17..王子殿下の本音
お茶会から数日が経った、ある日の深夜。
王宮の廊下は静まり返り、窓の外には綺麗な月が浮かんでいた。
「⋯⋯はぁ。あいつの溺愛ぶりには、本当に勝てないな」
ルーカスは一人、重い足取りで回廊を歩いていた。
今日の分の公務も膨大な量だったというのに、ノアは「ミラが待っているから」と、その規格外の有能さで全ての書類を爆速で完璧に片付け、ミラローズの元へ直行してしまったのだ。
主君の仕事が終わり、その後に発生する秘書官としての固有の業務をこなしていたルーカスは、結局一人でこんなに遅くまで残る羽目になっていた。
静まり返った廊下を歩きながら、ルーカスは兄として少し複雑なため息をつく。
そもそも、ミラの病気のためにノアを彼女に引き合わせ、この婚約を仕組んだのは自分だ。ビジネスライクな関係くらいで済むだろうと考えていたのに、蓋を開けてみればノアはミラを骨の髄まで溺愛している。
(⋯⋯自分だって、双子の妹であるミラを世界で一番溺愛してきたはずなんだけどな)
元々は自分が一番ミラを愛し、守ってきたはずなのに、今やノアの愛の重さは実の兄である自分すらも遥かに凌駕している。置いてけぼりを食らったような悔しさ半分、妹がそれほど愛されていることへの安堵半分。
「⋯⋯まぁ、ミラが幸せそうなら、仕組んだ甲斐はあったと言うべきか」
ようやくすべての作業を終え、そんな複雑な身内としての思いを抱えながら帰路に就こうとしていた、まさにその矢先だった。
「⋯⋯ねえ、リュカ」
暗がりの回廊からスッと姿を現したのは、第二王子、アルトだった。
周囲に誰もいないことを確認したアルトは、昼間の傲慢な王子の仮面を完全に外し、少し肩をすぼめて複雑な顔をしている。その声は、どこか寂しげに拗ねていた。
(うわっ、なんか厄介そうなのもってくるやつがもうひとり居た⋯⋯!)
アルトのその表情を見た瞬間、ルーカスは内心で盛大に天を仰いだ。
昼間は「ミラが、ミラが」と耳にタコができるほどに毎日重すぎるノロケ話を聞かされて、すでに私の脳のキャパは手一杯なのだ。それなのに、深夜にこのブラコンを拗らせた第二王子から「誰にも言えない重い悩み」を打ち明けられそうになっている。
(こ、このエヴァンズ兄弟は、揃いも揃って俺をなんだと思っているんだ⋯⋯。俺はただの秘書官なだけだぞ。あぁー早く帰ろうと思っていたのに⋯⋯)
疲れで今すぐにでも帰りたい衝動を、根性で抑え込み冷静な秘書官としての顔を貼り付けた。
た。
「⋯⋯殿下。二人きりの時とはいえ、こんな夜更けに王城内では――」
「いいじゃないか、誰もいないんだから。⋯⋯それよりさ。数日前のお茶会、僕、本当にショックだったんだ。兄上があんなに僕に冷たい目を向けるなんて思わなかった。それに⋯⋯王座に興味がないなんて、本気なのかな」
アルトは回廊の欄干に身を預け、ぷいっと横を向いて唇を尖らせた。学校では冷徹な天才王子と恐れられていた少年は、今や完全に、大好きな兄に構ってもらえなくて寂しがっている幼い弟の顔になっている。
「僕、留学先でずっと考えてたんだ。もっと頭を良くして、立派になって帰ってくれば、兄上に『よくやった、アルト』って認めてもらえるかなって。なのに、帰ってきたら兄上には得体の知れない婚約者ができていて、僕のことは邪魔者扱い。リュカ、君は一番近くにいるんだから知ってるんだろ? 兄上に一体何があったんだい? どうしてあんなに、あのミラローズ嬢に執着してるの?」
すがるような、少し甘えるような瞳でルーカスを見上げるアルト。
ただ兄上のことをもっと知りたい、昔みたいに自分を見てほしいという健気な本音に、ルーカスはふっと表情を和らげ、彼の髪を優しく撫でた。
「⋯⋯ノアがお前を嫌うわけがないだろ、アル。アレはただ、ミラのことになると少し心の余裕がなくなっているだけで、」
「余裕がなくなる⋯⋯? あの完璧な兄上が?」
「アル、あなたにはまだ言えない、とても大切で切実な理由があるんだ」
ルーカスは手を離し、真剣な、けれどどこか優しい瞳でアルトを見つめる。
「ノアがミラをあそこまで守り、片時も離そうとしないのは、単なる気まぐれでも甘やかしでもなく、まぁかなり溺愛はしてるけど。⋯⋯ミラの隣にいることだけが、今のノア様にとって、何よりも守るべき『絶対に譲れない理由』なんだよ。それこそ、自分の未来や王座なんて、どうでもよくなるくらいにね」
「そんなに、特別な理由が⋯⋯」
「⋯⋯なのでお前がノアに認められたいと思って努力してきたことは、何一つ無駄ではないんだよ。アルが優秀な王になってくれれば、ノアは安心してその『理由』に専念できる。⋯⋯ノアを驚かせてやりたいなら、ミラをいじめるのではなく、完璧な次期国王としての器を見せつけてやりな」
ルーカスに頭を撫でられ、さらに自分の努力を完璧に全肯定されたアルトは、顔を真っ赤にしてフイッと視線を逸らした。
「⋯⋯っ、リュカに言われなくても、僕は誰よりも優秀な王になってみせるよ! 兄上に『王座はアルトに任せて正解だった』って、絶対に言わせてやるんだから!」
「ええ、楽しみにしていますよ、アルト殿下」
ルーカスは優しく微笑みながらも、内心では(……はぁ)と、この日何度目かも分からない特大のため息を飲み込んでいた。
(昼間はノア様から『ミラと離れたくないから早く帰るね、残りはよろしくルーカス』と、最高権力者の職務放棄をぶつけられ、夜は夜で、その弟から『兄上が構ってくれない、寂しい』と甘えられ……)
二人の完璧な王子の「誰にも言えない重すぎる本音」をそれぞれ一身に受け止め、完全に板挟みになっているルーカスの胃は、深夜の静寂の中で確実に悲鳴を上げていた。
私はただの伯爵家嫡男であり、一人の有能な秘書官なのですが、と天を仰ぎたくなる。
「じゃあね、リュカ! 次こそは、僕の優秀さを兄上に見せつけてやるから!」
「はいはい、お手柔らかにお願いしますね」
タタタ、と足取り軽く去っていくアルトの背中を見送りながら、ルーカスは静かにこめかみを押さえた。
(ミラ⋯⋯お前の旦那(予定)も、その弟も、俺にとっては手強すぎるぞ。俺はこれから毎日、この兄弟のクソデカ感情に耐えなきゃならないのか⋯⋯誰か俺も助けてくれ――)
思わず心の中で悲鳴を上げる。だが、すぐに愛しい妹の顔が脳裏をよぎり、自嘲気味に息を吐き出した。
(⋯⋯まぁ、そんなことをミラに言っても、あいつのことだ『私がなんとかするわ!』って自分の魔法を使って、また魔力を減らすだけだし、絶対に頼めないけどな)
ルーカスは深夜の静寂の中、明日の激務(と、また始まるであろう王子たちの板挟み)に備えて、深く、深いため息を一つ吐き出すのだった。




