21.夜会
数日前、のろけ話の伝言ゲームを発端にミラローズから「全員悪いです、反省してください!」と一刀両断され、揃ってシュンと落ち込んでいたエヴァンズ兄弟とルーカス。
そんなドタバタな反省会を経て、王宮では国賓や大貴族たちが一堂に会する、きらびやかで格調高い夜会が開催されていた。
シャンデリアの光が眩しく輝き、美しい音楽が流れる華やかな会場。
その中心で、ミラローズはノアにエスコートされながら、周囲がため息を漏らすほど優雅に佇んでいた。
(⋯⋯それにしても、ノア様、流石に距離が近すぎではありませんか?)
ミラローズは、自分の腰に回されたノアの腕の力強さに、心の中でそっと苦笑した。
当たり前だが、こうした公式な夜会で次期王太子の婚約者として並び立つ際、その隣に実の兄であるルーカスが付き添っていることなどない。ルーカスは一貴族としての別の用事があるため、この場には最初からいないのだ。
つまり、ノアが少しでも席を外せば、ミラローズの隣のガードは完全に空いてしまう。
それが心配でたまらないノアの独占欲と過保護っぷりは、夜会が始まった瞬間から完全に限界突破していた。
「ミラローズ、体調は悪くないかい? 疲れたらすぐに言ってね。あそこにいる男たちがさっきから君を不躾な目で見ていて本当に不愉快だ。できれば今すぐ私の背後に隠して、誰の目にも触れさせたくないのだけれど⋯⋯」
「ノア様、落ち着いてくださいませ。皆様、ただ夜会の挨拶のタイミングを伺っているだけですわ」
端正な顔立ちにいつもの完璧な王太子の微笑みを浮かべながら、ミラローズに向ける声だけは低く、そして凄まじい執着に満ちている。自分がミラローズを完璧に囲い込んで男たちを鋭い覇気で牽制しなければならないと、ノアの背後からは今にも黒いオーラが立ち上りそうだった。
ミラローズは、そんなノアの過保護さを微笑ましく思いながらも、自身の体調を常に最優先に考慮されながら、これまでじっくり叩き込まれてきた妃教育の成果を遺憾無く発揮していた。王太子妃候補にふさわしい完璧な所作と洗練された言葉遣いで、次々と挨拶に訪れる貴族たちを優雅にあしらっていく。
そんな時だった。
「――ノア殿下、少々よろしいでしょうか。国王陛下が、他国の使節を伴って殿下をお呼びでございます」
無情にも、急な公務の呼び出しがノアの元へと届けられた。
「⋯⋯っ、よりによって今、私をミラローズから離すつもりかい⋯⋯?」
一瞬にして冷徹な、世界を滅ぼしそうな目を向けるノア。自分が離れてしまえば、ミラローズを隣で守れる人間がいなくなってしまう。
「大丈夫ですよ、ノア様。ここは王宮の夜会の会場ですし、周囲には大勢の皆様がいらっしゃいますもの。国王陛下をお待たせするわけにはまいりませんわ。私はここで、大人しく待っております」
ミラローズが優しく微笑み、ノアの服の袖をそっと引いて促す。
ノアは「絶対にそこから動かないでね、爆速で終わらせて戻ってくるから!」と、王太子の威厳を保ちつつも必死さが隠せない様子で約束を交わした。
だが、どれほど急いで戻るつもりでも、ミラローズを完全に無防備にすることなど、彼の超過保護な独占欲が許すはずもなかった。ノアは自身の周囲を固める近衛たちのうち、最も腕の立つ信頼できる護衛を一人、ミラローズの近くに残し、残りの護衛を引き連れて後ろ髪を引かれまくりながら一時的に席を外したのだった。
ノアの姿、そして付き従う護衛たちの影が人混みの向こうへと消え、ミラローズはハーブティーのカップを手に「ふぅ」と小さく息を吐いた。
強固な男の護衛が背後に一人控えているとはいえ、ここは令嬢たちの社交界。物理的な手出しはできずとも、言葉という刃を使ってミラを精神的に貶めようとする者たちにとって、ノアが不在の今が絶好の好機であることに変わりはなかった。
完全に一人にその瞬間。
カツ、カツ、と不穏なヒールの足音が、彼女の後ろから近づいてきた――。
ノアが国王陛下への挨拶のために一時的に席を外し、ミラローズが完全に一人になった、まさにその瞬間だった。
「――あら、フォークナー伯爵令嬢。夜会でお姿を拝見するなんて珍しいことですわね」
取り巻きを従え、扇子を優雅に揺らしながらミラローズの前に立ちはだかったのは、かつてこの城を追放されたセレナ・ランカスターの元信奉者だった。
かつてノアの婚約者候補を気取り、ミラローズへ不敬な仕打ちを働いたセレナ・ランカスターは、ノアの冷徹な論破によって完全追放され、王城立ち入り禁止だけでなく、爵位剥奪という凄惨な破滅を迎えている。
そのせいでランカスター派閥は一気に没落したため、残された令嬢たちは、すべての原因となったミラローズを激しく逆恨みしていたのだ。
彼女たちはミラローズを頭のてっぺんから爪先まで値奮いすると、冷ややかに口元を歪めた。
「いつもノア殿下にベッタリと寄り添われて、お可哀想な『病弱アピール』で同情を引いていらっしゃるから、今日もお部屋で寝込んでいるのかと思いましたわ。⋯⋯公爵家であるソレント家のシャルロット様ならまだしも、まともに社交界に姿も見せず、未来の王妃としての義務を何一つ果たしていないあなたが、王太子妃の座に居座り続けるなんて。いくら殿下の寵愛があろうとも、国母としての『格』が不釣り合いだとは思わなくって?」
本当の病気のことは絶対に言えないミラローズに対し、ランカスター家の残党たちは「実績がないこと」をネチネチと突いてくる。
ミラローズが毅然と言い返そうとした、まさにその時だった。
「――あら、皆様。私、聞き捨てならないお話を耳にしましたわ?」
華やかなドレスの裾を揺らし、凛とした足取りで割って入ってきたのは、ソレント公爵令嬢シャルロットだった。その背後には、先日のお茶会でミラローズの虜になった高位貴族の令嬢たちが、鉄壁の壁のようにずらりと控えている。
「し、シャルロット様⋯⋯!? それに、皆様まで⋯⋯」
突然現れた社交界のトップ集団に、嫌がらせ令嬢たちの顔がピキリと引きつる。
シャルロットは彼女たちを冷ややかに見据えると、パッと扇子を広げて優雅に笑った。
「ミラお姉様が、未来の王妃としての義務を何一つ果たしていらっしゃらない? 随分とまぁ、ご自身の情報収集能力の低さを露呈するような恥がましい発言をなさるのね、皆様」
「なっ⋯⋯! ど、どういうことでございますか!」
「先日、この王城の秘密の庭園にて、私たちが集まったあのお茶会のことをご存知ないのかしら? 私の王太子妃教育の一環として、ミラお姉様は未来の第一王太子妃候補として、それはそれは素晴らしく完璧な社交の場を共にもてなしてくださいましたわ。高位貴族である私たち全員が、ミラお姉様の高潔な知性と、お淑やかで愛らしいお人柄に深く感銘を受けたばかりですのよ?」
シャルロットの後ろに控える令嬢たちも、冷徹な視線で残党たちを睨みつける。
「本当にお優しくて気高く、誰よりも次期王太子妃にふさわしいミラローズ様を、まともな社交も知らないと侮辱するなんて。……我が家への無礼と受け取ってもよろしいかしら、そこの不躾な令嬢方?」
「ひっ……!?」
「格が不釣り合いなのは、ミラお姉様ではなく、城内の正式なお茶会の情報すら耳に入らない、そちらのほうではありませんこと? かつてセレナ様が身の程を弁えずに破滅したというのに、まだ何も学んでいらっしゃらないのね」
「くっ……! し、失礼いたしますわッ……!」
シャルロットたちが圧倒的な身分の格と「王城内での確かな実績」、そして没落したランカスター家の現実を完璧に突きつけたことで、嫌がらせ令嬢たちの言い分は文字通り粉々に完全論破された。彼女たちは屈辱に顔を真っ赤に染め、脱兎のごとく夜会の混雑へと逃げ出していくのだった。
「シャルロット様、皆様、ありがとうございます。本当に助かりましたわ」
ミラローズがホッと胸をなでおろし、お茶会同盟の優しくも頼もしい友情に心からの感謝を伝えている、まさにその時だった。
「――待たせたね、ミラローズ。急に一人にしてしまってすまない」
人混みが自然と割れ、そこから優雅に歩み出てきたのは、第一王子であり王太子であるノアだった。
国王陛下からの緊急の呼び出しという重大な公務だったはずなのに、ノアは王族としての気品と端正な微笑みを一切崩さないまま、その規格外の有能さで会話を爆速かつ完璧に終わらせて戻ってきたのだ。
今日はルーカスが完全に別の用事で不在にしているため、自分が離れればミラローズが完全に一人になってしまう。それが心配でたまらなかったノアは、誰よりも早く単身で彼女の元へと最高速で駆けつけたのだった。
ノアはミラローズの側に立つシャルロットたちを素早く視界に収めると、ミラローズの手をそっと引き寄せ、誰にも触れさせないように愛おしそうに包み込んだ。
「何か不躾な者に絡まれなかったかい? 私のいない間に、君が少しでも嫌な思いをしていないといいのだけれど⋯⋯」
王太子としての威厳を纏いながらも、ミラローズに向ける瞳だけは、隠しきれないほどの超過保護な心配の色に染まっている。
すると、そんなノアの鉄壁のガードを前にしても、シャルロットは全く物気後れすることなくパッと扇子を広げて無邪気に笑った。
「まあノア様、ご心配には及びませんわ! ミラお姉様なら、私たちの『お茶会同盟』が完璧にお守りいたしました。それにしてもノア様、アル様からお聞きした通り、本当に公務を瞬殺して、ミラお姉様の元へ飛ぶように帰っていらっしゃいましたのね。お噂通り、本当にお熱くて可愛いお方だこと!」
「お、お噂……?」
完璧な王太子であるはずのノアが、シャルロットの無邪気な一言に初めてピキリと表情を硬らせる。
さらに、お茶会でミラにメロメロになった周囲の高位令嬢たちからも、「ええ、ノア殿下。今日くらいは、ミラローズ様を私たちに譲ってくださいませ?」と、笑顔でミラローズを誘う声が上がった。
普通の男なら、この社交界のトップ令嬢たちの結束を前に一歩引いてしまうところだろう。
しかし、ノアのミラローズへの執着は、そんな常識など遥かに超越していた。
ノアはすぐにいつもの完璧な王太子の微笑みを取り戻すと、令嬢たちに向けて優雅に、けれど絶対的な拒絶を込めて一礼した。
「――皆様、私の大切なミラローズを不躾な者から守ってくださり、心から感謝いたします。⋯⋯ですが、申し訳ないけれど、彼女を皆様に譲ることはできません」
「まあ⋯⋯!」
ノアはミラローズの腰にすっと腕を回し、自分の体へとぴったり引き寄せる。これ以上、誰一人ミラローズに指一本触れさせないと言わんばかりの、強烈な独占欲の表れだった。
「ミラは病弱で、今日も無理をして私のために夜会に出てくれているのです。これ以上疲れさせるわけにはいかないので、今日彼女の隣に立つのは、婚約者である私だけの特権にさせていただけますか?」
「ノ、ノア様⋯⋯っ」
夜会の真ん中で堂々と離さない宣言をされ、ミラローズは恥ずかしさで顔を真っ赤に染める。
ノアのあまりにもブレない鉄壁のガードと、一切ミラローズを離そうとしない独占欲の前に、シャルロットたちも「ふふ、本当に噂以上にベタ惚れですのねぇ」「お手上げですわ」とクスクス笑いながら降参するしかなかった。
女の子たちの結束に感謝しつつも、自分の腕の中のミラローズだけは絶対に1ミリも譲らない。完璧な王太子ノアの、どこまでも過保護で独占欲全開な溺愛ぶりに包まれながら、華やかな夜会は続いていくのだった。




