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 論文は学界の無作為に選び出された査読者によって内容が精査される。合格すれば公表され、時に出版されることもある。また、ブレイクスルーやパラダイムシフトをもたらす学説であれば、高い称号を与える根拠ともなる。

 そのため、論文内容と査読者の相性に左右されることもある。内容について査読者と議論を戦わせることもままある。


 とある論文が学界に提出されたときにも同じ手順が踏まれた。違ったのは、査読者が判別不能としたことだ。そして、強くほかの査読者にも精査されることを要求した。

 論文は学者の将来を左右する重要なツールだ。

 そのため、査読者に正確に伝わるように、あるいは実験が必ず成功するように、目的のレベルを下げることがある。つまり、成果発表を取り繕うのだ。予定調和である。

 だが、その論文はそういった向きは一切なかった。なんなら、あまりにも荒唐無稽な内容とも言える。


 だが、大陸において十指にあまる賢師が記したものであるのならば、自分ひとりでは判断できないとした。当然、査読者にも相応の知識がある。その知識においてはあり得ない事柄だったが、論文内容は理路整然としていて、真偽の判別がつかなかったのだ。


 そこで学界は査読者の言を受け入れ、次の査読者を用意した。今度は無作為ではなく、魔物の生態を研究する学者を選別した。

 マーティンという名の学者はその論文を読み、興奮しきりで、ぜひとも実験に立ち会いたいと熱望した。


 査読者たちは論文内容のあまりの荒唐無稽さに、一度読んでみて不可解になり、二度読んでようやく驚き、三度読んでようよう説の意味するところを知る。

 後に、「二度目の驚き、三度目の理解」と言われる。

 マーティンはこれを、一度目に驚き、二度目に興奮のあまりその場をぐるぐる回り出し、三度目四度目、紙がよれ、端がすりきれそうになるくらい読み込んだ。


 学界は確かに、真偽のほどを見極めるには第三者が実験に立ち会うのが最も確実だろうと結論付けた。その結論に至るのに、マーティンがあまりに熱心で学界の担当者が及び腰で上司に泣きついたという実情があった。


 さて、学界は記述者であるアルノとスライムを呼び出した。だが、ふたりの博師が、実験において設備の必要性と、なにより被検体であるスライムの環境を変えるのはいかがなものかと強硬に反対した。学界はそれら意見の正当性を認めざるをえず、こちらへ検分に来いという言を受け入れ、学者を派遣することにした。


 当然、マーティンは長年魔物の生態を研究している自身がそこへ行くべきだと強く主張し、受け入れられた。なお、担当者がノイローゼになったという。

 こうして、三人の博師のそれぞれの働きかけによって、学界が派遣した学者たちがピルア村にやって来ることになった。


 研究所の一階ホールに集まった学者たちは、派遣された学者を待ちつつ、徐々に議論が熱を帯びていく。

「お連れしました」

 扉が開き、村の入り口まで迎えに行ったハンクが姿を見せた。その後ろから、小柄な人間が飛び込んでくる。


「アルノ氏! お久しぶりです! やあやあ、お元気そうで何よりです。論文を読みまして、これはぜひとも、この目で実験を拝見したいと―――」

 三十代の小柄な丸い眼鏡をかけた男性は一直線にアルノに向かって駆け寄り、返事を待つ間もなく話し続けた。

 その男性とアルノの間に、レファートが割って入る。

 キャメル色の瞳を鋭く光らせ、長身のレファートが見下ろすのに一瞬怯んだが、小柄な男性もぐいと上向けた丸い眼鏡が照明の光をはじく。


「マーティンさん、久しぶりだ。相変わらずだな」

「覚えていてくださったんですね!」

 レファートの背中から顔を出したアルノに、マーティンは嬉々として話しかけようとするも、色男が邪魔をする。学者の癖に、自分やアルノのように細身ではなく、がっしりとした体つきでもってして、久々に会えた賢師との会話を物理的に遮蔽(しゃへい)する。

 いつもこうだから、マーティンはレファートが嫌いだった。

 アルノといろいろ話したいのに、研究の邪魔になるとして排除されるのだ。

 マーティンは好きなものに夢中になるがあまり、迷惑を顧みることがなくなり、レファートは師匠の研究時間を奪われてなるものかと思っていた。


 レファートはつい、と視線を明後日の方へ向ける。それを受けたピーコックグリーンの瞳がわずかに(すが)められる。ふだんはなにかと張り合う弟子ふたりは、師匠のためなら結託する。

「本当にマーティン博師は相変わらずだな」

「エ、エルミラさんもいたのか」

「これは異なことを。我が師がおられるのだから、弟子のわたくしがいるのは当然だ」


 女性でありながら自分と同じ博師の称号を持つエルミラを、マーティンは苦手としていた。レファートとは別の感情からくるもので、言ってしまえば、エルミラのことが好きなのだ。好意が高じて避けがちになってしまう。


「あまりの美貌に息を忘れる」と言ったのは、このマーティンである。

 それには周囲が大いに同意し、いつしか、息の根を絶えさせる「死神」というあだ名がついた。このあだ名を知ったマーティンは憤慨し、それを口にしたものに片っ端からつっかかっていった。自分の言葉が事の発端だとは思いもよらない。


「こちらだ。案内しよう」

「エ、エルミラさんじきじきに案内を、」

 とたんに、うろうろと視線をさまよわせ挙動不審になる。


「なあ、あの人、レファートさんに負けずににらみ返していたけれど、大丈夫なのかな」

 チエムが囁くのに、カレルが迷惑そうにする。チエムが性懲りもなく「逆らってはならない人」の神経を逆なでするのは自業自得だが、それに巻き込まれるのは困る。エニーなどは、すすす、と音もなく距離を取っていた。


「常にあの調子で喋りまくるので、師に被害が及びそうなときは隔離するが、わたしにつっかかるのは別にいい」

「「「いいんだ」」」

 カレル、チエム、そしてエニーの声が重なる。それほど意外だったのだ。


 アルノの話を聞きたがり、称賛し高評価するので、レファートからしてみれば、さほど悪い人間ではない。

「あれでも博師だ。しかも、魔物の生態を研究している。師の力となるのであれば、わたしへの敵意など大したことではない」


「あ、あの人、魔物のことを研究しているの?」

 いつもなら自分からレファートに話しかけることはないティコが思わず声を上げる。

「そうだ。スライムのことについてもなんらかの情報を得られるかもしれない」

「わあ、ちゅごいね!」

 目を輝かせるメイニは、今日も今日とてスライムを抱えている。


「おや、どうして子供がいるんだ? む? そ、それは、スライムじゃないかね? もしや、そのスライムが!!」

 カレルやティコ、メイニの会話を聞きつけてマーティンが戻って来る。

 小柄とはいえ、父親ほども年上の男性だ。

 メイニは怯えてスライムを抱える腕にきゅっと力を込めた。スライムがなだめるようにふるふると震える。


 マーティンを再び遮ったのは、同じく身長が高かったが、今度は横にも広い。大柄で四角い顔、四角い眼鏡のピートだ。

 両者は見上げ、あるいは見下ろし、にらみ合う。

「おお、四角い眼鏡と丸い眼鏡の対決!」

 チエムが妙な歓声を上げた。

 その傍らでアルノやレファートはほかの派遣学者と挨拶を交わしている。学者たちからすれば、この程度の奇行は慣れている。


「マーティン博師、確かに、このスライムが論文にあった事象を行う。メイニ君をはじめとする子供らは、スライムの世話をしているのだよ」

「そうなのか! すごいな。スライムとはいえ魔物だ。よく慣れている」

 大柄なピートの横から覗き込むマーティンは、メイニの視線に合わせてしゃがみ込んでしまった。

「餌はどんなものを与えるのかね。魔力供給はしているのか? 一匹だけかい? もっといるのか? 飼育環境は? なにを食べるんだい?」

 矢継ぎ早に問われ、メイニは目を白黒させながら口ごもる。


「はいはい、おじさん、野生動物に対してそんな風に構い倒したりしないでしょう? ちょっと離れて」

 エニーがメイニの傍らに立つ。メイニが片腕でスライムを抱え、残る片手でエニーのスカートのすそをきゅっと握る。

「メイニが、エニーにいわれたとおりにチュライムをおいてこなかったから、」

 大きな青い瞳が潤み始める。


 幼児に慣れていないおじさんたちは、泣かれるとあたふたする。

「マ、マーティン博師、メイニ君を泣かせるとは! スライムにちゅきじゃないっていわれるぞ!」

「そ、そんな! 出会って早々!」

「まあ、たぶん、触られたくないだろうなあ」

 おじさんたちの慌てぶりに呆れながらチエムが後頭部で手を組み、カレルが無言で頷いた。



「めいにがふるえている」

「おおきいにんげんがこわいの?」

「だいじょうぶだよ」

「えにーがおいはらってくれたからね」

「なかないで」

「こわくないよ」

「すらいむがいるからね」

「ひとりじゃないよ」

「「「ぷるぷるぷる」」」



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