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 久々に戻った家では、早々に結婚の話を聞かされた。

 予想していたことではあったが、「ゴーフル焼き機を発注しないといけないでしょう? だから早めに決めてしまいましょうね」と母が浮き浮きとするのには辟易した。


 ゴーフルは二枚の鉄板にはさんで焼く。この鉄板に模様が掘り込まれたもので焼くと、ゴーフルにそれが写し取られる。

 実家周辺地方の習わしで、由緒ある家柄では、家の紋章とともに夫と妻のイニシャルが彫り込まれたゴーフル機が嫁入り道具となるのだ。


「もうね、あちらから婚礼の祝いの品として用意しようとおっしゃっているの」

 すでに結婚が決まったかのような母の口ぶりに、さすがのエルミラも慌てる。

「わたくしはまだ承諾していません」

「あら、あちらさまは大学を出た学者でも構わないとおっしゃってくださっているのよ」

「ですが、結婚すれば学者はやめなければならないでしょう?」

 エルミラの言葉に、両親のみならず、長兄夫婦もなにを当然のことを、という顔をした。

 この場に叔母がいたらエルミラの味方をしてくれただろうか。それとも、再婚してこの家を出て行った叔母は、手のひらを返して「結婚すべきよ」とでも言っただろうか。


「エルミラさんもきっと、ハレの日の団らんに焼いたゴーフルに夫と自分のイニシャルが表裏一体となっているのを見たら、結婚したという実感が沸くわ」

 そう言うのは兄の妻だ。

 彼女こそ、そうやってゴーフル機を生涯使いこむのであろう。


 エルミラがしたいのはそういうことではない。そういった日々に幸せを見出すことを否定しない。けれど、自分はそこに幸せを感じないのだ。それをこの場で言っても誰も耳を貸さないのは明白だった。


 エルミラは当初の予定通り、結婚相手候補を協力者にするつもりで見合いの場に臨むことにした。

 そうして顔を合わせた婚約者はストレートの肩につく長さの黒髪と髭が自慢のようで、しきりにどちらかを撫でつけている。

 大きな羽根飾りを挿したつばの広い帽子の下、肩につく長さの髪と髭は、高く立てた襟と相まってごちゃついた印象を持った。

 エルミラはこっそり、つば幅の狭いすっきりした帽子と襟ぐりに沿うように広がる幅広の襟にするだけで、いくぶんすっきりするだろうと考えた。ごちゃごちゃではなく飾り立てているのだから、見当違いというものだった。


「いやあ、とても美しい」

 さきほどからエルミラを褒めちぎっているが、主に容姿に関してのみだ。

「わたくしは学者を辞める気はありません」

 エルミラは単刀直入に告げた。

「え? し、しかし、それでは結婚は、」

 どうして結婚しても学者を続ければいいとはならないのか。しかし、それを言ってしまえばこの縁談が決まってしまうため、そのことについては言わずにおいた。


「ワイアードさまは、」

「どうか、フォンスと」

 フォンス・ワイアードは、胸に手のひらを置き、ひたとピーコックグリーンの瞳を見つめて言った。芝居がかった仕草はだが、なんだか憎めない気持ちにもなった。


「フォンスさまは、バーナデット大学と(よしみ)がおありとか」

「そうなのです。エルミラさまはゴッドフリート大学で研究を行っておられるのですよね?」

「いえ、今は別の研究所にいます」

「そうなのですか?」

 フォンスは意外そうな顔をした。研究をするのであれば、大学において行うのが最も成果を挙げやすいというのが一般的な認識だ。だから、大学を卒業したらそのまま残って研究職を得ることを、大抵の者が希望する。


「我が師と彼を取り巻く学者たちは一風変わっていまして」

 エルミラはアルノたちのことを思い出し、自然と形の良い唇を吊り上げる。

 佳人の笑みにうっとりとするフォンスは、おとなしく彼女の言葉に耳を傾けた。


「我が師、アルノ・カルフォシスは先日、論文を発表しました。その研究をするために、大学を離れて研究所を建設したのです。わたくしはそこでともに研究しています」

「アルノ・カルフォシス! 大陸において十指に余る賢師であり、現最年少賢師でもある天才ですな!」

 大げさな素振りで両手を広げて見せる。バーナデット大学と(よしみ)があるくらいだから、名前くらいは知っているだろうと思ったが、やはり聞いていたらしい。


「我が友人サンエントもよく彼の名を口にします」

 サンエントはバーナデット大学に所属する賢師の称号を持つ学者だ。アルノは彼の論説を大いに称賛していた。

「サンエント賢師とお知り合いでしたか」


 学長マークはこの国でも双璧の大学と言われる一方のバーナデット大学に、賢師の称号を持つ学者がいるからこそ、今までアルノを切り捨てることができなかったのだ。バーナデット大学に対抗するには、同じ賢師の称号を持つ学者がどうしても必要だった。

 エルミラがそんなことを考えていると、フォンスが聞き捨てならないことを口にした。


「そういえば、そちらの学長がサンエントに声をかけてきたそうですよ」

「マーク学長がバーナデット大学の学者に?」

 どういうことだ?

 エルミラはふいに強い違和感を覚えた。奇妙なほどの危機感を伴っていた。

 この感覚を無視すれば、近い将来とんでもないことになる。そんな風に思えてならなかった。

 どうすればいいか、どうすべきかを考える。頭を働かせる。


 エルミラはまずは自分に好意を持つフォンスを、なんとか味方にできないかと考えた。

 今まで異性に言い寄られることが多いため、逆に女性を武器にするということから遠ざかっていた。経験値が圧倒的に足りない。そこで、正直に話すことにした。

「聞いてほしい。わたくしがどんな風に考え、どんな風に感じ、今、どんな研究をしているのかを」


 フォンスは快く受け入れたものの、予想以上に長話となった。だが、いつの間にか聞き入っており、エルミラが話し終わったとき、彼は彼女の信奉者のひとりとなっていたのである。

 エルミラは婀娜(あだ)っぽい仕草や手練手管を用いる経験値がなかった。ただ、心を込めてひたと見つめた。フォンスはうつくしいピーコックグリーンの瞳にからめとられた。

 それは、まさしく魂が刈り取られたようであった。


 学長の動向を調べるため、エルミラはゴッドフリート大学に向かうことにした。

 縁談については、フォンスが引き延ばせるだけ引き延ばしておいてくれるという。

「どうして彼がここにいるんだ?」

 ゴッドフリート大学の校舎内で意外な人物の姿を見つけ、エルミラは不審に思う。




 考えても考えてもわからない。

 彼の論文を読んでみて気づかされることの、なんと多いことか。

 目がかすむほどに本を読み漁り、さまざまに知識をため込んでも、こんな発想にはたどり着かない。

 なんてことのない理論展開に思える。だが、それは無駄がなく矛盾もなく明快だからだ。ひっかかるところがないのは、「事実」だからだ。

 彼の論文を読んでいたら、「その通りだ」と思うものの、いざ自分で考えてみるとなるとまったくなにも思い浮かばない。

 彼の論文が世界の真実へと導いてくれる。ごちゃごちゃした思考に明確な筋道を示してくれる。

 暗闇の中に現れた輝かしい道筋。それは足元にあるのではない。頭上はるか彼方にある。星々がきらめきつくりあげた論理の道筋だ。凡人にはただただ見上げるばかりだ。遠い彼方にあっても輝きによってひと際目立つ。

 どれほど手を伸ばしても届かない高みだ。




 研究には資金が必要だ。必要な器材や素材をそろえるためだ。だから、「売り込み」つまり営業力が必要とされる場面がある。

 また、自身の研究がどのように役立つのか、言ってしまえば、どれほど金銭を生み出すのかを出資者に理解させる必要がある。自身の研究が金儲けにつながると思わせなければ、先行投資は期待できない。


 これは化学者の前身であった錬金術師が抱えていた問題と同じである。彼らは黄金を生み出せるという主張をして、出資者から研究費を引き出した。

 現代では、どうやったら資金を引き出させることができるか。

 出資者がどんな考え方をするのか。価値観はなにか。それを知り、自身の研究とうまく結びつける必要がある。


 レファートが珍重されるのもここにある。学者と商人、双方の才能と見識とを併せ持っているからである。商人から資金を引き出せる学説を論じることができると言い換えられる。

 たいていの学者はここで(つまず)く。


 さて、これができない人はどうするか。わかりやすい目安を必要とした。それが称号である。

 こつこつと論文を書き、その功績が認められ、学界から与えられた称号は、出資者たちにとっても明確な基準となるのだ。それで、学者たちはより高い称号を得ようとする。


 ほんの数百年前の上流階級の人間たちはこぞって、画家や音楽家、探検家、そして科学者の後援者になろうとした。

 だが、商人たちが台頭してきた現在は様相が一変した。特に、しのぎを削る商会たちは、無駄な金銭を使いたがらない。


「今すぐに金儲けができる研究などそうそうないということを、彼らは知らない」

 そう嘆く学者の多くは、どれほど学術に優れていたとしても、自身の研究がどうやったら金銭を得られるかという発想をもたなかったのである。

 それは学問は言うに及ばず、世情を知る必要があった。世間で今、なにが必要とされているのかが重要だった。


 学問に没頭する学者の多くは、世情にうといものである。なんなら、生活能力すら乏しく、すべてを学問にささげている。また、そうでなくては高位称号を得ることができるほどの研究成果を挙げることはできない。

 ここに大いなる矛盾、ジレンマが生まれた。

 学者はとにかく称号取得を目指した。それを得るために血眼になる。




「へんげんじざい」

「うにょーん」

「わあ、のびーる」

「どこまでのびるのかなあ?」

「ひっぱってみる?」

「うにょーん……あ、はなしちゃった」

「あーれー(ばちーん・ぷるぷるぷるぷる)」

「わあ、いっしゅんでもどった!」

「ばちーんってなったあと、めっちゃぷるぷるしてた!」

「すらいむはえきたいなの? こたいなの?」

「はんこたいはんりゅうたいじゃない?」

「すらいむはすらいむだよ!」

「「「ぷるぷるぷるぷるぷるぷる」」」




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