第二十九章 動かなくなった手
病室は狭く、薄暗かった。
石壁の小さな部屋に、寝台が一つ。窓は高い位置にあり、夕暮れの光が天井に近い壁だけを照らしていた。病院の匂いがした。石灰と薬草と、病んだ人間の体の匂い。何人もの人間がこの寝台の上で苦しみ、何人かはこの寝台の上で死んだ匂いが、壁に染みついていた。
寝台の上にカラヴァッジョが横たわっていた。修道士たちが額に濡れた布を乗せ、水を口許に運んでいた。カラヴァッジョの唇は干からびていた。水を含んでも、唇が吸い込む前に顎を伝って流れ落ちた。
コルナッキアは寝台の下に潜り込んだ。修道士の一人が犬に気づいた。顔をしかめた。病室に犬を入れるわけにはいかない。不衛生だ。修道士は手を振り、足で追い払おうとした。コルナッキアは動かなかった。老いた喉から唸り声を上げた。若い頃の迫力はなかった。声が掠れていた。しかし歯は剥いた。黄色くなった歯を剥き出しにし、目だけは光らせた。
修道士が別の修道士を呼んだ。二人で犬を引きずり出そうとした。コルナッキアは寝台の脚に体を押し当て、爪を床に食い込ませた。
寝台の上から声が聞こえた。弱い声だった。しかし確かにカラヴァッジョの声だった。
「この犬を連れて行くな」
修道士たちは手を止めた。互いの顔を見た。病人の声に力はなかったが、命令の形をしていた。修道士たちは何か言いかけたが、結局、犬を残して部屋を出た。
コルナッキアは寝台の下から這い出し、寝台の横に座った。カラヴァッジョの手が寝台の端から垂れていた。コルナッキアはその手に鼻を寄せた。
匂いが変わっていた。リンシード油の匂いが消えかけていた。十五年間、この人の体を構成していた匂いの一つが、薄れていた。代わりに病の匂いが濃くなっていた。体の中で何かが壊れていく匂い。臓器が熱で腫れている匂い。血液の組成が変わっていく匂い。
手を舐めた。カラヴァッジョの手の甲を、犬の舌が何度も撫でた。指の関節が浮いた手。爪の間に、もう絵具の跡はなかった。最後に絵具に触れたのはいつだったろう。ナポリだったか。パロ港で奪われた三枚の絵を描いたときだったか。この手はもう絵具を知らない手になりつつあった。
夜が来た。窓からの光が消え、病室は完全な暗闇に沈んだ。修道士が蝋燭を一本灯して去った。蝋の焼ける匂いがした。アトリエの匂いの断片だった。マダマ宮の夜を思い出した。蝋燭一本の光の中でカンヴァスに向かう背中を。筆がカンヴァスを叩く音を。あの夜はこの男の体から集中の匂いが立ち上っていた。今、この部屋には筆もカンヴァスもなかった。蝋燭の光だけがあの夜と同じだった。
カラヴァッジョは熱にうなされていた。目は閉じたり開いたりしていた。開いた目はここではない場所を見ていた。呼吸が不規則だった。時おり体が震え、汗が滲み、修道士が額の布を取り替えに来た。
断片的な言葉を呟いた。犬の耳がそれを拾った。
「光が……」
何の光か。窓からの光か。蝋燭の光か。カンヴァスの上の光か。コンタレッリ礼拝堂の扉から差し込んだ光か。
あるいは、この暗い病室の中に、犬の目には見えない光が見えているのか。死にゆく人間の目だけに見える光が。犬にはわからなかった。しかしカラヴァッジョの目は何かを見ていた。閉じかけた瞼の隙間から、光を探していた。
「あの絵を……」
どの絵か。パロ港で奪われた三枚の絵か。ボルゲーゼ枢機卿に届くはずだった恩赦のための絵か。ローマに残した絵か。マルタの大聖堂の絵か。
それとも、まだ描いていない絵か。もう描けない絵か。この人の中にはまだ描くべき絵があったのだ。描ききれなかった絵が、この人の内側に残っている。その絵は永遠に失われる。
「母さん……」
ルチア。カラヴァッジョの母の名前。瞳は美術史の知識でその名を知っていた。彼が幼くして失った母。コスタンツァ・コロンナと親しかった女。この男が最後に呼ぶ名前が母の名前だった。父でも友でも敵でもなく、母の名を呼んだ。犬の耳が、その一語を拾った。か細い声だった。唇がほとんど動かなかった。しかし犬の耳には聞こえた。
深夜。蝋燭が短くなっていた。蝋が溶けてテーブルの上に溜まり、芯がぎりぎりまで燃えていた。もうすぐ消える。
コルナッキアは寝台に上がった。老いた脚で寝台の端に前脚をかけ、後脚で跳び上がった。関節が軋んだ。以前なら一息で跳べた高さに、三度試みてようやく上がった。
カラヴァッジョの体の横に体を寄せた。彼の腕の横に、犬の体を押し当てた。体温を伝えた。犬の体温が男の腕に流れ、男の体の熱が犬の体に流れた。彼の体温は高かった。熱が体を焼いていた。犬の体温よりも高い、病の熱だった。
カラヴァッジョの手がかすかに動いた。犬の体に触れた。指が巻き毛を探った。力がなかった。指先が毛の上を滑り、犬の頭を探した。コルナッキアは頭を手の下に差し入れた。犬の方から手の下に潜り込んだ。
手が犬の頭の上に乗った。
最後の撫で方だった。最初に路地で子犬を拾い上げたときの、大きな手の温もりと同じものが、ここにあった。しかし力が違っていた。あのときの手は太い指で犬の全身を検分し、持ち上げ、腕に抱え、パンを分けた。今の手は頭の上に乗っているだけだった。重力に従って乗っているだけだった。
手が動こうとした。指が犬の毛を撫でようとした。一度、巻き毛をかき分けるように動いた。二度目、指先が耳の裏に触れた。子犬の頃にもそこを撫でた。あの頃は指に力があり、犬の体全体がその指の下で弛緩した。三度目は途中で止まった。
指の動きが止まった。
手が止まった。
コルナッキアの頭の上で、手が止まった。
力が抜けたのではなかった。力を入れようとして、入らなかったのだった。最後まで撫でようとして、最後まで届かなかった。手はコルナッキアの頭の上に置かれたまま、動かなくなった。
心拍が変わった。犬の耳が、主人の心拍の変化を聞いていた。速かった拍動が遅くなった。不規則だったリズムが、さらに不規則になった。打つ間隔が長くなった。一拍。長い間。一拍。もっと長い間。一拍。
呼吸が変わった。浅い呼吸が、さらに浅くなった。吸い込む空気の量が減った。吐く空気の量が減った。胸の上下が小さくなった。
匂いが変わった。生きている人間の匂いが、少しずつ、変質していった。体温が下がり始めた。手の先から温もりが退いていった。指先が冷たくなった。犬の頭の上に乗っている手の指先が、体温を失っていった。
一六一〇年七月十八日。
心拍が止まった。
最後の一拍の後、次の一拍が来なかった。
犬の耳は待った。次の拍動を待った。来なかった。待ち続けた。来なかった。
呼吸が止まった。胸の上下が止まった。空気の出入りが止まった。
コルナッキアは動かなくなった主人の手に鼻を押し当てた。手は冷たくなり始めていた。リンシード油の匂いはもうなかった。鉄の匂いもなかった。汗の匂いもなかった。十五年間、この手を構成していたすべての匂いが退いていった。残ったのは体が停止した後の、静かな化学変化の匂いだけだった。
コルナッキアは主人の手を舐めた。冷たい手を舐めた。何度も舐めた。温まらなかった。舐めても温まらなかった。十五年間、犬の体温で温めてきた手が、もう温まらなかった。舌が冷たい皮膚の上を滑った。指の関節の凹凸を舌が辿った。爪の間の溝を舌が探った。絵具の跡はもうなかった。この手がかつて生み出したすべての光の痕跡が、消えていた。
瞳は二重の喪失に襲われた。
画家として。
人類が生んだ最も激しい光の画家の、最後の呼吸を聞いた。あの光がもう二度と生まれないことを知った。コンタレッリ礼拝堂の扉から差し込む光も、マルタの大聖堂の血溜まりの署名も、ナポリの泥の中の慈悲も、ゴリアテの半開きの目も、すべてはこの男の手から生まれた。その手が止まった。止まった手は二度と動かない。この手が次に何を描いたかを、人類は永遠に知ることができない。知的な悲しみだった。頭で理解する悲しみだった。しかし瞳にとっては、それは頭だけの悲しみではなかった。この人の手の動きを十五年間、至近距離で見続けてきた目の悲しみだった。
犬として。
主人を失った。十五年間、この人の足音を聞き、この人の匂いを嗅ぎ、この人の体温で眠った。朝に目を覚ませば主人の心拍が聞こえた。夜に眠りにつけば主人の呼吸が隣にあった。その足音が消えた。その匂いが消えた。その体温が消えた。本能の絶望だった。体の芯から崩れ落ちる絶望だった。主人の匂いが消えた世界に、犬が存在する理由がなかった。犬の体のすべての細胞が、存在の理由を見失った。
この二つは分離できなかった。画家の悲しみと犬の絶望が、同じ体の中で同じ温度で混ざり合っていた。どちらがどちらかわからなかった。分離する必要もなかった。十五年かけて一つになった二つの存在が、一つの喪失を体験していた。
蝋燭が消えた。芯が燃え尽きた。暗闇が病室を満たした。窓からは月の光も入らなかった。七月の夜空が厚い雲に覆われていたのかもしれなかった。犬の夜の目にも、もうほとんど何も見えなかった。老いた犬の目でさえ暗闇に負けていた。
コルナッキアは主人の体の横で体を丸めた。冷たくなっていく体の横で。動かなくなった手がまだ頭の上にあった。
十五年前の路地を思い出した。浅黒い肌の男が子犬を拾い上げた路地。「真っ黒だな。カラスみたいだ。コルナッキア」。あの声が聞こえた。犬の耳の中で、記憶の中の声が鳴った。若い声だった。厚い唇が笑い、少年のような顔になった声だった。
あの声が遠ざかっていった。十五年前の路地の声が、記憶の底に沈んでいった。匂いも薄れていった。リンシード油。鉄。汗。テレピン油。リンシード油も鉄も汗もテレピン油も、すべてが遠い場所に去っていった。
目を閉じた。
そこで世界は暗転した――。




