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 そんな風に過ごすうち、十日が過ぎた。

 昨日は小雨で庭を歩くのもままならなかったが、今朝は雲間から日が差し、アルノは屋外へ出た。

 雨の気配が色濃く残り、石畳を選んで歩く。そうしながら、腕を伸ばし、体をほぐす。

 建物の門前に賑やかに馬車が止まったかと思うと、降りた人がアルノを見つけて声を掛けてきた。


「師よ、ご無事でしたか!」

「レファート、どうしてここに?」

「ピートから至急便を受け取って駆け付けました。学界からいわれのない召喚を受けたと聞き憂慮しましたが、ひとまずお元気そうなお姿を拝見し、安心しました」

 憂慮ではなく、激怒ではないのかというほど、強い光を瞳に浮かべている。


「査問会に召喚しておきながら、開催地である学界本拠地ではなく、別の拠点へ拘束するなど、こざかしい真似を」

 ダークブラウンの髪、キャメル色の瞳、長身のレファートが厚い雲間から降りてきた光を浴びて堂々と門扉の向こうに立つ。


「カトリエン商会会頭サイモンの名代(みょうだい)であるレファート・カトリエンだ。アルノ・カルフォシス賢師へのいわれなき不正による査問会開催など、言語道断。即刻、身柄を返還せよ」

 思わずため息が出ると言われるうつくしい容姿は、今や他者を圧倒した。学界の者たちは誰もが高位称号を持つ学者であり商人であるレファートのことを見知っていた。見目好いこと以上に、かの大商会カトリエンの三男坊であるということで有名だったのだ。


 居丈高とも言える口調も、カトリエン商会を代表する者であっては、当然のことと受け止められた。

 カトリエン商会は大陸でも一、二を争う大商会だ。研究費をねん出するに汲々とする学者たち、ひいては彼らを統率する学界においても、その意向は無視できない。


 また、そんなカトリエン商会との強固な結びつきを得る発明をしたアルノだからこそ、召喚しておいて査問会がなかなか開かれなかったのだ。

 ある意図があってアルノを呼びつけたものの、決定的に決裂することはできない。そのジレンマに陥りながらも、足止めをしていたのだ。


 学界に査問会を開くことを働きかけた者はカトリエン商会から横やりが入らないように、通常査問会を開く学界本拠地ではなく別の拠点にアルノを連れて行くよう指示した。

 指示者はレファートの情報収集能力、探査力を甘く見積もっていた。さすがに二度目に出し抜かれては、レファートも躍起になる。


 そして、指示者はアルノの真価についてはさらに見誤っていた。

 彼に考えを述べさせてはいけない。聞く者はその思考に感服し、彼の味方となるのだから。


 カトリエン商会会頭の名代がやって来たと聞いた学界の主だった者たちが続々と建物から出てくる。

 賢師をめぐって査問会を開くとあっては、それ相応の人物を集める必要があった。

 学界によって招集された学者たちは、査問会開催を知らなかった。知らないままアルノと楽しく議論を戦わせた。

 そして、カトリエン商会会頭の名代がやってきてアルノの査問会開催を知り、心底驚いた。


「おいおい、アルノ賢師の査問会ってなんだ?」

「そんなの聞いていないぞ」

「まさか、こんなに学者を集めたのは、査問会のためだったというのか?」

「アルノ賢師の不正ってなんなんだ?」


 彼らはアルノと楽しく話した。行き詰まっていた論説に新たな観点を与えられた。曖昧(あいまい)だった道筋が明確にしてくれたのだ。アルノは学者も話したがる学者だった。

 そうなると、なぜ、こんな素晴らしい学者が査問会にかけられるのか、という疑問が起きる。こんなに見識が広く深い者が、果たして不正をする必要があるだろうか。普通に論文を書いて出せば済むのに、危ない橋を渡る必要があるだろうか。


「彼のような学者はその見識をそのまま提示すればいい。不正をする必要があるだろうか?」

 学者たちから学界への疑問の声が上がり、次第に怒りに変わった。査問会を開こうという者に、疑惑の目が向けられる。


「レファート、査問会はまだ開かれていないんだ」

 アルノは門扉に近づき、小声で伝える。

「そうでしょうとも。開くいわれがありません。にもかかわらず、師を呼びつけ、あまつさえ無為に過ごさせた」

 レファートは気遣うことなく、声を張った。周囲の者によく聞こえるように。

「バダーが猛威を振るう現状において、学問に携わる人間にはあるまじき行動です」


 カトリエン商会本部に続々と集まって来る情報の中に、その不吉極まるものがあった。それをアルノたちに連絡する前に、よりにもよって、師が学界の査問会に召喚されたというピートからの一報を受け取った。

 レファートは父を説き伏せ名代を得て、こうして学界に乗り込んできた。


「バダーが?!」

 アルノが顔色を変える。集まった学者たちも学界への不審が一気に別の懸念にとってかわる。

「はい。前回のヨルグ町のものとは比べ物にならないほど、広範囲に広がっています」

「薬は? 対策は?」

「カトリエン商会においても、近隣の領主たちに検疫手法を今一度説明に回っています。同時に、製剤と素材の確保に動いています」

 端的な質問に、適格に応えるレファートに、アルノは頷いた。


「だが、決定的に薬が足りない」

「はい」

「レファート、急ぎ、戻ろう」

 そして、スライム・クラフトを行うのだ。

「はい」

 レファートは決然と言うアルノに陶然とほほえんだ。その表情は、アルノの後ろに集まった学界の面々に視線を移した際、すうと消える。キャメル色の瞳に炯々とした光が灯る。


「貴殿らは、この危急の場に、バダー特効薬を発明し、さらにはその素材を増量し得る論文を提出した希代の学者を呼びつけ拘束したこと、その罪をよくよく考えるがいい。カトリエン商会はこの件に関して、厳しく追及するものと心得よ」

 居並ぶ面々のうち、心当たりがある者らは息を呑んだ。

 彼らとて、まさかこんな事態になるとは思わなかったのだ。だが、さしたる根拠なく、なんの瑕疵(かし)もないアルノを呼びつけとどめ置いたのは紛うことなき事実である。

 査問会のことを知らず呼びつけられた学者たちは、なんとなく事情を察した。


「これらの時間の喪失によって、大勢の人命が失われることだろう。各地の領主にもその旨、しかと報告する」

「そんな!」

 思わず上がった悲鳴は、レファートの視線ひとつで止む。

 そして、彼らはようやく悟る。自分たちの行いは、それほどのことだったのだ。そんなことになるとは思わず、とんでもないことをしでかしたのだと。


「後のことはわたしたちに任せて、アルノ賢師はすぐに向かってください」

「俺たちもなにかできることはないか、手分けしてやってみる」

「頼んだ。お互い、バダー殲滅(せんめつ)に励もう」

 アルノは議論を戦わせた学者たちと目を合わせてしっかり頷いた。


 レファートに促されてアルノが馬車に乗ろうとすると学界の人間のひとりがすがりつくように尋ねた。

「だ、大丈夫ですよね。バダー特効薬を発明し、その素材を増量させる手法すらも生み出したアルノ賢師ならば、なんとかしてくださいますよね」

 不当に扱った人間を頼ろうとすることほど、醜いことはない。

 アルノもさすがに答えることなく、馬車は走り出した。





「めいにがすらなーぜをだしてって」

「なんかね、くさのせいぶんがひつようなんだって」

「はーい」

「がんばる!」

「めいににしてくれたように、ほかのひとたちをたすけてね、ってなでるてがふるえていたの」

「めいに、こわがっていた」

「びょうきでまたひとりぼっちになるんじゃないかって」

「だいじょうぶだよ、すらいむがいるからね」




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