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フランクは呼び出されてカトリエン商会の本拠地がある都市にやってきていた。
前の上司は商才はあるものの、線が細く、そのため神経質なところが目立った。
「久しぶりだな」
「はい。フォルマーさまにおかれましては、ご壮健のご様子で、まことに喜ばしいことにございます」
フランクの最上級の挨拶に、カトリエン商会の次男は鷹揚に頷いた。当然のこととして受け止めるフォルマーに、フランクはまだこの人は自分のことを都合よく使えると思っていると認識した。
そして、その考えは間違っていなかった。
フォルマーからレファートのことやその師たちが行っている研究について様々に質問された。
「申し訳ございません。わたしはレファートさまとそのお師匠さまの研究内容については全く理解が及びませんで」
あながち嘘ではない。レファートから聞いたものの、その原理にはまったく理解することができなかった。
たぶん、正直にフォルマーに話しても、「スライムの中で植物を培養する? なんの寝言だ、それは」と失笑されるに違いない。
「だが、早々に論文を学界に送ったというではないか」
「そうですねえ。もともと、なんらかの研究をしていて、その地方にその対象がいたのかもしれませんね。それで大学を出たのでは?」
フランクの言葉に、フォルマーは頷いた。もちろん、事実は違うのだが、理解しやすい筋書を話した。事物をありのままに捉えるのは、意外と難しい。人間は、初めて認識するものを正確に受け止めず、自分の理解しやすいように、あるいは経験則で捉えようとしがちだ。
「学者とは研究をして、その成果を論文にして発表するものです」
言外に、フォルマーが気にするほどのことでもないと伝える。
素材を増やし、製薬して薬を町に運び入れ、流行り病の方は終息しつつある。
情報開示をした論文を学界に提出したばかりだ。そこにいらぬ横やりを入れられては、せっかくのアルノの志に泥がついてしまう。フォルマーに功績を掠め取られたり、あるいは邪魔をされたりする事態は避けたい。
ところが、さすがはカトリエン商会の直系というべきか、フォルマーは敏感になにかが起こる予感を抱いているようだった。
「お前、今、レファートのところにいるのだろう? では、なにをやっているのか、探ってこい。情報をこちらに渡せば、裏切りを許してやろう」
ご冗談を。
フランクはその言葉をとっさに飲み込んだ。
裏切りとはどういう意味だ。
もとはといえば、行方を捜していたアルノに出会ったフランクが詳細に事情を聞き出し、報告した手腕をレファートに買われた。その際、レファートは自分と会ったという情報を次兄の耳に入るようにし、仲たがいさせた。
レファートの策にはまったとはいえ、弟憎しが高じて配下を切り捨てたのだ。
今さら、命じられる立場にあると思っているところが傲慢である。
そして、あのとき感じたレファートには及ぶまいという気持ちがより強くなる。しかも、差は開く一方だ。
なぜなら、レファートはどれほど高い称号を得ても誰かから、あるいはなにかから学び取る師を見倣おうとしているのだから。その進歩についていけないだろう。
自分に密偵になれという。フランクは相応の自信を持っていた。その自分にそんな真似をさせる価値がある人間なのか。
「時に、フォルマーさまはカトリエン商会が最近存在を示しつつある製薬にはどんな考えをお持ちですか?」
「我々カトリエン商会は慈善団体ではない。それぞれが目的を持ち働いている。その目的を果たす媒介となるのは金銭だ。当然、金銭を効率よく得ることが要求される」
「なるほど。金銭優先ですね。薬の効き目が評判になれば、当然、需要は見込まれますでしょう」
「ふん、くだらない。薬効などどうでもいい」
フランクは意志を総動員して表情を取り繕った。
わかっていない。それでは結局得るものは少ない。効き目のある、そして副作用の少ない薬をつくる。そうすることで、後々の世にまで人に愛される商会となるのだ。例えば、商会名よりもその薬の名の方が有名になるくらいに。あるいは商会名そのものが薬の名前になるくらいに。
なお、フランクのこの考えは後に実現する。アルノが開発したオウカコウに含まれるセイコウソを主成分にしたバダー特効薬は「カトリエン」と名付けられたのだ。
フランクは持論を述べなかった。
フォルマーは目下とみなした人間に逆らわれるのを好まない。怒らせて敵対するよりも、否定せず、けれど肯定もせず、曖昧にしたままその動向を把握することにした。
商人は契約を大切にする。いかな口約束とはいえ、確証を与える愚を、フランクは侵さなかった。
フランクはフォルマーの一件をレファートに報告した。
フランクは明言を避けたものの、フォルマーは情報を抜いてくることを決定事項とみなしているだろう。
レファートはキャメル色の瞳を眇めた。フランクは見目好すぎてため息が出ると言われるのも頷けると内心こっそり思った。この人は、問題解決に臨んでいるときに、なぜこうも色気が増すのか、とも。
そんな妙な考えは、続くレファートの言葉に吹き飛ぶ。
「ヨルグ町の薬屋たちの暗躍しているらしい。クレティアン製薬会社を動かしたそうだ」
フランクは息を呑んだ。
クレティアン製薬商会は老舗の部類に入る大手だ。最近、市場に割り込んできたカトリエン商会のことを、当然面白く思っていないだろう。
「以前、会頭のジョエルに手を組まないかと持ち掛けられたが、事実上の配下になれということだろう」
「大胆ですよねえ」
よりにもよって、カトリエン商会の直系に引き抜きをかけるその豪胆さに驚くべきか、そんなことをなんてことないようにしらりと話す上司に驚愕すべきか、どちらにせよフランクは頭を抱えたくなった。
しかも、聞けば、目を付けられたのは、バダーの新薬を売り出す前のことだという。
「新薬開発のことは耳に入っていたかもしれないが、ここまで有効性の高いものだとは思わなかっただろう」
「それはそれは。さぞかし切歯扼腕したことでしょうね」
クレティアン製薬商会はクイニンを開発販売する会社だ。つまり、バダーの旧薬で、それを上位互換する薬を開発販売したカトリエン商会、ひいてはレファートやアルノに、並々ならぬ感情を抱いているだろうことは想像に難くない。しかも、開発前に引き抜こうとしていたという。引き抜いていたら、新薬を一手に販売し、莫大な利益を得ていたと考えるのは当然のことである。
それこそ、歯が砕けるほど歯ぎしりし、腕がへこむほど強く握りしめたことだろう。
「それでいい。少しでも師から注意を逸らせることができるのなら」
アルノは研究者としては一流だが、こういった政治的な立ち居振る舞いは不得手だろうとフランクもしみじみと頷く。
「次兄のこともクレティアン製薬商会のことも、論文を学界が認め公布されたら、解決するな」
レファートの言う通り、両者が探りを入れていることはアルノの新説に帰結する。発表されれば、公のものとなり、隠す必要はなくなる。
「なるほど。しかし、そうなれば、製薬会社がスライムを乱獲するのでは?」
「師が論文附則に乱獲禁止を記述している」
「さすがはアルノさん」
とんでもない特性ではあるものの、スライム・クラフトは工業化には向いていない。大量生産が難しいからだ。
成長促進するとはいえ、大量につくるには時間がかかる。
「となれば、どこにでもあるもの、どこででも手に入るものをクラフトするのでは採算が合わないとみなされることだろう」
例えば、今回のヨルグ町のように、誰かが隠してしまうことなどによって一時的に不足する場合には有効だ。
「第一、スライム・クラフトはそう簡単にはできない。まずもってして、スライムを使役できる者はほとんどいないし、できたとしても、その技術を向上させる者はいない」
スライムを使役してもなんの役にも立たないとされていたからだ。
「それをして、さらには綿密な記録を行い、様々な実験を繰り返していたリシェルさんのお手柄ですね」
同じくらいの技術を持つ人間を育てるのに数年は要するだろう。
「敵に勝つよりも、敵を味方にした方が益が大きい」
「それは?」
「師がわたしに告げられた言葉だ。ゴッドフリート大学に協力要請をする際にもおっしゃっていた。わたしは敵を作りやい。そのことを気にしていなかったが、師に先の言葉を告げられた際、姿勢を直すことにしたのだ」
敵に勝てば一時は気持ちがすく。けれど、敵を味方にし、協力を取り付けることができれば、後に得るものが大きい。
「師は勝ち負けのような些末にこだわることはない」
「ああ、あの人は結果の方を大切にされそうですね」
「それだけじゃない。過程も重要視される」
レファートは心地よさげに言う。
フランクは腹を決めた。
「フォルマーさまに当たり障りない情報を渡し、逆に情報を得てきます」
いわば、二重密偵だ。
「君が決めたことだから、反対はしないが、くれぐれも身辺には気をつけろ。必要とあらば金銭を惜しむな。生きていれば稼ぐことができる」
部下の命よりも金銭を取る者たちが多い中、レファートはそれに重きをおかなかった。大事の前の小事という認識だ。
さて、レファートはヨルグ町の薬屋たちが製薬会社をあおったことを逆手に取った。
レファートが製薬会社が成果だけを横取りしようとするだろうと聞いた村人たちは、憤慨し奪われてなるものかと奮起した。
自分たちが苦労してつくりだすものを取り上げられそうになれば、人は大いに抵抗する。
「レファートさまのおっしゃる通り、村の近辺を最近、嗅ぎまわっている人間がいる」
こうして村は結束し、情報をほかへ漏らすまじという風潮になった。
また、レファートに対し、逆らってはならない人という認識もより強固となる。
寒村に汲々と暮らしていた中、最新機器の魔農具、魔道具を貸与し、より高品質の物品をより多く製作することを命じられたのだ。
貸与される際、契約締結の契約書に、「アルノ・カルフォシスに敬意を払い、その言動を阻害することはまかりならぬ」と記されていた。
「近来稀な素晴らしい学者のことだ。その方の研究のために必要なものを整えるための各種契約書だ」
そのときはすごい学者先生が研究をするんだな、その環境を整えるためにここまでやるのなら、失礼があってはならない、という考えを持っていた。
だが、今は現在の暮らしを守るために一致団結した。
人は楽になったら、以前の状態に戻ることを嫌がる。前にもやっていたことなのにできなくなるものだ。
「みわくのぷるぷるぼでぃ」
「なめらかなさわりごこち」
「うつくしいきょくせんをえがくたいけい」
「これぞ、かんぜんすらいむたい!」
「なにやってんのー?」
「ぱーふぇくと・すらいむごっこ」
「おもしろい?」
「えー」
「わかんない」
「へんなのー」
「「「ぷるぷるぷるぷるぷるぷる」」」




