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 バーナデット大学からやって来たという学者たちは、都市や主要街道から離れた場所に立派な研究施設があることに、まず驚きを隠せない様子だった。

 畑や温室がほぼ完成しつつあり、隣に動物小屋を建設中である。

「牧場のために壁を建設する予定だ」

 魔物におびえることなく過ごせるように遮蔽物をつくるのだと、レファートが説明する。

「ははあ、これはもう、村落ではなく町と言わなくてはなりませんな」


 客に茶を供せんとピートが給湯室で茶葉をこんもりとティーポットに入れようとした。通りすがりに目撃したリシェルが慌てて止め、代わって茶を淹れる。

「いやあ、こういうことはハンク君の方が得意なんだがな。所要があると言って出て行ったきりなんだ」

 動物の生態を調べるためにフィールドワークに出かけるのは、生物学者ならではだ。アルノもそうやって大学を出てきた。


「夢中になって魔物が近づいているのに気が付かないということがなければいいんですが」

「あり得んことではないからなあ」

 ピートの返事に、リシェルの心配はより深まった。そして、アルノが大学を出て無事にこの村にまでたどり着けたことに、神に感謝した。


 リシェルが茶を持っていくと、聞き捨てならない会話が繰り広げられていた。

「我がバーナデットの学長がアルノ賢師の論文を読み、ぜひとも共同研究をしたいとして、わたしを使わせたのです」

 バーナデット大学は以前、アルノたちが所属していたゴッドフリート大学となにかと競い合う立場にあった。

 レファートは即答を避け、相談の上返答すると言って学者を返した。手紙で済むところをわざわざやって来たのだから返事を持ち帰ると粘った学者たちも、海千山千の商人たちに囲まれて育ったレファートには適わなかった。


 思い思いの研究をする学者たちが一堂に集められ、バーナデット大学からの打診を検討した。

 レファートやピートをはじめとする多くの者が功績だけかすめ取られるに違いないと反対する中、アルノは提携するのもいいのではないかと言った。

「とんでもない特性だが、スライム・クラフトは工業化には向いていない」

 量産が難しいからだ。


「バーナデット大学にはサンエント賢師がいる。彼ほどの学者に別方向から研究してもらえれば、効率が上がるかもしれない」

 学者たちは顔を見合わせた。


 これまでの試行錯誤、努力の積み重ねである研究内容を開示し、その上で重要な役割を与えるというのだ。そちらのアプローチの方が発見に到達するのが早いことも十分に考えられる。それほどまでにサンエントを信頼してのことだった。


 レファートをはじめとする学者たちは自身の狭量さを改めて思い知らされた。素直にそう思えるのは、尊敬するアルノが言ったからだ。どうでもいい相手に道理を説かれてもこんな風に受け取れなかっただろう。

 アルノは誰が最初に発見するかなどにはこだわらない。その研究に携わっていられたこと、ともに発見できたことに喜びを感じるのだ。


「今まで、多くの者たちが世界の真理を解き明かしてきた。それらの知識の積み重ねを書物によって容易に得られることができる。今度は、自分の研究がその一環となる。そうやって人は連綿と「事実」を積み上げていくんだ」

 過去の天才よりも、現在の凡人の持つ情報が正しいことは多い。過去の天才が知り得なかったことを現在の凡人が知ることができる。


「それが学びであり教育だ。朝、目が覚めてずっと考えて考え続けて、ようやくたどり着けた先の「事実」が後の世には「当然」のこととなる」

 科学は誰かひとりが秘匿する知識や情報ではない。

「人の「知りたい」という気持ち、「なぜ」という気持ちは本能なのだから」


 アルノの学問への姿勢は、居並ぶ学者たちには心地よいものだった。そして、自分もまた、学問の礎になりたいと感じる。自分の研究が黎明のきらめきのひと粒となるのだ。それはほかの輝きとすばらしく調和して、侵し難い荘厳なうつくしさを見せることだろう。


 アルノはさりげなく付け加える。

「今後、もっと手ごわい相手が研究を阻止しようという動きを見せるかもしれない」

 学者たちは顔を見合わせた。

「為政者ですね」

「神殿の可能性もある」

「どちらもだ。双方が手を組むことも考えられる」

 挙がった声に、アルノが答えると、低いざわめきが起きた。


 さて、リシェルも出席するように求められたが、この場にはいなかった。

 カリスタがリシェルを訪ねて来た人がいると呼びに来たのだ。

「余所者は珍しいという寒村に、千客万来だわ」

「そうね。随分にぎやかになったわね」

 カリスタにそう返しながら、リシェルは神殿へ向かう。神殿とは友好関係を結ぶべしというレファートは、そちらも建て直していた。チエムいわくの「おんぼろ小屋」はいまや立派な建物に様変わりし、村落において来客対応する場という本来の機能を回復させていた。


「やあ、ピルムさん、久しぶりだな。元気そうで何よりだ」

 定型の挨拶を口にしたのは、学院時代の教師だ。

「先生、どうしてここに?」

 驚きを隠せないリシェルに、教師はアルノの論文を読んだのだという。


「さすがは賢師だ。僕だけでなく、学院の大勢の者が感銘を受けた。その研究に君も協力したというじゃないか。学院を卒業しても学問をしていたのだな、素晴らしい。さすがは、わが校きっての秀才だ。僕たちも鼻が高いよ」

 そして、教師はぜひとも進学すべきだ、大学へ推薦状を書いてやろうという。


 大学への推薦。


 リシェルは大勢の学者たちと接するうち、自分が大学へ行っていないことに引け目を感じていた。たまたま、スライムへの魔力供給をすることができただけで、知識においては全く彼らに敵わない。会話の中で何度も質問するのが心苦しい。話が中断し、相手が瞬間的に苛立っているのを感じ、いたたまれないことも何度もあった。

 もっと勉強すれば、彼らの話も理解できる。会話が途切れることもない。それに、もっとアルノの役に立てるのではないか。

 そして、教師の称賛は学院の苦い思い出を、塗り替えもした。


 リシェルは感激しそうになったが、ふと違和感を覚えた。考えを巡らせ、口を開く。

「なぜ、わたしがアルノさんの研究に協力していると知っているのですか?」

「それは論文に協力者として名前が挙がっていたからだよ」

 リシェルは血の気が引くのを感じた。

 アルノは悩みぬいた末、リシェルの名はもちろん、メイニの名前も出さなかった。そうしてよかったのだ。このように、誰かが良からぬことを考える余地を与えずに済むのだから。


「お話しはとても嬉しく思います。けれど、今すぐにお返事はできません。相談してから返答させていただきます」

 給茶した際のレファートの文言を思い出し、そう答えた。

 教師は粘ろうとしたが、カリスタが察してリシェルは子供たちの面倒を見ているため、後任を見つける必要があり、すぐには動けないのだと言って援護射撃してくれた。


 リシェルとカリスタが教師を見送って連れだって帰宅すると、そこでもひと悶着起きていた。

「リシェル、大変だ!」

「メイニが誘拐されそうになった!」

 カレルとチエムに、リシェルとカリスタは青ざめた。




 メイニは今日も今日とて庭でスライムたちと遊んでいた。

「チュライム~、きょうもげんきにぷるぷるちてまちゅねえ」

 メイニに触られたスライムはふるふるとかすかに震える。メイニはスライム同士をくっつけ、どこまでその振動が伝わるかを試していた。だから、メイニの周囲にはスライムの輪ができていた。


「君がメイニ?」

 声を掛けられて、振り向く。見下ろす大人は逆光で顔はよく見えなかった。

「うん、ちょうよ」

 スライムを持ったまま答えると、後ろにも誰かいたらしく、抱えあげられた。


「あっ、チュライムがおちちゃった!」

 腕の中からスライムが零れ落ち、怪我をしていないかと心配する。すぐに降ろしてくれるものと思いきや、そのまま連れて行かれそうになった。


「どこへいくの? おろちて!」

 手足をばたばたさせると、「チッ」という鋭い舌打ちが上から降って来る。唐突に、メイニは恐怖を覚えた。

「おろちて! おろちて! いやあ!」

 恐慌に陥って叫ぶメイニの声に、スライムたちが反応する。いつになく素早く集まって来る。スライムたちはメイニが連れて行かれそうになるのを邪魔したのだ。


「な、なんだ?」

「うわあ、魔物だ!」

「なんでこんなにスライムがいるんだよ!」

「だめぇぇぇ! チュライム、ふんじゃだめ!」

「気持ち悪っ! このっ! このっ!」

 騒ぎを聞きつけた者たちが駆けつけてくる。ピートがまず真っ先にメイニを奪還した。


「スライムたち、メイニ君は取り戻した。逃げてもいいぞ!」

 動物小屋を建設中の工人たちも集まってきて、メイニを連れ去ろうとした者たちを捕らえた。彼らはちゃんとスライムたちを踏まないように細心の注意を払った。


「メイニ!」

「リチェルぅぅ!」

 駆け寄るリシェルに、ピートの腕から手を伸ばす。わんわん泣き出すメイニを、リシェルは強く抱きしめた。


 そのふたりから離れ、カリスタがアルノとレファートに、リシェルの学院時代の教師がやってきて、大学への推薦をしようと告げたことを話した。

「論文を読んだって言っていたわ」

 アルノとレファートは顔を見合わせる。

 誰かが情報を漏らしたのだ。

「誘拐犯にしっかりと聞いてみましょう」

 レファートはカトリエン商会でも信頼のおける部下に「しっかり」聞き出すように命じた。


「マーク学長が?」

 スライム・クラフトで重要な役割を担うのはリシェルとメイニであり、そのふたりを連れてくるようにと言われたのだという。

「我らがゴッドフリート大学学長は、相変わらず、ろくでもないことばかりしますね」

 ダークブラウンの前髪の下、瞳に炯々とした光を灯らせる。


 そのすぐ後に、エルミラから至急便で手紙が届いた。

 マークがバーナデット大学の賢師サンエントと会ったということを聞き、ゴッドフリート大学を訪ねてみると記されている。

「見合いは保留中だそうですね」

「見合いを放り出して大学へ向かったのだろう」


 ともあれ、バーナデット大学への返事は留保することにした。その間、レファートが商会を通じて調べるためにフランクたち優秀な部下に矢継ぎ早に指示を出す。

 それを待っていたかのように、カトリエン商会本部から呼び出される。レファートはちょうど良いとばかりに単身実家へ向かった。


 アルノの学問への姿勢を示されたレファートは自分は自分のすべきことを行おうと考えた。

 学者としてよりも商人としての才能があると自他ともに認めている。

 学者としてありたかったレファートはそれが歯がゆくてならなかった。けれど、アルノに学者と商人、双方の視点を持つことができ、互いの不足部分を補い、懸け橋となることができるという別の観点を提示された。レファート本人ですら気づかなかった強力な武器を教えてくれたのだ。


 学者は研究費を捻出するのを不得手とする者が多く、商人は研究の価値を知らない。レファートは学者が苦心して得た研究成果をどのようにして金銭に化けさせるかを商人に伝えることができる。

「学問のみならず、商売のみならず、双方を高水準でできる君ならではのことだ」

 師はそう言って、レファートのふたつの才能を認めた。

 それは、レファートにとって宣託にも福音にも等しい言葉だった。


「師の姿勢を見習うことにしよう」

 邪魔をする相手を排除するのではなく、協力者にする。

 敵対し、足を引っ張り合うのでは、互いに不利益をこうむる。しかし、協力者にして力を合わせれば、思いもよらない成果を得られるものだ。





「めいにがたいへん!」

「みんな、めいにがたいへん!」

「めいに! めいに!」

「「「ぷるぷるぷる」」」

「だいじょうぶだよ、いまたすけるからね」

「すらいむがいるからね」

「「「ぷるぷるぷる」」」




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