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「俺たちが尽力するのは、彼らの失態のしりぬぐいではない。ただ、自分がすべきことをするだけだ」

「はい」

 馬車の中でアルノが淡々と告げ、レファートは感銘を受けて心を震わせる。返事は短かったが、心の中では延々と師匠を賛美していた。

「さすがはわたしの師だ」「静かな決意のなんと強固なことか」「ご自身がすべきことを、師ならば必ずやり遂げる」「それはこの世になくてはならないことだ」「瞳のスターサファイアの輝きは知性と高潔さを映してのこと」「素晴らしい気構え」「この難事になんという泰然自若さ」


 レファートはアルノへの称賛で埋め尽くされた心中を露ほど明かさず、学界の拠地へ乗り込んでくるまでのいきさつを語った。

「カトリエン商会本部でエルミラと会いました。見合い相手からマーク学長がバーナデット大学のサンエントに接触したと聞いたそうです」

 そこで、実家から直接ゴッドフリート大学へ向かい、情報収集をして戻るついでにカトリエン商会本部に立ち寄ったのだという。


「学長が?」

 双璧とも言われなにかと比べられるバーナデット大学、その要と目される賢師サンエントに、マークが会うというのは、奇異なものに思われた。エルミラもそれは同じで、だから、ゴッドフリート大学に向かったのだろう。


「大学構内でハンクの姿を見かけ、彼についても調べてきたそうです」

「ハンクが、なぜ?」

 アルノは驚きの連続でそれ以上、声が出ない。

 ハンクはレファートの呼びかけに応じて、ピートたちとともに、アルノの新しい研究に参加するためにやって来た。学師の称号を得られなかったことを悔やんでいたそうだが、そのひとつ上の修師の称号を得た学者だ。

 学師は大学において優秀な成績を修めると得られるが、修師はそうはいかない。素晴らしい理論構築、研究、発見をし、論文が認められて初めて学界が与えるものだ。

 当然、その上の博師、賢師といった称号は一度の論文では得られることはほとんどない。


「わかりません。ですが、ハンクが情報を学長に流していたからこそ、」

 リシェルとメイニがスライム・クラフトの要であると知り、ふたりを連れて行こうとしたのだ。

「レファート、学長が今後一切手出しできないように対策を講じよう」

 学問が誰かの私利私欲に使われていいわけがない。

 それは、政治でも宗教でも同じだ。だが、どうしても、それを単なる自分の望みを果たすツールとしてしかみなさない者はいた。どの分野でも、自分だけが得をしようとする。


 レファートは驚いた。アルノがこれほどの怒りをみせるのはついぞなかったのだ。

「はい。それが良いかと」

 レファートが即答したのは、学長はより多くの罪を犯してきたと知っていたからだ。

 メイニ誘拐未遂よりはるか前、アルノが追放されたと聞いたときから、学長の身辺を探っていた。


「学長は博師の学位を、金で買ったのです」

「!!」

 事実は一層深刻だったのだが、ふたりには知る由もない。


 レファートはカトリエン商会からの呼び出しにかこつけて、ゴッドフリート、バーナデットの両大学について調べた。論文を発表したとはいえ、アルノを訪ねてくるのは早すぎる。

「共同研究を方便に視察をしたバーナデット大学は師と研究を研究施設ごと取り込む向きがあったそうです。ですが、サンエント賢師が強硬に反対したというのです」

「サンエント賢師が?」

 以前から尊敬の念を抱いていた学者の行動に、アルノは驚く。

「はい。そして、彼こそが師が不正をした疑惑があるとして査問会を要求しました」

 世紀の発見に興味を露わにしていたサンエントの唐突な変心に、バーナデット大学でも戸惑う者が多かったという。


「時を同じくして、ゴッドフリート大学からも師への査問会請求がなされました」

「それで、俺は呼びつけられたのか」

 賢師と高名な大学の学長との両名から要求されれば、学界も吞まざるを得なかったのだろう。


「サンエント賢師は論文の剽窃(ひょうせつ)をしたという疑いがあります」

 アルノはあまりのことに言葉が出ず、ただただレファートのうつくしい顔を見つめた。

 サンエント賢師の論文を読んで高揚したものだ。あの論文が、彼が書いたものではなかったというのだ。アルノはにわかに信じがたかった。

 呆然とするアルノを気づかわしげに見やりながらも、レファートは続ける。

「クレティアン製薬商会会頭ジョエルからの情報です」

 サンエントはクレティアン製薬商会に協力し、様々な特効薬を開発している。


「ジョエルは以前から知己でした」

「カトリエン商会を通じて知り合っていたのか?」

「そうとも言えます。彼はわたしの手腕がほしいと言ってなにかとちょっかいをかけてくるのです」

 アルノは唖然としてレファートの顔を見る。見目好い相貌は老舗製薬商会に対しての熱量は乏しい。ただ、師の視線を嬉しそうに受け止めている。

 フランクが、あるいはチエムがここにいたら、どれほど巨大な商会、どれほど由緒のある商会から熱望されるよりも、師匠に褒められることを望むのか、と呆れただろうか。


「カトリエン商会会頭の期待を一身に浴びる息子を引き抜こうなどとは、ジョエル氏はとんでもない豪胆な人物なんだな」

「どうでもいい人間の期待など、煩わしいばかりです。叶うなら、わたしは師に期待されたいです」

 もし期待されたら全力をもってして応えるだろう。


「大いに期待しているぞ。それに君は過不足なく応えてくれている。とても有能だ」

 ぱああっとレファートの顔が輝いた。

「望外の喜びです」

 うっとりとつぶやく。

 どれほどの権力者に片腕に欲しがられるよりも、賢師アルノ・カルフォシスに認められることが心地よい。


「ただ、ジョエルはわたしを引き抜きたくてサンエントの情報を渡したのではないのです」

「というと?」

 レファートが少々悔しそうな表情をするのに、アルノは興味をそそられた。常に自信満々な弟子にしては珍しいことだった。

「エルミラの手柄なのです」




 四十代の若さで詩に精製薬商会会頭に就任したジョエル・クレティアンは精力的で押し出しの強い男性だ。

 ゴッドフリート大学からの帰路、多少遠回りになっても情報を得られるのではないかと思ったエルミラは、レファートがやって来ていることを知り、面会を求めた。

 ちょうどそのとき、薬市場においてはライバル同士であるクレティアン商会会頭がレファートと会っていたのだ。


「レ、レファートさん、こちらのうつくしい女性は、一体?」

 傲岸なきらいのあるジョエルにしては珍しくそわそわした落ち着かなげな様子に、レファートは内心ほくそ笑んだ。死神は傲岸なこの男の魂をも刈り取るのだと瞬時に見て取ったものの、そんなことはおくびにも出さずに紹介する。

「エルミラ・ミンダート博師です」

「おお、うつくしき初の女性博師! 噂にたがわぬ。いや、これほどとは」


 レファートは自分への執心の矛先が逸れるならと静観の構えだった。

 エルミラと言えば、レファートが知る限りでは、性別を前面に出すことを嫌っている節があった。彼女のあまりのうつくしさは聡明さから目をそらさせ、研究の邪魔となることがままあるので、むべなるかな。


「恐れ入る。クレティアン商会の若き会頭の辣腕ぶりは寡聞(かぶん)なわたくしにも届いている」

「これはこれは!」

 あまりにうつくしいエルミラが嫣然と微笑みながら述べる称賛に、ジョエルはかつてないほどのぼせ上った。


 レファートにはそのうつくしい笑みは通用しなかった。彼がのぼせ上るのは知性の宿るスターサファイアの輝きにのみだ。だから、冷静に状況を見極めようとした。

 エルミラは微笑みひとつで、辣腕の会頭から情報をするすると引き出していく。それはあたかも、死神が冷淡に魂を刈り取っていたのが、死の女神が冷厳をのぞかせながらもあまりのうつくしさに抗えない、という形態にシフトチェンジしたようである。


 どれほど抗ってもどうすることもできない。うつくしいピーコックグリーンの瞳に意志はからめとられ、問われるままに答えてしまう。

「ゴッドフリート大学の学長がバーナデット大学のサンエント賢師に会ったそうだな」

「え、ええ、そうらしいですな」

 エルミラがフォンス・ワイアードから聞いた事柄を述べたのは、サンエントがクレティアン製薬商会と共同で創薬をしているからだ。クレティアン商会会頭と出会ったのをこれ幸いに、フォンスの言葉の裏付けを取ろうとした。


「そういえば、エルミラ嬢はゴッドフリート大学に所属されているのでしたな」

 エルミラは赤い唇の両端を吊り上げただけで、是とも否とも答えない。情報が欲しいのであって、相手になにか教えるつもりはない。

 エルミラの関心をひきたくて、ジョエルは手札を一枚、また一枚と(さら)していく。けれど、張り付いた笑み以上のものをエルミラから引き出すことはできなかった。

 だから、ジョエルはとっておきの札を差し出すことにした。


「サンエント賢師は論文の剽窃をしたという疑いがある」

 さすがのレファートも息を呑んだ。

「ほう、」

 エルミラの笑みが深くなる。

 ジョエルはもうそれだけで、胸いっぱいとなり、虎の子の情報を明かしても悔いはない。


 そして、エルミラは聡明だった。それ以上の情報を引き出そうとすれば、笑みだけでは済まされない。裏付けを取ることは同輩のレファートが得意とするところだ。きっかけをつかめば、彼がよいようにするだろう。

 そう判断し、撤退することにした。深追いはしないのが大抵の物事のコツである。


「素晴らしい情報を得たのだから、わたくしからも対価を」

 それは、まさしく女神の下賜そのものだった。

「わたくしは今はゴッドフリート大学を出て別の研究グループに所属している」

「おお!」

 傍観するレファートからしてみれば、そんなことはどうでもいい事柄であったが、ジョエルからすれば、信奉するエルミラ自身の現状についての情報である。

 ジョエルは満足し、エルミラも重大な事柄を知ることができたのだった。




「わたしはどんな茶番を見せつけられているのかと思いました」

「エルミラは新たな才能を開花させつつあるんだな」

 ため息交じりに言うレファートにアルノがそう返すと、面白くなさそうな表情を浮かべる。どんなことであれ、師が他者を褒めるのは面白くないレファートだ。


 そのエルミラは、ジョエルから引き出せるだけの情報を得た後、今度こそ、ピルア村に戻って行ったという。レファートはアルノに対しての査問会が開かれるという情報を掴み、父親からカトリエン商会名代をもぎ取り、学界本拠地に急いだ。


「となると、マーク学長がどうやったかでそのサンエント賢師の論文剽窃の疑惑を知ったと考えれば筋が通る」

「はい。学長がそれを弱みとしてサンエントに働きかけさせ、今回の査問会召喚となったのでしょう」

 となれば、ハンクも弱みか金銭かでアルノたちの動向を探るために送り込んできたのだろう、とレファートは続ける。


「俺はそんなことをされるほどに、嫌われていたんだな」

 アルノは車窓の向こうを向き、そう言った。

「っ!!」

 それは違うとレファートは思った。マークが勝手な嫉妬を募らせ、それをすべてアルノのせいだと押し付けた。けれど、ある意味、アルノ憎しが高じて、同時に自身の足場固めのために、とんでもないことをしているのは確かなことだ。

 だから、否定したところでアルノを納得させられないだろう。

 泰然自若とした学者兼商人であるレファートにしては珍しく答えられず、師の心中やいかほどばかりかとやきもきするのだった。




「かぶん?」

「たぶん?」

「きっと?」

「「かぶん」は「寡聞」だよ。見分が狭いという意味なんだ。「寡」が少ない、弱いとうことを表すんだ」

「すらいむはみみがないからきこえない」

「よわいしんどうでもわかるよ」

「みみがなくても、めがなくても、すらいむはちゃんとわかっているよ」





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