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林檎に毒薬 -05-

 王妃はベッドの上で目を覚ました。ベッドの下にはつば広の帽子が投げ捨てられている。頬をすれば、乾いた泥がパラパラと落ちた。どうやら、昨日帰ってきて、そのまま倒れこむように眠ってしまったらしい。


 昨日のことを思い出し、王妃はぼんやりと自分の手のひらを見やった。くっきりとした赤い筋が浮かんでいる。


 あまりにも簡単に、白雪に手をかけることができたことは、かえって王妃の現実感を見失わせた。そのくせ、握りしめていた組みひもの感触が取れず、王妃は手のひらを擦る。


 無防備に開かれた両手と、向けられた背中。締め紐を細い腰に回したとき、ここで、手を下さなければ、いずれ、この体は、気位が高いだけの貴族や、どこぞの傲慢な王族に差し出されるのだと思った瞬間、力いっぱい組み紐を引いていた。


 己の残酷さを突き付けられたようで、王妃はさらに強く手のひらを擦る。

 でももう、思い悩むことはないのだ。

 王妃は何も考えたくないとばかりに頭を振ると、深呼吸を一つ。


 そして、歩み寄るのは魔法の鏡だ。磨きこまれた鏡面には、朝日を遮断した部屋の暗さを映して暗い闇を湛えているなか、白く曇った痕が二筋、浮き上がっていた。

 王妃は鏡に問いかける。その問いかけは、明らかな嘲笑が滲んでいた。


「鏡よ、鏡、この国で一番、美しいのはだあれ?」


 映し出されるのは、世界で一番美しい死体か、それとも。

 王妃の呼びかけに対し、鏡の表面が揺らいだ。

 魔法の鏡は告げる。


「あなたは美しい、お妃さま。しかし、小人と暮らす白雪姫はその千倍美しい」


 揺らぐ鏡面は、朝日のなか、洗い立てのシーツを広げている白雪姫の姿を映しだした。

 風で白いシーツが翻り、まるで羽ばたくかのように舞う姿は、大きな教会の薔薇窓に描かれる天使のように美しい。


 王妃は目を見開く。次の瞬間、表情が歪んだ。が、直ぐに血の気が失せる。

 何故、白雪は、まだ、生きているのか。

 ぞわりと鳥肌が立つ。


 思わず自身の腕を撫でて、その細さに気が付いた。おそらく、単純に、力が足りなかったのだ。また、白雪が倒れこんだことで、完全にこと切れているか、確認もせずに帰ってきてしまった。


 王妃はきゅっと唇を引き結んだ。鏡に手をつき、爪を立てる。きぃっと音をたてて、人差し指の軌跡が白く濁った。





 とんとん、と扉を叩く音。


 白雪は取り込んだ洗濯物を畳んでいた手を止めた。扉を開けようと手をかけ、思いとどまり、隣の窓を開ける。


 そこには、期待通り、彼女がいた。墨染めした貫頭衣に、目深にかぶった三角巾。墨を塗った顔は汚れている。先日とは異なる変装だが、やはり、白雪はすぐに、彼女だと気が付いた。


「こんにちは、お嬢さん。素敵なものをお持ちしました。ご覧になりませんか?」


 しゃがれた声。もしかしたら、変なものを摂取して、わざと声をからしたのだろうか。白雪はわずかに眉根を寄せた。

「ごめんなさい。家には誰も上げるなと言われているの」

 小人たちの言いつけを口にすれば、物売りに化けた彼女は食い下がるように、「窓からでも大丈夫ですよ。ほら、見るだけでも」と、一つの箱を取り出す。


 白雪は、物売りに化けた彼女が、今日は手袋をしていることに気が付いた。そのことに落胆した白雪の視線に気が付かず、物売りに化けた彼女は箱を開けた。


「あなたのその美しい御髪にぴったりのお品です」


 一方、彼女からの賞賛の言葉は、単純に白雪を喜ばせる。笑みを浮かべた白雪に、物売りに化けた彼女もつられるように、ぎこちなく唇の端を持ち上げた。


「こちらの櫛などいかがでしょう」


 開かれた箱には、櫛が三つ並んでいる。櫛歯のサイズが、大きいもの、中くらいのもの、小さいもの、の三つだ。それぞれに美しい細工が施されており、やはり、一目見て、良い品だとわかる。


「すてき! 知っているわ。櫛歯が大きいものから順に使うのよね?」


 以前、教えてくれたことを、誇らしげに口にすれば、物売りに化けた彼女はふっと笑みを浮かべた。先ほどと違い、ぎこちなさなどない、柔らかな笑み。ずっと昔、それこそ彼女が髪を梳いてくれていたころに見たそれ。


 心臓が、きゅうっと収縮する痛みを感じて、白雪は思わず胸を押さえた。それを彼女は、手を伸ばそうとして、我慢したかのように捉えたのか、見せびらかすように、箱を掲げて、「よく見てくださいな。使ってみたくはありませんか?」と問う。


 いっそ無邪気な様子に、本当に憎らしい人だ、と白雪は思う。

 憎らしいほどに、愛しい人。

 今度こそ、ちゃんと私を殺してくれるのかしら、と一抹の不安さえ覚えさせる。


「どうぞ、手に取ってみてくださいな」


 さぁ、と寄せられた箱を覗き込み、ふと、一番細歯の櫛の先が、デザインにしては不自然に色が変わっていることに、気が付いた。手袋といい、おそらくその櫛歯には触れてはならない毒が塗られているのだろう。


 白雪はうっすらと口元に笑みを浮かべた。

 毒殺なんてすてき。

 きっと美しいままの姿で息絶えることができる。

 溺死体はいや、縊死体も実現されればそれなりに汚いと小人から聞いた。綺麗に死ねるならば、それにこしたことはない。

 彼女の前に最後にさらす姿になるのならば、なおさら。


「私が髪を梳いてあげましょうか」

 畳みかけられた彼女の誘惑に、ついに白雪は耐えきれず、思わず頷いてしまった。


 ちゃんと殺して、そして、ずっとずっと覚えてて、悔やんでね。


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