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 地に足がつかないとひと言で言ってしまえるが、詳しくは、腹の底からほわっと温かい気持ちが沸きあがり、その熱で気球になった体がふわりふわりと舞い上がる、地から足が浮きそうな心地だ。

 アルノは本を読んでいても、仮説を組み立てていても、なんなら研究をしていても、ふとした拍子にそんな心地になった。だが、一旦、集中してしまえば、余念は入り込まなかった。


 けれど、就寝時、ベッドに横になったときはどうしたって考えてしまう。

 暗い中じっと目をつぶれば、頭に浮かぶのはリシェルのことだ。亜麻色の髪がさらりと揺れ、やさしいセージグリーンの瞳がアルノの姿を捉えわずかに細められ、ふわりと花がほころぶように微笑む。

 なんだかたまらない気持ちになって、シーツの中でごろごろ身もだえた。


 夜は今まで感じたことのない胸の高鳴りを覚えつつ、昼間はマーティンやピートたちと研究し、スライムの生態を観察する日々を送った。

「大きいスライムに別種の植物を取り込ませ、成長を促進させることができるかどうかを試してみよう」

「では、まず、近縁種から始めるか」

「いや、初めは異種同士の方がいいのではないか?」

 アルノの言葉にピートが関心を持ち、マーティンが違う提案をする。


「なるほど。一度スライム・クラフトをしてみたら、たとえ失敗するにしろ、次からは改善されている可能性があるということだな」

「さすがはアルノ氏。その通りだ」

 すぐにマーティンの言わんとするところを察したアルノに感心する。

 まずはまったく種の異なる植物同士を試し、観察することになった。


「魔法も光魔法のみならず、土魔法や水魔法をも試してみたいところだな」

「水魔法か。レファートさんはしばらく帰ってこないだろうし、誰か扱える人はいたかな」

 そんな風に話していると、学者のひとりがやってきて、アルノに来客だという。


「わたしも同席しよう」

 ピートが言う。

「レファートさんから、くれぐれもアルノ君をひとりにしないように言われているんだ」

 奇しくも、レファートはアルノに対し、子供たちがメイニにするのと同じ過保護さを示していた。二十歳以上も違う幼女と同レベルの扱いだが、そのことに気づいた者はここにはいない。大陸に十人に満たない称号を持つ学者なのだから、警護がつくのもおかしくはないことではあった。


「そうした方がいい」

 マーティンにも勧められ、アルノはピートを伴って応接室へ向かった。


 応接室にいたのは四十代と三十代の男性ふたりだ。主要な町や街道から離れた村にやって来るのに少々くたびれた風ではあったが、きちんとした身なりをしている。

「わたしどもは学界からやってきました。アルノ・カルフォシス賢師に学界から査問会への招集がかかりました」

「さ、査問会?! アルノ君が一体なんの問題を起こしたというのだね?」

 ピートは飛び上がらんばかりに驚いた。


 学者は変わり者も多く、研究に没頭するがあまり、社会の規範から外れることもままある。そういったことがあったとしても、学界の査問会が開かれることなど、めったにあることではない。


「先だって提出された論文においてアルノ賢師の不正疑惑が持ち上がっているのです」

「不正? どんな?」

 アルノは痛くもない腹を探られ、不快感を露わにした。


「それは査問会にて(つまび)らかにされることでしょう」

 男性ふたりは冷ややかな表情を浮かべていた。その物言いは、不正が確実なものであると言わんばかりだ。

「そんな根拠のないことで呼び出すなんて!」

「出頭を拒否されるのであれば、称号剝奪の可能性もあり得ます」

 ピートはあまりのことに絶句した。称号剥奪は非常に不名誉なことであり、それはもはや、学者として活動することができないに等しい出来事だった。


「レファートさんがいないこんなときに!」

 レファートがこの場にいれば、賢師であるアルノにいわれのない容疑をかけるのは相応の覚悟があってのことだなと冷たい怒りを示し、うまく言いくるめ、招集を先送りにし、その間に背後を調べて問題解決を図り、最終的には査問会開催自体を潰したことだろう。

 だが、ピートにもアルノ本人にも、強固な姿勢を貫く査問会が遣わした学者たちに太刀打ちできなかった。


 アルノは後のことをピートに託し、ふたりの学者に連れられて学界本部へと向かった。

 自分ひとりならなんとでもなる。いつになく強引な手段を取る学界の意識を自分にひきつけ、リシェルやメイニから照準をずらしておきたかったのだ。

 アルノはリシェルにのみ簡単に説明し、子供たちへの言い訳を任せた。だが、研究所と隣接する庭にいたメイニに見つかってしまう。


「アルノ、いなくなっちゃうの? メイニ、置いていかない?」

「ああ、必ず戻って来る。メイニ、スライムたちのことを頼んだぞ」

「うん! まかちぇて!」

 待っていたら必ず戻って来る。ひとりでぽつんと待つのではない。リシェルたちといっしょだ。そして、アルノに任された通り、毎日スライムの様子を確認するのだ。メイニはリシェルの手を握りながらアルノを見送った。


 アルノたちの姿が見えなくなった後、ピートは慌てふためいてマーティンに詰め寄った。

「マーティンさん、これはいったいどういうことなんだ?」

「僕にもどういうことなのか分からないよ」

 大柄で四角い面相、四角い眼鏡をしたピートがかがみこみ、小柄で丸い眼鏡のマーティンの顔を覗き込む。その構図は、ピートの興奮と相まって、不穏な風に見えた。


「おじたん、おじたんをいじめているの?」

 スライムを抱えたメイニが不安げな表情でふたりを見比べる。先日の一件があったことから、過敏になっているのだ。そうと察した大人ふたりはなんでもないと笑顔を取り繕う。

「いや、ちょっと見解の相違があっただけだよ」

「けんかいのちょうい」

 メイニは眉間にしわを寄せるも、当のマーティンが平然としているので、不安は大分甲斐性された様子だ。


「ええと、考えが違ったから、今からすり合わせをするところなんだ。そうだ、メイニ君、ほかにもスライムを連れてきてくれないか?」

「いいよ!」

 いつもの調子を取り戻したメイニが駆けていく後姿にピートとマーティンは安堵する。


「すまなかった。君は学界に依頼されてスライム・クラフトの真偽のほどを確かめにきたのだったな」

「学界に報告書を提出して戻らず、そのまま居ついたから、密偵のように思われちゃったかな」

 ピートの謝罪を受け入れたマーティンがそんな風に言ったのは、ゴッドフリート大学の学長の目論見が念頭にあったからだ。


「いやいや、魔物の生態を研究する君なら、アルノ君の論文や研究施設は垂涎(すいぜん)の的だろうから、そんなことはしないだろう」

「本当に。素晴らしい環境だよ。それに、アルノ氏が不正をしていないことは知っている」

 ピートとマーティンはこの場所を守っていくことを、互いに誓い合った。

 すぐにその誓いを試されることとなる。




「流行り病がまた起きた?」

「ああ。領主が調べさせたところ、バダーだと多くの医師たちが認めた」

 村長とバート、そしてカリスタたちが研究所を訪ねてきてそう言った。面々は青ざめている。


「隣の領地から発生して、あっという間にこちらの領でも流行り出したそうなんです。今、神殿本部にも問い合わせていますが、」

「こんな僻地に情報が来るのは大分後のことでしょうね」

 バートの言葉を受けて、カリスタが言う。


「急ぎ、レファートさんに連絡を入れよう」

「僕は学界に至急アルノ君を戻すように伝えるよ」

 誰もが、アルノやレファート、エルミラといった主要人物がいないこんなときに、という不安が胸に渦巻いていた。それはすぐに焦燥に変じる。


「カレルとチエムにオウカコウを集めてもらうわ。わたしとメイニ、そしてエニーとティコはスライム・クラフトの準備をする」

 その場にいて沈黙していたリシェルはきっぱりとそう告げた。

「リシェル」

 カリスタは名を呼んだものの、後が続かない。


「そのスライムなんたらというのをやってなんになるというんだ?」

 村長は懐疑的なまなざしをリシェルに向ける。こんな火急の場で、お前になにができるのかと言わんばかりだった。


「アルノさんたちが発見し、研究していることです。わたしたちは、それを手伝っているんです」

 リシェルは震える指先を握りしめながら言った。不安は強くある。でも、やらなければならない。それに、今までアルノたちとやってきたことだ。


「お、おお、そうだな」

 ピートがリシェルに励まされ、目が覚めた心持ちになる。

「アルノ氏や高弟ふたりほどではないにしろ、僕たちでもなんとか特効薬をつくれる。たぶん。ええと、ピート君はつくったんだよね?」

「任せておきたまえ。ただ、スライム・クラフトの方はまだ少々心もとなくてだな」

「そちらはわたしたちでなんとかします」

 やや頼りない博師と修師に反して、リシェルが決然と言い切った。


「リシェル」

 カリスタの今度の呼びかけは、万感のこもったものだった。

 なんて頼もしいのだろう。なんて力に溢れているのだろう。

 学院に向かう際でも、期待と希望、恐れを見せたが、これほどまでの頼もしさはなかった。その学院から戻ったリシェルは自身への失望に打ちのめされていた。

 そんなリシェルはアルノがやってきて、変わった。

 こんなにも信頼できる力強さを持つに至った。大学にも行っていない年下の女性が修師と博師を鼓舞しているのだ。


「わたしたちもやれることをやらなくちゃ。さあ、おじいちゃん、バートさん、忙しくなるわよ。基本的なことは、前回のヨルグ町のときと同じよ」

「う、うむ」

「はい」

 村を束ねる村長が孫娘に圧倒され、バートは笑いをかみ殺しながら頷いた。


「前回と違うのは、規模が大きいこと、そして、わたしたちにはレファートさんから借りた多くの魔農具や魔道具をある程度使いこなしてるということね」

 また、アルノやレファート、エルミラが不在であるということだ。

 懸念事項は大いにある。けれど、それを言っても仕方がない。カリスタはメリットに意識を向けるように仕向けた。士気をくじくことがあってはならない。


 リシェルとカリスタは視線を交わして頷き合った後、自分たちがすべきことに取り掛かるために踵を返すのだった。




「スライムを用意します」

「「「はーい」」」

「スライムに植物の茎の部分を取り込ませます」

「これー?」

「これはっぱだよ」

「そうなのー? まいっか」

「消化せず、スライムの特異成分が発生するのを待ちます」

「えー、たべちゃったあ」

「おなかすいてたら、すらなーぜもでないもんねえ」

「くさ、のこってない?」

「まだあるよー、ねっこ!」

「ねっこでいっか」

「大体、高濃度のオーキシンが根の成長に影響します。葉(不定芽)の成長は高濃度のサイトカイニンが関与しているよ(※注)。総合的に、オーキシンとサイトカイニンの濃度バランスが重要となってくるので、葉か根のどちらかはっきりさせた方がいいんだけれど」

「だいじょうぶ! すらなーぜがなんとかしてくれる」

「わー、すらなーぜ、すごーい」

「これが植物の成長を促し、破片からでも全体を生み出すスライム・クラフトです」

「あれー、なんかへんなのできたー」

「なんかへんないろー」

「へんなにおいー」

「これがなんかへんなのを生み出す、すらいむ・くらふとです!」


(※注:「植物の体の中では何が起こっているのか」嶋田幸久 菅原正嗣 ベレ出版 p203参照)




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