22・逢魔時の瞳
22・逢魔時の瞳
シロの、悲しみと混ぜこぜになった自暴自棄の怒りは、僕がいま胸に抱いている冷たい熱と同種のもので、そして僕もまた、声の届く全てに対して叫んでやりたい気分だった。
「止めよう、シロ。彼女のせいじゃないんだ」
「でも、指摘される筋合いもないわ!」
「私は、君たちに、諦めないでほしいんだ」ああ、まだ言ってくれるのか。
「酷なことを言ってくれるわね!」
「ああ。傲慢で身勝手な、身分不相応にも程がある願いだ」一つ目もまた、どこか自嘲的な調子だった。
「もう遅いよ。僕はこのままでも、どうにかやっていく事だけを考えているんだ」僕は反射的に打ち払う。もう聞きたくない。
「遅くはないさ。だって君たちはここに来たのだから」されど彼女は揺るがず、やるせなさの中に断固とした芯を突き通したまま、僕らに僕らを突きつける。
「……終わりなき夜の終わる場所、隣街を求めて来たんだろう」
「そこなら何かが、変わると信じて。違うかい?」
「そうよ」
「だから」
「だから、何なのよ」悲しみが、やるせなさが、虚しさが、永劫に続く不変の夜の重量が、彼女の怒りさえも押し潰した。
「あなただってどうにもできないんでしょ? 諦めるな、なんて月並みで押しつけがましいことしか言えないんでしょ?」
「何でも知ってますって顔して、私よりもっともっと物事を知っているあなたでも無理なのに、そんなこと、勝手に願わないでよ」
一つ目は何も言わない。彼女もまた、向き合っている少女と同様に、暗く青く深い澱みを見つめていた。
向き合わなければいけないのか、そんな疑念が脳裏に芽生える。ずっと昔に、耐えきれず捨ててしまったあの疑念が。これが目的なら、彼女の言葉は残酷な程に役目を全うしてくれたのだろう。
僕が沈思黙考に耽り始めると、場を静寂が支配した。満たす空気はまるで、僕ら三人が見つめさせられている青い澱みのようだ。
僕が抱いた澱みの底から、青い炎が手を伸ばす。僕はそいつを見ないようにしながらその横をすり抜け、口を開く。彼女のせいじゃない、と声に出さず呟いてから。
「……僕もシロと同じ気持ちだ」
「これから先、いつまでもこうなのか。この旅が終わっても、また見世物に戻るのだけなのか」
「変える道はあるのか。変えるにはどうすればいいのか」
「この不安は僕だって同じなんだ」
「これは僕ら二人のことだ。いたずらに刺激される謂れはない」掬い上げるまでもなく、言葉はすらすらと零れ落ちた。
「すまない。無神経な真似だった」
「本当にね。でも……先を諦めないで欲しい、そう願っていることは分かったよ」
「ただし、それを僕らが背負うかどうかは別。向き合うかどうか、そしてどう向き合うかは、僕らが決める」これ以上に言えることはなかった。相手の願いを受け入れきらず、明瞭な答えは先送りにしているだけ。だが、こうとしか僕には言えなかった。
願いは残酷で、答えは杳として知れない。物言わぬシロがそっと肯定してくれたのが、せめてもの救いだった。
一つ目は望遠鏡からその目を離し、横を向いて椅子に座り直し、僕らへと真っ直ぐに向き合った。シロよりも更に長い髪は後ろで束ねられており、おかげで彼女の顔が余すことなく露わになった。
「ありがとう」
安堵したように笑む彼女の黒眼には、沈みかけの太陽が見えた。
「その目」シロが驚嘆の声をあげる。
黒眼の大地は落日の赤い熱を天へ放ち、そして黒眼の天からは黒じみた紫が広がって目の丸を形作っている。どこまでも高い空が黒眼の内に展開されていて、そして端々には薄く細い秋雲が焼け落ちたまま浮かんでいた。雲は流れず葉は舞わない。風が凪いでいるのだと思ったが、違う。その空は、その空のままで凍っていた。
「お詫び兼お礼がしたいな、と考えたのだけど」平時より柔らかくなった白い声で一つ目は言う。
「撫でるのも、抱き締めるのも……君たちには違うような気がしてね。思い付いたのはちゃんと目を見せて礼を言うことぐらいだったのさ」
「君たちに驚きを与えつつもこちらの誠意を示して、あわよくば親近感を持って貰えるかな、なんて」
シロが吹き出す。僕は辛うじて堪えた。僕の勝ち。
「要は機嫌取りがしたかったのね」朗らかな笑みで小馬鹿にする。
「そうとも言う……かな」
「そうでしかないよ」一つ目がこんな事で窮する様子は、何だか奇妙で可笑しかった。
「機嫌を取るなら徹底的にね。僕はともかくシロがうるさいから」
「そうね、その辺については一家言あるつもり。散々あの唐変木にとんちんかんな事されてきたんだから」
「あー……君らが言うところの団長か」シロは何故か鷹揚に頷く。「人の機微とか読めなかったからなぁ、苦戦しただろうね」
「いや、あなたも同じぐらい下手くそよ?」
「手厳しいね」一つ目は困ったような困らないような、余裕ある語調で苦く笑う。
一つ目の笑いが部屋に消え、僕らは彼女の瞳をそっと覗きこむ。
夕日が大地へと飲まれていくその瞬間で凍りついた空を、一つ目の目の中に展開される空間を、天から紫が降り注ぎ、地から赤がこみ上げるグラデーションの黒眼を、深く惹きつけられながら見つめる。
一つ目は二人分の視線を受けつつ泰然と、紫色の空を閉じ込めた瞳で僕らを見守るように眺めていた。
「逢魔時、と言うんだ」一つ目の薄い唇が物静かに事実を紡ぐ。
「昼から夜に変移する時、夕方の終わり、夕暮れの暮れ……そして太陽が眠る瞬間。朝まだきに、再び覚めるまで」眠る。それは少しだけ、死ぬことだと夜男は言った。
「これは君らが探している光景ではないだろう」僕らが探しているのは、青。彼女が宿すのは、青の終わり。
「でも、こういう世界もあったんだよ。覚えておいてもらえると嬉しいね」付け足したお願いに込められていたのは、諦観混じりの慈しみだった。
僕は食い入るように逢魔時で止められた世界を見回す。地と空の境界線は赤く輝き、放たれた熱は地平を滑りながら黒眼の世界の下側へと、薄れ掠れながら伸びていく。だが結局、燐光は外に出ることなく燃え尽きてしまう。最後に残ったのは、黒目を縁どるその色は、紫じみた黒だった。うんざりするほどに親しんだ、夜の色。
「この光景を最後に見たのは、いつ?」夜以外の時間があったのは、いつ?
「あれから時計の短針が七万八千回は回ったかな」一つ目は曖昧に答えてくれた。
十三分と七十五秒が経過すると、一つ目はまぶたをそっと降ろした。僕らはスイッチを切られたかのように、その眼から目を離す。
「また、いつでも来てくれていいよ」僕らが目を離した隙に、もう彼女は望遠鏡を覗き込む姿勢に戻っていた。
「というか、ソラ、シロ。君たちはまた戻ってくることになるだろうね」
「勿体ぶった言い方には目を瞑るとして」シロが腰に手を当てて溜め息をつく。
「何でソラの名前を知ってるの? 一回も呼んでないわよ」不信の色は感じない。純粋な好奇心からだろう。
「当てずっぽうだよ。きっとそう呼ばれるだろうと思ったし、私ならそう名付けるからさ」一つ目は含みを存分に含んだ笑みで答え、シロは首を捻りつつも諦めた。
当の僕はずっと、名乗る必要など最初から無いような気がしていた。




