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 戻って来たアルノとレファートのふたりを真っ先に見つけたのは、今日も今日とて庭でスライムと戯れていたメイニだ。

「あーっ! アルノがかえってきたあ!」

 高く愛らしい声が弾む。


「なんだかもう何年も帰って来ることができなかったくらいの気持ちだ。元気そうでなによりだ、メイニ」

「うん、メイニね、げんきだよ! チュライムたちも、げんき!」

 いつもの通り抱えていたスライムを、メイニが高く掲げる。スライムのつるりとした体表が陽光を浴びてきらりと輝く。それは帰宅を寿いでいるかのようでもあった。


 牧歌的な光景に、アルノはなんだかほっと安堵した。帰って来た、という思いが胸をじんわりと温める。

「ここは俺の帰る場所になっていたんだな」

「では、より一層住み心地よく整えましょう」

 アルノの呟きを拾って、レファートが決意も新たに、決然と宣言する。


「いや、もう、十分だろう」

「これ以上ってどんな風になるのか、ちょっと気になる」

「想像もつかないよね」

 メイニの声を聞きつけて集まって来たカレルが呆れ、チエムが興味をそそられ、ティコが笑う。


「アルノ、お帰りなさい!」

 ティコが嬉しさのあまりアルノに抱き着く。

「うん? ティコ、少し会わないうちに背が伸びたんじゃないか?」

「え、本当?」

「ちょっと、あなたたち、喋っている暇はないわよ。動いて、動いて! アルノとレファートさんは研究棟の方へ行ってバダーの特効薬づくりに加わってちょうだい」

 エニーが両手を腰に当てて仁王立ちする。


「ああ、そうだった」

「行きましょう、師よ」

 レファートに促されるも、アルノはすぐには頷けないでいた。あともうひとり、最も会いたかった人の姿を探して視線をさまよわせる。


「エニー、メイニはいた? 次のスライムはどこかしら?」

 姿は見えないが、声だけでもアルノの胸は高鳴る。

 エニーが腕組みをし、仕方がないわね、とばかりに息を長く吐く。そして、声を張った。

「リシェル、ちょっとこっちへ来て!」

「どうかした?」

 声が近づいてくるにつれ、アルノの鼓動も速くなる。


「あ、アルノさん!」

「リシェル」

 アルノもリシェルも、もはや互いしか視界に入らない。


 にやにやするチエムをカレルが引っ張っていき、エニーがメイニの背中を押し、名残惜し気なレファートの服の裾を掴んだティコが研究棟へ向かう。

 そして、そこにはアルノとリシェルのほかは誰もいなくなった。


「もしかして、スライム・クラフトをしていたのか?」

「え、ええ。バダーが流行していると聞いたから。薬が足りるかどうかわからないけれど、わたしたちが今やれることをしようとみんなで決めたの」

 アルノもレファートもエルミラもいない。漠然とした不安の中、流行り病が猛威を振るっていると聞いた。

 今度はヨルグ町で起きたのとは比べものにならないほどの広範囲に起きているという。


「少し前にエルミラさんが戻ってきて薬をつくりながら、時折スライム・クラフト時に顕微鏡で異常がないか観察してくれているわ」

 後から、ピートから「リシェル君が鼓舞して様々な指示を出していた。立派な陣頭指揮だったよ」と聞いて感心しきりだった。


「頼もしいな」

「お帰りなさい」

 青い瞳をすがめるアルノに、リシェルは面映ゆそうにした。

「ただいま」

 自然とハグし、唇が重なる。

 しかし、悠長に再会を喜ぶ時間は与えられなかった。アルノは特効薬づくりを、そしてリシェルは引き続きスライム・クラフトを行う。

 自分たちができることをする。力を合わせ、この危難を乗り越えるのだ。




 バダーは猛威を振るい、少なくない犠牲者が出た。

 カトリエン商会の商人たちが新特効薬や栄養のある食べ物を広く販売した。こういうときに横行する薬と食料の高騰は起きなかった。

 バダー特効薬の開発者がこういう事態において価格を不当に吊り上げないこと、という条項を契約に盛り込んでいたからだと、まことしやかに噂された。その噂を流したカトリエン商会の三男は、同時に食料や日用品の価格が急騰することを防いだ。

 だが、一流の商会でもすべての者が高潔であるとは限らない。


「どうして呼ばれたか、分かるかい、フォルマー?」

「分かりませんね。流行り病が猛威を振るう局面でカトリエン商会の中枢にいる俺を呼びつけるなんて、それ相応のことなのでしょうね」

 フォルマーは、兄ローラントにたっぷり皮肉を込めて答えた。それでなくとも、今は千載一遇の好機だ。流行り病が席巻する今、薬を売らなくていつ売れるというのだ。そんなことも分からないのか、と苛立ちを隠せないでいた。


「君、バダーの新薬を適正価格にいくらか上乗せして販売しているんだって?」

 穏やかに問うローラントの瞳には、鋭い光が宿っていた。


 フランクは再びフォルマーの部下になるふりをしながら、情報を抜き、レファートへ報告していた。その中に看過できないことがあった。レファートは即座に長兄に相談した。

「この件は俺が預かるよ」

「お任せします」

 なにかと足を引っ張ろうとする次兄の弱みを掴んだものの、レファートは的確に対処した。その判断力に、改めてローラントは感心する。

 ただでさえ面白く思っていないレファートに徹底的にやりこめられては、フォルマーはどんな手を使ってくるかわからない。それよりも、別の人間が正攻法で罰する方が手も足も出ない。


「カトリエンはそんじょそこいらの行商人とは違う。今後長期にわたって商取引を拡げていく。そのためには、信頼が第一だ。信頼されてこそ、ブランドとなる。その看板に泥を塗った」

「わたしも同感です」

 ローラントの静かな怒りを湛えた言葉に、レファートは淡々と答えた。

 長男と三男が分かっていることを、次男は果たして理解しているのか。


 ローラントのフォルマーに対する追及は厳しい口調ではなかった。長兄が恐ろしいのは、どんな激情を抱えていても一見して平素とはかわらないということだ。それを知るフォルマーはさすがに怯んだ。怯まされたという事実が、プライドの高いフォルマーを頑なにした。

「はい。それがなにか?」

「「それがなにか?」不正をしたにもかかわらず、随分な物言いだね」

 ローラントは薄っすらと笑んだ。反抗心に自らを煽られていたフォルマーは気づかなかった。


「不正! どのみち、契約者のひとりは身内ではないですか。だったら、この絶好の機会を逃すなんて、愚かしいことこの上ない。商機を逃すなど、二流、いや三流の商人がすることだ」

「契約に身内もなにもない。契約は商人にとって神聖なものだ。それが破られるのであれば、すべての商取引は成り立たない。それこそ三流以下の商人がすることだ」

 ローラントは淡々と述べた。そして憐れみの表情を浮かべる。フォルマーはここに至ってようやく自分の失策を悟り青ざめた。


「フォルマー、君は今後カトリエンの名を名乗ることを許さない」

「な、なんだと?!」

 想像をはるかに超えた厳しい処分に、フォルマーは気色ばんだ。カトリエンの直系であることが誇りだった。カトリエン商会をより一層大きくすることが目標だった。それを今、長兄は土台から消し去ろうとしている。


 掴みかからんばかりのフォルマーに、だが、ローラントは意に介さない。

「これは、カトリエン商会会頭サイモンの意思でもある」

「っ!!」

 フォルマーは絶句した。兄のみならず、父にも見限られた。


「君は弟に張合う気持ちが強すぎたんだ。だから、弟の契約をないがしろにしてもいいと高をくくっていた。いっそ、商会から離れた方がいいだろう」

 それは父と兄、家族の情愛からなされた決断だった。だが、失意の底にあるフォルマーの耳には届かなかった。




 バーナデット大学はサンエントからマークの企みを聞いて、いっそ、アルノを研究ごと取り込もうとした。そこで学者たちを大学外の施設へ向かわせたところ、素晴らしい研究環境がととのえられていると報告した。

 ゴッドフリート大学と手を組むよりも、アルノたちとの共同研究へと傾きかけたとき、サンエントが強硬に反対した。そして、アルノが不正をした疑惑があるとして査問会を要求した。

 世紀の発見に興味を露わにしていたはずのサンエントの唐突な変心に、バーナデット大学でも戸惑う者が多かった。


 サンエントのみならず、ゴッドフリート大学学長もまたかつて大いに大学に貢献したアルノを弾劾するために査問会を要求したという。

 バーナデット大学はこれを機にサンエントと並び称される賢師を追い落とすべきだという者と、いや静観すべきだという者とで真っ二つに分かれた。


 学界が査問会にアルノを召喚したと聞いて、前者に一時軍配が上がるものかと思われた。けれど、時を置かず、バダーが蔓延し、全てはうやむやになった。

 しばらく後、流行り病は終息した。カトリエン商会のバダー特効薬が大いに貢献したという。


「なんでも、アルノ博師を(よう)する研究グループが大量の特効薬を提出したとか」

「知っているか? アルノ賢師はカトリエン商会との契約に、難事であっても薬価を吊り上げないことを盛り込んだそうだ」

「よく商人にそんな条件を飲ませることができたな」

「そこはそれ、レファート博師の手腕だろう」

「ああ、あの、」

 バーナデット大学でもバダー終息について様々な話が飛び交った。そのころには、アルノはやはり不正など行っていなかったのだろうという空気が流れていた。

 そんな折、彼らの身内の不正が告発され、大きな衝撃を与えた。

「ま、まさか、サンエント賢師が」

「嘘だろう? 不正したのはゴッドフリート大学の賢師だったんじゃなかったのか?」

「なにかの間違いだ」

 バーナデット大学は揺れに揺れた。




 ハンクは煩悶(はんもん)した。

「なぜなんだ。なぜ、病因を同定しろと言われて、できるんだ。そんなの、できないから、ずっと大勢の人間が流行り病に苦しめられてきたんだろう。俺はバダーで家族を失った。だから、そんな人をひとりでも少なくするために学者になった。なのに、あの人は学長に言われてあっさりと原因を発見した。そんなのおかしいだろう。大体、そんなに簡単に見つけられちゃあ、こちらの立つ瀬がない。同じ学者なんだから見つけろと安易に言われるんだよ! そんなの、一生かかってもできるかどうかだ。なのに、あの人はなんであんなにあっさりできるんだよ!」


 ハンクは大学を卒業後、ずっと学師の称号を持てなかった劣等感に苛まれていた。

 もっと上の称号が欲しかった。それで、他人の論文を金で買った。困窮した学者から買い取った。そのための金銭が必要だった。だから、マークの誘いに乗った。その後は言われるがままに使われた。


 そんな風に後ろ暗い気持ちを抱えながら学者を続けているのだ。それでもしがみついている。踏ん張っている。

 なのに、アルノは自分が一生かかってもできないことを、やれといわれてあっさりやってのけてしまった。


 同じ学者なのに、難解なことを軽々しくやれという上司への不満と怒り。それをごく短期間でやってのける人がいては、お前も同じようなことをやれと言われるのではないかという危惧と不安。学者になった原動であることを、先んじてやられてしまった失意と嫉妬。

 そしてなにより、アルノよりも年上でその分、長い年月をかけて取り組んでいるのに、どうあがいてもあの領域には達することはできないという諦念と羨望。


 ハンクの中には多様な感情が色濃く渦巻き、自分でもなにがなんだかわからない飽和状態となっていた。

 ハンクはゴッドフリート大学へもアルノたち研究チームにも戻ることが叶わず、個人で研究したが資金が続かず、学者であり続けることを諦めることになるのだった。





「めいに、うれしいって」

「あるのがかえってきてあんしんしたって」

「めいにがげんきになった」

「じゃあ、あるのはいいにんげん?」

「たよりになるにんげん?」

「すらいむといっしょにめいにをだいじょうぶにしてくれるにんげん!」




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