その後、ミラお姉様はまたすぐにけが人の元で魔法を使い始めましたの」
「⋯⋯ルーカスが二人を呼び戻し、兄上が不機嫌そうに耳打ちをした後、またあの女は魔法を使い始めた、だと?」
「ええ。ご自身の体を顧みず、また必死になって人々を救い始めて⋯⋯。そして五分くらいだったでしょうか? 本当に、本当の限界を迎えてたようで、完全に意識を失って崩れ落ちた時――またノア様に抱きかかえられていたのです。あの一連の出来事をずっと見ていて、私、本当にお二人の姿に涙が止まりませんでしたの⋯⋯」
「――っ!!」
シャルロットのその言葉――「魔力を使いきって消えそうになる」と「ふたりで去ったと思ったら再び戻ってきて顔色が良くなっていた」決定的なピースが、アルトの脳内でカチリと不穏な音を立てて噛み合った。
(⋯⋯そうか。魔法を使えば使うほど魔力が際限なく減り続け、底を尽きれば命に関わる。そんな奇妙な魔力疾患、僕は留学先の禁忌の魔導書で目にした記憶があるぞ。⋯⋯まさか、ミラローズ嬢の病気は、あの――!?)
アルトの脳内に、恐るべき一つの病名が浮かび上がった。
その瞬間、彼が抱いていたすべての疑問が、凄まじい衝撃を伴って一本の美しい線へと繋がっていく。
(だとしたら、ミラローズ嬢の初見のあの日も、お茶会での『口づけ』だって、ただのろけて僕に見せつけていただけじゃない⋯⋯!)
あの時、兄上が僕に対して本気で嫉妬し、感情が高ぶって溢れ出そうになっていたあの莫大な黒いオーラ。
それを、ルーカスがあえて自分の魔法で無効化して止めず、ミラローズ嬢に口づけをさせたのは、冷徹な計算でも嫌がらせでもない。そう思わせようとあんなこと言っただけで。
(兄上のあの熱い魔力を今ここで直接もらい受けたほうが、もっとミラローズ嬢の体が安定するんじゃないかって――ルーカスはただ純粋に、妹を想ってあの儀式を仕向けさせたんだ……!)
あの時、自分がただ恥をかかされたと思っていたあの『口づけ』は、兄上の愛の魔力をミラローズ嬢が【もらい受けるための魔力提供】そのものだったのだと、アルトはここで初めて気がつき、そのあまりの切実さに戦慄した。
あの異常なまでの徹底的な過保護。男たちを1ミリも近づけない鉄壁の包囲網。
すべては、ミラが、人を救いたいという純粋な心の命の賭けから、そして、兄上のあの純粋で強大すぎる愛の魔力をいつでももらい受けられる距離に彼女を置いておくための、命懸けのシステムだったのだ。
「アル様? どうかなさいましたの? お顔が真っ青ですわよ?」
「……いや、なんでもない」
アルトはガタガタと震えそうになる指先を隠すように、手を抑え込む。
僕が今、思いつくような医学書や、最新の魔力結合術式なんて、あの恐ろしく有能な兄上とルーカスが、とっくに100%調べ尽くしているに決まっている。その上で、そんな小手先の術式に頼るより、兄上の純粋な魔力をそのまま直接提供する方が一番効率的で、一番ミラローズ嬢の体を安定させられるという『完璧な結論』を出したのだ。
兄上は誰の手も借りず、自分の手で、愛するミラローズ嬢を完璧に生かし、守り通すつもりなのだろう。僕が『手伝うよ』なんて正面から言えば、あのクソデカい独占欲をみせる彼に嫌がられるのは目に見えている。
(兄上があの女を一生自分の魔力で生かし続ける覚悟なら⋯⋯それでいい。あの独占欲の塊の兄上だ、僕の手なんか1ミリも借りたくないだろうし、僕がしゃしゃり出たら嫌がられるだけだ。自然に話してくれるまで、僕が気がついたことは黙っておこう。そして今までのように自然に振舞おう)
アルトは静かに、けれど燃えるような真剣な瞳で、机の上の書類を見つめた。
(――その代わり、兄上。あなたが国政の重圧や公務に追われて、ミラローズ嬢の隣にいる時間を1秒でも奪われるなんて、僕の天才的な脳細胞が絶対に許さない。魔法学校の主席を舐めるなよ。兄上があの女を完璧に生かし続けられるように⋯⋯僕が兄上の代わりに、この国の公務も、王座の重圧も、全部完璧に背負ってやる。あなたが一生、あの女を溺愛することだけに専念できるように⋯⋯っ!)
あのお茶会で、兄上が口にしていた『王座なんてアルトにあげる』という言葉。そしてルーカスがそれとなくお前が背負えと漏らした本音。
すべての真実を看破したアルトは、もう二度と「ただ空回りするだけの子供」ではなかった。
「シャルロット。僕はこれから、少し本格的にやることができた。先に休んでいてくれ」
「まあ、お勉強ですか? あまり無理はなさらないでくださいね、アル様」
無邪気に微笑んで去っていく婚約者を見送った後、アルトはカチリと部屋に鍵をかけた。
そして、王宮の膨大な「国政資料」や「統治論」の書類の山へと、ガシッと迷いのない手を伸ばすのだった。
(僕の頭脳を信頼した上で気がつくように仕向けていたんでしょう。気がついて意志を組んでくれると。兄上。⋯⋯望み通り僕があなたを、完璧に自由にしてあげます)
静寂の夜、天才第ニ王子は、愛する兄のために「王」になるための孤独で熱い勉強を始めるのだった。




