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 こんなことがあっていいのか。いや、いいはずはない。

 どこから間違ったのか。

 あの目障りな賢師を追い出すことに成功したまではよかった。カトリエン商会の三男がいれば邪魔されるから、不在のときを狙った。そして、後から知った彼が賢師を追いかけていくことも想定済みだった。こうして、彼らがせっせと設置した研究施設をうまうまと手に入れ、邪魔者たちを排除することに成功した。

 そこまでは計画通りだった。


 ところが、いつの間にか、優秀な学者たちがいなくなっていた。

 いや、こういうこともあろうかと、しっかり布石を用意しておいた。傀儡(かいらい)となる者に目星をつけ、なにかと重用してきた。

 ただ、こんなに早々に論文を出してくるとは予想だにしなかった。しかも、学界を揺るがす世紀の発見だという。

「そんな論文を、大学を去ってから出されては、我がゴッドフリートの面目丸はつぶれだ」


 しかも、学者たちの中心にすげ替えようと思っていたエルミラもまた、アルノを追って大学を去ってしまった。せっかくアルノに代わる地位を与え、同時に恩を着せ今度こそ愛人にしようと目論んでいたというのに。


 目障りなアルノとうるさいレファートをお払い箱にして、ようやく権勢をふるえるというのにだ。

 まさか、エルミラもアルノを追って出ていくとは思わず、慌てて、子飼いの学者をアルノたちの元へ向かわせ情報を探らせた。


 次の布石を打つため、マークは権威を汚されそうだという言で、バーナデット大学の学者サンエントに共同研究をもちかけた。

 だが、具体的な研究目的がない、話にならないとして、断られた。

 失意の中にあったマークを、神は見捨てなかった。

 アルノの論文を読んだバーナデット大学が今度は先方から接触してきたのだ。


 マークはとっさに、アルノたちは現地で研究を行っていると話した。

「おや、権威を汚される前に追い出したとおっしゃっておられましたが」

「いえ、記憶違いではありませんか? 現に、賢師ほか、何人ものゴッドフリート大学の称号保有者たちが研究に携わっているのです」

 さり気なく、大学が複数の称号保有学者たちを抱えていることをアピールする。

 うまくその場を乗り切ったマークは安堵する間もなく、次の手を考えた。


 幸い、こちらには情報提供者がいる。彼からスライム・クラフトの要はアルノではなく、リシェルとメイニという現地の村人だと報告を受けている。しかも、成人したばかりの女性と幼児だというから、御しやすいだろう。

 急ぎ、マークはふたりのことを調べ、リシェルが最も欲しているであろうものを用意した。

 マークはこういった手腕に長けていた。

 幼児の方は簡単に連れてくることができると踏んでいた。


 ところが、いくら待っても報告がこない。事を成し遂げた後にはすぐに連絡を寄こすように伝えておいたのに。

 怠慢か、あるいはなんらかのアクシデントがあったのか。

 マークが頭を悩ませていると、意外な人物が来訪を受けた。


 黒く真っすぐに流れる長い髪、鮮やかなピーコックグリーンの瞳、高い頬骨。遠目にもわかる高身長の美人だ。

「やあ、戻って来たんだね、エルミラ博師。我がゴッドフリート大学は君を歓迎するよ」


 エルミラはレファートとは違い、交渉術を持たなかった。だから、単刀直入に尋ねた。

「バーナデット大学のサンエント賢師に会ったそうだが、どういう目的があったんだ?」

 マークは高速で頭を働かせた。エルミラがなぜ、そのことを知っているのか。おそらく、レファートの仕業に違いない。自分と同じ手法で情報収集をしているのかもしれない。ならば、とぼけてみせるのは悪手だ。


「おや、随分耳が早いな」

「認めるのだな。あれほど対抗心を持っていたバーナデット大学の要である学者に、何の目的があったというんだ?」

「我がゴッドフリート大学は賢師を失ってしまったからね」

「だから、別の賢師を連れてこようというのか?」

 そんなに簡単にすげ替えられるものでもあるまい、とエルミラは懐疑的だ。マークはちょうどいいとばかりに両腕を広げる。


「そのくらい困り果てていたのだよ。サンエント賢師には断られてしまった。それで、どうだろう。エルミラ博師、ぜひ君に我がゴッドフリート大学を今後牽引してもらいたいんだ」

 エルミラは柳眉の片方を跳ね上げた。

「これは異なことを。わたくしに我が師の代わりなど務まるはずもない」

「いやいや、いつまでも師匠の背中を追うばかりではいけないよ。追い越さなければならない。今、そのときが来たんだ。これは君にとってまたとない絶好の機会というものだ」

 我ながら素晴らしい誘い文句だとマークは悦に入った。


 ふっと赤い唇から吐息が漏れ、鮮やかな瞳がわずかに細められた。その姿に息を呑みながら、マークは自身の目論見が達成されるものだと甘い夢想に浸った。

「我が師ははるか高みにある。その背は見上げるばかりよ。それが分からぬのは、物事がよく見えていない証だ」

 エルミラはもはやマークに興味を失ったように熱のない表情を浮かべ、学長室を出て行った。

 物事が見えていないと言われたマークは、屈辱に震えた。


 悪いことには悪いことが重なるもので、アルノの世紀の発見の要である人物ふたりを連れてくる計画も失敗に終わったという。

 腹立ちが収まった後、マークは大きな喪失感の中にあった。今度もエルミラを手に入れることはできなかった。エルミラはまたアルノの元へ向かったのだろう。

 マークはそう思い込んでいたが、エルミラはまだゴッドフリート大学に残っていた。

 そして、堂々とあちこちで聞きまわっていた。目立つ容姿をしていることを自覚している。こそこそ行動した方が怪しまれる。

「ハンク修師の姿を大学構内で見かけたのだが、彼はなにをしているんだ?」




「リチェル、きょうもいっちょにねよう」

「うん、いいわよ」

「エニーもいっちょ!」

「いいけれど、またスライムもいっしょなの?」

「うん! チュライムがいっちょだと、こわいゆめをみないの。きょうはこっちのこ!」

「見分けなんてつかないわ」


 メイニは誘拐未遂があってから、ひとりで眠るのを嫌がった。眠っているうちに連れていかれて目が覚めて知らぬ場所にいたら、と泣きべそをかいた。そんな夢を見るのだと言う。

 そこでベッドをふたつくっつけ、リシェルとエニー、そしてスライムとともに眠ることにした。

 いつもなら、スライムを持ち込むのならいっしょに寝ないと言うエニーも、さすがに嫌とは口にできなかった。メイニはいつにもまして、ずっとスライムを抱えている。スライムがいなければ不安そうにする。


 昼間も必ず、元々ともに暮らしていた子供たちのだれかひとりがメイニと行動するようにしていた。

 村の雑用をしなくなり、スライムの世話をし始めたカレルとチエムが自分たちの役目だと自認していた。


「なあ、メイニ、なんでスライムの気持ちがわかるんだ?」

「チュライムがね、ぷるぷるってふるえるののちがいなの!」

「なるほど、わからん」

 カレルが核心をつく質問をするも、胸を張るメイニの答えに、チエムが首をかしげる。


「メイニ、カレルとチエムが離れることがあったら、わたしを呼ぶのよ?」

「うん。でも、エニーはおうちのことをちて、いちょがちいから」

「たまにはわたしのことも手伝ってよ。わたしが忙しいのはメイニがスライムと遊んで汚す洗濯物のせいよ」

「えー」

 ふたりの楽し気なやり取りを眺めながらリシェルはアルノから聞いたことを思い出していた。




 スライム・クラフトにおいてリシェルとメイニが重要な役割を担っていることを知ったゴッドフリート大学の学長の指示によるものだと聞かされ、唖然とした。

「大学の学長さんがそんな強硬手段を取ったの? あ、じゃあ、学院の先生がわたしを訪ねて来たのも、」

「マーク学長の差し金だ」

 リシェルは内心落胆した。学院の名誉が挽回されたように思っていただけに、もともと抱えていた傷をえぐられた。


「リシェル、君に学ぶ意思があるのなら、大学への推薦は俺がしよう」

「え?」

 驚いて顔を上げればスターサファイアの輝きがそこにあって、息を呑んだ。

「君は十分にその資質があると思う。俺の推薦で足りないのなら、」

「ま、待って。そんなことは絶対にないわ」

 なにしろ、大陸に数人しかいない賢師の推薦だ。学院の教師のものどころの話ではない。


「逆にわたしの方が推薦されるに値しないというか、」

「それこそ、俺が保証する。君は大学で学ぶにふさわしい」

 折角の言葉を否定しなければならないのが申し訳なくてリシェルの言葉がしぼみかけたとき、アルノが力強く断言した。リシェルの心はじわじわと喜びで満たされた。

「ありがとう。とても嬉しいわ。でも、」

 学院に入学するのでさえ、村でお金をかき集めたのだ。大学ともなれば、どのくらいの費用がかかるか、見当もつかない。


「なにか懸念材料があるのか?」

「ううん。せっかくアルノさんが見込んでくれたのだもの。わたし、大学へ行くわ」

 気づかわし気なアルノの表情を見て、リシェルは決めた。


「頑張ってお金を貯めるわ。そうね、きっとティコも学びたいだろうから、二人分」

 いつになるか分からない。でも、絶対にあきらめない。

 アルノの天上の星のようなサファイアの瞳が君ならふさわしいと言ってくれたのだから、必ず行って見せる。


「費用ならある」

「そんな、アルノさんに出してもらうわけにはいかないわ」

「いや、君は共同研究者だから、その報酬がある」

「え、」

 まさか、自分にも報酬が出るものとは思わなかった。そして、それ以上に、本当に共同研究者として対等に扱ってくれるのだな、ということに呆然とした。

「ティコは俺に弟子入りしたいそうだから、面倒を見るさ」

 出世払いを期待してのことだとアルノが笑う。

 ティコのことまで気にかけてくれるという嬉しさと同時に、アルノにそこまで見込まれているということに嫉妬する。


「ティコは俺の弟子になりたいと言ったからだが、君はその、」

 アルノが言いにくそうにし、リシェルは小首を傾げる。

「君とはいっしょに研究したいんだ。君は村の人たちのおかげで学ぶことができたと言った。その君がする共同研究のお陰で、この村は様変わりした」

 リシェルは驚いた。

 アルノはそんな風に考えていたのだ。リシェルは十分に村に恩を返したというのだ。


「そうね。今度は村の人たちだけじゃなくて、ほかの誰かのためになるように頑張るわ。きっと、その誰かが、また違う誰かのために頑張ってくれる。そういう環の中にわたしの努力も組み込まれていくのね」

 そして、そういうものに、人間は支えられているのだ。


 アルノは、リシェルの言葉を聞いて、ああ、やはり自分はこの人が好きだと思った。

「俺は君が好きだ」

 思うだけでなく、口にしていた。

 あ、と思う間もなかった。


 呆然と開かれたセージグリーンのやさしい色合いの瞳に、喜びが浮かんだ。

「わたしも。わたしも、アルノさんが好き」

 衝動のままに飛びついたリシェルを、アルノは驚きとともに受け止めた。

 まさか、同じ気持ちが返されるとは思ってもみなかったのだ。


「そ、その好きというのは、共同研究者としての、」

 うろうろと視線をさまよわせて言うアルノに、リシェルは笑った。

 そして、背伸びをして唇を重ね合わせる。

「こういう「好き」」

 スターサファイアとセージグリーンが至近距離で見合う。




「ねえ、なににやついているの?」

「リチェル、かおがあかいわよう。かぜひいちゃったの?」

 はっと我に返れば、今からエニーとメイニの三人で眠るところだ。ついつい思い返してほてるほほを抑えて、リシェルはすばやくベッドにもぐりこみ、沈黙を貫くのだった。





「めいにはすらいむのぷるぷるがわかる」

「めいにはすらいむのちがいがわかる」

「ちがいがわかるにんげん」

「すごーい」

「すらいむもめいにのぷるぷるがわかる」

「めいにのちいさいてからぷるぷるがつたわる」

「ちがいがわかるすらいむ」

「えっへん!」




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