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エルミラからもバーナデット大学のサンエントからも、断られたマークは策を講じた。
追い出したアルノが論文を提出し、世紀の発見を発表したという。
学界で注目されたアルノが、マークに不当に扱われたと糾弾するかもしれない。このままではゴッドフリート大学の存続すら危うい。
もちろん、これらの考えはマークが勝手に考え付いたものだ。なんとかして目障りな賢師を追い落とそうとし、さらにはアルノ一派の中に子飼いの学者を送り込んだから、相手も同じようなことをするという結論を導き出したのだ。
自分が企みごとをするから、相手もそうするだろうと思い込んでいる。自分の影に怯えているのだが、自覚はない。
ありもしない危機に対応するため、自分ひとりでは心もとないことからとっておきの切り札を切ることにする。
バーナデット大学のサンエントに論文を剽窃したことを公表されたくなければ、学界に働きかけ、査問会を開き、アルノを招集するよう要請した。一旦公表された学説を取り下げることは却下されたため、せめて査問会を開き、その論文を書くにあたり不正がなかったかを今一度確認するよう働きかけることにしたのだ。
査問会は問題行動や不祥事などを問いただすためのものだ。それが開かれ、招集されるだけで、悪印象がつきまとうことになる。
アルノ陣営に大いにあわてふためかせることができよう。そうなれば、自分にちょっかいをかける余裕もなかろう。マークはそう考えた。
つまりは、自分が弾劾される前に弾劾したのだ。
マークはサンエントさえ味方につければ、後は学界役員を何人か買収することで査問会を開き、さらにはアルノの不正をでっちあげられると目論んでいた。
マークの思惑通り、査問会にアルノが招集された。
誤算だったのは、ふたたびバダーが大流行したことだ。バダーの新特効薬を一手に扱うカトリエン商会の名代がやってきて、この難事にアルノが必要だと言われれば、返すほかない。もちろん、査問会は開かれることはない。もともと、ありもしない不正によって開こうとしていたのだから。逆にカトリエン商会に厳しく追及され、不正をでっちあげた学界役員はあっさりとマークの企みを吐いた。
もうひとつの想定外の出来事には、大勢の学者たちがアルノを不当に扱ったことに抗議の声を上げたことだ。学長はアルノの真価を理解していなかった。
学者だからこそ、アルノの見識の凄みを理解し、敬意を払った。他方、学者も人間だからこそ、マークは嫉妬し、足を引っ張ろうとした。
必要もない査問会を強制的に開かせようとし、スライム・クラフトの要であるアルノを不在にさせたことで、多くの命が失われた。バダー終息後、そのことをマークとサンエント、そして学界は責任追及された。その過程において、それぞれの余罪が明るみになる。
アルノはサンエントの論説を大いに称賛し、敬意を持っていた。それが他人の書いた論文の剽窃だったと知り、人知れず落胆する。
サンエントは、賢師であり続けるための実績がほしかった。高位称号を得ても、そこで終わりではないのだ。その焦燥によって悪事に手を染め、多くの学者から敬われる者からの敬意を失うこととなった。
マークはうそぶく。
「スライムも他種族を取り込み、体内で成長させ、自身の栄養とする。それとなにが違う。それのなにが悪い」
スライムはただ生きるためにそうしている。人以外の生物と同じく、生存という生物としての本能に沿ってそうしている。
本能以外の自分本位な目的のために他者の努力を自分のものと偽る。周囲のみならず、自身をも偽る。
そんな偽りの上の楼閣など脆い。幻想にすぎない。
自ら苦労して生み出したもの、得たものを土台にして、さらに高みを目指す。その際、土台が砂であれば、踏ん張れない。偽りの砂に足を取られて立つこともできず、やがて倒れてしまうことだろう。
マークはエルミラを自分側の人間だと思い込んでいた。自分がエルミラとアルノを引き合わせたから、エルミラはアルノとともに研究していたと認識していた。
学者たちは自分の手駒に過ぎなかった。なのに、大勢がいなくなった。特に優秀なものばかりが去っていった。
悔しくて仕方がない。どうしてこうなった。困った。
これでは、バーナデット大学に負けてしまう。
そんなことはあってはならない。
だから、修師を使って、情報を抜き、それをネタにゆすぶりをかけ、学者たち手駒たちを取り戻そうとした。
「ゴッドフリート大学を大陸において至上の大学とみなに認めさせる。そして、俺こそが賢師となるのだ」
マークは人知れず、天才と呼ばれることを夢想していた。けれど、自分にはそれほどの知見がないと自覚もしていた。だから、違うアプローチで迫ろうとしたのだ。
天才は天賦の才を持っているだけでは成立しない。その才能が遺憾なく発揮される環境を整える者が必要だ。そうでなければ、類まれな才能も存分に活躍することなく終わってしまうだろう。
なぜなら、目が覚めた瞬間から研究についてずっと考え続けていなければ、なにかを成し遂げることはできないからだ。
世紀の天才の出現の陰には、それを支える者が存在した。
天才は世に流布されている学説に捉われず、真実に迫り得るのだ。
何が正しくて何が間違っているか解明されない中、思考能力で真実にたどり着く。その論説が正しいと明らかになるのに時を要することもある。
だから、支える人間が必要だ。
マークの考えは間違ってない。けれど、取るべき手段が間違っていた。
カトリエン商会はレファートの働きかけにより、大々的にスライム・クラフトのことを宣伝した。同時に、容易にできないものだとも広めた。
これらはとんでもない特性だが、スライム・クラフトは工業化には向いていない。量産が難しいからだ。スライム・クラフトを指示できる者が限られているのが原因である。
「となれば、どこにでもあるもの、どこででも手に入るものをクラフトするのでは採算が合わんな」
けれど、流行り病の爆発的な蔓延を一時的に食い止めるのには役に立つ。
その実例を示して見せた。
カトリエン商会が学界がそれを認めたと大々的に喧伝するスライム・クラフトは、バダー新薬開発者であるアルノとその弟子たちの発見だというのを、フォルマーは遠く離れた国で聞いた。
父サイモンと兄ローラントはふたたびレファートとその師匠と新たな契約を結ぶかもしれない。けれど、それはもはやフォルマーにはなんら関りのないことだった。
「スライムの乱獲禁止? 相変わらず甘いことだ。商機をみすみす見逃すとは」
自分ならばもっと効率よくやってのけるのに。
フォルマーはそう失笑したという。
スライム・クラフトは錬金術ではない。
生き残るための効率選択の結果だ。つまりは、進化の果てに獲得された特性だ。
スライム・クラフトは卑金属から貴金属を生み出すことはないが、薬の素材を増産する。
この作用は、今のところ、スライムでしか見いだせない事象だ。
これを、高い知見に基づく正確な指示によって意図的にする。
もっともクリアに意思疎通ができる者たちの「スライムに無茶をさせない」という要求は、通る。
工業化するには数量が圧倒的に不足した。けれど、スライム・クラフトによって世界を一変しようというのではないのだから、それでいいとした。
カトリエン商会は後に、クレティアン商会と手を組む。その裏には思わずため息がでる美貌の学者兼商人と、死の女神と称されたうつくしすぎる学者の暗躍があったという。
リシェルが大学に入学するのに合わせ、スライム・クラフトの研究施設、スライム・クラフト・ファクトリーも移動した。子供たちとともにスライムたちもまた、ゴッドフリート大学に引越ししたのである。
「メイニ、そんなに押し込んだらスライムがつぶれちゃうわよ」
リュックサックにぐいぐいスライムを押し込むメイニに、エニーが呆れた。
「だって、みんなつれていきたいんだもん!」
「メイニ、そんなに大きなリュックサックを背負えないでしょう?」
「大きいスライムも連れて行くんだから、荷車に乗せればいいだろう」
「落っこちないようにしないとね」
「誰かいっしょに乗っていればいいんじゃないか?」
「メイニ、チュライムといっちょにねむっちゃいそう」
「あー、そりゃあ、いっしょに転げ落ちてしまいそうだな」
子供らとスライムらを呼び寄せたゴッドフリート大学の新学長にはレファートが就任した。
「師が心置きなく研究をできる環境を万全にする」
「そこまでするのかよ!」
「もういっそどこまでいくのか見てみたいきもするな」
「でもさ、叡師を擁する大学だよ? しかも、アルノだよ?」
一同は声に出さずに思った。メイニより簡単に誘拐されてしまいそうだ、と。世界最高峰の頭脳の持ち主が連れ去られたら。
阿鼻叫喚。
その言葉自体を知らなくても、似たような事象が一同には容易に想像ができた。
「……レファートさんが学長じゃなきゃ、ヤバいな」
「うん、なにかとヤバそう」
新聞は新たな天才誕生、いやようやく学会がその才を認めたのだとかきたてた。過剰な熱狂ぶりは新聞だけにとどまらなかった。最も高い称号を得て、各地で講演会をと希望された。別大学で講演会を行った際、その大学の学者や学生のみならず、周辺の人間が押し寄せることとなる。
「ようやく師の才の一端を知ったまで。師に有象無象が押し寄せるのを食い止めねばならん」
新学長は事も無げにそう述べたという。
エルミラを手に入れるためにマークがミンダート家にまで手を伸ばそうとしていたと後に判明した。
そのエルミラはフォンス・ワイアードとは婚約が調わなかった。
けれど、彼やジョエル・クレティアンといった多くの者に後援されることとなった。彼らはエルミラが戻った新生ゴッドフリート大学の支援者ともなった。
カリスタはしばらく後、村長となり、ランディと結婚した。
ピルア村の研究棟はゴッドフリート大学郊外研究所としてさまざまな学者たちが訪れ研究に励んでいる。
街道や都市から離れた場所ではあるが、食べ物がおいしいとしておおむね好評である。
リシェルは叡師と学長、そして博師や修師といったそうそうたる面々の推薦状を得て大学入学を果たした。
ゴッドフリート大学で学びながら、注目のスライム・クラフトの共同研究に携わる。
大学内で関係者の家族向けの学び舎が設けられ、読み書き算術が教えられた。
リシェルの引っ越しに伴い、カレルをはじめとする子供たちも大学内居住区に移住した。
学び舎で学びつつ、スライムたちの世話をする。彼らのお陰で、スライムたちは移住先でも落ち着いて過ごすことができた。
「だめだって、おじさん、食べているときに触ったら嫌がられるぞ」
「そうそう、好きじゃないって言われちゃうぞ」
ティコは学び舎でもすぐに頭角を現し、学院を通過せずに大学に入学をするという史上初の快挙を成し遂げた。
「さすがは叡師の弟子」
「叡師の薫陶を受けていたのであれば、学院で学ぶことなどもはやない」
一説には、ティコの画力を欲した大学が学院に通わせる時を惜しんだとも言われている。
エニーは学び舎で学んだ後、フランクの下について大陸中を飛び回っている。
フランクのお使いで頻繁にゴッドフリート大学の学長の元にやってくる。ついでに家族たちにも会っていく。
メイニは今日も今日とてスライムといっしょだ。
「チュライム、きょうもげんきにぷるぷるちているね」
「メイニ君、このスライムはなんて言っているんだい?」
「このこはねえ、きょうもとってもたのちいって。こっちのこは、いいてんきでねむくなりちょうっていっているわよう」
メイニのお陰で、スライムの生態が解明されつつある。
「メイニはスライムの特異的振動周波数を無意識に読み取ることができるのだろうな」
「それでスライムとの意思疎通をできるのね」
「それはつまり、天から授けられたとしか言いようがない才能だな」
常人にはわからないものなのだ。
メイニは特定生物、スライム研究者となる。後に、スライム同士がくっつく力があるという説を唱えた。
スライム同士の相互間の意思疎通に欠かせない振動により、結合力が生まれるというものだ。
「それ、スライム同士だけか?」
「メイニもくっついているよなあ」
この現象について、提唱者の名を取ってメイニ結合と名付けようという向きもあったが、提唱者の強い要望によってスライム結合と称された。
「生物分類でスライムはスラ属のスラになった!」
マーティンの働きにより、魔物の中で一番初めにスライムに学名がついた。
「なんでも、鳥類につけられそうになった名称を、マーティン博師が口説き落としたらしいぞ」
「ちなみに、この地域のスライムはスラ・スラ・スラだ!」
「亜種名まで決めてきちゃったよ、この人」
種小名の後ろに名称をつけることで地域の集団を特定する。
「まあ、メイニ君と付き合いのあるスライムは特異的であるから、分けて考えた方がいいかもしれん」
「メイニ、思いついて試したいことがあるんだが、」
「いいわよう」
「師よ、どんなことですか?」
「我が師、なにが必要でしょうか」
「む、またアルノ君が学界を揺るがす予感がする!」
「アルノ氏、早く早く」
アルノは世紀の発見をしたことで、叡師の称号を得た。当人の当惑をよそに、周囲は天才が認められたことを大いに寿いだ。
天才であろうと人間であることには変わりない。ほかに才能あるものを知れば嫉妬し、自分の方がより優れているところを誇示しようとした。才能が豊かであるから、公正であり他者を尊重するというものでもない。
アルノは今日も今日とて様々な者たちに囲まれ、研究を続けている。
そうして、この世界の理をひもとく大きな流れの一環となるのだ。
学問が人を救う。学者が、商人が、その他の多くの人々が協力して、災害を乗り越えるのだ。人知が及ばないとして、身を縮こませて耐えるしかなかったことに、みなで力を合わせて立ち向かうのだ。それぞれの得意分野を武器にして。
どれほどの頭脳集団でも、ひとところで変わりなく活動していれば、発想力は固定されがちだ。さまざまな人と交流し、意見を交わし合うことで、新たな発想が生まれ、思いもよらない結果に繋がる。
ゴッドフリート大学にはさまざまな学者たちが集まって盛んに研究をした。ひとりの天才が考えるよりも多角的な視点を持ち得た。
学者たちの話はさまざまな方向へ跳ねとんだ。
ぶつかることも多々あった。けれど、それは一色の火花ではなしえない、多彩な光が相互に作用し、うつくしくも鮮烈な光景を生み出すのだった。
アルノ・カルフォシスが誰よりもよく物事が見えていたのは、巨人の肩の上に立っていたからだ。先人が積み重ねた発見に基づいて、現在の発見がある。
アルノは偉大な先人たちに心からの敬意を持っていた。
「じゃあ、リシェル、光魔法の充填を」
「はい、アルノさん」
存命中、リシェルほどスライムに巧みに魔力供給する者はいなかった。
後世の学者は言う。
ふたりの天才の出会いが、スライム・クラフトを発見させ得たのだと。
リシェルは複雑だった。学院ではあれほどスライムの使役術などといってさげすまされた。自分もよりも優れた考察をする研究者たちとともに研究した。なのに、もって生まれた特性によるものがたまたまスライムと相性が良かったということで評価される。自分の努力や能力で得たものではない。
「もっとすごい人たちはいっぱいいるのに」
「わかるよ。俺も過去の偉大な天才たちと同列視されるのは据わりが悪い」
「アルノさんは順当な評価よ。本当にすごいもの」
「リシェルもすごいよ」
そんな風に言い合うふたりは、もっとすごい人たちがいるのに自分が評価される居心地の悪さを共有した。
アルノとリシェルは学者どうし、研究に没頭しながらともに暮らした。
エルミラは顕微鏡の研究を進め、光の回析と干渉の原理を用いて位相差によって明暗のコントラストを見るに至る。高コントラストによって無色透明なもの、たとえば細胞を染色に頼らず観察できるようになった。
アルノはスライム・クラフトの研究をつづけた結果、有糸分裂をはじめとする細胞分裂過程の仕組みを様々に解明してみせた。
そこには顕微鏡の急速な発展と所属する大学の大いなる後援があったという。
「スラ・スラ・スラはカリブ海や大西洋にいるアカアシカツオドリの亜種のことだよ(※注)。ゴリラ・ゴリラ・ゴリラはアフリカ西部にいるニシゴリラの亜種だそうだから、スラ・スラ・スラもスライムでいいはず! 「スライム・クラフト」において「スラ・スラ・スラ」はスラ属のスラの亜種です」
「すらむ・すらむ・すらむでもよかったんじゃないの?」
「すらむむ・すらむむ・すらむむでもよかったかも!」
「すらいむ・めいに・すらいむでもいい?」
「なんか、違うのが混ざっているよ」
(※注:「鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。」川上和人 新潮文庫 参照)
「長い間お付き合いいただき、ありがとうございます。これにて完結です」
「もうおわりー?」
「これから、すらいむのぼうけんがはじまるんじゃないの?」
「よろしければ、評価、いいね、感想をいただけると、嬉しくてぷるぷるしちゃいます」
「わーい、ぷるぷるする!」
「いつもよりもぷるぷるしちゃう」
「「「「ぷるぷるぷるぷる」」」」
●参考資料
・パンの文化史 舟田詠子 朝日新聞社
・絵とき植物生理学入門 山本良一編著 曽我康一、宮本健助、井上雅裕共著 オーム社
・植物の体の中では何が起こっているのか 嶋田幸久 菅原正嗣 ベレ出版
・新しい植物ホルモンの科学第三版 浅見忠男 柿本辰男 講談社
・染色・バイオイメージング実験ハンドブック 高田邦昭 斎藤尚亮 川上速人 羊土社
・分子細胞生物学 第8版
LODISH・BERK・KAISER・KRIEGER・BRETSCHER・PLOEGH・AMON・MARTIN
訳:榎森康文・堅田利明・須藤和夫・富田泰輔・仁科博史・山本啓一
東京化学同人
・物理学者のすごい日常 橋本幸士 インターナショナル新書
・こわいもの知らずの病理学講義 仲野徹 晶文社
・面白くて眠れなくなる生物学 長谷川英祐 PHP
・新薬の狩人たち ドナルド・R・キルシュ オギ・オーガス 寺田朋子訳 早川書房
・馬車が買いたい! 鹿島茂 白水社
・鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。 川上和人 新潮文庫
・身近な「匂いと香り」の植物事典 指田豊 株式会社BABジャパン
※あとがきのスライムレベルの知能なので、いつも様々な書籍にて勉強させていただいています。
この場をお借りして、敬意を表します。




