表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

13/19

林檎に毒薬 -01-

 用意された馬車は一台。繋がれた白馬に、御者が一人。


「おひい……妃殿下、お足元に気を付けて」


 幼い頃から身の回りの世話をしている従者の言葉に、王妃は微かに笑みを浮かべる。

 彼は祖国からついて来てくれた数少ない従者の一人である。この度、里帰りという名目の一時帰国にもついて来てくれるのだという。持ち出す荷物もほとんどない。多くのものを与えられたが、本当に欲したものは何もなかった。

 まるで、輿入れの時のようだ。あの頃は出迎えの兵隊がパレードを催してくれたけれども。


「もう、輿入れをして何年だと思っているの」

「すみませんねぇ」


 悪びれた様子のない従者に王妃はふっと肩の力を抜いた。祖国にいた頃は、第二の父のように慕っていた者だが、嫁いだ城にいては、いくら年嵩であっても、否、王と同じ年頃の男性である従者と親しくすればいらぬ誤解を生むだろうと、距離を取った付き合いとなっていた。しかし、簡素な旅たちだからか、これから向かう祖国の頃を思い出してか、あの頃と同じ気安い態度。


 しかし、王妃が馬車に乗り込み、いざ旅発とうとしたとき、凛とした制止の声が響いた。


「待って、」


 馬車の前に飛び出したのは、黒髪が麗しい凍る美貌の白雪だ。

「白雪姫様、おやめください」

 慌てて馬車を止めた従者の制止を見向きもせず、白雪は自身の手で馬車の扉を開いた。踏み台も使わず、軽やかな仕草で飛び乗ってくる。


「私も行きます、お母さま」


 馬車に乗り込んできた白雪に、王妃は青ざめた表情で「なにを言っているの、」とかすれた声を絞り出した。


「外遊です。まずはお母さまの祖国へと向かいます。もちろん、殿下の許可も取りました。荷物は後から別の馬車で運ばせます」


 一息に告げると、白雪はちらり、と従者を見やり、しかし、許可もなく王妃の隣へと腰かけた。さらには、するりと王妃の細い腕に、自分の腕を絡ませる。王妃はぴくりと肩を震わせたが、振り払うことはなかった。


「妃殿下、」

 困惑する従者に王妃はゆっくりと頭を振った。

「王の許可があるなら仕方ないわ。出発しましょう」

 従者へそう告げる王妃の少し緊張した面持ちとは裏腹に、白雪はぱっと表情を明るくした。


「お母さま、ひどいです。私を置いて祖国に帰るなんて。聞けば帰還の日も決めもせず!」


 馬車が動き始めると、白雪は甘えるように詰ってきた。同行を許されたことがよほど嬉しいのか、不機嫌さを演出しようとも、どこか浮かれた様子は隠し切れていない。子供じみた態度に、毒気を抜かれた王妃は、ようやく白雪へと向き直った。


「……姫、そのドレスは」


 白雪が身に着けているのは、いつぞや仕立てたミモザのスカートに青い上衣のドレスだ。


「ええ、初めてお母さまと仕立てたものです。一度、サイズを直しましたが、またサイズ直しをするか悩んでおりました」

「やっぱり。姫は今日旅発つ予定ではなかったのでしょう」


 旅発つ日付は、それこそ、国から連れてきた従者以外には誰にも明らかにしていなかったはずだと王妃が問えば、白雪はバツが悪そうに視線をそらした。


「外遊の許可をいただいたのは本当です。持ち出す衣装を選んでいたら、お母さまと馬車が見えて、それで……」

 もごもごと言いつくろう白雪に、王妃はふっと息を吐いた。

「お母さまの国に着いたら、ちゃんと連絡します」

 呆れられたと思ったのか、白雪は、さらに言いつくろおうと、王妃の体に自身の体を寄せてきた。押し付けられる隆起した胸の柔らかさに、王妃はめまいを覚える。


 淑女というにはまだ早いが、子供というには伸びた手足に、括れのある体。少し幼いデザインのこのドレスは、すでに彼女には似合わない。

「そのドレス、仕立て直す必要はないと思うわ。姫にはもう子供っぽい」

 王妃の言葉に、白雪は目を見開く。途端に、自身の幼い行動が恥ずかしくなったのか、しがみつくように纏わりついていた王妃から、慌てて体を離した。


「……嬉しい」


 やっと、大人扱いしてくれるのですね、と感極まったように、白雪が呟く。どうにか感情を抑えようと細く伸びた両の手で、鼻先と口元を隠すが、下がった眉尻と、なにより、白雪の瞳は夏夜の湖のように潤んでいた。だが、視線を伏せた王妃は気が付くことがなかった。


「お母さま、また私に新しいドレスを選んでくださいな」

 すん、と小さく鼻を鳴らし、にこにこと笑みを浮かべる白雪に王妃は困ったように眉根を寄せる。白雪が真っすぐな視線を向けていることは気が付いていたが、王妃は伏せた視線を上げることができない。


「お母さまの今日のドレスもカシスみたいで、おいしそう」


 視線をあげない王妃に、白雪は焦れたのか、白雪の強い視線は、首筋から鎖骨のあたりをさまよい、ゆっくりと下がっていく。居心地の悪さに、王妃は、膝の上に置いていた手を握り締めた。


「お母さまの肌によく映える。……もっと、召し上がればより魅力的になりそうですけど、」

「あまり見ないで、不躾だわ」


 耐え切れず発した言葉は突き放す強さで、王妃自身が驚いた。気まずい空気を払しょくするように、王妃は話題を変える。


「……そういえば今年の夏至祭はどうするつもりなの? 私が帰省を願い出た時、殿下はあなたをエスコートすると」


 王妃の問いに、白雪はつまらなそうに鼻を鳴らした。

「……殿下はダンスが嫌いだから、」

 ダンスを断る良い口実になるでしょう、と嘯く白雪に、王妃の「そうは言っても、」と口を開く。しかし、白雪は強い語気で王妃の言葉を遮った。


「いいの、お母さま。私もダンスが嫌いなの。それに下手にパーティで見染められれば、殿下に都合の良い相手なら閨閥結婚を決められてしまう」


 白雪の言葉に、王妃は思わず顔を上げた。白雪の眼差しは真っすぐに王妃に向けられており、絡んだ視線に思わず王妃は顔を背けようとした。それを阻止したのは、白雪だ。優雅な仕草で王妃の頬に手を添える。


「……お母さま、私が政略結婚するの、嫌ですか?」


 白雪の口元はわずかに震えていたが、期待に満ちた強い視線に魅入られたように白雪の目からそらすことができなかった王妃は、その小さな不安を見逃した。

「殿下なら良い人をお選びになるわ」

 告げられた王妃の言葉は、望まぬものだ。白雪は声を荒げる。


「私は嫌!傍にいる人は自分で選ぶ」

「……大丈夫よ。この国は大きく強く、なによりも、殿下があなたを手放すはずないわ」


 王妃は半ば白雪を安心させる言葉を選び、しかし、その声音は限りなく平坦だった。王妃はそっと瞼を伏せる。それから、天使が預言者にお告げを与えるように囁いた。


「だって、あなたは美しいもの」

「え?」


 王妃の言葉に、白雪はぱっと表情を明るくした。しかし、目を伏せたままの王妃は気が付かない。感情に任せるがまま、「鏡だってそう言ったわ、この国で一番美しいのはあなただって!」と叫んだ。


「鏡? どういう」

「だって、あなた、先のお妃さまにとてもよく似ているもの」


 王妃は耐えきれないというように、白雪の言葉を遮る。一息に言いきった王妃を、白雪はあっけにとられて見つめ返した。ついで、王妃の言葉の意味を理解すると、白雪は、甘くて苦いものを口に含んだような表情を浮かべた。不愉快な苦みの先にある甘露を求めて、咀嚼することも吐き出すこともできない表情。


「……最近は、肖像画の母よりも殿下に似ていると言われることが増えましたが、」

「そうかしら? 濃い色の髪に、白い肌、赤い頬と唇。何よりも知性に満ちたその瞳。私もお会いしたことないけれど、肖像画のあの方にそっくりよ」


 白雪は王妃の言葉にあからさまに、むっとしたように唇を尖らせた。


「そんなことない! なんならお父さまにも似ていません。私の方がずっと!……ずっと」


 不機嫌さを隠すことなく、癇癪を起こした白雪は、王妃が驚きに目を見開いていることに気が付き、一度、口をつぐんだ。


「いずれこの国を継ぐつもりです。そうしたら、あなたを、いえ……あなたが望むものすべてを差し上げます」

 白雪は王妃の頬に手を添えたまま、真摯な眼差しで誓う。白雪のダイヤモンドダストを閉じ込めた夜の瞳は、確かに、彼女の父親に似ている。

 王妃は茫然としたように、「望むもの……?」と繰り返した。だから、白雪も誓いの言葉を繰り返す。


「ええ、あなたの祖国の平和はもちろん。あなたが望めばなんでも用意すると」

「なんでも」


 思わず反復した王妃に、白雪はきゅっと唇を引き、どこか息苦しさを耐えるような表情を浮かべて囁いた。

「あなたが望むのなら……自由でも」

 白雪の瞳が揺れている。そこにあるのは、ためらいと、不安、そしてわずかな期待。


「雪のように白い肌、」


 しかし、思わず零れ落ちた呟きは、おそらく、白雪がまったく予期していないものだったのだろう、白雪は膠着したように動きを止めた。

 王妃の指先が白雪の頬に触れ、白雪は唇を開く。王妃の指先は誘われるように、その血を透かしたような赤い唇に指先を這わせた。


「血のように赤い唇、」


 白雪の唇から、は、と吐息を漏れる。暖かく湿った息が指先に当たる。王妃の指先はゆっくりと、唇から頤をたどり、するりと耳の後ろへ差し込まれた。


「黒檀のような黒い髪、」


 国で一番美しい娘。欲しいものは、国で一番の美しさだ。これらの美貌を手に入れれば、あの鏡はまた、自分が一番美しいと、そう答えてくれるだろうか。


 ふっと、白雪の体が傾いた。ゆっくりと、近づいてくる黒い瞳には、閉じ込められた星々が瞬いている。しかし、そこには冬の夜空のような硬質さはない。真夏の熱に浮かされたような温んだ夜の湖に映る夜空。反らすことができずに、ただ見返せば、王妃の滑らかな頬に触れる白雪の指先に、わずかに力がこもる。促されるように、それとも見つめられることによる息苦しさゆえか、王妃もまた、薄く口を開いた。


 喉が渇く、口元も乾いている。一方、白雪の赤い唇は今にも滴り落ちそうな血のみずみずしさだ。その赤さから目をそらそうとして、王妃は白雪の顔が、焦点が合わないほどに近づいていることに気が付いた。


 王妃は咄嗟に自身の口を、掴まれていない方の手で覆った。次の瞬間、白雪の唇が王妃の指先に触れた。暖かくやわらかな感触に、自身の指先が冷えていたことを知る。


 いつもは繊細なガラス細工に触れるような慎重さをもつ白雪にしては珍しく、白雪は王妃の口元を隠す腕を乱暴ともいえる仕草で捉え、力任せに引き離した。


 そして、再び、強引に唇を寄せてくる。

 王妃は、今度こそ、自身の自身で、頬に添えられた指先に逆らうように顔をそむけた。


 白雪の赤い唇は、王妃の肉が薄い頬に押し付けられる。「やめなさい、」と止める声は、やはり乾いていて、思ったよりも頼りない。だからか、白雪は止まらなかった。


「やめて」


 先ほどよりも強く制止を促すが、しかし、王妃の声など聞こえないかのように、白雪は暴れる王妃の体を押さえつけようと、王妃の体に体重をかけてきた。その重さは、彼よりもずっと軽いはずなのに、なぜかあの苦しい夜を思い起こさせる。


「もうやめて!」


 懇願に変わった王妃の悲鳴に、白雪は慌ててその身を引いた。と、同時に、馬車が歩みを止めた。


「ご、ごめんなさい」


 自身の手で自分を抱きしめ震える王妃に、白雪こそが、蒼白とした面持ちで身を竦める。おそらくなだめるためだろう、伸ばされた手に、しかし、王妃の肩は過剰に揺れた。白雪は伸ばした手を空中で握りしめ、自身の胸元へと引き寄せる。


「お二方、どうしました?」

 御者席から、従者が問いかけに応えたのは、王妃だった。


「気分が悪いの、休みたいわ」

「わかりました。今、降りられますか?少し行けば湖がありますが、」


 従者の問いかけを聞いた白雪は、「今、降りませんか?……冷静になれない」と王妃に向かって言った。

 王妃は小さく顎を引く。

 白雪は王妃のそれを首肯と受け取ったのか、自ら馬車の扉に手をかけると、馬車から降り立った。刹那、王妃は馬車の扉を閉めた。


 それは、衝動的な行動だった。


 しかし、それはもう、取り返しがつかない行動でもあった。

「馬車を出してちょうだい」

「へ?」

 驚いたのは従者だ。しかし、彼は、王妃が嫁ぐ前からの忠実なる僕だった。


「馬車を出して、今すぐ!」


 王妃の叫ぶ声に、従者は鞭で馬を叩く。繋がれた馬は、一声嘶くと、小石を飛ばして駆け出した。揺れる馬車の中で、王妃は自身の肩を掻き抱く。


 怖くて後ろを振り返ることができなかった。何に対する恐怖か、王妃自身もわからなかったけれども。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ